第18話 ロアルド・グンヴァルトソンとの結婚

文字数 3,295文字

そのソーンの年の夏至祭に、グンヴァルトソン大佐は准将に昇進し、「ミュルダール伯爵」に叙爵されました。
「ミュルダールって、どの辺りですか?」
年継ぎに備えて滞在していた首都ベルクリースの宮殿で、私は姉たちに問いました。
「イザールの真ん中にある、渓谷のあたりよ」
「霧深いところだと聞いています。牧畜が盛んですが、土地が肥えているのか、周辺では小麦も育つようですよ」
「――本当に、あの御仁と結婚するつもりなの?」
スサンヌはため息を吐きました。
「イザールはここからは遠いわ。首都からも離れてる」
イザールは帝国の北西に位置する島国で、首都や主要な都市のある大陸から少し離れていることもあり、辺境とされていました。
帝国の「中央」であるロイシュライゼからも当然遠く、姉たちには、今となってはグンヴァルトソン新准将がどうと言うより、その距離が気になっているようでした。
「まだ結婚すると決まったわけではありません」
私は笑って首を振りましたが、
「でも――…」
尚も物言いた気な顔で言い募ろうとするスサンヌを、アリーセが静かな諦念の面持ちでそっと押しとどめました。

グンヴァルトソン准将が訪ねてきたのはその夜、夏至祭も終わり、年継ぎまであと数日という初夏の薄明りの中でした。
色んな人間のごった返す年継ぎ前の宮殿内で話すのはためらわれて、私たちは白夜の薄明りの中、庭園に出ていきました。
「――准将に昇進されたそうで、おめでとうございます」
庭園の不思議な形の刈り込みを眺めて歩きながら私がそう言うと、
「どうも」
グンヴァルトソン准将は短く答えました。
「それから、ミュルダール伯爵にもおなりとか――」
「ええ、まあ」
「…あまり嬉しそうではありませんね?」
私は首を傾げて、グンヴァルトソン准将の美しい青緑色の瞳を覗き込みました。
「――正直、辞退してやろうか、とも思っていました」
「まあ、どうして?」
「レスキーリアンの家の父に対する、当てつけですかね」
少しばつが悪そうにグンヴァルトソン准将は言いました。
「あらまぁ」
笑いながらも、同じ庶子として私にはその気持ち、少しわかる気も致しましたね。
「どうして、辞退することを諦めましたの?」
「それでは、建設的ではないと思い直したからです」
「建設的、と申しますと」
グンヴァルトソン准将は大きく息を吸い込みました。
「あなたに、結婚を申し込むために――」
半ば分かっていたことでしたが、実際にグンヴァルトソン准将の口からその言葉を聞くとやはりちょっとした衝撃で、私は一瞬言葉を失いました。
「これまでは、不幸になって思い知らせてやる、と、そう思っていました。――あなたに会って気が変わった。初めて思ったんだ。幸せになってやる――と」
だから、とグンヴァルトソン准将は続けました。
「結婚、してください」
「あなたのお父上を見返すために、ですか」
「いいえ」
グンヴァルトソン准将は即答して、
「私とあなたが、幸せになるために」
そう言い切りました。

一人の人間の、呪縛ともいえるべきトラウマからの解放、という劇的な場面に立ち会った私は、プロポーズそっちのけで猛烈に感動しておりました。
何より、彼が前向きに人生を生きる気になったのが嬉しかった。

「大切にします。リリヤナ。――愛しています。あなたが、私の目を覗きたいと言った、その日から」
「――お受けします」
 
こうして私は、ロアルド・グンヴァルトソンの妻となることを決めたのです。

さあ、それからが大変でした。
実兄のラグナルはともかく、先日の口ぶりでは好感触だったとはいえ、ファルケンブルクの総大将である従兄たちの了承を得なければいけません。
他に、私の異母兄たちの賛同も得なければいけないでしょうし、4人いる姉たちもここぞとばかりに口を挟んでくるでしょう。
 
グンヴァルトソン准将はプロポーズへの承諾を得たその足で、従兄たちの許へ向かいました。そこで、話し合いといくつかの取り決めが行われたのだそうです。その後、年継のために宮殿に滞在していた異母兄や姉たちも全員その場に集められ――…

