第14話  「山本屋」殺しの真犯人登場を機に、唐物抜荷解決か?!

文字数 6,112文字

 町会所には、唐物抜荷の探索が終わるまで関東取締出役一統が滞在することになり、

詰所は、いつになく、重々しい雰囲気が漂っていた。

久兵衛は何かと、理由をつけては、外に出る機会が増えた。

「何を読んでいるんだ? 」
 
 巡見から戻ると、久兵衛は、宮本が書状を読んでいるのを目ざとく見つけて訊ねた。

「これのことか? 新発田藩から届いた書状だ。

「山本屋」の主が死んだ日。

新潟町に、鉄砲を持ち込んだ罪で新発田から来た百姓3人を捕らえたではないか? 

新発田藩から内々に、処してもらいてぇと相談を持ちかけられたんさ」
 
 宮本が小声で答えた。

「新発田藩の役人は、関東取締出役が新潟町にいるって事を知らねぇのかい? 」
 
 久兵衛が訊ねた。

「知っているからなおのこと、内々に、処してんじゃねぇのか。

鉄砲を他領に持ち込むことは大罪だ。

ましてや、藩が預けたものでねぇ故、

裁きとなれば、百姓共は重い罪に処される。

隠し鉄砲の摘発は、今年いっぱいで打ち切られるが、

関東取締出役が追跡調査をやる意向らしいぜ」
 
 宮本が神妙な面持ちで話した。

「百姓共は、どこで捕らえられたんだ? 」 
 
 久兵衛は、大事なことを見逃していたことに気づいた。

「流作場だ。鴨の密猟をしに来たんじゃねぇか。

流作場付近で、事件の聞き込みをしていた同心共が、

鉄砲を手に歩いている百姓共を見つけてしょっぴいたそうだ」
 
 宮本が言った。

「流作場にいたってことはさ、夜のうちに、舟で対岸へ渡る気だったんでねぇか? 」
 
 久兵衛が言った。

「そうかもしれねえ。辺りは真っ暗で、人目につきにくかった故、油断したみてぇだし」
 
 宮本が言った。

「新発田藩の役人には、領主から預けられた鉄砲を手に猪鹿をおどしに出て、

船が流されたとか言うて、

百姓共と口裏合せるよう入れ知恵すれば丸く収まるんでねぇか? 」
 
 久兵衛が言った。

「そうだな。そうするとしよう」
 
 宮本が返信を書きはじめた時、詰所の入り口に、

関東取締出役の渡部園十郎の姿が見えた。

「ちっと、牢へ行って来るさ。百姓共に、確認してぇことがあるからよ」
 
 久兵衛が言った。

「確認してぇこととは何だ? 」
 
 宮本が訊ねた。

「宮本殿」
 
 久兵衛が答えようとしたその時、渡部が歩み寄って来たため、

久兵衛は、渡部に一礼すると逃げるように、その場から立ち去った。

「松浦の親分。どうしました? 」
 
 牢の前に立っていた駒吉が、久兵衛に気づいて訊ねた。

「吟味に来たんだ」
 
 久兵衛が答えた。

「それは、ご苦労さんです」
  
 駒吉が答えた。

「ここに、鉄砲を持ち込んだ罪で捕らえられた者がいると聞いたが、

どこにいるんだ? 」
 
 久兵衛が牢を見渡すと訊ねた。

 数週間、町会所を休んでいる間に、牢は満員になっていた。

牢内を歩き廻っている囚人もいれば、牢の片隅でうずくまっている囚人もいる。

「奥の牢にいます」
 
 駒吉が奥の牢を指差した。

「いますぐ、吟味部屋へ連れて来い」
 
 久兵衛は、命令を下すと先に吟味部屋へ向かった。

 それから数分後、吟味部屋に、新発田藩領から来た百姓3名が連れて来られた。

「鍋潟新田百姓、仁八、正吉、伸太にごぜぇます」
 
 駒吉が3人を、部屋に入れると名前を読み上げた。

「んだ」
 
 久兵衛がうなずいてみせた。

 駒吉が吟味部屋を出た後、久兵衛は、

向かいに並んで坐った3人を、1人ずつ順々に見た。

「9月6日の夜。鉄砲を携えて流作場を歩いていた者共というのは、

おめぇら3人か? 」

「んだ」
 
 久兵衛の問いに、仁八が答えた。

「何故、あの夜、流作場にいた? 」
 
 久兵衛が慎重に訊ねた。

「帰りがけに通りました」
 
 仁八がぶっきらぼうに答えた。

「お許しくだせえ」
 
