第31話 新潟の大晦日 初孫の死

文字数 3,615文字

 師走の末日。新潟町の古町通や本町通に歳の市が立ち、

正月用品を買い求める客で混雑する。

お滝は、臨月のツヤに留守番を頼み、

みきと娘のテイを随えて、

正月用品の買い出しに出掛けた。

修就が屋敷に帰宅したころ、

大荷物を抱えた3人が帰宅した。

テイが、白山神社でもらって来た

安産の御守を大事そうに持って帰った。

28日~大晦日まで、奉行屋敷にはひっきりなしに、

歳暮の品を持参した町役人や

出入りの町人たちがあいさつに訪れて、

新潟の川村家は、大掃除をする暇もなく、大晦日を迎えた。

大晦日の朝。家族総出で、

煤払いや仏壇磨きなどをしているところへ、

御武器掛の北山惣右衛門たちが、

大掃除の手伝いに駆けつけた。

「掃除や仏壇磨きは、わしらにお任せあれ」
 
 惣右衛門が、足軽長屋にいた

独身の足軽数人を連れて来ると

テキパキと指示を出して、

あっという間に、大掃除を終わらせた。
 
その日の夕方。修就は、仮御役所において、

町の重立の年末のあいさつを受けた。

 町の重立が揃って、裃姿で現れた。

その日の帰り道、修就は、晴れ着を着た幼子が、

長屋の方から走って来て道へ飛び出したところ、

あとから追いかけて来た母親に叱られている光景を目にした。

町家の前を通ると、掃除のためなのか、

戸が開け放たれており、

町家の奥が見通せた。うす暗い台所に、

塩引き鮭がつるされているのが見えた。

「北山殿が、足軽を連れて来て

掃除を手伝ってくれました故、

おかげさまで、無事終えることが出来ました。

お礼を兼ねて、夕餉に招いてもよろしいですか? 」
 
 お滝が、修就の着替えを手伝いながら訊ねた。

「江戸に家族を置いて、単身新潟に赴いた者も少なくない。

その者らを招いて、美味い物でも食わせてあげなさい。

大晦日の夜に、ひとりわびしく過ごしたくはなかろう」
 
 当初は、江戸から単身赴任して来た家来だけに呼び掛けたが、

どのように伝わったのか、

家族を伴って来た家来たちまでもが一家総出で、

奉行屋敷に勢揃いしたため、広間は大変、にぎやかになった。

「良い酒を手に入れました故、お持ちしました」
 
 惣右衛門は、来る途中に1杯ひっかけて来た様子だった。

「わしは、塩鮭を持参致しました」
 
 玄関先で、惣右衛門と一緒になった

町方定廻り差免公事方当分勤の若菜三男三郎は先に、

1升瓶を差し出した惣右衛門を横目で見ながら、

塩鮭を差し出した。

2人に続いて、御武器掛兼仲金取立掛の村上愛助や

並役の川村普次郎などが相次いで訪れた。

にぎやかな大晦日の夜を過ごした。

 天保15年の正月元旦。修就にとって、

今年は新潟奉行として

初めて迎える記念すべき正月だ。

朝5時。仮御役所に、家来たちが続々と出勤して来た。

修就は、まだ夜も明けない内から起きて、

身支度を整えると簡単に、朝餉を済ませた。

それから、家の者を起こさないよう静かに屋敷を出た。

昨夜は、皆がおそくまで起きていたこともあり、

見送りに出たのは滝だけだった。

修就が出勤すると、組頭の両名が総ぶれの準備をしていた。

「あけましておめでとう」
 
 修就は新年のあいさつをした。

「おはようございます」
 
 組頭の両名も、いつも通りのあいさつを返した。

 間もなくして、麻上下威儀を正しく、

次の間から居間の端まで整然と並んだ組頭、

広間役、定役、並役、年寄、足軽。

小遣、検断、仲元方が平伏して、

上段の間に座る奉行の修就へ年賀のあいさつを行った。

その後、修就は家来たちを引き連れて、

白山神社に初詣に行き初穂を納めた。

修就は、白山神社において、

ささやかながらも正月気分を味わった。

白山神社は晴れ着などで、

正装した参拝客であふれていた。

神社の境内では、甘酒が振る舞われ華やかな着物に

身を包んだ芸鼓たちが、

白山神社の鳥居の前に架かる橋の上で、立ち話をしていた。

仮御役所へ戻る途中、商家の主人が手代を随えて、

あわただしい様子で年始まわりをしている姿を見かけた。

その日の夕餉の御膳には、

見慣れぬ料理がずらりと並べられていた。

「殿がお手に取られたのは、のっぺという料理ですよ」
 
 お滝が告げた。

「のっぺとな? 初めて聞く名じゃ」
 
 修就はおそるおそるそれを口にした。

柔らかく煮てあり食べやすいが、

少々の塩気を感じるだけで薄味だ。

「こちらも、お召し上がりくだされ」
 
 お滝は、白地の器を指差した。

短冊切りにした大根の白と、

人参の橙色が重なり合い器の白地に映えた。

「お味はいかがですか? 」

「むむ。何だか、甘くて酸っぱい。

それに、こ、これは、いったい何じゃ? 」

 修就は妙な舌ざわりを感じて、口の中に含んでいた

小さく楕円状で固い所と柔らかい所のある

奇妙な食感の物を懐紙の中に吐き出した。

「父上。それは、氷頭というものですよ」
 
 テイがにこにこしながら言った。

「氷頭とな? 

