第17話 兄が連れてきた結婚相手②

文字数 2,101文字

翌日、兄は本当に、ロアルド・グンヴァルトソン大佐をファルケンブルク本邸へ引っ張ってきました。

今回は兄の目的がはっきりと分かっているグンヴァルトソン大佐は、限りなく微妙な表情をしていましたが、とにもかくにも私たちは引き合わされ、その上、周りの配慮とやらで二人きりにされたのでした。

「全く――…いや、あなたに言っているわけじゃない、失礼」
スキップするような足取りで部屋を出ていくラグナルの背中を見送りながら、グンヴァルトソン大佐はぼやきました。
「ラグナルはいつも強引で、本当に思い付きのみで行動する奴です」
兄への忌憚ない評価に、私は苦笑しました。
「任地では、さぞかし兄がご迷惑をおかけしているのでしょうね――」
「いや、任地ではほとんど。戦となると頼りになる男です。あなたの兄は」
私は微笑を湛えて曖昧に頷きました。
ほとんど、と答えた辺り(グンヴァルトソン大佐はとても正直者ね――)と、彼のことを好ましく思いました。
「ところで。――外に出ませんか?」
グンヴァルトソン大佐は窓の外に視線を移して、少し居心地悪そうに言いました。
「嫁入り前の女性と室内で二人きりになるのはいただけないでしょう」
「なるほど。既成事実を作られそうでおいやなのね」
そう申し上げると、グンヴァルトソン大佐は言葉を失って、驚いたようにまじまじと私を見つめました。
そして、大真面目な顔で私へと向き直り、こう言いました。
「――いやじゃないんですか。あなたと兄上は12も年が離れていると聞きました。私も同い年ですよ」
私はどう答えたものか、少し思案しました。
正直、年齢に関しては何も気にしていないのですが、今ここで「いやじゃありません」と答えると、まるで、私までグンヴァルトソン大佐に「結婚してください」と言っているようなものではありませんか。
返答に窮した私は、腹を決めました。そして心に浮かぶままを正直に答えることにしたのです。
「あなたの目を、もう一度覗いてみたいと思っておりました」
20cmほど頭上で、湖面のような青緑の目が大きく見開かれました。
「…参ったな、まるで」
プロポーズだ、小さな声で呻いたグンヴァルトソン大佐の声を、しかし私は聞き逃しませんでした。
「――とにかく。外に出ましょう」
慌てたように踵を返したグンヴァルトソン大佐の頬が妙に赤かったことは内緒です。
 
屋外へ出た私たちは、とりあえず温室へ向けて庭園内を歩くことにしました。
しばらく沈黙が続きました。
それは決して居心地の悪いものではなく、私は――我ながら驚いたことに――グンヴァルトソン大佐の前でくつろぎ始めていました。
しかし、グンヴァルトソン大佐の方は、この沈黙をどう感じているのか分かりません。
遅咲きの薔薇を愛でながら口火を切ったのは私でした。 
「ラグナルが――大変失礼なことですけど――あなたの生い立ちについて、話してしまいました」
「そうでしょうね」
グンヴァルトソン大佐は怒るでもなく相槌を打ちました。
「結婚となると、身辺を洗われるのは当然です。――気にしてませんよ」
「寛大ですね」
私は微笑して続けます。
「…でも大佐の生い立ちだけじゃフェアじゃないですよね。私の生い立ちについては聞かれました?」
途端、グンヴァルトソン大佐の歩みが遅くなりました。
「…伺いました」
暗い色の木立の前で立ち止まり、とても言いにくそうに大佐は答えました。
「そうですか」
私は頷いて、気に掛かっていたことを聞くことにしました。
「それでは――大佐の方こそ、こんな娘でよろしいのですか」
この言葉に、グンヴァルトソン大佐ははっきりと眉間に皺を寄せました。
「自分のことを、そんな風に、言うな」
「ほかに申し上げようがなかったもので」
平然と返した私に、グンヴァルトソン大佐は何故だかとても切なそうな顔をしました。
「――私は、兄のラグナルが連れに来るまで、長らく幽閉されて過ごしました。家の者は私を陰で『高貴なる囚人』と呼んでいました。それで、私はずっと思っていたんです――きっと私は、何かすごく悪いことをしたんだって。その罰を受けているのだって。だから、屋敷の塀の外に出てはいけないのだろうと、そう思って過ごしてきました」
私は、これまで誰にも言えなかった心の内を、グンヴァルトソン大佐に打ち明けていました。
グンヴァルトソン大佐は言葉にならない様子で、ただただ佇んでいます。
「今は、そうではない、と分かっています。しかし、長年染みついた罪悪感は消えません――…」
出し抜けにグンヴァルトソン大佐の腕が伸びてきました。
気が付くと、私は彼の逞しい腕に中にすっぽり包まれていました。

――太陽と干し草と柑橘を混ぜたような、大らかな良い香りが私の鼻孔を擽ります。

それは日向にいるような、とても落ち着く香りで、私は思わず大佐の胸に額を押し付け、その香りを思い切り吸い込みました。
匂いをかがれていることに気づいているのか、いないのか、グンヴァルトソン大佐の大真面目なバリトンが頭上から降ってきました。
 
 「――今日は何も言いません。ただ…少し、待っていてください」

私はただひたすら匂いに魅了されながら、大佐の言葉に頷くのでした――… 
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