第39話 花街をめぐる問題

文字数 4,485文字

 修就は、新潟の風土や風習を知るにつれて

新潟独特の風俗に疑問を抱くようになった。

第1に、湊町は全国各地に存在するが、

新潟町のように遊女屋が1か所に集住しておらず

「花街」の外でも営業しているのは類を見ないということだ。

引化1年、6月。町会所の高札場に

衣服についての触を出したにも関わらずいまだ徹底せず、

翌年の湊祭には、触に反した衣服を着た者があったとの件で、

掛りの町年寄に、「慎」の処分を申し渡していた。

「お奉行様。おそれながら、

華美な着物や帯を身に着けていたのが町人だというのは、

何かの間違いではござらんか? 」
 
処分を言い渡された町年寄が再調査を願い出た。

修就は、言い訳だとして聞き捨てようとも考えたが、

念のため、家来たちに調査させた。

それから数日後。町方定廻りの矢沢竹臓が、調査報告を行った。

「やはり、町年寄の言い分通りでございました。

新潟では、盆踊りには、遊女も参加するそうです。

盆踊りの会場で、華美な着物や帯を身に着けた

遊女たちを見た者が大勢おります。

何であれば、証人を呼んで参りましょうか? 」

「うむ。証人を呼ぶには及ばない。

おぬしの調査にて相分かった」
 
 修就は、一度、「慎」を申し渡した手前、

撤回するわけにも行かず、家来たちを呼び集めると、

風紀の取締まりを徹底するよう命じた。

「遊女屋について詳しく調査せよ」
 
 修就は、修就は、町方定廻り差免公事方当分勤の

若菜三男三郎が奉行所へ御用聞きに来た時に呼び寄せると命じた。

「御意」
  
 若菜は町会所へ詰めると、

早速、町方廻りたちを遊女屋の調査にあたらせた。

2~3日で調査は終わり、若菜は、報告書にまとめて修就に提出した。

 【若菜の報告書の内容】
 新潟町には長岡藩領時代より、公娼、私娼共に存在している。

これについては、他国では、有名な話で多少なりとも

湊町の繁栄に繋がっているとは否めない。

 遊女は特に、花街以外を出歩くことを禁じられていないため、

新潟町で行われる行事に参加することが出来る。

また、遊女屋にいたっては、1か所に集住しておらず、

「中道」と呼ばれる古町通四番町の西側の地域以外にも、

遊女屋が、新潟湊付近に点在し営業している。

中には、町人が住む町内で営業している私娼もおり、

特に、看板は掲げていないため、

町人の家と区別がつかぬ遊女屋もある。

 なお、新潟町では、私娼を「後家」と呼ぶが、

「後家」は夫に先立たれて止むを得ず成り下がった訳ではない

「後家」が大勢いることから、町人にも悪影響を及ぼし、

何度、離縁してもはずかしいと思わないおなごが多くいる。

「遊女が自由に町内を出歩き、

町人の家と区別なく営業しているだと? 

