19.貴婦人の承認(2)

文字数 2,408文字

たっと、池に駆け寄った。
急いで。でも、慎重に。
さっと、名札を投げ入れた。
煌めく噴水のスカートに、呑み込まれて消えていく。

入った!
ジャスト、真ん中だ。
誰にも見られなかったかしら?
警備員さんは? 気づいてない?

逃げるように螺旋階段に向かった。
駆け上って行きたい衝動を、ぐっと堪えて、ゆっくり階段を上る。

警備員さんや大人が、追っかけてきたら、どうしよう。
何か噴水に投げ入れただろう。
ばれて、名札を拾い出されてしまったら?
すべてが、おじゃんだ。

内心、ビクビクだった。
螺旋階段の壁面には、いつもの映像が映し出されていた。
いろんな海の生き物たちが、青い筒状の画面の中で、群れ泳いでいる。
眺めるふりで、下を見遣った。

大丈夫。誰も来ない。

ほっと、静かに息をついた。
よかった。
このまま、4階まで上がろう。
図書館に行っておかなくちゃ。
ママに聞かれたときのために、1冊くらい、何か借りておいたほうがいい。

しばらく図書館で時間を潰しているうちに、フロアーが、ざわついてきた。
子どもたちが集まり出したせいだ。
上の階は、児童館だ。子ども祭りまで、ここで待っているつもりなのかも。
予想通り、すごい人出になりそうだ。

(あかつき)は、お祭りの方に行くんだろうか?
それとも、さぼったりしないで、空手教室に出るのかしら。

どっちでもいい。
今日、誘い込めなかったとしても、問題無い。

貴婦人の承認が得られたなら、私は素晴らしいチュチュを作る。
私がデザインした、あなたの舞台衣装を。

オーロラは、見込み通り、暁を気に入ってくれた。
だから、これから何度も、あの子は地宮に招き入れられるだろう。

チャンスは、ある。
(うたげ)(もよお)されたとき、私は全てを手に入れる。

ようやく、騒ぐ子どもの姿が、図書館フロアーから失せた。
子ども祭りが始まったらしい。やれやれだ。

「走らないでね! 危ないから!」
図書館を出た途端、螺旋階段の下から、警備員さんの声が飛んできた。

駆け上がってきた一団が、気迫満点の注意に、慌ててスピードを落とす。
遅刻組のようだ。まだまだ来そうね。
ぶつかられでもしたら、いやだわ。

エレベーターで一階まで降りると、子どもたちは、みんな()けた後だった。
エントランスホールも、さぞかし込み合っていたことだろう。

もういい筈だ。名札を投げ入れてから、30分以上経っている。
案内文には、こう書いてあったもの。

20分程度、時間を空けてから、警備員に尋ねましょう。

「すみません。あの、名札の落とし物が届いてませんか?」

立っていた警備員さんが、振り返った。
穏やかな福々しい顔。まるで仏様みたいだ。
よかった。さっきの、鬼っぽい人じゃない。

「ああ! 届いているよ。ちょっと待ってね」
そう言い置いて、控室に引っ込んだ。
小さなビニール袋を手にして、戻って来る。
「名札の落とし物は、これだよ。君ので間違いないかな?」

【聖フロランタン学園 初等科 6年1組 加羅(から)みかげ】

「はい。私のです」
すぐに返してくれると思いきや、甘かった。

「じゃあね、あっちの奥に行って。区民センターのカウンターで、遺失物を渡す手続きをするから」

え? そんなのあるの?
案内文には書いてなかった。
「確認書に名前を書いてね。受け取りましたっていう、サインなんだ。住所と電話番号も記入するんだけど、できるかい?」

しょうがない。ぶすりと頷く。
もう中学2年生なんだから、できるに決まってる。
あ、そうか。小学生だと思われてるんだわ。
名札が初等科だから。
年齢を書く欄は……無いわね。
いいわ。めんどくさいから、黙っていよう。

「白鳥像の台座に、置いてあったんだよ。誰かが拾って、踏まれないように乗っけてくれたのかもしれないねえ。今日は、お祭りだし、利用者も多くて、」
「これでいいですか」
書きなぐった書面を、押しやる。

「あ、ああ」
カウンターの向こうで、警備員さんは戸惑った顔で頷いた。

もういいのね、じゃあ。
机上に置かれていた名札を、ビニール袋ごと掴んだ。
早く。早く見たい。
中の紙は、どうなってるの?

乱暴に戻した安っぽい椅子が、がちゃっと耳障りな音を立てた。
トイレに行こう。個室に入れば、誰にも見られないで、確認できる。

壁沿いのトイレに速足で向かう私の背中に、警備員さんの呟きが届いた。
「……我慢してたのかなあ」
誤解だ。でもいい。構っていられない。

一目散にトイレに飛び込むと、鍵をかけた。
手にしたビニール袋から、名札を取り出す。

あれ? 濡れていない。
誰かが、拭いてくれたのかしら。

名札をひっくり返した。
裏面のクリップに、折り畳んだ紙が、ちゃんと挟み込まれている。

これ、元のままよね。
失敗だったのかしら。
それとも、あの案内が、でたらめだった?

クリップから、紙を外してみた。
「えっ!」
つい、声を上げた。

紙も、乾いている。
水を吸った様子が、まったくない。
おかしいわ。
噴水に投げ込んだっていうのに。

肩に掛けたトートバッグに、ぽいっと名札を放り込んだ。
自由になった両手で、畳んだ紙を、順々に開いていく。

これ、なにかしら?
紙片の所々に、小さい穴が穿(うが)たれているのに気が付いた。
紙の固まりを貫通している。
鋭いキリみたいなもので、ぶっ刺して空けたみたいに。

ごくごく小さい穴だ。
よく見れば、バリエーションがあった。
丸。四角。なんだか分からない形。

いったい、なに……?

紙を開ききったら、答えは分かった。

切り絵だ。
穿たれた幾つもの穴が、美しい模様になって、紙面に広がっていた。

バラだ。
穴で描かれた小さな花が、いくつも並んでいる。真四角の紙に、大きく円を描いて。

『戻った紙面に、貴婦人からの返答が記されています』

(まる)だ。

ふわり
(ふく)(いく)とした香りが、紙から立ち上った。
薫き染められていたのは、花の女王の(ほう)(こう)
「バラだわ……」

【2.双子の宮殿 終】
最後までお読み頂き、本当に有難うございました!
続いて、(3.嘆きの湖~地底湖とスワンと筋肉~)を投稿します。
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登場人物紹介

一ノ瀬 暁(いちのせ あかつき)


小学5年生の女の子。第一級の美少女だが、性格は猪突猛進。

双海 碧(ふたみ あおい)


暁の幼馴染。小学5年生の男の子。

座右の銘は、用意周到。

三ツ矢 陽(みつや よう)


碧の「はとこ」※母親同士が従姉妹の間柄

小学6年生の、大柄な男の子。

正直者すぎて、思ったことが全て顔に出る。

ド・ジョー


「オーロラの地宮」の住人。ハードボイルドな、金色のドジョウ。

水を操ることができる。オーケストラの指揮者。

マダム・チュウ+999(プラス スリーナイン)※略称


「オーロラの地宮」の住人。オネエな、ピンク色のネズミ。

自らの美しさに相応しい名前を足していったら、999文字になったとの弁。

フルネームは、マダム・チュウ アナスターシア ベアトリックス クレメンタイン ディアーナ エリザベス フローラ ジェラルディン ハーマイオニー(書ききれない)

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