第26話「宗教とその形成」A.N.ホワイトヘッド

文字数 1,147文字

 ホワイトヘッドの父は英国の牧師で、当然そういう環境の中で育った。宗教的なもののベースは個々の抱える孤独感に端を発する。ホワイトヘッドの言う宗教的という意味はプリミティブな儀式を伴った神を祀る原始的なものではなくて、形成の段階を経た合理性を持つ宗教を意味している。宗教も世代を超えることで変化、純化し、淘汰され生き残る。世界には多くの神を持つ人がいると言うのに、我々は宗教や神と聞いただけで眉をひそめてしまう。ホワイトヘッドは本来、宗教的なものとはユニークで革新的であると言っている。個々の自由な思想は世界を旅して、やがて世界意識を生む。それが以前の自己を解放する。人間の上昇というものがそこにある。初めは個としての神を崇めたのかもしれない。けれども個々が世代を超え宗教を純化させ意識を上昇させて行くうちに、神という実体ではなく神の善性を学ぶことに進化して行った。これをホワイトヘッドは「合理的宗教の到来は世界意識の成長の帰結である」と言った。最近、たまたまオウム真理教の過去の事件の記事を読んだ。宗教は人間そのものと事物の本質を永遠なものに依存する限り、人間の内的な進歩のための「技術」であり「理論」である。宗教の産物は個人的な価値であり善にでも悪にでもなり得る。つまりそれ自体に本質があるのではなく、受容側によって変化する「形式」に過ぎない。我々が社会的な存在である以上、宗教も社会的な一現象である。誤ちはその大切な個々を見捨てあたかも真理があるように振る舞う群の心理であり、それは進化に逆行する「野蛮」である。ホワイトヘッドは存在するもの全て、神も含めて「宇宙」という言葉を使っている。それは時間的世界とそれを形成する諸要素である。諸要素とは創造性と理念的実在から成る。時間的世界とは今この瞬間のことであり、非時間的実在者としての神と相対的な関係である。つまり宇宙を存在させるために非時間的実在者が必要だということだ。神は世界における「機能」であり、神は宇宙における要素である。この要素により我々の意図は我々自身の為の価値を超えて他の存在の為の価値を創造するのである。この相対論的関係性は、世界の秩序は単なる偶然などではなく、秩序としての尺度無しには現実的な何ものも存在し得ないことを意味している。宗教的な洞察はこの真理の把握である。世界の秩序は価値、美、平和等全て相対的な関係で結ばれている。そしてその根幹に「宇宙」がある。無限の自由を備えた創造性と可能性。これらは共に完成された調和である神というものを離れては現実的に無力と化す。我々は永遠に解明されることの無いであろう宇宙の一存在であり、宇宙を構成する要素としての神と共にいることは否定できない事実であると認めねばならないだろう。了
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