どうりで、風紀を取り締ってもいっこうに改善せぬわけじゃ。

これでは、他所者が入り込む隙を作る原因にもなり得るではないか」
 
 修就は怒りまかせに、調査書を机の上にたたきつけた。

「お奉行様。調査に関する追加事項についての

報告のため、馳せ参じました」
 
 修就が、若菜から調査報告を受けているところに、

町方定廻りの高野順蔵が、追加の調査書を手にやって来た。

「追加事項とな? 」
 
 修就が眉をつり上げた。

「実は、遊女屋について調べている内に

ある事実につきあたりました」
 
 高野が顔を強張らせたため、

修就は思わず、ごくりとつばを飲み込んだ。

「前置きは良いから早く申せ。時間の無駄じゃ」
 
 若菜が声を荒げた。

 【高野の報告内容】
 新潟の若い娘の多くは、「飯盛り女」として、

他国の道中筋の宿駅へ奉公に出される。

「飯盛り女」というのは、「宿駅の女中」とは違い、

客から申し出があれば春を売ることもある。

 それについて、娘を奉公に出した親はもちろん、

町民の大半は、恥とも思っていない。

中には、生活苦でないにも関わらず

手柄顔で奉公に出す親もいる。

「まったくもって、他国の者には、

聞かせたくはない話でございます」
 
 高野が忌々し気に告げた。

 高野の話を聞く修就の様子がいつになく、

いらついているのを若菜は見逃さなかった。

「お奉行様。大事ありませんか? 」
 
 若菜がおそるおそる、修就に訊ねた。

「何としても、悪しき風習を断ち切らねばならぬ。

そうではないか? 」
 
 修就は、若菜を上目遣いで見ると強い口調で告げた。

 若菜は修就の顔色をうかがいつつおおげさにあいづちをうった。

 修就は、組頭や広間役に風紀粛正と町の治安維持について

意見書を提出させることにした。同時に、幕閣にも伺書を提出した。

意見書がすべて提出されたことを機に、

修就は、組頭、広間役、この問題のまとめ役に任命した

町方定廻り差免公事方当分勤の若菜三男三郎を集めて評議した。

「1番の問題は、遊女屋が、1か所に集住しておらぬということです。

これについて意見のある方は申すが良い」

  若菜が、あらかじめ、用意した議題を発表した。

「組頭を代表して申し上げます。

町外れにある願随寺裏手の空き地に遊女町を設けて、

これまで遊女を置いていた旅篭屋を移してはいかがですか? 

 ついては、遊女を置かない10軒の旅篭屋の営業を許して、

はっきりと、遊女屋と区別すれば、

風紀や治安の取り締まりになると存じます」
 
 組頭の今川要助が発言した。

「なれど、遊女町を設けたとて、

遊女が、遊女町以外へ出歩くことを禁じなければ、

風紀の乱れを押さえることは叶いませぬ」
 
 広間役の平田与左衛門に続いて、同役の内田勝次郎も発言した。

「さよう。遊女屋を1か所にまとめてしまえば、

遊女稼業を止める者も出て来て遊女稼業を許すという御上の

仁慈が無駄になるやもしれませぬ。

 それよりも、江戸、深川などのように

家作や店を他の商家と違わせて、

一目瞭然の構えにし、遊女の名称も、

酌取女もしくは茶汲女と改めて風紀を乱さぬように

教論した方が良いのではないか? 

