14.回し車(2)
文字数 2,704文字
「ああ、回し車……かなあ」
陽は、自信なさげに付け足した。
「ほら、モルモットとかハムスターが運動する用に、ケージに付けるやつ」
ペットショップで見たことがある。形状は同じだ。
でも、これは冗談みたいに大きい。
人間サイズだ。
しかも、プラスチックなんかじゃなくて、しっかりと木で作ってある。
「ほんとだ! じゃあ、回せるんじゃない?」
言った時には、実行している。それが暁だ。
迷いなく、盥 の縁に足を掛けて上ると、すっくと中に立った。
子ども一人が入っても、びくともしない。
頑丈な水車みたいだ。
内側は、凸凹 していた。とっかかりがあるから、滑らない。
「歩けるよ。ほら!」
あっという間に要領を掴むと、暁は走り出した。車が、勢いよく回り出す。
ブーン
羽音に似た音が、生まれていく。
もう、全力疾走だ。
「わあ……!」
暁は、ころころ笑い出した。
楽しくって仕方がない。
ひとしきり走ると、暁は、息を切らしながらホイールから飛び降りた。
「陽! 陽も、やって!」
「う~ん、俺、入れるかなあ?」
いつも笑顔の陽が、心配そうな表情になった。
背を屈めて、回し車に乗り込む。
ぎりぎりセーフだ。
にこにこと、暁が嗾 けた。
「陽、ゴー!」
ゴォーッ
今度は、桁違いに大きな音が奏でられた。
パワーが違う。電気でも起こせそうな勢いだ。
「早~い!」
暁は、歓声を上げた。
「人間ハムスターだね!」
陽も、つられて大笑いする。
非常に楽し気な光景だ。
だが、裁縫部屋は、修 羅 場 の真っ最中だった。
ぶちり
真っ先に、碧が、ぶちきれた。
「そこ! うるさ~い!」
全くだ。
全員のみかげの目が、同意していた。
「もう、二人とも、外で遊んできて! でも、遠くに行かないで、この階にいてよ。もうすぐだから!」
言っている台詞が、まるっきり、お母さんである。でも、碧にその自覚はない。
まずい。おかんモードになった碧を、これ以上怒らせたら、恐ろしいことになる。
「ごめんなさ~い」
暁と陽は、声を揃えて謝った。
これまでの人生で、両名とも、身に染みているのだ。
暁と陽は、素早くドアへと向かった。
ここは即 時 退 却 だ。
二人三脚しているみたいに、足並みが揃っている。
一部始終を見ていたマダム・チュウ+999は、苦笑いした。
静かになっていいけど、ちょっと、かわいそうねん。
「二人とも、隣は箪 笥 部屋よ。覗 いてきたら? きっと楽しいわよん」
作業机の上から掛けられた声に、暁と陽が振り返った。
ピンク色のネズミも、お針子さんモードだ。
肩にメジャーを掛けて立っている。
手にしているのは、使い込んだチェコだ。
「はーい」
明るいお返事を残して、二人は部屋を出て行った。
声を聞く限り、叱られん坊は、そうそう堪 えていなさそうである。
しかも、ドアを開けっ放しで行きやがった。
ふう
碧は、溜息をついて、作業机を離れた。
「ちょっと、ごめん」
利用中のペラペラ人間達に断ると、鏡の縁に付いたお面に話しかける。
「案内板。暁と陽の居場所を把握して、その都度、俺に報告して欲しい。できる?」
『はい、可能です。このまま、部屋の扉を開けたままにしておいて下さい。指示のない時に、その命令を実行しに行きます』
かあっ
ごとごとごと
青白い光が迸り、ピエロのお面が縁から外れた。
再び、宙に浮かび上がる。
これで、また移動可能だ。
部屋のドアが開いていれば、自由に出入りできる。
「そういえばさ、マダム・チュウ+999。どうして、この部屋にはドアが付いてるの?」
作業机に戻ると、碧は気になって尋ねた。
「ダンジョンの部屋の入り口は、ほとんど、ただの刳 り抜きだったよね」
「ああ、マーカーの階だからよん」
血塗れの貴婦人が、蔓 をにゅるにゅる差し込んで、不 埒 者 を捕 縛 する前提がない。
そういった用途の部屋が、マーカー階に集められているのだという。
会話を交わしながらも、碧とマダム・チュウ+999の手は、まったく止まらない。
「はい、終わった」
「次、これねん」
「ん」
すっかり息が合ったコンビだった。
一方。
凝った意匠の表示を見上げて、暁と陽は顔を見合わせていた。
ひね曲がったアルファベット。
「B、だよなあ」
陽が推定する。
でも、箪 笥 部屋を示す表示は、どこにもない。