どういった雲行きになっているのか心配で眠れずに待っている私の許に、グンヴァルトソン准将が姿を現したのはやっと明け方でした。
ファルケンブルク一門との話し合いに疲弊したのか、少しやつれたように見える准将は、私の姿を認めると、青緑色の目を細めて笑みを刷いてみせました。

――それが答えでした。
 
私たちの結婚は許されたのです。
 
「ただし、いくつかの条件を頂いた」
「どんな?」
お好みだという強いお酒をグラスに注いで労いながら、私は聞きます。
「まず、俺は『中央』の勤務になる。それは准将に昇進したときから予定されていたことだから問題はないんだが――…『中央』に勤務するにあたり、ファルケンブルクの本邸内にある城館の一つを結婚の祝いに下さるそうなので、未来のミュルダール伯爵夫妻は婚礼後はそこに住まうように、と――」
「まさか、受けたの?」 
目を丸くする私に、グンヴァルトソン准将はちょっと肩を竦めてみせました。
「可愛がっている従妹を手放したくないと目を赤くされて。――あなたも、可愛がってくださっている家族の近くにいる方が心強いかと思ったんだ」
「それじゃ、ミュルダールの所領はどうなるの?」
半ば以上、辺境の島国イザールに移り住む覚悟を決めていた私は、すっかり拍子抜けです。
「軍人として『中央』に赴任することが決まっている以上、今すぐには移れない。領地には差配人を置こう。――まぁ…将来的には、いつかは帰ることになるだろうが…」
グンヴァルトソン准将はそう言って、少し心配そうに私をちらりと見ました。
私が平静な顔をしているのを見ると、准将は安堵の吐息を小さく漏らし、手に持ったグラスをテーブルに置きました。
「とりあえず今は、こんな色気のない話はやめよう」
太い腕を伸ばして強い力で私を抱き寄せると、グンヴァルトソン准将は私の瞳を覗き込みました。
ちょっと不安そうな顔をした自分が、青緑色の彼の瞳の中に映っています。
グンヴァルトソン准将は苦笑交じりに微笑して、そのまま、そっと私に口づけました。
それは優しい口づけでした。
思わず彼の厚い胸板にうっとりと体を預けた私の肩を、グンヴァルトソン准将はそっと引きはがし、
「ダメだ。今日はこれ以上は――なし崩し的にそんなことをしたくない」
「意外とロマンティストなのね」
私は苦笑して、
「それでは、結婚式の日まで?」
もう一度グンヴァルトソン准将の逞しい胸板に頬を寄せながら聞きました。
「そこまでは我慢できる自信がないな…」
まったくグンヴァルトソン准将とは、大変正直なお方なのでした。

それから数日後、ソーンの年の最終日、ダエグの15日、年継ぎの日に私たちの婚約が発表されました。
何故、婚約の発表をこんなに急いだのか――それには理由がありました。
実はダエグの15日は私の誕生日なのですが、陛下方は「誕生日」にかこつけて、私にプレゼントを贈りたかったのだそうで――…
そのプレゼントとは、私とロアルド・グンヴァルトソンの結婚に際し、私たちはレスキーリアンの家名を使用せず、ミュルダールを家名として名乗ってもよい、という勅許でした。
この異例の決定には、従兄や兄の執り成しがあったことは間違いありませんでした。

年が継がれて、新たにアンスールの年となり、夏が過ぎ、秋が来、冬を迎え、また春がやってきました。

その日は、アンスールの年の春祭り、ベルカナの7日でした。
私たちの婚礼は、イザールはミュルダールの谷間の、古い城館で行われました。



  ミュルダール伯爵     
  ロアルド・アグナル・モゾルフ・グンヴァルトソン
  ファルツフェルド伯爵令嬢 
  リリヤナ・クリステル・ローザ・レギーナ・アンゲリカ・アナスタシア・マルグリット・ゼレーネ・フォン・ファルケンブルク
                                          
 ――女神ヴァールの名において、ここに契りを交わすことを、誓う
                                          』
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