第16話 兄が連れてきた結婚相手

文字数 4,175文字

従兄たちと私の本邸での暮らしに、義理の――『姉』と呼んでもよいのでしょうか――2人の姉が加わりました。
最初は彼女たちに対し少し身構えていた私ですが、幸い、二人とも気立ての良い――率直に言わせてもらえば、かなり面白い――人たちで、私はわりとすぐ、この2人のことが大好きになりました。
スサンヌは華麗で、アリーセは可憐。
容姿も性質も対照的な二人でしたが、言葉を飾らないところは似ていました。

殆ど毎日、私たちはサルーンや温室でお茶を飲んで語らい、それは一見とても優雅なお茶会でしたが、私たちの口から出る言葉は直球そのもので、妻と従妹のお喋りをうっかり聞いてしまった従兄たちは、時には苦笑したり、時には震え上がったり――…
 
楽しく、和やかな日々でした。
私は波乱がすぐそこに迫っていることに、ちっとも気付いていませんでした。

それは突然、本当に突然、青天の霹靂のようにやってきました。
私が27歳になる直前、ソーンの年の春の終わり、実兄のラグナルが唐突に任地より帰還したのです。

いつも冷静な家令のセオドアから藪から棒な兄の来訪を告げられ、慌てて正面玄関まで駆けていった私。
息を切らせて出迎えた私の前に、抜けるような青空を背に、二人の軍服姿の男性が立っていました。
一人は実兄のラグナルで、もう一人は――誰でしょう。初めてお見掛けする方でした。

肩のあたりまで伸びかけた不揃いな黒っぽい髪に、同じ色の顎の無精髭が見るからにワイルドでした。印象的だったのは、青と緑を混ぜたような美しい色の目で、これといって難なく整った彫の深い顔立ちの中で、野性的な風貌を裏切って理知的な光を放っていました。
年のころはおそらく兄と同じくらい、40手前辺りでしょう。
 
「よーお、妹よ。久しぶり」
貴族にあるまじきざっくばらんな挨拶一つして、ラグナルは私に片手を挙げて見せました。
「おかえりなさいませ、ラグナル兄上。ご無事の帰還をお喜び申し上げます」
とりあえず形式に則って丁重な挨拶の言葉を述べた私のそっと促すような視線に、ラグナルは自らの左を振り仰ぎ、曇りのない笑顔でとても朗らかにこう言ったのでした。
「ああ。――こちら、ロアルド・グンヴァルトソン。俺の学友で戦友で―――お前の結婚相手だ」
時が止まりました。
一拍の静寂の後、

 「「はぁっ?」」

私と、ロアルド・グンヴァルトソンと呼ばれたワイルドな紳士は、同時に盛大に目を剝いたのでした――…

「年は俺と同じ! 階級は大佐! 顔良し性格よし初婚! 隠し子なし! ――どうだ、いい物件だろ?」
完全に固まっている妹を前に、その兄は、グンヴァルトソン大佐の美点を指折り数えつつ爽やかに言い募ります。
「いやいやいや、ちょっと待てお前――…」
辛くも先に衝撃から立ち直ったらしいグンヴァルトソン大佐が、ようやくラグナルの肩を掴み、正面玄関の端の方に力づくで引きずっていきました。

「『妹に紹介したい』ってそういう意味か…!」
「お? 逆にどういう意味だと思ったんだ?」
「『家近いからちょっと寄ってこうぜ』で伝わるか、アホ!」
「えーそうか?」

玄関が吹き抜け式のホールになっているのがいけないのか、それとも、筋金入りの軍人な彼らの声が大きすぎるのか、会話が丸聞こえなのが悲しいところでした。
「なに、イヤなのお前?」
心外です、とでも言いたげに鳶色の目を丸くしたラグナルのストレートな言葉に、グンヴァルトソン大佐はちょっと言葉を失い、続く言葉を躊躇うように一瞬だけ私の方を振り返りました。
「可愛いぞ? 俺には似てないが」
ラグナルが追い打ちをかけます。
「いや、お前に似てないのは美点だ」
グンヴァルトソン大佐はきっぱりと言い切って、
「とにかく! 展開が、急すぎる―――!」
と、鬼の形相で異議を申し立てたのでした。

それについては、私もまったくの同感でございました――…

結局、グンヴァルトソン大佐は――彼のせいではあるまいに――非礼を丁寧に私に詫びて、屋敷に立ち入ることなく帰っていきました。

グンヴァルトソン大佐がお帰りになった後、尋問を受けたのは兄のラグナルでした。
姉たちはあの大騒ぎの一部始終を、玄関ホールの階上からこっそりお聞きになっていたのでした。