 突然、正吉が頭を下げて詫び出した。

「正吉。何していやがる? やめれ」
 
 伸太があわてて、正吉を抑えつけた。

「正吉。何事だ? 」
 
 久兵衛が冷静に訊ねた。

「この手で、人を撃ち殺しちまいました」
 
 正吉が悲痛な面持ちで答えた。

「わざとではねぇんです。正吉は、

獣がおそいかかってきたと思うて撃っちまったんだ」
 
 仁八が興奮気味に言った。

「正吉に、鉄砲の扱い方を教えたオラが悪いんだ」
 
 伸太が、正吉の方を見ながら言った。

「鉄砲を他領に持ち込んだだけでも重罪だというのに、

人殺しとは、死罪を覚悟せねばならぬのう」
 
 久兵衛が言った。

「死罪になりたくなくて黙っていたけども、

夢枕に立った菩薩が、鬼みてぇな面した故、自白しねばなんねぇと思うたわけです」
 
 正吉が涙ながらに訴えた。

「駒吉、こやつらを牢へ戻せ」
 
 久兵衛は、外にいる駒吉に向かってさけんだ。

「あいよ」
 
 駒吉は、3人を立たせると吟味部屋の外へ連れ出した。

 戸が閉まった瞬間、久兵衛は思わず、ため息をこぼした。

久兵衛は、詰所に戻ると百姓の内の1人が銃で、

「山本屋」宗一郎を殺めたと自白したことを宮本に伝えた。

「鉄砲所持の罪で捕まった百姓が、「山本屋」を撃ち殺したとな? 」
 
 宮本が目を丸くして言った。

「んだ。これで死罪は免れねぇぜ」
 
 久兵衛が眉をひそめた。

「そおせば、新発田藩には、死罪はやむを得ねぇと返答するさね」
 
 宮本が言った。

 久兵衛は、山本屋宗一郎殺人事件の真相を報せるため、

事件後、故郷に戻った「山本屋」の元使用人の孝之助を訪ねた。

 使用人2名は、「所払」に処されて、新潟町を離れていた。

孝之助の故郷の弥彦村にある越後一宮彌彦神社は、

越後平野の中央に聳える彌彦山の麓に鎮座している。

彌彦神社は、古くから、「おやひこさま」という名で、越後の民に親しまれている。

 彌彦山は、越後で最初に朝日が輝く山とされ、

越後の夜明けは、彌彦山からといわれる。

その頂には、御祭神と妃神の御神廟があり、別名、神剣の峰ともいわれている。

彌彦神社の境内は老杉や古欅に囲まれ、御本殿の背後は、彌彦山がそびえていた。

「毎日、境内を掃除しているのか? 」
 
 久兵衛が、境内を掃除していた孝之助に歩み寄ると声を掛けた。

「松浦の親分さんでねぇですか! 遠けぇとこから、よう来なさった」
 
 孝之助が、久兵衛を驚きの顔で見た。

「おめに伝えてぇ事があって参った」
 
 久兵衛が穏やかに告げた。

「山本屋の家屋は、どうなりましたか? 」
 
 孝之助が真っ先に訊ねたことは、「山本屋」のことだった。

「山本屋の家屋は、町会所預かりとなった。

近ぇうち、建物をこわして空き地するそうだ」
 
 久兵衛が答えた。

 孝之助の横顔はどこか寂し気だ。

久兵衛は、大きく伸びをして新鮮な空気を吸い込んだ。

 深呼吸をくり返している内、毎朝、

境内を掃除したいと願う気持ちが、何となく分かった気がした。

彌彦神社にいると、神聖な気持ちになり心にのしかかる重しが軽くなるような気がする。

「ちと、痩せたんでねぇか? 」
 
 久兵衛が、孝之助の顔をのぞき込んだ。

「そうかもしれません。新潟町にいたころとは、

だいぶ暮らし向きが違いますから‥‥ 」
 
 孝之助が苦笑いして言った。

やつれた横顔やささくれだった手に、困窮した暮らしぶりが垣間見えた。

「元気だせ。真面目にやっていれば、きっと、今に良いことがあるさ」
 
 久兵衛が、孝之助の背中を優しくなでると言った。

「あにさまの件で、何かわかったのですか? 」
 
 孝之助が訊ねた。

「ああ、実はそうなんだ。

鉄砲を持ち込んだ罪で入牢した下手人が、「山本屋」を撃ち殺したと自白した」
 
 久兵衛が神妙な面持ちで告げた。

「何故、あにさまは、撃ち殺されたのですか? 」
 
 孝之助が悲痛な面持ちで訊ねた。

