第24話「フーコー」ジル・ドゥルーズ

文字数 1,267文字

 昔からダイジェストや解説本を読まない主義で、それは著作から伝わる要点とは異なる行間に著者の人生が垣間見れるからである。そういう意味で避けてきた本書だが、フーコーというより、ドゥルーズが彼をどう捉えていたか興味があって読み始めた。実はフーコーの大著の中では「知の考古学」しか読破していなくて「監獄の誕生」「言葉と物」は目の前に積んである(汗)人生の残された時間は幸いまだあるみたいだし、急がなくても良いだろう。この本はフーコーが亡くなった後、追悼の意味も込めて出版されたものだ。全編が盟友への想いに溢れている。膨大で難解な著作を個別にレビューするのは著作を読んでからにして、ここでは著作からはわかりにくい部分を一部解説するに留めたい。大きく分けて前半は「知の考古学」について書かれている。ここではフーコーが使うアルシーヴ(古文書)の意味について話したい。勿論、歴史のことではない。例えば絵を描く時、絵心がある人なら輪郭をただ一本の線ではなく複数の線が重なる濃淡にて浮かび上がらせる。言表と言い換えてもいい。フーコーはそれそのままの記号としての言表のことではなく、また背景にある意味などでもなく、対象の領域に関係し、場所、位置など勝手に動かすことなく捉える。我々は実際に語られたこととは別のレヴェルで語ろうとするが、そうではなくて、あくまで語られたレヴェルに留まるべきであり、創造してはいけない。このことで何を言わんとしているか、それはフーコーの時代より以前の古典主義、つまり構造主義への訣別であると私は感じた。構造は命題的であり公理的である。ところが言表というものは蓄積であり、現時点での不確定性であり、可能性である。水準や平均常識を貫くもの。要するに構造は実存を包含し、ある意味真実ではあるが、一局面に過ぎない。それを踏まえてフーコーは「監獄の誕生」「言葉と物」でそのマニエリスムを探究している。ここで「ダイアグラム」というキーワードが出てくる。ダイアグラムとはマニュアルの図式化などで使うアレである。Yes or No ここでの意味は単純な二元論ではなく、僕の言葉で表現すれば無限の選択が続くという意味である。差異の連続と言い換えてもいい。構造とは組み合わせであるのに対し、ダイアグラムは分化。つまり袂から分かれているのである。フーコーが一貫して述べていることは、言表は組み合わせにより生じたのではなく、分化を繰り返し差異の中で生成されたものが言表であり、また次の瞬間には分化して未来へと向かうベクトルでしかないということだ。人間という存在もひとつの形に過ぎず、外からの力によって変化する。この世の解決できない事象を突然変異に委ねることは、外からの力に依存することに等しく、世界が差異による分化によって形成されてきたとすれば、本質的な解決もまた差異による分化を経て辿り着くものだと信じたい。最後は殆ど自論になってしまった。申し訳ない。ちなみに「襞」はフーコーも好んだ概念である。分化の谷間とでも言っておく。二人の哲人に感謝する。了
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