第23話 新潟からの珍客

文字数 3,065文字

 修就は部屋に戻ると、机の周りに散乱した

新潟に関する史料を片付けながら、大きなため息がこぼした。

 これまで、修就は積極的に長岡藩と接触して、

長岡藩の倉沢忠左衛門に

「新潟町奉行住所之図」「寛永年中の入津船」

「宗門改の奏書の写」「新潟之事書抜一帳」

「新潟役宅向絵図」「新潟に関する絵図書面」を持参させたり、

新潟寄居村の入会のことなどについて質問したりと、

新潟に関する史料集めに奮闘していた。

史料集めには、新潟に赴任する前に

長岡藩の面々と交流して親交を深めようとするねらいもあった。

しかし、その期待は呆気なく裏切られた。

一応、表向き、長岡藩は、修就の要望に従ってはいるが、

本意ではないことは何となくわかった。

それを決定づけたのは、長岡藩が、6月中にという期限を守らず、

「新潟役宅向絵図」を7月29日になって、やっと、提出して来たことだ。

それでも、修就は、横田源七に「新潟の図」を持参させたり、

井上備前守から「新潟諸運上書付」を請け取ったり、

新潟表の津出米の件について伺いをしたり、

老中の土井大炊頭へ新潟諸運上差引や

土地の模様などを報告したりして、

新潟赴任に向けて精力的に活動することで、

何とか、前向きな心を保つことが出来た。

長岡藩以外に、江戸において、

新潟赴任の準備をしている修就と接触を図ったのは、

沢海に陣屋を構える旗本寄合の小浜健次郎だった。

 同年、8月4日。小浜は、川村家へ使者を派遣し口上書を提出した。

「小浜様は、長岡藩領時代より、

沢海陣屋の払米を新潟湊で売ることを任されております。

その際、家来を新潟湊に旅宿させて、

払米を新潟湊で売り払うことを

新潟詰の長岡藩の役人へ通知してこられました。

こたび、川村様が、初代新潟奉行に着任するにあたり、

新潟湊も、お奉行様の支配所になるとお聞きして、

これまで通り、沢海陣屋の払米を新潟湊で売ることを

許可願いたいとのご伝言をお預かり参上致しました」

  使者は、口上書を修就に差し出すと平伏した。

「遠いところから、ご苦労であった」
 
 修就は、口上書をたたむと懐にしまった。

「こちらは、新潟湊へ払米、津出米の件にて、

今後、お世話になるということで、

小浜様からお預かりした川村様への時候見舞のお品でございます。

どうぞ、お納めくだされ」
 
 使者は、持参した千鯛1折と、樽代金200疋を修就へ差し出した。

「相分かった。小浜殿には、引き続き、

沢海陣屋の払米を新潟湊で売る事が出来るよう幕府に取り計らう故、

払米を売る際は、新潟奉行所にその都度、届出るよう伝えよ」
 
 使者は、修就の返事を聞くと再び平伏した。

 修就は、贈物を送り便宜を図る慣習を快く思っていなかったが、

新潟に関する史料を出し渋る長岡藩に

イライラさせられていたこともあり、

せっかく、あちらから歩み寄って来たのを無下にことわれば、

近隣領主との関係が悪くなるかもしれないと考え受け取った。

史料集めを行う中で、必ずしも、肩を落とすことばかりではなかった。

希望を持てる出来事が起きたのは、

新潟赴任の準備が佳境に入ったころだった。

8月の暑い盛りの午後。長岡藩の要請で出府していた

新潟奉行所検断、松浦久兵衛と年寄の大井小右衛門が、

修就に面会したいとやって来た。

「殿。事前に連絡もせず、

長岡藩の役人が押しかけて来ました。追い返しますか? 」
 
 この時、川村家の面々は、

庄五郎とおたまの婚儀や2人の新居の準備で

猫の手も借りたいぐらいに忙しくしていた。

庄五郎とおたまは、川村家に同居することにはなっていたが、

庄五郎が独身時代に使っていた部屋は、

夫婦2人で住むには手狭だった。

そこで、大工に頼んで増築してもらう計画が持ち上がっていた。

松浦と大井が、川村家を訪ねて来た日は、

ちょうど、大工が来る日にあたり、修就は休みを取り屋敷にいた。

