第8話 私の祝詩式

文字数 2,850文字

冬も半ばになりました。
雪は絶えることなく降り続いて、久しく青い空を見ていません。

そんな中、予てより予定されていた私の祝詩式が執り行われる日が近づいてきました。
場所は、ファルケンブルク本邸の礼拝堂で、と決まりました。本来ならば、私の祝詩式は、前のファルツフェルド伯爵の娘として、ファルツフェルドの屋敷で執り行われるべきなのでしょうが、他ならぬファルケンブルク一門の総大将の強い希望で、このファルケンブルク本邸の礼拝堂を使うことになったのでした。

参列者は、フォルカーとバーバラの次兄夫妻、グウィネヴィア叔母とその息子たち、ライノールトとオーウィンのオークハイム兄弟、従兄たちの「弟」としてファルケンブルク本邸に居座って首都のベルクリースに帰らないシュテファンとエイリーク。
遠くの任地を離れられない末の兄のラグナルと、私とは微妙な距離感のある長兄一家は欠席の予定でした。
加えて、邸内の支局に勤めている軍人さんたちは皆、立会人として参列してくれることになっていました。
 
従兄たちは、数日前からファルケンブルク本邸に滞在しているグウィネヴィアと、当日の打ち合わせについて余念がありません。
「――どうしたものかしらねぇ。抱っこするのが決まり事といっても、もう赤ちゃんではないものね」
「いや、抱っこしますよ」
「――『弟』たちが妬くんじゃなくて?」
「『妹』のためなら、あいつらも我慢するでしょう」
「はいはい。それでは衣装は――…」
一族の長者によるそんな話し合いが行われていたらしい中、主役の私はわりと蚊帳の外で、シュテファンやエイリークと親交を深めていたのでした。

「いよいよ明日だな。――緊張しない?」
シュテファンが微笑んで私の髪に付いた雪を指で払いました。
「…少し」
答えた私は、少し考えて付け足しました。
「緊張するというよりは、何が起こるのかわからなくて、怖い」
「何が起こるのか教えてあげたいけど」 
シュテファンは思案気に顎に手を添えて、
「何しろ、祝詩式を挙げたときの記憶がなくて」
私は思わず笑ってしまいました。
シュテファンやエイリークが祝詩式を挙げたのは、きっと生後すぐのこと。
「覚えてるほうが怖いわ、それ」
クスクス笑う私に、シュテファンとエイリークは私の頭よりはるかに高い位置で顔を見合わせると、こう告げました。
「そういうわけで」
「俺たちも緊張している」
無表情といってもいいくらいポーカーフェイスのエイリークから「緊張」なんて言葉を聞いたので、私はちょっと驚きました。
「『緊張』という言葉が、あなたの辞書にもあったのね」
「――失礼な」
エイリークは眉間に深い皺を刻みました。その隣でシュテファンは肩を震わせて笑いをかみ殺している様子。
こんな風にして、私たち三人はお互いの緊張を紛らわしていたのでした。

そして当日――相変わらずの雪模様でした。
その日の午前中のうちに、オークハイム兄弟や次兄夫妻は到着していました。
しばらく歓談して、夕刻前、いよいよ辺りが暗くなり始めたころ、式は厳かに幕を開けました。
 
蠟燭の灯りのみに照らされて、石造りの礼拝堂の内壁が揺らめきながらぼうっと浮かび上がります。
私はといえば、生成色の、手の込んだレース編みのローブを着せられて、礼拝堂の左側の最前列に座っていました。
右隣にはエトガルとマティアス。左隣にはグウィネヴィアとバーバラ。
中央の通路を挟んで右側の最前列には、次兄のフォルカー、エイリークとシュテファン、ライノールトとオーウィンの順で座席に収まっています。
振り返れないので、後ろ側の座席がどうなっているのかは分かりませんでしたが、きっと支局の軍人さんたちが居並んでいることでしょう。

「――それでは、始めます」
エトガルが立ち上がり、心持ち後ろを振り返って宣言しました。それを合図に、私と同じ長椅子に座っていた三人が一斉に立ち上がりました。完璧に出遅れた私が慌てて立ち上がろうとするが早いか、
「えっ?」
突然の浮遊感に思わず声がもれました。
エトガルが私を抱き上げたのでした。否やをいう間を与えず、エトガルは私をしっかり腕に抱いたまま歩を進め、中央の祭壇で立ち止まりました。

「――ベオルクの年、ユルの月一日、ここに祝詩を奏上する――」

突然、礼拝堂に力強い声が響き渡りました。
エトガルの腕の中から視線を遣ると、その力強い声の持ち主はグウィネヴィアでした。どうやら祝詩の奏上とやらが始まったらしく、私は大人しくしているしかありませんでした。半ば混乱していたので、どんな言葉が奏上されたのか、詳しいところを聞き逃してしまったのが今でも悔やまれます。
時間にして一分間足らずだったでしょうか、祝詩の奏上が終わってホッとしたのも束の間、私の体はエトガルの腕からマティアスの腕に移されました。
祝詩親の四人はにっこり笑って私の顔を覗き込み、声を揃えて言いました。

「この娘の名前は――リリヤナ・クリステル・ローザ・レギーナ・アンゲリカ・アナスタシア・マルグリット・ゼレーネ」
 
拍手が巻き起こりました。
フォルカーは生真面目な顔のまま、エイリークとシュテファンはホッとしたような面持ちで、ライノールトとオーウィンは我がことのように嬉しそうに、そして顔なじみの軍人さんたちは心底微笑ましそうに、皆こちらを見て、パチパチと手を叩いています。
私はただ茫然とするしかありませんでした――色んな意味で。

こうして、肝心の主役がほとんど混乱している間に、私の祝詩式は幕を閉じたのでした。

ところで、祝詩式の後のお茶会で、私はこっそりエイリークとシュテファンにこう訴えたのを覚えています。
「名前、長くなった――…」
何も知らされていなかった私の愕然とした表情に、シュテファンはおろかエイリークまで爆笑して言いました。
「まぁまぁ。俺たちだって名前長いからさ」
「由来は聞いたか?」
「由来?いいえ、知らない」
すると二人は顔を見合せ、改めて私に向き直りました。
「まず、クリステルは、エトガルとマティアスの母親の名前。ローザは、二人の父親アーダルベルトが好きだった花から」
それではまるで私がファルケンブルク本家の娘のようだ――…密かに困惑する私をよそに説明は続いていきました。
「レギーナはエトガルが贈った。女王様のように」
「アンゲリカはマティアスが。天使のように愛らしく」
私は頭を抱えました――従兄たちの真っすぐな期待に潰されそうな気がして。
「そして、アナスタシアは――…俺たちが」
シュテファンとエイリークはちょっと照れたように頬を赤らめました。
「あ、ありがとう…」
「どういたしまして!」
シュテファンは嬉しそうに笑って続けました。
「マルグリットは、オークハイム一家から。真珠って意味がある。きみの誕生石だろ」
「ゼレーネは、『月』という意味だ。月は、この帝国のシンボルだ」
エイリークが愛想なく説明して、名前の由来についての講義を締めくくりました。

この日の祝詩式の瞬間から、私はこの――なんとも大仰な――名前と共に生きていくこととなったのです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み