「殺しではなく、事故死として処した」
 
 久兵衛が気まずそうに答えた。

「事故死ということは、誰かが、うらんで殺めたわけでねぇということですね? 」
 
 孝之助がへなへなと、その場にしゃがみ込んだ。

結果的に、命を落としたとはいえ、

他殺より事故死の方が、まだ、救われる気がしたのだろう。

 その後、2人はしばらく、空に流れる雲を眺めていた。

「そろっと、帰るさ」
 
 ふいに、久兵衛は立ち上がると、参道へ向かって歩き出した。

「親分さん。ありがとうごぜぇました」
 
 孝之助がお辞儀したまま、久兵衛を見送った。

 新潟の海は、冬から春にかけて荒れるため、

船路は絶えて、湊へ入船する船は減る。

 11月に入ると、信濃川の川岸で、

船を引き上げて筵で囲う作業をしている川売りたちの姿が頻繁に見られる。

 時には、千石積みの船を60人がかりで碇、ろくろ、万人車等を使い、

太鼓の拍子で、力を揃えて引き上げる事もある。この作業を「囲いの船」と呼ぶ。

 冬の間、引き上げ筵で囲った船は、

2月半ばに、川へ下ろされ船出する。

10月ごろから、新潟町に滞在していた

十日町の薬種店 「島田屋」の主、島田屋俵右衛門が帰郷することになった。

その前に、金次郎の提案で、久兵衛の非番の日に、「がたがた追い」を見物することにした。

「太鼓をたたいて魚を追う漁法なんです」
 
 新潟町近郊の鳥屋野潟に着くと、

金次郎が、「がたがた追い」について俵右衛門に説明した。

 漁師たちは、2手に別れて船に乗る。

一方は、離れた所に、船を停めて船端や木で太鼓をたたいて魚を追う。

もう一方は、水中に扇網を入れて魚を待つ。

そして、魚を待つ船は、太鼓の音に追い立てられて泳いで来る魚を扇網で獲る。

「太鼓の音が、砧(きぬた)みてぇに聞こえます」
 
 俵右衛門が楽しそうに言った。

「あの太鼓は、竜眼木でこしらえたそうだ」
 
 久兵衛が穏やかに言った。

「まことに、きれいな音ですね」

 妻のお松がうっとりとした。

 4人は少しの間、目を閉じて太鼓の音に耳をかたむけた。

ふいに、北風が久兵衛の顔をなでた。その瞬間、久兵衛は、大きなクシャミをした。

 翌朝。俵右衛門は、陸路で十日町へ帰って行った。

俵右衛門を見送った後、久兵衛が、奉行所へ御用聞きに行くと、

町役人たちがあわただしく、奉行所を出て行くところだった。

「何事だ? 」
 
 久兵衛が、同心の善吉を捉まえると訊ねた。

「新潟町の商人17名を一挙に捕えることになりました!」
 
 善吉が興奮気味に答えた。

「一気に、17人もか? 」
 
 この時、久兵衛は、逮捕者は17人だけでは、すまないだろうと予感した。

「江戸で、吟味を受けていた粂吉が自白したみてぇです」
 
 善吉が落ち着かない様子で言った。

「その17人の中には、大問屋の主もいるのか? 」
 
 久兵衛が前のめりの姿勢で訊ねた。

「はぁ。なんと、津軽屋、当銀座屋、小川屋、加賀屋。

新潟町の大問屋が勢揃いしています」
 
 善吉の答えを聞くや否や、久兵衛は町会所へ走った。

 しばらくして、「小川屋」金右衛門。

高橋次郎左衛門の後見人、民蔵。

「当銀座屋」善平と当銀座屋の使用人の兵助。

「加賀屋」専助など新潟町の商人17人が捕えられた。

 唐物抜荷摘発の決め手は、江戸の旗本、川村清兵衛修就が幕閣に提出した

「北越秘説」の中で、越後の新潟町の廻船問屋「小川屋」の主、金右衛門が、

石見国の船との取引で手に入れた商品の中から、

手板のない禁制品(不正品)が多数、見つかったという内容だった。

老中の水野忠邦は、1回目の唐物抜荷事件以降、

御庭番たちを遠国御用に就かせて唐物抜荷探索を行わせていた。

その成果が出たことになる。

川村修就は御庭番の1人として密かに、

新潟町に潜伏して唐物抜荷の重要な手がかりをつかみ

報告書として「北越秘説」を執筆した。

