第7話 冬の滞在者②

文字数 3,953文字

翌朝、昨夜の出来事が夢ではないことは、すぐに知れました。 
朝食を取りに階下へ降りていくと、なんと昨夜の白っぽい青年がそこにいます。
その青年は私を認めると、口の形だけでニコッと笑いました。
そしてもう一人、その隣で、こちらは金を紡いだような見事なブロンドと、サファイアのような青い双眸を持った神々しいほど美しい青年が、不機嫌そうな――いや、眠そうな?――顔で食卓に着いています。
驚きすぎて朝食室の扉で固まった私に、なぜだか喜色満面、上機嫌のエトガルが言いました。
「おはよう、リリ! 驚いているね。紹介しよう、この二人は――」
「――私たちの『弟』だよ」
にっこりと後を引き取って答えたのはマティアスでした。こちらもエトガルに負けず劣らず嬉しそうにしています。
「…弟、ですか?」
おかしな話でした。エトガルとマティアスの母上は、二人を生んですぐ亡くなったはずなのに、弟とは。
私の困惑を察したように、二人のそれぞれに美々しい青年たちは立ち上がって、
「シュテファン・フォン・グィノーです」
にこやかに私の手を取って優雅に口付けたのは、昨夜のピアノを演奏していた青年で、
「…エイリーク・フォン・ハルブルクです」
仕方なし、といった体で名乗って、右に倣えで私の手を取ったのは、彫像のように美しい青年でした。
「…ハルブルク。グィノー…」
私は眉を顰めました。弟を名乗るわりに従兄たちとは姓が違う、なんてことはこの際どうでもよいことでした。
その家名は世事に疎い私ですら知っていました。
ハルブルク。それは、この帝国を統べる帝室の家名でした。
そしてグィノーは確か、お隣のセルセティア大公国の、大公家の家名だったはず。
これはいったいどういうことでしょう――…
眉間に皺を寄せたまま、説明を求めて押し黙った私に、堪えられないといったようにエイリークを除く三名は爆笑しました。
「ほら、兄さん。可哀そうに、困らせちゃったじゃないですか。どうして初めから俺たちのことを話しておかなかったんですか」
「いや、驚かせようと思ってな」
「リリ、これはね。話せば長いことながら――」
取り成すように話し始めたマティアスの話は、驚くべきものでした。

それは、この二人が首都ベルクリースで生まれた、間違いなく帝室の皇子様で、彼らが3歳の頃からこの「中央」と呼ばれるロイシュライゼはライズソールのファルケンブルク本邸に預かって養育しているのだとかいう話でした。
「――私たちが17歳のとき、先代の当主だった父が亡くなってね。葬儀を終えて、爵位を引き継いだ旨を申し上げに御前に参上したら」
「両親を亡くした私たちがさぞかし寂しいだろう、との仰せで」
「気が紛れるだろうから、この子たちを連れて行かないか、と」
エトガルとマティアスの話がその行りに差し掛かると、シュテファンは俯いてクックと笑い声を漏らし、エイリークは相変わらずのポーカーフェイスでした。
「というわけで、俺たちは3つで、ここに引き取られたってわけです」
「――軍の施設はほとんどこの『中央』に集まってるって話は以前しただろう。幼年学校から士官大学までの少年期をどうせこちらで過ごすことになるのなら、こちらに家があったほうがいいとのお考えで」
「陛下も大公殿下も、そしてお妃様方もとても忙しい方だったから、小さい子をあまり構ってやれず、だだっ広い宮殿に世話係と放っておくのも気が咎めたようで」
それで貰ってきた、というのでしょうか。 
私が猫の子なら、この皇子様たちは丸きり犬の子のようにここに貰われてきたのらしい。
笑っていいのか、同情していいのか、それとも、この話をそのまま信じていいのか――…キツネにつままれたような表情の私に、部屋の男性たちは苦笑して、
「――さぁ、遅くなったが朝食にしよう」
正直、その日の朝食の味はよくわかりませんでした。

ともあれ、それが私と、シュテファンとエイリークとの出会いでした。
何の縁か同じ屋敷に引き取られた者同士、後に私たちは兄妹のように仲良くなったのですが、この時点ではまだお互いがお互いを観察中でした。
 
シュテファンとエイリークは19歳。二人とも冬の生まれで、夏の生まれの私より2歳半年長とのことでした。当時、二人は士官大学に在籍していて、このときは冬期休暇でファルケンブルク邸に帰ってきていたのでした。

