第4話 パウル大叔父の葬儀 ―ライノールトとオーウィンとの出会い―

文字数 4,531文字

私がファルケンブルク本邸に引き取られたその年の晩秋のことでした。
その日、従兄たちは何事か慌ただしい様子でいつもより早くお帰りになり、出迎えた私にいつになく青白い顔を向けて言いました。
「リリ――すぐ支度しておくれ。パウル大叔父が亡くなられたそうだ」
パウル大叔父、と聞いても私には誰のことだか分かりませんでした。ただ、エトガルとマティアスの様子から、近しい人が亡くなったのだろう、ということだけは理解しました。
困惑を素直に面に出せずにいる私の心情に気づいたのか、マティアスは少し微笑んで、
「パウル大叔父というのは、私や君の祖父の弟にあたる人だよ。ブランレックスという所領と伯爵位をお持ちで、そのブランレックスはここからはかなり遠い」
「飛行機で移動することになる。2時間後には専用機を用意させるから、支度を急ぎなさい」
エトガルが後を引き取って促しました。
私は頷いて自室に引き上げ、侍女のミレーナを呼びました。何しろ、これまで公の場に出ることを許されなかった身故、何から支度してよいのかわからなかったのです。
ミレーナは世慣れた40代半ばの女性で、私の話を聞くとすぐさま荷を整えてくれました。
「喪服というと黒と思われるかもしれませんが、近い親族の方は白い喪服を着るのが習わしです」
2時間後、私は大きな荷物とともに、従兄たちに伴われて機上の人となっていました。

2時間程で到着したブランレックスという地は、どうやら平原の地のようでした。宵闇に目を凝らしても高い山々などは見当たらず、せいぜい丘陵があるくらい。常に山々が目に入る土地で暮らしていた私には珍しい光景でした。
広い森を抜けて開けた丘陵地の奥にブランレックス伯爵邸はありました。
確か時刻は午後9時を回ったところ、夜半でしたが屋敷の灯りは煌々としていて、案内されて正面のホールを抜けると、白っぽい砂色の髪を綺麗に結い上げた50代くらいの小柄な女性が出迎えてくれました。
「グウィネヴィア!この度は――」
鎮痛な表情で言いかけたエトガルを遮って、
「はい、遅くに遠くよりご足労頂いてご苦労様。お久しぶりね、お二人とも。――それで、この子が…?」
グウィネヴィアと呼ばれた女性は従兄たちにチャキチャキと挨拶を返して、視線をそっと私に向けました。労わるような視線でした。
「こんばんは。話は聞いているわ。あなたが――ラグナルの妹ね。ようこそブランレックスへいらっしゃいました」
グウィネヴィアは私にはにっこりと華やかな微笑みを向けると、エトガルとマティアスに視線を移し、
「可愛い子じゃないの。あなたたち、どうしてもっと早く見せに来なかったの」
「いや、その、グウィネヴィア――…悪かったよ」
「紹介が遅れてしまったことをお詫び申し上げます…」
いつも堂々たる態度の従兄たちも、この女性にはたじたじのご様子でした。
「改めて――グウィネヴィア、こちらがリリヤナ。ラグナルの妹で、私たちの従妹だ」
「それでリリ、こちらの女性がグウィネヴィア。パウル大叔父様の娘で、私たちには叔母上だ」
「はじめまして、グウィネヴィア叔母様――…」
ぎこちなく挨拶した私に、グウィネヴィアはもう一度華やかな微笑みを向けると言いました。
「遠路をお越しでお疲れでしょう。部屋を用意してあるからお休みなさいな」
そして従兄たちを振り返り、というよりは、身長差も手伝ってほとんど振り仰ぐ体勢になってこう告げられました。
「葬儀は2日後よ。遠方からの参列者を待たなくちゃいけないから」