「しばらく、客間で待つよう伝えよ」
 
 修就は、家用人の江川保右衛門に命じて両名を客間に待たせた。

「増築するとなると、この壁をぶち破る必要があります」
 
 大工は、修就に客が来ているとはつゆ知らず、

遠慮なく、トンカチを持ち出すと、

壁をたたいて強度を確かめるなど増築のための作業に取り掛かった。

そのため、川村家はいつにも増してさわがしくなった。

「殿。客人が何事かと、廊下に出て来ております」
 
 庭先で、修就が、大工と立ち話をしているところへ、江川が駆け寄って来た。

背丈が頭ひとつほど違う侍が2人、

縁側に出て庭の方を眺めているのが見えた。

 修就が2人の方を見ていると、

背の低い方が気づいたらしく、大きく手を振った。

修就はつられて、縁側へ歩み寄った。

「ごめんなせ―。身共は、長岡藩の者でございます。

あなたさまが、川村様ですか? 」
 
 背の低い方が親し気に、あいさつをして来た。

「お待たせしてかたじけない」
 
 修就は、客間に2人を促すと下女に茶を持って来させた。

 ものめずらしそうに、部屋の中を見回している背の低い侍とは対照的に、

背の高い侍の方は、大きなからだを小さくして居心地悪そうに座っている。

「おぬしらは、長岡藩の者と聞いたが、名を名乗るが良い」
 
 修就は懐から、反古紙を取り出すと告げた。

 修就はふだんから、反古紙を常備して、

気になった物事を書き留める習慣がある。

 初対面の相手と会った時は、忘れぬように、

名前と特徴を書き留めておくようにしている。

「それがしの名前は、松浦久兵衛といいます。

新潟町奉行所検断でごぜぇます」
 
 背の低い方の侍が自己紹介した。

「それがしは、長岡藩年寄、大井小右衛門と申す」
 
 背の高い方の侍が緊張した面持ちで、自己紹介した。

「同じ藩士でも、ずいぶんと、雰囲気が違うのじゃな」
 
 修就は思わず、つぶやいた。

 松浦は明らかに、他の長岡藩の面々とは異なった。

 近日中に、お奉行となることが決まっている

江戸の侍である修就を前にして、

物怖じするどころか、取り繕うこともしない。

大物なのかそれとも、単に、考えなしの能天気者なのか謎だ。

「検断とはいかなる、役職なのじゃ? 」
 
 修就が、松浦に訊ねた。

「検断は、新潟町の町政を取り仕切るいわば、

大黒柱のようなものでごぜぇます」
 
 松浦が自信満々に答えた。

「ここにいる松浦は、3名いる検断を代表して、

藩の要請で出府しております」
 
 大井が告げた。

「そういえば、おぬしら、検断にも、

帳面と絵図の提出を求めたが、

長岡藩の誰よりも、反応が素早かったのう」
 
 修就が思い出したように言った。

「対応がおせぇのは、長岡藩の悪しき慣習故、仕方がねぇことですわ」
 
 松浦が小声で告げた。

「松浦といったか? 

おぬしは、なかなか、口が達者のようじゃのう」
 
 修就が笑った。

「川村様」
 
 突然、、松浦が、その場に両手をついた。

「何じゃ、突然? 」
 
 修就の困惑をよそに、松浦が口上を述べた。

「本日、罷り越しましたのは、

町中惣代として口上之覚を献上するためにございます。

なにとぞ、新潟の景気回復のための施策に一同、

協力させて頂くお願いに参りました」

「さようか」
 
 修就は、松浦から「口上之覚」を受け取った。

「町役人の方から、市中見廻りの際、

町人たちから、奉行所の普請の際の人足を提供したいとの申し出があったと

伝言を預かって来ました」
 
 大井がその場に平伏すと告げた。

「さようか」
 
 修就は、明るい声で言った。

 この2人の訪問により、新潟の町民の間に、

近じか、新設される新潟奉行所に

景気回復のための施策に対して関心を寄せているといった風な

初代新潟奉行を歓迎ムードが高まっていることを知ったのだった。

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み