第12話 邸内支局の人々③ リーランド家の話

文字数 2,370文字

邸内の支局に勤める軍人さんの一人に、ルイス・オブ・リーランドという人がいました。
彼はちょうど、セシル・ドゥ・メルローズやリカルド・フォン・ブランフォーレと、士官大学で同期だったのだとか。
とはいっても、どちらかというと「ざっくばらんな極楽とんぼ」といった感じのセシルやリカルドとは全く毛色が違い、ルイスは如何にも神経の細やかそうな人でした。
ミルクティー色の絹糸のような美しい髪を一つに束ね、淡い銀色の瞳はいつも静かに澄んでいました。
軍人としては華奢な方で、たおやかな佳人、といった雰囲気。
そんな麗しの彼が生まれたリーランド家は、リーフリヘリオスという肥沃な島国の南の方にありました。
リーランド家は伯爵位と領地を持つ、いわば中くらいの貴族で、当時、ルイスのお父上のリーランド伯爵はまだ健在でした。
 
さて、リーランド伯爵には5人の息子と1人の娘がありました。
上から、ヴィンセント、デイヴィッド、ルイス、ヘンリー、フランシス、そして最後にエリック。

私はこの末のエリックと仲良しでした。 
エリックは、軍の中央基地の研究所内で、植物の研究をしていました。
植物好きの私が、エリックに新しい花の品種について尋ねたり、彼の語る植物の交配の話などを熱心に聞いているうちに、仲良くなったのです。
 
ある日、邸内の温室に、兄のルイスを訪ねてきたエリックを招いて、お茶とお喋りを楽しんでいたところ、ひょんなことから彼の兄弟の話になりました。

「長男のヴィンセントはね、あのルイスに輪をかけて神経質なんですよ――」
「そうなのね。確か、お父上もそんな感じの方よね? それはもう、ご一家の気質なのかしら。神経が細やかなのは」
「とんでもない!」
エリックは微笑みを湛えながら力を込めて否定しました。
「次男のデイヴィッドは、お気楽で能天気な人ですからね。見ての通り、ルイスはあんな感じですが、その下の末の兄のヘンリーはもう、軍人を絵に描いたような四角四面な人で。姉のフランシスは、しっかり者です」
「――あなたは癒し系ね」
白っぽい淡い色の金髪に、夢見るような薄青い瞳、如何にも優し気に整ったお顔――エリックは、お姫様のような容貌の男性でした。
「そうすると、ご兄弟それぞれに性格が違うのね。同じ親から生まれても、性格なんて分からないものね――」
「あ、いや。違うんです」
エリックはあくまでにこやかに否定して言いました。
「上の4人は同じ母親から生まれましたが、フランシスと俺は違います」
「あら、そうなのね」
珍しい話でもないので、私も軽く頷きましたが、
「前の伯爵夫人だった兄たちの母親が亡くなってすぐ、父は今の母と再婚して、フランシスが生まれました。俺はそれから数年後、父が、どこからともなく、他所から連れてきた赤ん坊だそうです」
エリックの何気ない告白に、私はちょっと動揺して、ティーカップを持ったまま固まりました。他所から連れてきた――というフレーズに、心当たりがあったもので。
(それにしても――…)
脳裏には、従兄たちの「おつかい」で訪問した際にお会いしたことのあるリーランド伯爵の謹厳な細面が思い浮べられていました。
「…意外、です」
私のとても素直な感想に、エリックは苦笑するしかありませんでした。
 
おそらく、一昔前は、今よりもずっと、不義に対するハードルが低かったのでしょう。
本当によくある話なのだな――…そう思うと、自分の父に対しても、なんとなし諦めの心境になるのでした。

そんな私の心の内を知ってか知らずか、エリックはにこにこと話を続けます。

「今の伯爵夫人――『母』は、とても良い人で、寄る辺ない俺を気の毒に思ったのか、とても可愛がってくれました。俺が今、植物の研究をしているのは、土いじりが好きな『母』の影響も大きいんですよ」
「あぁ! リーランドのお屋敷は、本当に、本当に素敵よね――色彩と芳香と光輝に溢れていて、夢のようなところだったわ」
この春に訪れたばかりのリーランドのお屋敷の様子を思い出して、私は熱心に頷きました。

花々が織りなす色の波、草木の間を悪戯にそよぐ風、空気に漂う仄かに甘い香り、柔らかい木漏れ日が、石畳を敷いた小道に複雑な影を投げかけていて――…

「屋敷の壁を伝う古い藤が特に見事で――確か、あのとき、薔薇を株分けしてもらいに伺ったのよね」
「そうです。俺が交配した、あの薔薇ですよね」

あの薔薇、とは、「光」をイメージしたという、純白に薄っすら金が混ざったような、絶妙な色合いの薔薇でした。

「エトガルがそれはそれは喜んで。中々見ない色合いだと気に入って、書斎の窓から眺められるところに植えさせたのよ。でも、庭師のレーニエが困っていたわ…名前がまだ付いていないと伝えたら、ラベルが書けないって。――もう名前は決まりまして?」
「ええ。『ルシンダ』という名前を付けました」
柔らかく頷いたエリックの返答に、私は目を瞬きました。
その名は、そもそもが「光」を意味する名前でした。そして、
「そうです。――俺の『母』の名前です」
エリックはちょっとはにかんで、そう言い添えました。

なるほど、あの「光」の薔薇は、きっと初めから、リーランド伯爵夫人ルシンダをイメージして作られたものだったのでしょう――

そう指摘すると、
「6人もいて植物が好きなのはあなただけ、って、口癖のように言っていましたからね――…俺にしかできない贈り物を、と…」
照れ笑いに頬を染めながら、エリックは言い訳のように呟くのでした。

生さぬ仲の母と息子とはいえ、そこには、確かに「愛」というものの気配が感じられました。
そのことが、私にはとても嬉しく、なんだか無性に幸せな気持ちになって、エリックのティーカップにもう一杯、薔薇の紅茶を注いで、二人の間に育まれた「親子愛」なる、この目には見えぬ尊きものを、こっそり祝福したのでした。

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