 捕らえられた17人は、関東取締出役により取り調べられた後、江戸へ護送された。

江戸では、医師の三折。

商人の「小川屋」金右衛門や七左衛門の3人が入牢して、

使用人の民蔵と兵助をはじめ6人は「手鎖宿預け」。

商人の「当銀座屋」善平。「加賀屋」専助。

庄五郎の3人は「宿預け」となった。

「津軽屋」の主、高橋次郎左衛門は、

所有している土地や砂糖の取引について取り調べを受けたが、

これらの質問に答えたのは、後見人の民蔵だった。

高橋次郎左衛門や善平は、後見を受けていたことが認められて無罪放免となった。

この事件の首謀者とされる肥前国長崎出身の粂吉が商人であることがわかった。

粂吉は、「江戸十里四方」と「肥前、越後からの追放」に処された。

「三条屋」忠助は2度にわたり、唐物抜荷に関与したことがわかり、

「江戸十里四方追放」に処された。

その一方、初犯の「小川屋」金右衛門は、

「利益没収」と「過料」で済んだ。軽い刑ではあるが、

新潟町全域で処分を受けた者は44人にのぼり、

その他の地域をあわせると総勢107人となった。

そんな中、取り調べ中に、不正品を運んだ船頭8人が、

牢死して新潟町から3人の逃亡者を出した。

今回の唐物抜荷事件により、薩摩や西国の船が、

新潟湊に運んで来た唐物が、

新潟湊から、信越、関東、東北南部へ広範囲にわたり流通した事になる。

暮れも押し迫るころ、久兵衛は、貸し本屋に足繁く通っていた。

同心の善吉から借りて読んだ曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」シリーズにはまったからだ。

「久兵衛。おめが、本を読む時が来るとはねえ」
 
 本町通に店を構える貸本屋「春水屋」の主の周治が、

熱心に本を眺めている久兵衛を見て言った。

 店名の春水というのは、

周治の好きな「為永春水」という人気作家の名から頂いたという。

周治は、久兵衛の幼馴染で、病死した周治の実父もまた、検断だった。

本好きが高じて、実父の跡は就かず、15年前に貸本屋を開いた。

久兵衛は、子供のころから活字が嫌いで、

寺子屋での成績は、算術以外全部悪かった。

「今まで、オレが読みてぇと思う書物に巡り合えなかっただけだ。

新春正月版はどこだ? 」
 
 久兵衛は、大人気シリーズの新刊なので借りる者が殺到して、

借りられなくなるのではとあせるあまり、

仕事が手につかず巡見の合間に立ち寄ったのだ。

「新春正月版が、売り出し中止になった事を知らねぇのか? 」
 
 周治が、本棚にはたきをかけながら言った。

「いつ、誰が、何為に、新春正月版の売り出しを中止させたんだ? 」
 
 久兵衛は思わず、周治に詰め寄った。

「北町奉行所の遠山様だ。

先日、江戸の版元、貸本屋、戯作者が、吟味を受けたそうだぜ」
 
 周治がひきつった顔で答えた。

「江戸の貸本屋が吟味を受けた故、おめの店も、新春正月版を貸さねぇ気か? 」
 
 久兵衛が不満気に言った。

「オレを責めるのは、お門違いだぜ。

オレだって、春水大先生の新作を読めねぇかもしれねぇんだ。

貸本屋をはじめた理由が、誰よりも早く、新作を読むためだということを、

おめも知っているだろ? 人情本の版行を自粛する通達が出たにも関わらず、

文渓堂らは、版行を続けて吟味を受けたんだそうだ。

逆らえば、お咎めを受けるというのに大した度胸だぜ」
 
 周治がいつになく、饒舌に語った。

「人情本を失くしたところで、景気が良くなるとは思えねぇがね。

これで、町民からの支持を一気に落としたんでねぇのか」
 
久兵衛は散々、悪態をつき憂さを晴らすと、「春水屋」をあとにした。

 周治が、心待ちにしていた為永春水の新作、「春告鳥」は、

他の人情本と同様、印刷するだけだった原本と

板木が没収された後に、燃やされることとなる。
 

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