第14話:同時多発テロとリート投資

文字数 2,104文字

 夜のゴールデンタイム枠ではお笑い・バラエティ番組が休止された。そして、特別番組が放送された「テレビ朝日では「ニュースステーション」を1時間前倒し放送した。一方、TBSではナイター中継を1時間短縮し特別番組を放送した。この無差別テロ事件における死者は合計2996人、負傷者は6千人以上とされた。

 テロリストを除いた犠牲者は2977人でワールドトレードセンターへの攻撃による犠牲者は2753人、アメリカ国防省「ペンタゴン」への衝突による犠牲者は184人。ユナイテッド航空93便の墜落による犠牲者は40人だった。ワールドトレードセンターの現場での犠牲者2753人には、ニューヨーク市消防局の消防士343人。

 さらに71人の警察官「ニューヨーク市警察本部の警察官23人、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社警察の警察官37人を含む」が含まれている。2996人の死者の内訳は、ハイジャックされた4機の旅客機の乗員・乗客が265「テロリストを含む」、ワールドトレードセンターでの死亡者が2606人であった。

 また、アメリカ国防省での死亡者が125人とされた。このテロ攻撃では270人~400人のユダヤ人が犠牲になったと推定されている。またこれに関連してアメリカ合衆国国務省は76人分のユダヤ人犠牲者のリストの一部を公開した。2017年8月の時点でも犠牲者全体の40%にあたる1112人の遺体が、いまだ未確認の状態であった。

 さらに多くの遺体がばらばらになり散乱したと思われていた。2006年には南棟に隣のドイツ銀行ビルの屋上でそれらの無数の遺骨の破片が発見された。ブッシュ大統領は、速やかに非常事態を宣言。冷戦時代につくられた政府存続計画が初めて実行された。ワールドトレードセンター・ツインタワーやペンタゴンへの攻撃がなされた。

 その後、しばらくの間は、さらなるテロに備え州兵、予備役が動員された。空港などには厳戒態勢が敷かれ全ての国境が封鎖された。また、連邦航空局の命令によりアメリカ国内の民間航空路の封鎖、アメリカ領空内への民間機の入域・通過が禁止され領空内を飛行中の民間機は全て最寄の空港に強制的に着陸させられた。

 これらの措置は数日間続いた上、この措置が行われた地域はアメリカ本土のみではなかった。アメリカが航空管制を担当しているサイパンやパラオなどの太平洋諸国の一部地域や北大西洋の一部地域など広範囲に及んだ。これにより多くの外国人がアメリカ国内に足止めされた上に多くの航空機が地上待機させられた。

 そのため世界各国の航空会社の運行が大混乱に陥った。この様子を見ていた田所寿一は、リスクの少ない株投資を考えて証券会社の担当者と相談して2001年9月に日本でもできたJリート「不動産投資信託」に注目した。Jリートとは、多くの投資家から集めた資金で、オフィスビルや商業施設、マンションなど複数の不動産などを購入。

 その賃貸収入や売買益を投資家に分配する商品。不動産に投資を行うが法律上、投資信託の仲間に含まれる。特徴としては、大手不動産会社の日本の大手Jリート「不動産投資信託」が特に安定していると証券会社の担当者が田所寿一に紹介した。その中の日本ビルファンド「三井不動産系のリート」への投資を薦めた。

 2002年が明け、1月31日の朝、証券会社から田所寿一に電話が入り日本ビルファンドの気配値が47万4千円と安いと言われた。そこで、50株成り行き買い注文を出すと2370万円で買え残金が9028万円となった。2月に田所美恵は、橫浜国立大学経済学部を受験し合格し橫浜へ通学し始めた。

 9月17日、初の日朝首脳会談が開かれた。その後10月15日に拉致被害者5名が日本へ帰国した。この年、学習指導要領が改正され学校、完全週五日制などゆとり教育化が進んだ。2003年が明け、2月にマリーとポールは神奈川県立緑ケ丘高校を受験して合格した。こうして4月から実家からバスで高校へ通い始めた。

 4月25日、六本木ヒルズがオープンした。4月28日、日経平均株価がバブル崩壊後の最安値7604円を記録した。この年の夏休み8月1日から2週間、田所寿一の長男、田所元雄は橫浜銀行で就職を前提とするアルバイト研修に参加し大学の先輩に銀行での死後の内容などを聞いた。そして、銀行業務についての研修を受けた。

 研修後9月初旬に採用試験を受け9月中旬に内定通知をもらった。この頃が日本の景気の底と言われた。11月9日、第43回、衆議院議員の総選挙が実施され自由民主党が議席数を減らし民主党が躍進した。2004年1月1日、明治生命と安田生命が合併し明治安田生命が誕生した。この頃、マリーは、上智大学をポールは、慶応大学に入りたいと言い橫浜の予備校に通い始めた。

 3月13日、九州新幹線の新八代駅~鹿児島中央駅間が開業し東京から鹿児島まで新幹線が通じた。4月に橫浜銀行本牧支店に配属された。2004年4月6日の朝、証券会社から田所智次に電話が入った。そしてヤフー株の気配値が140万円と高いと言われた。それに同意し全株成り行き売り注文を出した。
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