4.マダム・チュウ+999(プラス スリーナイン)(2)

文字数 2,734文字

そんなの聞いてない。一方的だ。
一瞬で、碧はダメージから回復した。
反駁(はんばく)しようと口を開く。

だが、ネズミの方が早かった。
しゅたっと四つ足になると、机の脚を伝って駆け下りる。

さかさかさか……
動く四つ足が、ピンク色の霞に見える。
暁に張る俊足だ。
コルクチップの床を高速で渡ると、あっという間に壁まで辿り着いていた。

どうやら、この部屋は、全てネズミ仕様に出来ているらしい。
マダム・チュウ(プラス)()(リー)(ナイン)は、突き当たった壁面を登り始めた。
透明な管が、壁一面に張り巡らされている。
ネズミサイズぴったりの、移動用トンネルだ。

壁も、風変りだった。
沢山のガラス板が、一面を覆っている。
板のサイズや色は、様々だった。
その各ピースが、まるでパズルのように組み合わされている。

ネズミ用通行路の透明な管は、板の辺を縁どって設置されているのだ。
まるで、ステンドグラスみたいな眺めである。

かくん かくん
ピンク色の毛玉が、管の中を曲がっては進んでいった。
あみだクジを下から辿ってるみたいだ。

「うわあ、すごい。よく出来てるねー」
ネズミの後を追っかけて行った暁は、壁の前で、ひたすら感心している。陽もだ。

取り残された碧も、しかめっ面で、二人の傍へ移動した。
怒っていても、協調性は100点満点なのである。

ぴょこん
マダム・チュウ(プラス)999(スリーナイン)の頭が、菅から出て来た。
出入口の穴が、開いているのだ。

鮮やかなピンク色のガラス板が、真上にあった。ちょうど、壁の中央に位置している。

ぱたん
中に入った。
ぷらぷら、ガラス板がブランコみたいに揺れている。
上から吊り下げられた、暖簾式の出入り口なのだ。

「ちょっと、マダム・チュウ(プラス)()(リー)(ナイン)!」
思わず皆と一緒に見物していた碧が、我に返った。
抗議しようと、壁面に詰め寄る。

見れば、ガラスの扉には、ハートの模様が浮き出ていた。
マダム・チュウ(プラス)()(リー)(ナイン)の胸元と、お揃いだ。

「少し待って頂戴。せっかちねん」
オネエな主が、中から返事をした。
「はあ?!」
がっと、碧の怒りが増幅する。
「誰が、せっかちだよ!?」

だが、明るい暁の声が、緊迫感をぶち壊した。
「うわあ! これ全部、小さなお部屋になってるの?」
にこにこ、壁面デパートを見渡して言う。

さらに呑気な陽が、続けて言った。
「全部、いろんな絵が描いてあるんだなあ」
カッカしているのは、碧ただ一人だ。
孤立(こりつ)無援(むえん)である。

ガラス戸から、オネエな声が答えた。
「ええ、壁面収納よん。レース、リボン、ブレード、スパンコールとか。お裁縫に必要な小物が蔵ってあるの。糸も揃ってるわ」

なるほど。ガラス板のイラストは、収納されている物を示しているのだ。

「でもね、他にも色々と集めてこなきゃ。チュチュが作りたいって言うんだもの」

「……誰が?」
嫌な予感がする。碧は、低い声で尋ねた。
そういえば、ここに入る前、そんな会話が聞こえていた。
そうだ。もう一人の、声の主は、一体どこだ?

「あらん、鏡のとこにいない?」
鏡?
三人は、室内をきょろきょろ見渡した。
向かいも、同様の壁面収納だ。ガラスのパズルが覆っている。

隣の壁に、鏡は掛かっていた。
これまた、壁面を覆うほど大きな姿見だ。

なんか……すごーく見覚えがあるな、これも。

太い金縁が、ぐるりと鏡面を取り囲んでいる。
精緻な蔓バラの意匠だ。
うねる蔓の間には、同じ金色をしたお面が隠れていた。
縁の右下辺りだ。ピエロの顔に見える。

「あーっ!!」
碧と暁は、指を指して同時に叫んだ。

ふよふよ
真っ黒な鏡面に、のっぺらぼうのバレリーナが浮かんでいた。

「……こいつだったのか」
碧が唸った。
成仏してなかった……。
がっくりと肩を落とす。

「あれ? でもトウシューズ、履いてるよね。それだけじゃ駄目だったのかな」
暁は、すたすたと鏡に近づいた。
碧ほど落胆していない様子だ。

陽も、暁の後をついて行った。
鏡に向かうと、やっぱり挨拶する。
「こんにちは~」
だが、のっぺらぼうのバレリーナは、ノーリアクションだ。無言で、ただ浮かんでいる。

あれ? 陽が首を傾げた。
ちらっと、鏡の横に、何かが見えた気がしたのだ。セピア色の、影みたいな物が。
いや……、何もない。
気のせいだったか?

