第31話「ティマイオス」プラトン

文字数 1,422文字

 二作品のうち、「ティマイオス」についてのみ持論を述べさせてもらう。「クリティアス」に関しては別枠で述べる。先ずは凄い作品だと言わせてもらった後に二つほど注意点がある。一つは紀元前に書かれてもので時代背景的に男尊女卑と思われる部分があること。二つ目は進化論を無視した当時の哲学であること。この事を差し引いて読んでいただきたい。この著作はプラトン後期のもので一般的に初読者におすすめされることはないが、これぞプラトン哲学の真髄と呼べるものであると確信する。「ティマイオス」は宇宙論(マクロコスモス)と人体(ミクロコスモス)について書かれている。まるで医学書を読んでいるかのようで、その思想は東洋医学にも影響を与えていると思う。その全てをこんな限られたスペースで解説するのは難しいが、例を挙げれば「視覚」は我々に昼と夜、月や年の循環や春夏秋冬、月や太陽の周期から数を創り出し、時間の観念と万有の本性を理解させ、我々は哲学を手に入れたとある。それは我々が循環運動を見て人類の乱れた思考を正すためであり、自然本来に即し正しい回転運動を取り戻すためだと言っている。プラトンは自然には生命が宿り、我々は自然の一部であり、我々人類が暮らす地球は宇宙の一部であると説く。プラトン哲学は「宇宙」に根拠を求めている。哲学に宇宙論を持ち込んだ最初のものがこの「ティマイオス」である。永遠という概念は生み出されたものではなく、生み出すものの側にある。神は永遠を写し出す何か動く似像を作ろうとし、それを「時間」と名付けた。宇宙と時間の解体が起こるとすれば、その時両者は共に解体されるに違いない。宇宙は全時間に渡り、存在したもの、存在するもの、存在するだろうものとしているが、プラトンは事物の始原については語ることができないと正直に告白している。我々はビックバンが宇宙の始まりだと仮定するが、本当はそれすら過程であるのかもしれない。ただ我々は「変化」という普遍的な事象を手に入れた。その根拠は宇宙が今も拡張し続けているという事実に基づいている。又我々は無理数が永遠に割り切れないことも知っている。我々はミクロとマクロの両方向に永遠を抱えながら今この瞬間に永遠を閉じ込めている。それは過程であり循環の一定点である。我々は回転運動し、変化し続ける宇宙からの座標を常に変えながら「場」に存在するのである。殆ど私の哲学観であり、プラトン研究者からお叱りを受けそうであるが、私はこのように理解している。最後にプラトンの「三角形」について述べたい。火、水、土、空気という四元素が物体であることは明らかで空間の中で「奥行き」を持っている。奥行きは面で囲まれ、直線で囲まれた面は三角形で構成される。三角形は二等辺三角形と不等辺三角形があり、不等辺三角形には無限♾の性質がある。プラトンは生き物の構成要素は三角形であるという。このことを前提に「老い」について語っている。三角形は人体に取り込まれ排出し我々を構成しているが、その同化を繰り返すうちに身体は傷つき根が緩み、いづれ三角形を吸収できなくなる。逆に我々は三角形によって解体され始める。これが「老い」である。人間の髄で組み合っていた三角形が維持できなくなると今度は魂の絆を解く。そして魂は自然に解放されて行く。これが「死」であり、「循環」である。三角形とは生成するもの、生成されるもの、そして生成のモデルとなる「イデア」のことである。了
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