「う~ん。ここでいいのかな?」
迷うわりに、暁は躊 躇 なくドアノブに手を掛けた。
白い丸に、金彩が施されている。瀟 洒 なデザインだ。
いきなり、陽が暁の手を押さえた。
「暁、念のため、扉は閉めないで」
顔から微笑が消えている。真剣だ。
「ここに来た時のことを考えて。扉は、何が起こるか分からない。碧が一緒じゃないから、なおさらだ」
「分かった」
しっかり頷くと、暁はドアノブを捻 った。
がちゃりと音を立てて、扉が開く。
ふわり
バラの香りが、漂 った。
血塗れの貴婦人のおかげで、今日は、一生分のバラの匂いを嗅いでいる。
二人には、はっきりと差が分かった。
香水だった。
バラを基調にしているが、他の香りも人工的に組み合わされている。
さっきまでのは、原液100パーセントの生 絞 りジュース。
こっちは、大人を酔わせるカクテルなのだ。
「ねえ、陽。ここ、土足で上がってもいいと思う?」
室内には、絨 毯 が敷き詰められていた。
艶 のある深緑色で、毛足が長い。見るからに高価そうなやつだ。
「う~ん。とりあえず靴、は脱いで入るか?」
『暁と陽を、箪 笥 部屋の前で確認しました』
「うおっ!」
「びっくりした!」
頭上から降ってきた声に、二人とも飛び上がった。
ピエロのお面が浮かんでいる。
いつの間に来たんだろう。
『碧に報告しに戻ります』
「待って待って、案内板さん。ここって、このまんま入ってもいいの?」
飛んで行ったお面が、きゅいんとUターンして戻ってきた。
『質問の内容を、理解できませんでした。こちらは、複数ある箪笥部屋のうちの一つです。舞台衣装を保管しています。試着をする場でもあります』
おっと。聞き方が良くなかったみたいだ。
でも、ここが箪笥部屋で間違いなかった。
部屋の突き当りの壁が、一面、鏡になっている。トレーニングルームみたいだ。
『こちらは女性用。隣のCの部屋は、男性用です』
「え! 女性用だったら、俺、入っちゃダメなんじゃないか」
陽が慌てて、後ずさる。
「別にいいんじゃない。誰もいないよ?」
暁は、部屋を見渡して言った。
だが、陽は頑 なに首を振った。
「いや、駄目だろう。俺は止 めとく。暁だけ見てきて。なんかあったら、大声で呼んでくれ」
「分かった。じゃあ、陽は男性用を見てくれば? どんなだったか、後で教えてね」
こだわらないのが、暁のいいところだ。
あっさり言い置くと、一人で、つかつかと部屋に入っていった。
おい、土足うんぬんは、どうした。
すっかり忘れ去っている。
だが、碧は不在だ。ツッコむ奴は、誰もいなかった。
陽は、自信なさげに付け足した。
「ほら、モルモットとかハムスターが運動する用に、ケージに付けるやつ」
ペットショップで見たことがある。形状は同じだ。
でも、これは冗談みたいに大きい。
人間サイズだ。
しかも、プラスチックなんかじゃなくて、しっかりと木で作ってある。
「ほんとだ! じゃあ、回せるんじゃない?」
言った時には、実行している。それが暁だ。
迷いなく、
子ども一人が入っても、びくともしない。
頑丈な水車みたいだ。
内側は、
「歩けるよ。ほら!」
あっという間に要領を掴むと、暁は走り出した。車が、勢いよく回り出す。
ブーン
羽音に似た音が、生まれていく。
もう、全力疾走だ。
「わあ……!」
暁は、ころころ笑い出した。
楽しくって仕方がない。
ひとしきり走ると、暁は、息を切らしながらホイールから飛び降りた。
「陽! 陽も、やって!」
「う~ん、俺、入れるかなあ?」
いつも笑顔の陽が、心配そうな表情になった。
背を屈めて、回し車に乗り込む。
ぎりぎりセーフだ。
にこにこと、暁が
「陽、ゴー!」
ゴォーッ
今度は、桁違いに大きな音が奏でられた。
パワーが違う。電気でも起こせそうな勢いだ。
「早~い!」
暁は、歓声を上げた。
「人間ハムスターだね!」
陽も、つられて大笑いする。
非常に楽し気な光景だ。
だが、裁縫部屋は、
ぶちり
真っ先に、碧が、ぶちきれた。
「そこ! うるさ~い!」
全くだ。
全員のみかげの目が、同意していた。
「もう、二人とも、外で遊んできて! でも、遠くに行かないで、この階にいてよ。もうすぐだから!」
言っている台詞が、まるっきり、お母さんである。でも、碧にその自覚はない。
