第9話 十日町へ

文字数 1,601文字

 粂吉が、江戸送りになった日の夕方。久兵衛は、数日ぶりに帰宅した。

ひさしぶりに、家族揃って夕餉を食べていた時、遠方から来客があった。

「ごめんくだせえ」
 
 玄関の方から声が聞こえたので、お松があわてて、玄関へ向かった。

「おめさんに会いに来たというお人が来ています」
 
 すぐに、お松が、茶の間に戻って来て告げた。

玄関へ行くと、風呂敷包を背負った旅装束の見知らぬ若者が、玄関先に立っていた。

「おめさんが、検断の松浦久兵衛様ですかい? 」
 
 旅装束の男が会釈すると訊ねた。

「んだ。おめさんは誰だい? 」
 
 久兵衛が返事した。

「オラは、越後縮を売る行商人の虎治というもんです。

十日町で薬種店を営んでいる友から松浦様宛の書状を預かって参った次第」
 
 旅装束の男が、懐から書状を取り出すと両手で差し出した。

「島田屋俵右衛門とな? どっかで聞いた名だねえ」
 
 久兵衛は半信半疑で、書状を広げた。結びに記されていた署名を見て、ハ

 久兵衛はすぐさま納戸へ走った。心臓の鼓動がやけに、大きく聞こえた。

その後、お松が声を掛けたのも無視して、納戸に籠もった。

忘れもしない。俵右衛門と言えば、

前回の唐物抜荷騒動の際に潜入捜査で知り合った十日町の薬種店「島田屋」の主の倅だ。

当時、実父を病で亡くしてその薬種店は倒産寸前まで追い込まれたが、

「島田屋」と名乗っていることから考えて、あのあと、店は存続出来たらしい。

 あれ以来、一切、連絡を取っていなかったのに、何故、急に連絡して来たのだろう? 

書状には、近い内、新潟町へ行く予定があるから、

その時に会って欲しいと書かれていたが、久兵衛は、自分から会いに行くことにした。

「昨日、夜なべしたみたいですが、ひょっとして、

十日町の「島田屋」さんの所へ行くつもりですか? 」
 
 翌朝。朝餉を食べている時、お松が心配して訊ねた。

「んだ。何か、オレに、話してぇことがあるんだと」
 
 久兵衛は、家族には過去の事件のことについて話しておらず、

「島田屋」の若旦那は、仕事で知り合ったと言っておいた。

 それから数日後。久兵衛は、唐物改役吟味役帯の伊藤道右衛門の居宅を訪ねた。

「おぬしは、粂吉がおたずね者となった理由を、何と聞いた? 」
 
 伊藤が訊ねた。

「江戸で不正品を得た後、新潟町へ逃亡したと聞きました」
 
 久兵衛が答えた。

「粂吉は、唐物抜荷の首謀者らしいぜ」
 
 伊藤が小声で告げた。

「それは、まことですか? 実は、粂吉が、

「小川屋」と取引するため新潟を訪れたと自白したのですが、

「小川屋」のあにさまが、粂吉と取引したことを否認しています故、裏が取れてねぇんです」
 
 久兵衛が訴えた。

「藩が目をつぶっているのを良いことに、

白を切る問屋連中も、不正品を売買している現場を押せえることさえ出来れば、

認めざるを得ない」
 
 伊藤が言った。

「オレに考えがあります。十日町のとある町家で、

夜な夜な、薩摩や石見の船が運んで来る不正品の売買が行われているとの情報を得ました。

早速、探りを入れようと思っています」
 
 久兵衛が、伊藤に書状を見せると話しを切り出した。

「我が藩は、唐物抜荷を取り締まらない方針を示しておる。

おめが、唐物抜荷の探索で十日町へ赴くと知れば、横やりが入るかもしれねえ。

休暇届けを出してから行くが良い」
 
 伊藤が静かに告げた。

 久兵衛は深々と頭を下げた後、伊藤の居宅を後にした。

偶然にも、久兵衛が提出した休暇日程と、

忠蔵が、長岡藩の要請で江戸に出府する日程とが重なった。

そのため、町政の仕切りが、検断の宮本幸三郎1人の肩に、重くのしかかることになった。

宮本は一切、不満を口にしないばかりか、

忙しい合間をぬって、渡し場まで見送りに来てくれた。

「久兵衛。くれぐれも、無茶すんでねぇぞ」
 
 宮本が穏やかに告げた。

「わかってるわや。留守を頼むぜ」
 
 久兵衛がそう言うと、宮本が、「早く乗れ」と久兵衛を急かした。

 
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