何故、こんなあやしげなものを入れたのじゃ? 」

 修就が顔をしかめると言った。

「氷頭とは、鮭の頭の先のことです。

越後では、昔から、珍重されている味だそうです」
 
 お滝が答えた。

「して、この酢が利いたものは、何という料理じゃ? 」
 
 修就は気を取り直すと訊ねた。

「氷頭」とは、鮭の頭にある透き通った骨のことをいう。

越後では、大晦日の料理に、塩引鮭は不可欠だ。

塩引鮭ならば、修就も何度も、口にしたことがあったが、

鮭の頭が食べれるとは知らなかった。

「これは、膾という料理ですよ。

実は、殿がお帰りになる少し前に、

検断の松浦殿の奥様がお持ち下さったのですよ。

ぜひとも、殿に新潟の正月料理を

召しあがって頂きたいと申されて、

松浦殿が準備させたそうです」
 
 お滝が種明かしをした。

「さようか」
 
 修就はふと、松浦の顔を思い浮かべた。

 松浦とは、江戸にいるころ、突然、屋敷に押しかけて、

新潟の景気回復の施策について切実と語ったあの熱血漢だ。

情に篤い男なのだろう。お奉行に、郷土料理を差し入れるとは、

なかなか、粋なはからいをするものだ。

新潟の人たちは内弁慶だが、1度親しくなると親切で情が深い。

正月3日から、個人的にも親しくしている家来たちが奉行屋敷を訪れた。

隠密掛の根津奈賀次郎や町方掛差免の

小嶋源右衛門とは、「刀目利」を行った。

町方定廻り差免公事方当分勤の若菜三男三郎や

並役の川村普次郎とは、「歌会」を開いて3曲合奏した。

若菜は、歌会の翌日も訪れて、

茂十郎も交えて「碁」を打った。
 
御武器掛兼地方公事方書物方の

平岩勘助久平とは「将棋」を差した。

一方、砲術稽古は、正月関係なく行われていた。

日を変えて、組頭両名、家来、部屋住たちが、

修就の元で稽古に励んだ。

充実した正月休みを送る修就は、

正月11日に祖父となった。

順次郎の妾のツヤが、女の子を出産したのだ。

18日の七日祝いには、修就が自ら孫に、

庫と名付けて赤飯を炊いてお祝いをした。

赤ん坊は家を明るくする。

その寝顔を眺めるだけで自然と笑みがこぼれる。

みきも、赤ん坊を抱いた瞬間だけは、

笑顔を見せたものの、それは、束の間の幸せだった。

七日祝いの翌日から急に、

庫の容体が変わり20日に早逝したのだ。

庫の亡骸は、寺町通の長善寺に葬られて

百ヶ日の読経を読んだ。

皮肉にも、庫が産まれた11日は、

雪の降る寒い日だったが、

庫の葬式の日は晴天だった。

庫が産まれた日。

修就は、江戸にいる老母のコノに

年玉として縞つむぎ1反を贈り、

孫の誕生の報告と近状を伝える手紙を送ったが、

22日に、正月の費用を送金した時は、

庫の死を伝える手紙を出すことになってしまい、

なかなか、筆が進まなかった。

江戸屋敷を守る庄五郎夫妻から香典が送られて来たが、

コノからは返事がなかった。

毎年、山間の村は腰丈まで雪が積もるといわれている

雪国、越後新潟の冬を初めて体感した

新潟の川村家一同の間では、

庫が亡くなった喪失感もあって風邪が流行した。

修就・お滝・テイ・茂之丞の順に

感染し相次いで、床に伏せった。

お滝・テイ・茂之丞の3名は風邪をこじらせて、

医師の加藤道逸を呼んで薬を処方してもらった。

修就は政務が待ったなしに立て込んでいて、

孫の死を哀しんでいる暇はなかった。

年明け早々、未組織であった水主頭取、

足留水主の組織に着手した。

1月18日には、古洲崎町の徳左衛門ら

4名を水主頭取に任命し、

4石2斗2人扶持を与え、

足留水主は、1人扶持で15人を任命した。

それから、翌2月15日。

修就は、非常時に駆けつける人足30名。

足留水主頭15名に鑑札を渡した。

また、足軽の重立を「世話役」という

正式名称にするなど着々と、支配向きの整備を進めた。

組織の整備と同時進行で、

「新潟奉行」の建設が着々と進められていた。

昨年、新潟奉行所候補地が決まった後、

関屋村地内に新しい御仕置場の晋請に着手して、

今年の1月30日には、修就自ら縄張りを検分して、

15間4方にすることを決定した。

さらに、2月16日には、

「役所普請仕様帳」の読み合わせをやり、

翌、2月17日以降、普請目論見掛は役所へ

詰め切りで仕事に取りかかった。


 
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