宛がわれた部屋は、主の人柄を表すがごとく、見るからに居心地良さげに整えられていました。
私はとりあえずシャワーを浴び、ベッドに横になろうとしましたが、知らぬ場所に気が立っているのか、眠れそうにありませんでした。
ベッドの中で何度か寝返りを打った後、私は眠ることを諦めてベッドを抜け、窓から外を眺めました。
この日も月の綺麗な夜でした。
月明かりに照らされて、遠くの丘陵が輝いて見えました。
(綺麗な土地――…)
妖精はきっとこんなところに住んでいるに違いない。そう思いました。そう思うと、もっとよく見てみたくなって、私は忍び足で部屋を抜け出し、外へ続く道を探しました。
とはいえ、階下は弔問客でごった返している気配。下に降りるのは無謀でした。
人目を避けながら薄暗い廊下を行き過ぎ、外の空気を探して歩くと――大きなバルコニーのようなところにたどり着きました。
扉に鍵は掛かっていませんでした。重い扉を大きく開け放し、私は外に滑り出ました。
「わぁ――…!」
バルコニーの四方には松明が掲げられ、頭上に見える物見塔の上には半旗が翻っていました。
そんな物々しい雰囲気とは裏腹、視界に開けた光景は、幻想的ともいえるほど美しく、私は一瞬で心を奪われました。
冷たい外気を物ともせず、私はしばらくの間、月明かりに照らされた丘陵を見つめていました。
どのくらい時間が経ったでしょう。
カツカツと硬い足音が聞こえ、ハッと我に返った私が焦るが早いか、
「――?誰かいるのか?」
背の高い男性が扉をくぐって入ってきました。月明かりを受けて暗い色の金髪がキラキラと光りを散らします。
「女の子?」
まだ若いその男性は、つかつかと大股で近寄ってきて不思議そうに私を覗き込み、
「うん?もしかしてきみが――ラグナルの妹?」
突然のことに私は声が出ず、後ずさって頷きました。
「そうかそうか、噂には聞いていたが――あ、驚かせたかな。俺はライノールト。君の――又従兄になるのかな。よろしくね」
「よろしく――…」
呟きながら、私は目の端で退路を探しましたが、出入り口の扉への道はまさしく目の前のライノールトが塞いでいました。友好的な態度の好青年とはいえ、こんな暗闇で見知らぬ男性と二人きりになった私はパニックでした。
(最悪、飛び降りるしかない――…)
私の思いつめた表情から考えを悟ったのか、
「もしかして、俺、怖がらせてるかな」 
ライノールトは頭を掻いて一歩下がってくれました。そこへ、
「ライノールト?――誰かいるのか?」
ライノールトよりもっと淡い金髪の――残念なことにこれもやはり男性、が、控えめな足音とともにバルコニーの扉を潜りやってきました。
「ああ、オーウィン」
心なしかホッとした様子のライノールトに、オーウィンと呼ばれた男性は物問いたげな視線を向けました。
「――この子は…?」
「ちょっと待て、オーウィン。――リリヤナ。えっと、きみ、リリヤナでいいんだよね?
こちら、オーウィン。俺の弟で、やっぱり君の又従兄だ」
「兄さん、ちょっと待って。そんなことよりこの子、怖がってる」
オーウィンは冷静に兄に指摘し、
「部屋に帰りたいんじゃないかな。――どうぞ、通っていいよ。部屋までの道はわかる?」
私はこくこくと頷いて、急ぎ足で二人の前を通り過ぎ、二対の視線に見送られながらバルコニーを後にしました。
そのまま小走りでどうにか自分の部屋へたどり着き、ようやく安全なベッドに潜り込んで一息ついたのでありました。
これが私と、終生私に優しかった又従兄たちとの出会いです。

