第28話 好奇心

文字数 1,936文字

 新潟着任以来、修就は、

時間の許す限り町の巡見に出ることを心がけた。

修就が家臣たちを引き連れて

町中を廻る様子はたちまち評判を呼び、

町の巡見の触れが来ると、沿道まで出て来る野次馬もいた。

また、遠方から来ていた商人や百姓が偶然、

町で遭遇したお奉行一行の様子を

土産話に里へ持ち帰ったことから、

上知後、新設された新潟奉行所の初代奉行の風聞は

瞬く間に、新潟町以外にも広まった。

「お奉行様がお通りになると、

野良犬が吠えるすけぇ、ばっかうっせえんさ」
 
 新潟町の店で働く手代が、常連客に吹聴した話は、

巡見の際、槍・狭箱・牽付馬などをふだん見慣れていない

道端にいる野良犬がそれらをあやしんで、

一行が通り過ぎるまでほえまくるため、

あまりのやかましさに、

町方から出た案内役が犬を追い散らすのだが、

そのあわてぶりに反して、

追い立てられた野良犬がいっそう、けたたましく

吠える様子がまるで、寸劇のようで滑稽だというものだった。

「新潟の犬は、それはもう、よく吠えるのじゃ」
 
 けたたましく、吠える犬を初めて見た日の夜。

修就は、お滝や子供たちに話し聞かせた。

「父上を見て、犬もおそれをなしたのでしょうか? 」
 
 茂之丞は、修就が威厳に満ちた様子で、

町中を闊歩している様子を想像したらしい。

「案内役に聞いたところ、わしではなく、

犬は槍や狭箱、牽付馬などを普段、見慣れていないため、

怪しんで、吠えたのだろうと申しよった」
 
 修就が苦笑いした。

 新潟に引っ越して来て以来、

町中で目にするもの聞くものすべてが、

江戸と異なり話題にこそ欠かさなかった。

「父上。北山殿からお聞きしたのですが、

この前の巡見の折に、

新潟の方言にまつわる滑稽な事件があったそうですね」
 
 めずらしく、順次郎から話をふって来た。

 この手の話には、いつも黙って聞いているだけだが、

新潟に来てから、まるで、憑き物が取れたように、

明るく気さくになった気がする。

「もしや、ねまれのことか? 」
 
 修就が、思い出し笑いをしながら訊ねた。

「ねまれとは、何のことですか? 」
 
 みきが真顔で訊ねた。

 みきもまた、江戸を出立する前に比べると、

自分から会話に加わるようになった。

「ねまれと申すのは、江戸言葉でいう下におれという意味じゃ」
 
 修就が答えると、みきが、感心したように相槌を打った。

「父上が町に姿を現すと、どこからともなく、

町民が道の脇に集まり、

黒山の人だかりが出来るそうじゃ」
 
 順次郎がみきに言った。

「前のお奉行様が、町を巡見なさらなかった故、

きっと、物珍しいのですよ」
 
 滝がすました顔で言った。

「案内役が、立ちながら見物している町民を見兼ねて

下におれと命じた時のことじゃ。

女子供は驚いた顔をするばかりで、

どうして良いのか分からぬ様子であった。

そこに、検断の松浦が、列から飛び出して来て見物人らに向かって、

大声で、ねまれ、ねまれとさけぶと、

ふしぎなことに、見物人たちが続々と、土下座し出したのじゃ。

後で、聞いた話では、下におれというのを

はじめて聞いた見物人は、

その意味が分からなかったそうじゃ」
 
 修就は、手振りを加えて語った。

滝をはじめ、修就の話を聞いていた家族が大きくうなずいた。

「ねまれの他にも、わしらが聞いたことのない

言葉がまだあるかも知れませんね」
 
 順次郎が言った。

「この際だから、いろいろ調べてみようではないか」
 
 修就は、書き損じた反古紙の束を用意させると、

町役人たちに訊きまわり

思いつく限りの方言を調べて書き留めた。

「調べてみたら、これがなかなか興味深い。

新潟では、弟をおじ、妹をおばというらしいが、

叔父や叔母との区別がつかずまぎらわしい。

この方言を使用することを禁ずることに致そう」
 
 修就が、おじとおばという新潟の方言を

使うことを禁止すると町民から苦情が来た。

しかし、修就は、断固として撤回しなかった。

「お奉行様は暇さえあれば家来たちを随えて、

町中を見て廻りながら、

反古紙の裏に何か書き留めていんだと」
 
 長岡藩時代から、引き続き採用された町役人たちは、

何かと用事を作って集まり情報交換をし合っていた。

「お奉行様のお屋敷には、

寒暖機というおもしろいものがあるんだぜ」
 
 ある日。修就から用事を仰せつかった松浦は、

お奉行屋敷に入る機会を得た。

帰り際、庭先を何気なくのぞくと、

新潟ではお目にかかったことのない

世にもめずらしい道具が置かれていた。

好奇心を抑えきれなかった松浦はそれに駆け寄ると、

隅々まで、じっくり眺めた。

そこに偶然に通りかかった修就の長男の順次郎が親切にも、

そのめずらしい道具について教えてくれたのだ。

「水銀が中に入っていて、気温を測ることが出来るんだとさ」
 
 松浦が、寒暖機を図に描いて皆に見せて自慢した。

 
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