もし、風紀を乱す者有れば処すればよろしい。

さすれば、じきに、風紀も改まるでしょう」

「両者の意見、しかと聞き入れた」
 
 若菜が告げた。若菜は、修就の傍に近寄ると耳打ちした。

修就は何度もうなづいた。

「願随寺裏手は砂地であり、とても家を建てられるような場ではない。

 なお、町に散在しておる遊女屋は、

商人、旅人、船方、在方がそれぞれが利用しやすい場にある。

この点からも、願随寺裏手は適地ではござらん」
 
 若菜の発言に、組頭や広間役たちは異論がある様子で、

釈然としない雰囲気になった。

「ならば、若菜殿の御意見はとくと、お聞かせ願おう 」
 
 組頭の鈴木幸一郎が告げた。修就が咳払いした。

「以前、御役所や役宅を作ろうとした馬嶋一帯に、

遊女屋を設けるのが、最善の策である。

 そして、古町二、三、五、六之町、

寺町二、三、五、六之町、ダッポン小路。

熊谷小路、坂内小路、毘沙門嶋、龍照寺前に

散在する遊女稼業の者すべてをここに移す。

馬嶋は、市中より離れており、風紀を乱す心配はござらぬし、

取り締まりも上手く行く。町づくりは。

公娼、私娼共遊女を人夫に雇い、

その賃金は、遊女屋と廻船問屋が折半する。

分散していた遊女屋が、馬嶋に集まれば、

評判となり入船も増え廻船問屋も利潤が上がる。

したがって、廻船問屋は、快く賃金を出すはずだ。

遊女は、それを元手に商いをはじめることもできる。

また、多額な金を費やして、奉行所と役宅を建てるよりも、

願随寺や、龍照寺門前へ建てる方が極めて有利だ。

その跡地には、一部町会所へ渡し、

他は売却して、その代金を馬嶋へ移った者へ引越料として与えれば、

お上の仁恵をありがたく思うに相違ない」
 
 若菜は自信満々に、上記の旨を発言したが、若菜の意見は却下された。

幕閣からは、新潟の場合、

廻船で湊へ入る船乗りが泊まるのだから、

遊女屋は「廻船宿」または、「泊茶屋」

 遊女は、「飯盛女」または、「洗濯女」の名称に改め、

着物など身に着けるものはすべて華美にならないよう

取締まる策を立てるよう指示があった。

修就は、「飯盛女」は、

風紀を退廃させる要因だと考えるに至った。

そこで、「飯盛女」の対応について、

同じく繁栄している湊町である浦賀の奉行所に照会した。

浦賀の奉行所からの返答は、

浦賀は、諸国廻船の船着き場であるからして、

完全に遊女屋を一掃した場合、

返って弊害を生ずるおそれがある。

それで、遊女屋は5軒とし、1軒に10名の「洗濯女」と呼ばれる

遊女を置くことを許しているという内容だった。

引化元年、9月。修就は、遊女屋の営業を古町通と

寺町通二之町から六之町にかけての地域と

熊谷小路と毘沙門嶋に限り許可を出した。

また、遊女屋と遊女の名称を地域別に改める事にした。

古町通と寺町通では遊女屋を

「泊茶屋」とし遊女を「茶汲女」とした。

熊谷小路と毘沙門嶋では、

遊女屋を「船宿」とし、遊女を「洗濯女」とした。

この地域以外で、営業している遊女屋は、

翌年の3月までに許可地域へ移り許可地域内でも、

これを機に住居替えをするなどして、

遊女屋は集住するよう通達した。

このころ、泊茶屋136軒。「船宿」18軒が営業していた。

さらに、修就は、私娼の取り締まりについて、

新潟奉行所の地方掛に評議させて、

幕府の盗賊方の八田五郎左衛門にも伺書を提出した。

盗賊方からの返答は、

私娼を置く宿に行き召し捕えるべしとの内容だった。

この内容に納得が行かなかった修就は、

組頭や広間役たちに評議させた。

召し捕っただけでは、ほとぼりが冷めたら

また、横行してくるおそれがある。

これは、頭の上を煩く飛んでいる蠅を追い払うようなもので、

取り締まりの策を立てるべきだとの結論に至った。

この年の冬には、新潟町で、営業する遊女屋すべてが、

公許地域へ引越が完了し改めた名称も定着しつつあった。
 
翌年の正月。修就は、「為申聞候覚」を町人に触れて、

なおいっそう、町の風紀更正を促した。

遊女屋の件は、ひとまず落着したがまだ、

根本的な問題の解決には至っていなかった。

そこで、修就は、「六論衍義」を新潟町に与えて

風俗を改めるよう教論した。

「遊女屋の件は一応、落着をみたが、

さらなる上は、町民教化にある。

 町役人共よ。ことわざ臭い部屋に長くおると、

臭さを感じなくなるというが、

おぬしらも新潟の悪習にいつの間にか染まり、

町民指導を忘れてはならぬぞ」

 修就は、検断以下町役人たちを前にして啖呵を切った。

「悪習とは、何のことですか? 」
 
 検断以下町役人の間から、誰からともなく、質問が返って来た。

「新潟においては、後家暮らしのおなごの独り者が多く、

どうも、風紀を乱しておるようじゃ。

 娘を嫁にやったり、婿を取ったりする場合、

夫を何度も替えても平気とするのは

おなごの貞心を失っておる証拠じゃ。

人妻でありながら、ややもすれば、金銭の貯えさえあれば、

おなごでも、自立出来るなどという考えを持ち、

敬わなければならない夫を軽視して

離縁することもはじとしない風潮がある。

これらは、後家暮らしの悪習の影響である。

 町役人たるものは、こういった考えのおなごに対し教戒をくわえ、

一家の主人をたてて、家庭を整えさせるようせねばならぬ」
 
 修就はこう述べて、検断以下、町役人たちを説き伏せた。

 
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