翌日、弔問客の切れやらぬブランレックス邸に、次兄フォルカーの妻、黒髪のバーバラがやってきました。
「――グウィネヴィア。この度は…」
「バーバラ。お久しぶりね。来てくださってありがとう――…」
グウィネヴィアとバーバラは抱き合って再会を喜び、しばらく親し気に言葉を交わした後、
窓辺に所在なげに佇んでいる私を同時に振り返りました。
「可愛らしい妹ができてよかったわね」
「ええ、本当に。本当は私の手許に置こうと思ってましたのに」
「フォルカーがダメだと言ったの?」
「いいえ。そうではなく、エトガルとマティアスが一目惚れして連れて帰ったのよ」
「まぁひどい」
どこまでが本当でどこまでが冗談かは分かりませんでしたが、女性二人は顔を見合わせてコロコロと笑い声をあげました。

様々な血縁だとか血縁ではない人間に引き合わされて疲れ切った一日の終わり、無意識に静寂と平安を求めたのでしょう、私の足は性懲りもなく昨夜のバルコニーを目指していました。
バルコニーへの重い古木の大扉を体で押し開けるようにして滑り込むと、果たしてそこには人影があって――…
「やあ。――待ってたよ」
「…きっと来ると思って」
空にぽっかり浮かんだ月を背負うように分厚い石の手すりにもたれて立っていたのは、ライノールトとオーウィンの兄弟でした。四隅に掲げられた松明の炎が二人の金髪に跳ね返ってチラチラと暗闇に光を散らしています。 
「おっと。逃げてもいいけどできれば逃げないで」
反射的に踵を返そうとした私に、ライノールトは茶目っ気を滲ませつつ言いました。
「帰りたければいつでも帰っていいよ。道は開けておくから。――でも一つだけ教えてくれ」
対照的に真摯なオーウィンの視線が私を射抜きました。
「…なんでしょう」
「どうして、ここから外を眺めていたのかって」
どうして、と、改めて問われて、私は考えました。考えましたが、適切と思われる返答は何も浮かばず、咄嗟に口をついて出たのは、
「…妖精が――踊っているんじゃないかって」
この返答にライノールトとオーウィンは笑いませんでした。
「なるほど?そこの丘陵で?」
「――それで妖精は見えた?」
「…いいえ」
ライノールトとオーウィンはゆっくりと私に背を向け、そろって眼下の丘陵を見下ろしました。
「…俺たちの家名はオークハイムっていうんだ。ファルケンブルクじゃなく。母のグウィネヴィアがオークハイムに嫁いだから。父はダンウィック伯で、所領もその辺り」
藪から棒に語り始めたのはライノールトでした。
「ダンウィックっていうのはここからかなり北へ進んだところにある。父は俺たちがまだ幼児の頃に亡くなってね、そこで俺たちは、この祖父の住むブランレックスとダンウィックを行ったり来たりして過ごした」
ライノールトは私を振り返って少し寂しげな笑顔を見せました。
「俺も思ってたことがあったよ――この丘陵には妖精がいそうだって。父を亡くしたばかりの頃で、とても辛くて寂しかった」
言いながらライノールトは私に向かってそっと一歩を踏み出しました。
「――きっと君もそうなんじゃないかなって」
言いながらまた一歩。近づいてきます。
「寂しくて、辛いよな。自分の意志とは無関係に、人も環境もコロコロ変わって――」
その言葉に聞き入っているうち、気が付くとライノールトは私のすぐそばまで来ていました。
「…捕まえた」
ライノールトがそっと私を腕の中に抱きしめたとき、私は静かに涙を流していて、指で頬を拭われて初めてその事実に気づいた私は狼狽しました。
「いいよ、泣いちゃえ。――誰も見てない」
「――苦しかったね」
いつの間にかオーウィンが傍に来て背中をさすっていてくれました。
オークハイム兄弟に慰められて月の下でひとしきり泣いた後、気恥ずかしくもありつつ無性にすっきりした心地で私は顔を上げました。
「――もう、大丈夫です」
「そうか。――明日は葬儀だけど」
「なにかあったら俺たちを頼って」
「…ありがとう」
頼もしい味方を得た私は翌朝の大叔父の葬儀へ向けて、不安は残りつつも、半ば勇敢な気持ちでバルコニーを後にしたのでした。

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