第29話「過去と未来の間」ハンナ・アレント

文字数 1,759文字

 完全に私の解釈になってしまうので参考にするのは避けていただきたいと思う。正直、アーレントの初めの一冊に選んだのは失敗だったかと不安になるほど難解だった。正確には違う概念かもしれないがサルトルの「アンガジェ」をイメージした。行動によって言葉だけの偽善者から逃れたい。我々は態度を迫られる。小説、評論に限らず、ネットでの主張、批判でもいい。自分が善だと思うことを、特に政治的な発言をするなら、なぜ君は顔の見えない批判を繰り返すばかりで自らが政治家として立たぬのか? こう問われて君は明確な返答ができるだろうか? 安全な場所から発信し続けるだけでは本当の自由は得られない。アーレントは革命は戦争と分母を共にする、つまり暴力の一つだと言っている。彼女はユダヤ人でありホロコーストを経験している。哲学、いや政治思想の根底に悲劇を生んだ全体主義への否定と悲しみ、怒りが満ちている。だから結果がどうであれ、革命も戦争も当然受け入れることなどできない。ピラミッド型の階級、伝統的な権威の崩壊によって行き場を失った個人が思考停止した結果の成れの果てが全体主義の正体である。この背景を踏まえて、本書の序章では以下に続く八つの試論について、いかに思考するべきか記している。その中でも彼女の政治哲学の核心部分である「権威」と「自由」そして「宇宙」について述べさせていただく。
アーレントは伝統的権威の崩壊によって新たな統治形式である全体主義が発展したと言っている。伝統的権威にはプラトンが法制化した「主人−奴隷」という関係も含まれる。プラトンのアカデミアが奴隷制度を前提としていた、そのことだけを切り取ると見誤る。ここでは奴隷制度を肯定しているわけではない。プラトンは「国家」で権力を奪ったり暴力を行使せずに統治可能にする方法を模索している。実際に命令が発せられるに先んじて、服従が存在するような関係を理想としていた。それは権力を超越し、人の手で作られたものであってはならなかった。神のような存在を頂点とする権威が必要だった。近代はこの権威を崩壊させ、代わりにイデアを失って孤立した個人が、同じく人である凡庸な悪と共に全体主義を作り出してしまったとアーレントは指摘する。彼女にとって「自由」は「政治」を意味していた。我々自身に究極的な自由な自我が存在するとして、それは明確な形で現象界に現れることはない。しかし、我々は政治を考える時、同時に自由というものについて考えねばならないと気付くだろう。それは政治というものが「行為」に結びつくものだからである。私の中ではこの時点で「アンガジェ」と繋がった。アーレントは政治の存在理由は「自由」であり、自由が経験される場が行為だと言っている。内的な、つまり心の自由は派生的なものでしかない。内的な自由は自由が否定されている世界から他者が近づくことができない内面への退却に過ぎない。そしてそれを発見したのは、誰もが人としての条件を欠いてきた人々であった。自らが望むままに生きることが自由であるとするのは、自由を知らぬ人が言うことである。内面の自由は本当の自由ではない。だから人は本当の自由を得るために政治に関わる。しかし、現代の政治は安全保障のためのものに成り下がってしまった。我々は行為する勇気が必要だ。勇気は人々をこの世界の自由へと解放してくれる。
最後に第8章「宇宙」には正直驚いた。思わずホワイトヘッドを読んでいるのかと思ってしまった。我々は偶然が圧倒的に支配する世界を認めたがらないでしょう? 物質的なものに囚われて、自分の目で見て意識できるものしか認識できないと思っている。又はそれ以外のものが存在するにしても、それは人が解明できていないだけだと言うでしょう? 人間とはそういう生き物だから仕方ないけど、この世界は我々人類が来る前に既に存在し、我々が滅びた後も存在し続ける。世界は有限ではなく無限であることを、アーレントもまた「拡張し続ける宇宙」に根拠を置いている。これは私の感覚でしかないが、アーレントの思想は全体主義を否定するために権威としての「神」の存在を必要とした。そして、この世界で唯一絶対的な真理は、宇宙が拡大し続け、過去と未来の裂け目は常に変化し続けているという事実なのである。了
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