第10話 島田屋

文字数 3,521文字

 それから、3日後の昼下がり。久兵衛の姿は、

上級武士の裃に使われる丈夫で夏、涼しい着物として、

江戸で珍重されている「越後縮」の産地のひとつ、十日町にあった。

 越後では、十日町の他、魚沼地方を中心とした7か所で「越後縮」を生産している。

縮に使う「紵」は、会津や出羽の最上郡で生産された品が用いられる。

中でも、2尺から3尺に製した「影紵」という「紵」と、

帷子などを織る良質の麻糸である「撰紵」が高級品に用いられる。

越後の紵の商人は、会津などを廻り紵を買い集めて魚沼郡に持ち帰り売りさばく。

久兵衛が、到着したころはちょうど、

村里の若い女衆が来年売る縮を糸から績みはじめていた。

越後では、縮を「布」と呼ぶ。専門に織る職人はおらず、

村里の若い女衆が、糸に強く縒をかけ縮ませて織る。

縮を織る村では、嫁選びにも器量より機織の上手い娘を

第一に考える風潮があることから、親は、娘に幼いころから機織を習わせる。

上等の縮を織るには、気力の充実した若い娘の技術でなければならないと伝わるが、

高貴な方への献上品や極上の品は熟練者があたる。

 高貴な方への献上品を織る際、家内でも煙の入らない一間を清め、

床にムシロを敷き詰め四方に注連縄を渡した

中央に機を建てる「御機屋」で織る風習がある。

 翌年の2月中頃、「晒(さら)し屋」という職人たちが、

雪の積もる田畑の上に晒し場を設けて太陽が出ている間に

板に柄をつけた物で雪上を平らにならし一夜灰汁に浸して、

翌朝、何度も、水で洗い絞った縮を晒す。

 久兵衛は、京・大坂・江戸の呉服問屋の定宿が軒を連ねる通りを訪ね歩いていた。

表通りに、店を構えていたはずの薬種問屋は、なかなか、見つからなかった。

4月初旬には、縮を売買する市がたつ。

各地から、縮を売る村民と縮を買い求める商人たちで混雑し

集まった大勢の人々を相手にした見世物小屋や様々な品を売る露店が

立ち並び大いににぎわいを見せる表通りも、

この時期は、わずかな町民が往来するだけで閑散としている。

「この辺に、島田屋という薬種店がねぇですか? 」
 
 久兵衛は、記憶通りならば

店があるはずの場所の隣の店の前に立っていた老人に訊ねた。

「島田屋さんなら、裏通りに移転したぜ。ついてきな、案内してやる」
 
 老人が親切にも、久兵衛を移転先まで案内してくれた。

 移転先にたどり着いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。

店は閉まっていて人の気配がないため、久兵衛はあせった。

しばらく、店の前にしゃがみこんでいると、提灯の明かりが近づいて来た。

「大丈夫かい? 」
 
 頭上から、穏やかな声が響いた。

「おっこっこ! 島田屋の若旦那じゃねぇの。ひさしぶり」
 
 久兵衛は、声をかけて来た男の顔を見るなり声を上げた。

 以前、会った時より、大人になっていたが、

人の良さそうな丸顔と墨で描いたような太い眉は、昔のままなのですぐにわかった。

「あっきゃあ! 誰かと思えば、松浦の親分でねぇの? 待たせてすいやせん。

早よ、上がってくだせえ」
 
 俵右衛門は店の戸を開けると、店の中へ久兵衛を招いた。

 店間は、以前より狭い上にうす暗く店の奥から漢方独特の香りが漂って来た。

店間にいると、まるで、かまくらに入っているような感じがした。

「表に看板は出てねぇし、店は閉まっていた故、つぶれたかと思ったぜ」
 
 久兵衛が、近くにあったイスに座るなり言った。

「伊三郎さん、茶さ、持って来てくんな」
 
 俵右衛門が、店の奥に向かって声をかけると、

のれんの向こうから、白髪頭の老人が姿を見せた。

 誰かと思ったら、「島田屋」の番頭、伊三郎だった。

伊三郎は、お茶を出した後、すぐにまた、奥に引っ込んだ。

「今、茶を運んで来た番頭の伊三郎を覚えていますか? 

