第7話 「山本屋」宗一郎の葬式

文字数 2,473文字

 夕映えの中、2人は、山本屋へ向かった。

山本屋の表戸には、「忌中」」と書かれた紙が貼られていて、

屋敷の辺りはひっそりと、静まり返っていた。表戸は開いていた。

 久兵衛は、善吉を引き連れて中に入ると、長い廊下をつき進んだ。

茶の間に入ると、「山本屋」の主、「山本屋」宗一郎の亡骸は、部屋の中央に寝かされていた。

亡骸の傍に、「山本屋」の使用人、伊織と孝之助が、背中を丸めて座っているのが見えた。

「松浦の親分!」
 
 久兵衛たちに気づき、孝之助が立ち上がった。

 久兵衛と善吉は、順番に亡骸を前に手を合わせた。

「血色の良いお顔を拝見していると、死んじまったとは、思えなくて‥‥ 」
 
 伊織が涙ながらに告げた。

「あにさまは、何用で流作場へ行ったんだ? 」
 
 久兵衛が訊ねた。

「手前は、何も知りません」
 
 孝之助が声を震わせた。

「逃げる手引きまでしておいて、何も知らねぇで済むわけねぇろ」
 
 久兵衛が低い声で告げた。

「あの日、あにさまは、誰かと会う約束をしておられたみてぇです」
 
 伊織が言った。

「さようか‥‥ 」
 
 久兵衛が言った。

「手前からも、親分さんに、聞きてぇことがあります。

何故、吟味中の手前共を牢から出して、屋敷で軟禁したのですか? 」
 
 伊織が、久兵衛に訊ねた。

「今だから話すが、おめぇらを屋敷で軟禁したのは、

「小川屋」金右衛門を油断させるためだったんだ。

それなのに、「山本屋」が死んじまった。人の命ほど大事なものはねえ。

今思うと、牢に入れたままの方が良かったかもしれねえ」
 
 久兵衛がくやしそうに言った。

「葬礼を許してもろて、まことに、ありがてぇことですて」
 
 孝之助が涙を手でぬぐうと言った。

「お寺様はもう、頼んだのかい? 」
 
 久兵衛が優しい声で訊ねた。

「はぁ。長善寺の住職にお願いしました」
 
 伊織が答えた。

 通夜会場は、「長善寺」に決まり、

久兵衛、善吉、伊織、孝之助の4人で、「山本屋」宗一郎の亡骸を「長善寺」に運んだ。

通夜の席を準備している間に雨が降り出した。

雨の中、参列者が続々と集まり出した。

その多くは、近所の人たちだったが、中には、大問屋の手代の姿もちらほら見えた。

同業者とはほとんど、付き合いがないといっていたが、

小宿の主の姿も少ないが見えた。久兵衛は、伊織の後ろに座った。

通夜ふるまいの席では、故人が好きだったという焼鮭が出された。

「山本屋」宗一郎は、毎年、鮭漁の時期になると、

信濃川で漁師たちが地引網を引く様子を眺めることを何より楽しみにしていたと、

伊織が、参列者の前で涙ながらに述べた。久兵衛ももらい泣きした。

 夜になり、参列者が帰りはじめたころ、

「小川屋」の番頭、芳三郎が、人目を忍ぶようにして、姿を見せた。

「芳三郎さんではないか? よう来なさった」
 
 座布団をしまっていた孝之助が、黒い着物を着た初老の男に気づき声を上げた。

「おそなってしもて、すまねぇな」
 
 芳三郎は、亡骸の傍に正座して死に顔を眺めた後、頭を垂れて手を合わせた。

 久兵衛は、芳三郎の白髪頭を不思議そうに眺めた。

「ご愁傷様でごぜぇます。主の代理で線香をあげに参りました」
 
 芳三郎が、伊織の方に向き直るとあいさつした。

「芳三郎さん。まことに、ありがとうごぜぇます。

あにさまも、草葉の陰で、「小川屋」の番頭さんに、

最後のごあいさつに来てもろたことを喜んでいますでしょう」
 
 伊織がしんみりと告げた。

 久兵衛は、善吉にうながされて外に出た。

しばらくして、芳三郎と孝之助が、入り口に姿を見せた。

孝之助が何度も、頭を下げてお礼を述べた後、香典を両手で受け取ったのが見えた。

 芳三郎が、寺の階段を降りはじめたところへ、

木の陰から、若い糸鬢奴頭の男が現れた。

芳三郎は、糸鬢奴頭の若い男が、差し向けた傘に入ると帰って行った。

「屋敷へ帰らねぇのかい? 」
 
 久兵衛は、黒い着物から浴衣に着替えると伊織に声を掛けた。

「今夜は、孝之助と2人で、あにさまのお傍で寝ずの番をするつもりです」
 
 伊織が沈んだ声で告げた。

「そおせば、オレも、一緒に寝ずの番をするさね」
 
 久兵衛も、その場に胡坐をかいた。

「松浦の親分。オラは、寝間で休ませてもらいます」
 
 善吉は、静かに席を立つと寝間へ入った。

 夜の寺というのはうす気味悪い。

久兵衛は、寺子屋に通っていたころ、

夏になると、近所の墓場で肝試しをしたことを思い出した。

他の子どもが、持っていた提灯の明かりを火の玉と勘違いして

逃げまわる子どもや墓場に生えている草が風で揺れる度に、肩を震わせる子ども。

泣いたり騒いだり、怖いけれど、楽しい行事だった。

「松浦の親分? どうかしましたか? 」
 
 孝之助が、無口になった久兵衛を心配して顔をのぞき込んだ。

「がきのころのことを思い出していたんさ」
 
 久兵衛が答えた。

「ひょっとして、肝試しですか? 」
 
 孝之助が訊ねた。

「そうだが、何故、わかったんだ? 」

「手前も、ちいせぇころは、夏が来ると、近所のガキと墓場で肝試しをしました」

「新潟町で生まれ育ったのか? 」

「いいえ。生まれ育ったのは、彌彦村という門前町です」

「彌彦といえば、越後一宮の彌彦神社のお膝元でねぇか? 

オレの家は、毎年、一家そろって、彌彦神社に参拝しているんさ」
 
 久兵衛が言った。

「手前は、13の時に家を出て以来、故郷の彌彦村にはいっぺんも、帰っていません。

今はもう、両親は亡くなり、実家もなくなった故、帰る場所がございません」

「そうかい? そおせば、今は、新潟町が、おめぇにとって、故郷だってことだな」

「はあ。

が手前の家です。

あにさまは、前回の抜荷摘発があった時分、先代を亡くされて、

取引先からの信用を何とかして取り戻そうと、

それはもう、朝から夜まで必死なって働いておられました。

おかげで、嫁を取るのを忘れたと言うてました」
 
 孝之助がしみじみと語った。

 久兵衛はふと、「山本屋」宗一郎の亡骸の傍で身動きひとつしない

伊織の背中を見つめた。まるで、主の亡骸を護るかのように付き添う伊織が、

久兵衛の目には、痛々しく映った。
 
 
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