まずい。おかんモードになった碧を、これ以上怒らせたら、恐ろしいことになる。
「ごめんなさ~い」
暁と陽は、声を揃えて謝った。
これまでの人生で、両名とも、身に染みているのだ。
暁と陽は、素早くドアへと向かった。
ここは
二人三脚しているみたいに、足並みが揃っている。
一部始終を見ていたマダム・チュウ+999は、苦笑いした。
静かになっていいけど、ちょっと、かわいそうねん。
「二人とも、隣は
作業机の上から掛けられた声に、暁と陽が振り返った。
ピンク色のネズミも、お針子さんモードだ。
肩にメジャーを掛けて立っている。
手にしているのは、使い込んだチェコだ。
「はーい」
明るいお返事を残して、二人は部屋を出て行った。
声を聞く限り、叱られん坊は、そうそう
しかも、ドアを開けっ放しで行きやがった。
ふう
碧は、溜息をついて、作業机を離れた。
「ちょっと、ごめん」
利用中のペラペラ人間達に断ると、鏡の縁に付いたお面に話しかける。
「案内板。暁と陽の居場所を把握して、その都度、俺に報告して欲しい。できる?」
『はい、可能です。このまま、部屋の扉を開けたままにしておいて下さい。指示のない時に、その命令を実行しに行きます』
かあっ
ごとごとごと
青白い光が迸り、ピエロのお面が縁から外れた。
再び、宙に浮かび上がる。
これで、また移動可能だ。
部屋のドアが開いていれば、自由に出入りできる。
「そういえばさ、マダム・チュウ+999。どうして、この部屋にはドアが付いてるの?」
作業机に戻ると、碧は気になって尋ねた。
「ダンジョンの部屋の入り口は、ほとんど、ただの
「ああ、マーカーの階だからよん」
血塗れの貴婦人が、
そういった用途の部屋が、マーカー階に集められているのだという。
会話を交わしながらも、碧とマダム・チュウ+999の手は、まったく止まらない。
「はい、終わった」
「次、これねん」
「ん」
すっかり息が合ったコンビだった。
一方。
凝った意匠の表示を見上げて、暁と陽は顔を見合わせていた。
ひね曲がったアルファベット。
「B、だよなあ」
陽が推定する。
でも、
「う~ん。ここでいいのかな?」
迷うわりに、暁は
白い丸に、金彩が施されている。
いきなり、陽が暁の手を押さえた。
「暁、念のため、扉は閉めないで」
顔から微笑が消えている。真剣だ。
「ここに来た時のことを考えて。扉は、何が起こるか分からない。碧が一緒じゃないから、なおさらだ」
「分かった」
しっかり頷くと、暁はドアノブを
がちゃりと音を立てて、扉が開く。
ふわり
バラの香りが、
血塗れの貴婦人のおかげで、今日は、一生分のバラの匂いを嗅いでいる。
二人には、はっきりと差が分かった。
香水だった。
バラを基調にしているが、他の香りも人工的に組み合わされている。
さっきまでのは、原液100パーセントの
こっちは、大人を酔わせるカクテルなのだ。
「ねえ、陽。ここ、土足で上がってもいいと思う?」
室内には、
「う~ん。とりあえず靴、は脱いで入るか?」
『暁と陽を、
「うおっ!」
「びっくりした!」
頭上から降ってきた声に、二人とも飛び上がった。
ピエロのお面が浮かんでいる。
いつの間に来たんだろう。
『碧に報告しに戻ります』
「待って待って、案内板さん。ここって、このまんま入ってもいいの?」
飛んで行ったお面が、きゅいんとUターンして戻ってきた。
『質問の内容を、理解できませんでした。こちらは、複数ある箪笥部屋のうちの一つです。舞台衣装を保管しています。試着をする場でもあります』
おっと。聞き方が良くなかったみたいだ。
でも、ここが箪笥部屋で間違いなかった。
部屋の突き当りの壁が、一面、鏡になっている。トレーニングルームみたいだ。
『こちらは女性用。隣のCの部屋は、男性用です』
「え! 女性用だったら、俺、入っちゃダメなんじゃないか」
陽が慌てて、後ずさる。
「別にいいんじゃない。誰もいないよ?」
暁は、部屋を見渡して言った。
だが、陽は
「いや、駄目だろう。俺は
「分かった。じゃあ、陽は男性用を見てくれば? どんなだったか、後で教えてね」
こだわらないのが、暁のいいところだ。
あっさり言い置くと、一人で、つかつかと部屋に入っていった。
おい、土足うんぬんは、どうした。
すっかり忘れ去っている。
だが、碧は不在だ。ツッコむ奴は、誰もいなかった。