第9話「過程と実在1」A.N.ホワイトヘッド

文字数 1,151文字

 余談だが、ホワイトヘッドは、私が最も尊敬する哲学者である。

 ホワイトヘッドの哲学は「有機体の哲学」と言われる。有機体とは無数の組織が絡み合う総合体のようなものである。ドゥルーズがホワイトヘッドに影響を受けたかどうか知らないが、その有機体を構成する定点を微分して最後の1ピクセルの傾き(強度)として表現している。ホワイトヘッドは、そこには定点ではなく「過程」しかないと言う。過程と過程の関わり合いを有機体と表現した。それは動き続け、その度に新たなものに触れ差異を生み出し続ける。しかし我々が認知できるのは、その差異のほんの一部に過ぎない。この時点で実存主義は、意識することで初めて世界が存在するという概念が、間違いではないにせよ、十分条件ではないことを露呈した。ドゥルーズ流に言えば「1/∞」にフォーカスしたものと言える。世界は定点ではなく、出来事と出来事の組み合わせでできている。無数の認知又は認知されないもので世界は構成されている。そのことをホワイトヘッドは「抱握」という言葉で表現している。わかりやすく言うと、抱握とは意識を伴う以前の非認的把握ということである。私がホワイトヘッドの哲学とは何かと聞かれたら、迷わず「コスモロジー」と答えるだろう。その理由を述べる前に「空間」と「無」について述べたい。空間には今では無数の粒子が存在していると皆知っている。けれども昔は文字通り目に見えないもの=無であった。宇宙の果てはどうなっているのだろうか? 相対性理論によって理論的に証明されたものも一部ではあるだろう。けれども新しい事実は次々にやってくる。それは宇宙が形成の過程であることを意味している。ホワイトヘッドの哲学は「無」ではなく「有」の哲学だと言ってよい。無は一つの仮定的概念でしかない。有を微分しても最終的に無にはならない。我々が宇宙の果てを一生認知することができなくても、そこには過程としての宇宙が存在する。定点ではなく、今この瞬間にも拡張を続ける存在としての宇宙こそ、ホワイトヘッドの哲学そのものなのである。いかなる存在も宇宙という体系から完全に分離されては把握され得ない。我々は現実を生きてはいるが、それが変化し得るものであり、拡張を続ける宇宙の一存在としての人間は時空とともに、常に未来を歩んでいる存在であると知るべきだ。そして、それらは全て無限の宇宙という前提によって支えられているのである。この「過程と実在」は、一連のホワイトヘッドの著作の集大成のような巨大な哲学書だ。人生最高の書は何かと聞かれたら本書を挙げたいと思うが、それですら過程という論理を逃れることはできそうもない。だからこそ人生は過去という憂鬱の傍に、可能性という未来を寄り添わせてくれているのだと思う。(2に続く)
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