第11話:田所源藏の隠居、智次の投資の勉強

文字数 2,064文字

 その老人施設に着くと相模湾と富士山が一望でき素晴らしい景色に感動した。2人用の部屋は、狭くもなく実用的であった。施設の人と契約書にサインをして15時には、入所手続きを終えた。そして、両親にお別れを言って田所寿一と田所智次が8人乗りのワゴンで帰った。帰りは、それほど渋滞もなく約1時間ほどでそれぞれの自宅に戻った。

 この頃、田所智次は、自分の勤めているNECでは、パソコンにおいては、海外勢との争いでは、ウインドウズ・パソコンの時代になり苦戦をしていた。日本勢では、エプソンが低価格、高機能パソコンを矢継ぎ早に発売して市場を奪われていた。それが1995年に発売されたウインドウズ95が発売されるとNECにとって正念場となった。

 田所智次は、この頃シティバンクを知った。そこで、田所智次は、シティバンクのゴールドメンバー「1千万円以上預金の上客」になった。その後、東京、橫浜の高級ホテルで開かれる海外のファンドや多くの投資商品の説明会に参加した。最初に東京帝国ホテルで昼食付きの投資商品説明会に出かけた。

 そのうち投資に捕獲的に興味を持った。田所智次は、シティバンクのゴールドメンバーになり1250万円を貯金し投資残金が275万円となった。1995年4月になり急激な円高になった。その時、為替手数料を入れて81円で15万ドルを1215万円で購入し口座が15万米ドルと35万円となった。

 1996年が明けると2月2日、D銀行がニューヨーク支店巨額損失事件によりアメリカ連邦準備制度理事会「FRB」から命令を受け米国から撤退した。この事件は、1983年、日本のM自動車のディーラーを出身のI氏がニューヨーク支店の本社採用嘱託行員となった。その後、彼は、銀行業務の変動金利債権の取引で5万ドルの損害を出した。

 その損失がD銀行発覚して解雇されることを恐れたI氏は、損失を取り戻そうとアメリカ国債の簿外取引を行うようになった。I氏は書類を偽造し損失を社内でも限られた人間しか知らないシステムコードで隠蔽していた。そのため、表面的には利益を出しており、上司の信用も増していった。

 同支店の管理体制には、国債のトレーダーと支店の国債保有高や取引をチェックする人とが同一人物という不備があり支店長は「海外で箔を付けにやってくる『飾り物』」という状態であった。その結果、支店ナンバー2として実質的に支店業務を統括していた。このI氏の不正は12年も発覚しなかった。

 1995年、大和銀行の損失は、当初の2万倍以上に膨張し最終的に11億ドル「当時の対円ドル為替レートで約1100億円」にも膨れ上がった。井口は、膨れ上がった膨大な負債を処理しようと、ますます大きなトレードを行うようになった。あまりにビッグプレーヤーになってしまったI氏の取引は、市場参加者にI氏の手を容易に読まれてた。

 市場で、さばききれなくなり完全に破綻してしまった。1995年7月、I氏は、遂に不正による巨額損失をF氏ら大和銀行上層部に手紙を送り告白。突然の知らせに銀行上層部は、この損失に関して日本の大蔵省へ報告した。しかし米連邦捜査局はその手紙を読んでおり井口に面会を求めアメリカでの捜査を開始。

 またアメリカ連邦準備制度理事会「FRB」への報告が、大蔵省からの報告から6週間後と後手に回りアメリカ合衆国連邦政府から『隠蔽』と判断される結果となった。大蔵省より事実発表を遅らせるよう指示があったとも言われている。しかし、この一連の出来事でアメリカ連邦準備制度理事会「FRB」が、かえって大和銀行に厳しい処分を下す結果をもたらした。

 1996年2月28日、大和銀行は司法取引に応じ16の罪状を認め当時の米刑法犯の罰金としては、史上最高額といわれる3億4千万ドル「当時の為替レートで約350億円」の罰金を払いD銀行はアメリカ合衆国から完全撤退した。4月になると田所寿一の家では、長女、田所美恵が兄と同じ玉川中学校に入学し通い始めた。

 この頃、兄の田所元雄は、高校受験のため進学塾に通い出した。9月17日、ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄が対コロラド・ロッキーズ戦で日本人初の大リーグでのノーヒットノーランを達成した。11月21日、阪和銀行が経営破綻し、戦後初めて預金の払い戻し以外の業務停止命令を受ける事態となった。

 12月3日、1年半以上逃亡を続けていた地下鉄サリン事件実行犯の林泰男が潜伏先の石垣島で逮捕された。1997年が明けると2月に田所元雄が家から近い多摩高校を受験して合格し徒歩で通い始めた。この年、NECも、ついにCP/AT互換機であるPC98-NXシリーズへの転換を表明した。

 この頃までのパソコンは主にワードプロセッサ、表計算ソフト、データベースなどのアプリケーションを利用するツールとして普及した。このために、NECのパソコンシェアが落ちた。7月12日、酒鬼薔薇聖斗「事件当時、中学校3年生14歳」の少年による連続殺傷事件「神戸連続児童殺傷事件」が発生した。
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