伊三郎と2人で細々と商いを続けています」
 
 俵右衛門が近状を語った。

 久兵衛は、伊三郎のあまりの変貌に驚いた。

以前、会った時は、ふくよかな顔つきをしていたが、

今さっき会った伊三郎は、別人のようにやつれていた。

「以前と比べると手狭ですが、

昔と違って、今は決まった店に薬種を卸しているだけで店頭販売はやっていねぇ故、

この広さで十分なんです」
 
 俵右衛門がものめずらしそうに、

周囲を見渡している久兵衛を見兼ねて現状を伝えた。

「身の丈に合った商いをするのが、1番だという先代の教えを守ったというわけかい」
 
 久兵衛がぼそっとつぶやいた。

「今夜は、我が家に泊ってくだせえ。夕餉は? 」
 
 俵右衛門が明るい声で言った。その途端、久兵衛の腹の虫が派手に鳴った。

「隣の家の者に、夕餉の膳を持って来てもらいます故、先に、2階にあがってくだせえ」
 
 俵右衛門が笑いをこらえながら言った。

久兵衛は、階段を登っている途中、ふと誰かが見ている気がして、階下を見下ろした。

案の定、階段下で、伊三郎が見上げていた。

「2階で待つよう言われたんだ」
 
 久兵衛は、店の奥に向かってさけんだ。すると店の奥で物音がした。

 天井が低く歩く度、床面がぎしぎしと音の鳴る階段を登り狭い廊下を歩いている時だった。

背後に気配を感じてふり返ると、提灯を手にした伊三郎が、ポツンと立っていた。

 伊三郎は、つきあたりの部屋の戸を開けると久兵衛を中へ招き入れた。

押入れと小さな窓がある4畳半の狭い和室は、

家具などは何も置かれておらず、殺風景な部屋だ。

「どうぞ、座ってくだせえ」
 
 伊三郎が、押し入れから出した座布団を並べると言った。

「ありがとうよ」
 
 久兵衛は、座布団の上に座るとすぐ足を伸ばした。

 正直なところ、足が痛くて曲げているのも辛かったので助かった。

久兵衛が伊三郎と世間話をしているところに、

俵右衛門の後から隣に住む母と娘が、夕餉の膳を部屋に運んで来た。

「十日町で、唐物抜荷が横行しています。

連中は、悪いことをしてっとは思うてねぇんです」
 
 だいぶ、酒が進んだころ、俵右衛門が、

久兵衛のお猪口に酒を注ぎ足しながら激白した。

「ひょっとして、おめも仲間に入ったのかい? 」
 
 久兵衛が、お猪口を見つめながら訊ねた。

「いやいや、話ばかりは聞きましたけど、返事はまだです。

手前だけでなく、薬売商仲間は、唐物抜荷のことを知っていても、

皆、知らぬふりをしています」
 
 俵右衛門が神妙な面持ちで答えた。

「新潟町のとある小宿の蔵より不正品を多数押収したが、

唐物抜荷が行われたと証言させようとしていた矢先、その証人が不慮の死を遂げた。

袋小路に陥っていたところに、おめから連絡をもろたんで、飛んで来たわけよ」
 
 久兵衛が、酒をちびちび呑みながら言った。

「三条の薬商人が、越後各地の薬種店を訪ね歩き、

石見国の船から薬種を買うたら仕入値が、

いつもの2倍安くなると、ふれまわっているみてぇです」
 
 俵右衛門が小声で言った。

「前回の唐物抜荷では、大勢、処罰を受けた者がいたが、

こたびも、越後出身の商人が唐物抜荷を主導している故、

前にも増して、逮捕者が出るかもしれねえ」
 
 久兵衛が、揚げ出し豆腐をひとくち食べると言った。

「三条の薬売りが、北陸地方にいる客の元を訪ねて安く唐物が手に入ると

宣伝して注文を取り、新潟町の問屋へ伝え、

客となった商人は、三条屋の薬売りから買い取った安値の唐物を

各地へ売り捌くという筋書きです」
 
 俵右衛門が、その「三条屋」と名乗る三条の薬売りが

置いていったという注文票を見せると、唐物抜荷のからくりを説明した。

「薬売りは、仕事柄、全国各地を旅している故、方々に顔がきく。

薬売りの人脈を上手く利用し買い手を集めて、

薩摩から安く仕入れた禁制品を売り捌いてひと儲けしようということか‥‥ 」
 
 久兵衛が忌々し気に言った。

「手前がおとりになれば、不正品を売買している現場を押さえることが出来ますか? 」
 
 俵右衛門が、思いがけない提案をした。

「出来るも何も、おめに、そんなことさせられねぇや」
 
 久兵衛が言った。

「越後の商人の端くれとして、地元で唐物抜荷が横行していると知って見過ごせねぇです」
 
 俵右衛門が言い迫った。

「おめが、犠牲になることはねぇってことよ」
 
 久兵衛が冷静に告げた。

「侍には、仇討ちという習わしがあるでねぇですか? 

手前は、商人なりのやり方で仇を取りてぇと思うてます」
 
 俵右衛門がしっかりとした口調で告げた。

「ことわる。おめの身に何かあれば、先代に申し訳がたたねぇからよ」
 
 久兵衛が反対した。

「これは、先代の弔い合戦です」
 
 俵右衛門が言った。

「おめの覚悟はわかったわや。おめを守るのがオレの役目だぜ」
 
 久兵衛は、俵右衛門の熱意に負けて策を考えると約束した。

「久兵衛さん。おめさんに会わせたい人がいます」
 
 俵右衛門が告げた。

 
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