「どういうことなの、ラグナル。グンヴァルトソン大佐――…って言ったわよね。あまりこんなことは言いたくないけれど――お名前から察するに、彼は、貴族ではないわね」
スサンヌが厳しい表情でラグナルに詰め寄ります。
一方のラグナルは飄々とした態度でお茶を啜っています。
「――ラグナル様、貴族の称号はなくとも、素晴らしい方が数多いるのは理解しています。ですが――…貴賤結婚をすれば、宮廷で行われる年間の行事から締め出されてしまいます。他ならぬ、あなた様のお妹御のことなのですよ」
アリーセは嘆願口調でラグナルを思い直させようと必死でした。
「…うーん。なにか誤解があるようですね」
のんびりとお茶を飲み終わったラグナルがようやく口を開いて言うことには、
「グンヴァルトソン大佐は貴族ですよ。レスキーリアン家の人間です」
「! あの、イザールの?」
スサンヌが柳眉をはね上げました。
「そうです。イザールの東半分を支配する、とか言われている家柄です。――文句ないでしょ?」
「いえ! ちょっと待って…。それでは、どうしてグンヴァルトソン大佐はレスキーリアンを名乗らないの?」
「ふむ」
ラグナルはティーカップを持ったまま、ちょっと天井を仰いで答えました。
「――イヤだから、ですよ。レスキーリアンを名乗るのが」
そんな説明でスサンヌとアリーセが納得するはずもなく、二人は黙って続く言葉を待っています。ラグナルは少し苦笑しました。
「――グンヴァルトソン大佐は庶子で、屋敷の外で育ったんです。俺と同じで、10の頃くらいに育ての親と引き離されて、屋敷に引き取られたそうで。腹の違う兄姉に囲まれて苦労したんでしょうね。思うところがあって、レスキーリアンを名乗りたくない、と」
「庶子…」
眉を顰めてラグナルの説明を聞いていたスサンヌは、益々、眉間の皺を深くしました。アリーセも難しい表情です。
私はといえば、先ほど会ったばかりの、あのワイルドながら礼儀正しい紳士を思い浮かべて、ひたすら同情していたのでした。
(ラグナルが私と結婚させるなどと言わなければ、こんな無遠慮に生い立ちを暴かれることもなかったでしょうに――…)
本当にお気の毒な話でした。
しかし、スサンヌとアリーセも、ラグナルの暴挙から私を守ろうと必死なのです。
何しろ傍若無人なこの兄のこと、のんびり事態を静観していると、今にも私の手を取って礼拝堂の祭壇の前に引っ張っていきそうなので。
「庶子がいやとは言わせませんよ。俺たちだって庶子だ」
「それはそうなのだけれど」
スサンヌは言いにくそうに言葉を濁しました。そして、溜息をついて続けます。
「…私はね、リリには、いわゆる『立派な結婚』というものをして欲しいの。――勘違いしないで、グンヴァルトソン大佐は立派な人よ。でもねぇ――…所領もない、爵位だってナイト爵しかない、後ろ盾も不安定な男性に、可愛い妹をやりたくないのよ」
私が庶子だからこそ、誰に後ろ指をさされることのないように、曇りなき経歴の人間と結婚させたい。
義理の従妹を守りたい――というスサンヌの気持ちは本物で、私はグンヴァルトソン大佐云々よりも、姉のそんな気持ちにちょっと心打たれました。
「あの…このお話は一旦やめにしませんか? エトガルやマティアスの意見もあるでしょうし」
アリーセが控えめに、不穏な方向に流れつつある話題に終止符を打ちました。スサンヌもそれに乗っかります。
「そうしましょう! ずっとリリを守り育ててきた、育ての親の意見も聞かなければ――…」
何事か物言いたげなラグナルを残して、お茶会という名のちょっとした諍いは一時休戦となったのでした。

その夜、エトガルとマティアスが帰宅した後、私たちは湯気の立つコーヒーを手に、サルーンへ集まりました。
男性陣が思い思いの場所に腰を下ろすなか、私の両脇は、スサンヌとアリーセが守るようにしてがっちり固めています。

「――で。スサンヌから話は聞いている。グンヴァルトソン大佐とリリを結婚させたい、と」
重苦しい沈黙を破って口火を切ったのはエトガルでした。
「なるほど、グンヴァルトソン大佐か。彼は立派な人物だ。それは認めよう」
エトガルの慎重な言葉にマティアスも頷きます。
「此度の戦功を称えて、今度の夏至祭に叙勲されるとか。そのときに爵位ももらうそうだね」
「確か――『ミュルダール伯爵』位、だったか」
訳知り顔で冷静に頷き合う従兄たち。
「なんですって! ラグナル、それならそうと、どうして早く言わないの!」
「言おうと思ったら話打ち切られたんですよ! ――ほらね、俺だって何も考えてないわけじゃないんだ」
スサンヌとラグナルが小競り合いを始めました。
しかし、エトガルとマティアスの耳には二人の喧嘩なんぞ耳に届いていないようで、
「しかし――…しかしな。結婚、結婚か…」
「いや、分かるよ。リリも年頃だし、そういう話が出るのは」
従兄二人は揃って遠い目をし、
「しかしイザールは―――遠い」
揃って、がっくりと肩を落としたのでした。
「あの…」
鈴を転がすような声が遠慮がちに割り込みました。
スサンヌとラグナルは喧嘩を止め、エトガルとマティアスは感傷を絶って声の主を見ました。
皆の視線が集まるのを待って、アリーセが言いました。
「ずっと思っていたのですけれど。――リリヤナの意見は置き去りになっていませんか」
室内が沈黙しました。思い当たるところがあったのでしょう。
4対の視線が一斉にアリーセから私へスライドしました。
急に意見を求められた私はどぎまぎしながら、正直な胸の内を答えました。
「あの、会ったばかりの方と結婚と言われても、正直ピンときませんが――…グンヴァルトソン大佐は、素敵な方だと思います」
何よりも、あの青緑の眼。
森林の中の湖のような瞳がとても印象的で、私はひそかにもう一度覗いてみたいと思っていました。
この返答に力を得たのはラグナルで、
「よし! 善は急げだ。もう一度あいつ連れてこよう! んで、決めちまおう!」 
コーヒーカップを放って立ち上がり、夜分だから――…と、総員から窘められたのでした。
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