第11話 邸内支局の人々② オルモンジュ家の話

文字数 2,263文字

邸内支局の責任者、愛すべきアンデルス・フォン・グランツシュタットの士官大学時代の同期に、バルドゥウィン・フォン・オルモンジュという軍人さんがいました。
バルドゥウィンは、邸内支局に常駐しているアンデルスとは違い、毎日支局に来ているわけではありませんでしたが、わりと頻繁に姿を見かける人の一人でした。
艶々とした黒髪に、碧い目の――男の人を形容するには微妙な言葉かもしれませんが、ちょっと色っぽい感じの人でした。
もう一人、この二人の同期に、コンラート・フォン・ベルリヒンゲン=ノイシュデールという人もあって、この人は骨太の大柄。こざっぱりした短髪のブロンドにブルーグレイの双眸で、見るからに育ちの良さそうなおっとりした人です。
この同期の三人は大変仲が良かったのでした。

今日はこのバルドゥウィンの生家、オルモンジュ家の話を致しましょう。
オルモンジュ家は、北はユークレイの中ほどに所領のある家で、家名と同じ「オルモンジュ」という伯爵号をお持ちでした。
バルドゥウィンは次男で、その当時のオルモンジュ家のご当主は、彼の6つ年長の兄、フィリップという方でした。

さて、このフィリップという名のまだ若い伯爵には、ニクラス、アクセル、ピア、イダ、エメリックいう5人の子どもがありました。
叔父であるバルドゥウィンに拠ると、
「ニクラスは繊細で慎重、アクセルはやんちゃで直情径行、ピアはおっとりしていて、イダは悪戯っ子、エメリックはマイペースな愛想良し」
だそうです。
 
これは、まだ上の二人が小さかった頃のお話です。
 
ある日、その冬初めての雪が降り、翌日には深く深く積もりました。
そうなると雪遊びしたくなるのが子どもの常で、小さい男の子たちは、歓声を上げて真っ白い庭に駆け出したのだそうです。
「そのとき、兄は3階から、庭を駆け回るニクラスとアクセルを眺めていたそうです。子どもは元気だなぁって」
「初雪は子どもには魅力的ですものね」
はるか昔を思い出し、私は微笑んで相槌を打ちました。
「兄は、しばらく机に向かって仕事をしていて、急に泣き声が聞こえたもので、下を覗くと、ニクラスが大泣きしていて、赤く染まった雪の上にアクセルが倒れている」
「えっ!」
「兄は、大慌てで階段を駆け下りて、庭へ飛び出しました――すると」
そこにいたのは、相変わらず大泣きしているニクラスと、口と胸元を真っ赤に染めてニコニコしているアクセル。
「ジャムの壺をね、雪の上にぶちまけて、食べていたんですって」
緊張一転、私は爆笑しました。
「お兄様、さぞかし驚かれたでしょうね…!」
「兄はあまりに驚きすぎて怒る気もしなかったと言ってましたよ」
「それで、ニクラスくんはどうして泣いていたの?」
「そんなことをすると叱られる、って。ニクラスが必死に止めたのに、アクセルが全然聞かなかったそうで」
バルドゥウィンは肩を竦めました。
典型的な「兄」と「弟」の関係性に、自身も何やら覚えがあるような表情です。
「――それは気の毒に。結局叱られなかったのなら、泣いただけ損したわね」
「アクセルが叱られた話もありますよ。聞きますか?」
「ええ、是非」
「アクセルが4つの頃の話です――」

その頃、兄のニクラスは7歳で、そろそろ軍の幼年学校に通う準備の一環として、サーベルの稽古を始めたのだそう。

「アクセルには、それが羨ましくて仕方なかった。しかし、刃物は危険ですからね。兄も厳しく言って、アクセルが真剣はおろか、模擬刀にも近づけないようにしていた。そこで――」

あろうことか、小さなアクセルは屋敷の厨房に入り込み、

「包丁をね、料理人の手から取り上げてしまったんです」

相手が幼児とはいえ、心得がなければ、自分も怪我をせず、相手にも怪我をさせず、刃物を取り上げるのは難しい――

「直ちに兄が呼ばれ――…兄は、アクセルの手から包丁を取り上げると、まずアクセルの腕を少し切り、次いで自分の腕を深く切りました」

父親の腕から吹き出した赤い血を見て怯え、泣きじゃくるアクセルに、フィリップはこう言ったそうです。
 
『人は傷つけば痛いし、ひどく傷つけば、もう二度と動かなくなってしまう。
 お前がさっきやろうとしていたのは、こういうことだよ。遊びで済まされることではない。分かるな?
 それでも、私たちが武器を取って戦うのは、互いに守りたいものがあるからだ。何もしていない、何も持っていない人間に、刃物を向けるなんて、決して許されることではない。
 サーベルも、包丁も、銃も、人間の身体もおもちゃじゃない。一度失われた命は決して戻ってこないし、傷だって身体に残る。悪ければ、一生消えない。
 お前が人を傷つける時というのは、誰かを守りたい時だけで、自分も同じくらい相手から傷つけられる可能性がある時だけだ』
 
そして、こう締めくくったのだとか。
  
『次、同じことをしたら、その時は、私がお前の腕を切り落とす。――嘘じゃない。二度とサーベルを持てなくするために。奪うためや遊びで剣を振るう人間は、この国には必要ない』

思いがけず壮絶なエピソードを聞かされ、しばらくの間、私は言葉が出ませんでした。
(…もっと可愛らしく叱られた話を、期待していたのですけれど)
しばしの微妙な沈黙の末、私にはこう言うのがやっとでした。
「…――これはまた、随分激しく叱られたお話を聞かせてくれましたね」 
「良い父親でしょう?俺の兄は」
バルドゥウィンはニヤリと笑って、そんなことを言うのでした。
今後、彼から話を聞くときは、絶対に油断しないようにしよう――そう心に決めた私なのでありました。
 
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