やにわに、碧の雄たけびが上がった。
「しまったあ! 今日は、般若心経(はんにゃしんぎょう)、持ってこなかった!」
「あー。あれで終わったって思ったもんね。しかたないよ、碧」
暁が慰める。

「俺としたことが……。用意(ようい)周到(しゅうとう)が、俺の()(ゆう)(めい)なのに」
「よういしゅうとう?」
「用意が行き届いて、手抜かりがないこと」
「ざゆうのめい?」
「毎日の戒めとしている格言だ」
落ち込みながらも、暁の問いに即答する碧である。

二人の会話を聞いていた陽は、またもや首を傾げた。話が見えない。
「えーと。二人とも、これ、知ってる子なのか?」
鏡面に浮かぶ、のっぺらぼうを指さして、暁と碧に尋ねる。

碧は、落ち込み切って、言葉もない様子だ。
代わりに、暁が説明した。
「うん。前に、ここで会ったんだ。えーとね、ここは、オーロラの地宮(ちきゅう)っていう、地下にある夢の世界なんだよ」

前回は、西センターの児童館から、扉を介して迷い込んだ。
そこで、この鏡の中に浮かぶ、のっぺらぼうに頼まれたのだ。
トウシューズを失くしてしまった、捜して欲しいと。

「ちゃんとトウシューズをあげたんだけど、成仏できなかったみたい。今度はチュチュを作るのかあ」
あははは
屈託なく笑う暁である。
意気消沈した碧と、正反対だ。

そして、とんでもない話を聞かされても、あっさり納得する陽だった。
全く動じていない様子で、次の問いに行く。

「で、般若心経って何だ、碧?」
「……小さいキーホルダー型のが、あるんだよ。魔除けで持ってたんだ」

「そうかあ。大丈夫だよ、碧。ブレスレットだって、してるだろ」
碧玉のブレスレットだ。
今日も、ちゃんと左手首に付けている。
パワーストーンなんだから、魔除けにだってなる筈だ。

陽にも慰められて、碧の気分は少し持ち直した。
俯いた顔を上げると、陽が珍しく真顔になっている。

「そういうことならさ、材料を集めるの、手伝ってあげた方がいいんじゃないか」
面と向かって陽に言われると、弱い。
碧は、不承不承、頷いた。

あ、そうだ。白状するなら、今だ。
「あー、陽。エントランスホールのベンチで前回りして叱られたのは、このせいなんだ」
オーロラの地宮から西センターに戻るための方法だったのである。

「ごめん、言えなくて」
素直に謝ると、陽は満面の笑みを浮かべた。
その名の通り、太陽だ。明るく、温かい。

「そうかあ。なんか大変なことじゃなくって、よかったなあ!」
わしゃわしゃ
碧の頭を撫でる。

その様子を、にこにこと暁が見守っている。

いや、十分に大変なことだと思うのは、俺だけだろうか……。
小さな子供みたいに撫でられて、少し赤くなりながら、碧は自問自答した。
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登場人物紹介

一ノ瀬 暁(いちのせ あかつき)


小学5年生の女の子。第一級の美少女だが、性格は猪突猛進。

双海 碧(ふたみ あおい)


暁の幼馴染。小学5年生の男の子。

座右の銘は、用意周到。

三ツ矢 陽(みつや よう)


碧の「はとこ」※母親同士が従姉妹の間柄

小学6年生の、大柄な男の子。

正直者すぎて、思ったことが全て顔に出る。

ド・ジョー


「オーロラの地宮」の住人。ハードボイルドな、金色のドジョウ。

水を操ることができる。オーケストラの指揮者。

マダム・チュウ+999(プラス スリーナイン)※略称


「オーロラの地宮」の住人。オネエな、ピンク色のネズミ。

自らの美しさに相応しい名前を足していったら、999文字になったとの弁。

フルネームは、マダム・チュウ アナスターシア ベアトリックス クレメンタイン ディアーナ エリザベス フローラ ジェラルディン ハーマイオニー(書ききれない)

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