従兄たちが中央の基地に出勤した後、私たちは季節外れの花の咲く温室でティーカップを手に語らいました。
「休暇中ということですけど――ベルクリースへは帰らなくてよろしいのですか?」
「ベルクリースなんて!」
シュテファンはおかしくてたまらない、とでもいうように吹き出しました。
「帰るとパーティー三昧、あんな面倒なところは嫌いだ」
きっぱりと言い切ったシュテファンに、あまり感情の起伏の大きくない質らしいエイリークも、このときばかりは同意を表して深く頷きました。
この国の皇子様としては問題発言な気がしましたが、これが少年から青年への過渡期にある彼らの本音なのでしょう。
「それよりさ。きみのことなんだけど」
シュテファンがやや逡巡の色を瞳に滲ませて、従兄たちがいた時よりは親しみのこもった口調で切り出しました。
私は彼の視線を受け止めました。明るいところで見ると、やはり彼の瞳は色素が薄く、透き通った紫水晶のような珍しい色でした。
「なんでしょう」
「――幽閉されて育ったと聞いた」
愛想のない声で単刀直入に切り込んだのはエイリークでした。
「ええ、まあ」
それは紛れもない事実だったので、私は頷きました。
「この時代にすごいな!屋敷の外に出ようとは思わなかったのか?」
「屋敷の外ですか――…」
私は思わずたかだか半年前までの生活を振り返って、そして苦笑しました。
「屋敷は、高い塀に囲まれていて、外など見えなかったんです。塀の中が私の世界の全てでした」
「まさか、外の世界があるって知らなかったのか?」
「まさか。…――8歳のとき、家庭教師が付くことになりました。その人が来るとき、窓から初めて屋敷の門が開くのを見て――気付いたんです」
「外の世界があるって?」
「いいえ。『ここって開くんだ』って」
「なんだそりゃ」
シュテファンは何とも言えない顔をしました。表情のあまり変わらないエイリークも限りなく微妙な面持ちです。
「――お父上は訪ねてこなかったのか」
「一度も」
二人は何も言えず、代わりに溜息を吐きました。
二人には言いませんでしたが、私は父の声も母の声も知りません。父は私を認知はしましたが、とうとう私に会わずに亡くなったので。母に至っては顔を知らぬのはもちろんのこと、先日ラグナルに会って初めて名前を知ったくらいです。
「きみを育ててた人たちって、今どこにいるんだ?」
「全員暇を与えたと聞きました」
「――その顔じゃ、寂しくもなさそうだね」
私は曖昧に頷きました。半年前まで暮らしていた屋敷では、私はとても丁重に扱われてはいましたが、それはとても事務的で、人間的な情を持って接された記憶は特になかったので。
今度は私が質問する番でした。
「本当に3歳からここにいるのですか?」
「ああ、そうだよ。――もっとも8歳で幼年学校の寄宿舎に入ったけど」
本心はどうあれ、こちらも特に寂しくもなさそうにシュテファンが答えました。
この二人は本当はどうしてここにいるのだろう、私はそう思いました。
さりとて、それを聞いても本人たちが答えを知っているとも限らない――私が質問を躊躇っているのを察したのか、シュテファンが何気ない口調で語り始めました。
「グンナル帝とレオポルト大公――俺たちの父親はね、先帝のアナスタシアが亡くなってすぐ結婚することになったんだ。アナスタシアっていうのは俺の祖母だ。アナスタシア女帝にはキルステンという一人娘があったが、従兄の息子も手許に引き取って育てていた――これがグンナル。エイリークの父親だ。アナスタシア女帝はキルステンではなく、グンナルに帝位を譲って亡くなった」
「何故?」
「単に資質の問題だと思うよ。キルステンは――俺の母親は、型破りな人だから。とてもじゃないけど国政なんか任せられない」
シュテファンは肩を竦めて先を続けました。
「話を戻すと――どうして帝位を継承してすぐにこの二人が結婚したか。早急に世継ぎが必要だったからだ。――果たして俺たちが生まれた。でも父親たちは継いだばかりの国のごたごたに手を取られて忙しい。そして母親たちは事情があって赤ん坊の泣き声などは煩わしいと来てる」
「事情…ですか?」
母親が自分の赤ん坊を厭う、というのがどうにもピンとこず、困惑顔の私にシュテファンとエイリークは大きく頷きました。
「マリアンジェラ妃――エイリークの母親とキルステン大公妃は、それぞれ声楽とヴァイオリンに傾倒していてね、彼女たちには赤ん坊の泣き声なんかは騒音だったのさ」
私はどんな顔をしていいか、分かりませんでした。
エイリークがシュテファンの後を引き取って続けます。
「彼女たちは――国の事情に従って結婚し、望まざるに関わらず、子を産むことを強いられたようなものだ」
「グンナル帝とレオポルト大公が、ファルケンブルクの『兄』たちに俺たちを預けたのは――せめてもの彼らの恩情だったと思っているよ」
そう言って頷きあっているシュテファンとエイリークでしたが、私には、二人がそういう風に思い込むことで無理やり自分たちを納得させようとしているようにも見えたのでした。

(色んな思いが、あるものだ――…)

真実はどうあれ、一つの事実に対するそれぞれの思いは、きっと千差万別なのでありましょう。
特に自分を不幸だと感じたことのない私ではありましたが、常にも増して、自分ばかりじゃないんだ――…という妙な感慨を得て、彼らの話に聞き入ったのでありました。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み