第10話 邸内支局の人々① ブランフォーレ家の話

文字数 1,966文字

邸内の支局に勤めている軍人さんの中に、リカルド・フォン・ブランフォーレという人がいました。
歯に衣着せぬ物言いをする人でしたが、とことん悪気がなく思ったままのことを言う性格のため、嫌みなどは感じませんでしたね。
濃茶よりも暗い色の髪に、狼のような灰色の目をしていて、その瞳は野生動物のように鋭く、鮮やかな印象を残して、中々魅力的でした。
これは、そんな怖いものなしのリカルドのお話です。

リカルドが生を受けたブランフォーレ家は、ユークレイの辺境に位置する伯爵家です。
ですが、大変不幸なことに、伯爵夫人だったリカルドのお母上は、彼が10歳になる直前に失踪し、お父上もリカルドが士官大学に在籍中に亡くなられたのだそうです。
まだ18歳だったリカルドは――伯爵位を継ぎたくない、と駄々をこねて、結局、そのときは、リカルドの士官大学卒業までという条件を付けて、リカルドの2つ上の姉君ソフィアが、女伯爵として中継ぎ的に爵位を引き継いだのだとか。

ところが――
 
「あれは、俺が士官大学を卒業する前の、冬の休暇のことでした」

21歳のリカルドは、ブランフォーレのお屋敷に帰省したのだそうです。
当時の彼としては、若人らしく友人たちと遊んで過ごすほうが楽しかったのだけれど、我儘を言って姉君に爵位を預かってもらっている以上、彼女に頭が上がらなかったのだそうで。
「姉が爵位を継いでからしばらくの間、実家に帰省するのを避けてたんですがね。まぁ、そのときは卒業前最後の長い休暇でしたし、仕方なしに」
と、リカルドは肩を竦めて続けました。
「ブランフォーレの屋敷は、森の中にひっそりと佇む城館って感じでね、あまり気の進まぬ中、鬱蒼と茂る木々の間を抜けてはるばる帰ってみたら――」
「みたら?」
「なんと、姉のお腹が大きく膨らんでいた」

リカルドは――あまりのことに、何も言えなかったそうです。

結局、滞在中、お腹のことについては触れられぬまま休暇を終え、リカルドは士官大学の寄宿舎に帰っていきました。ところが、帰ってきた彼の顔が青いのを心配した友人たちが事情を聞き出して――
「皆が『お前――…それはちゃんと聞いておいたほうがいい』って言うんです。それで、俺もようやくパニックから我に返って、ああ、看過していい話じゃないな、と、思い直して」
「看過するつもりだったの?」
逆に驚いて私は言いました。
「するつもりというか――ひたすら怖くて、現実を直視できていませんでした」
私はちょっぴり同情を込めて頷きました。
自分の力や想像の及ばぬところで、えてして事件とは起こるもので、そういうとき現実逃避したくなる気持ちは、私にも覚えがありました。
「意を決して、俺はブランフォーレにもう一度帰りました。そして、敢えて腹の子の父親に関しては何も聞かず、『予定日だけ教えてくれ』と、尋ねたんです」
それは友人たちからの助言だったそうで、リカルドの友人たちは、生まれてくる赤ん坊を何であれブランフォーレの一員として受け入れると決めたのなら、父親に関しては一切聞くなと忠告したのだとか。
「予定日は、春のーーマンナズの月の終わりくらい、とのことでした。そこで俺は――」
怖いから、と、同期の友人たちを引き連れて、予定日の前にもう一度、ブランフォーレのお屋敷へ帰省したのだと言います。
「どうしてリカルドが? 男の人がいても、あまり手助けにはならないでしょう?」
私の素朴な疑問に、当時を思い出したのか、リカルドがやや青褪めた顔で言いました。
「阿呆ですか。出産の立会人がいるでしょうが」
「立会人?」
なおもピンとこない私に、セシル・ドゥ・メルローズが笑って説明しました。
「その赤ん坊が、確かにその地で、その人から生まれた子だってことを証言する人間のことですよ。出生の証人的な」
「へぇ…」
私は曖昧な相槌を打ちました。なぜって、思わず考えてしまったから――私の出生の証人っていたんだろうか。
しかし、リカルドの話は続いていきます。
「果たして数日後、姉の出産が始まり、あまりの苦しみように、俺は耐えられなくて思わず屋敷を飛び出そうとした――のを、止めるんですよ! 同期の連中が揃って、力づくで!」
「いや、だって、そういうときにために呼ばれたんだろう? 立会人が逃げたら証人の役を果たさないじゃないか」
「そりゃそうなんだけどさ! いや、本当、あのときは参った! ――以上、身に覚えも、覚悟もないのに、父親役を押し付けられた可哀想な俺のお話でした」
そんな軽口を叩いているリカルドでしたが、まさしく誕生したその日から傍で見ている甥は可愛くて仕方ないらしく、
「――甥に爵位を譲ります。俺は結婚する気はないので」
そう心に決めているそうです。
 
普段は怖いものなしのリカルドの、ちょっと微笑ましくも気の毒な、若かりし日のエピソードなのでありました。
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