泊瀬部の野望

文字数 3,354文字

 倭国の多くの者がこの出兵を是とする中、表立って反対こそしていないが、摂津三島郡の埴廬(はにいお)などに住む、新羅系の渡来人の多くは、当然この出兵に否定的な見解を持っていた。
 そんな彼らが、倭兵を引き揚げさせる為に出来ることは、もう一つしか残されていない。それは、自分たち独自の通信網を用い、彼らの故国に、新羅の危機を訴えると云うものであった。
 こうして伝えられた報に依り、新羅は各城の防御を強化するなど、倭国軍迎撃の準備を整えると共に、倭が戦を始められない様に、一人の間諜に倭国への工作を命じたのだ。
 この間諜の名を迦摩多(かまた)と云う。
 彼は情報収集を主業務としていた間諜で、倭国の機密を新羅に送るべく、以前より幾度も倭に潜入を繰り返していた漢であった。だが、今回は工作と云う、これまでの彼には与えられた事もない様な大役を命じられたのである。
 そして、(ほぼ)一年の後、新羅の間諜である迦摩多は、対馬を渡り、長い道程を走り終え、やっとのことで倭へと到達した。
 彼はまず、新羅の使者に化け、倉梯宮にて泊瀬部天皇と会い、派兵の取りやめを願い出てみようと考えた。勿論、それが聴き入れられるなど殆ど期待して居らず、大王に会うことすら、先ず許されないだろうと彼は考えていた。だが、意外にも泊瀬部天皇は、彼に合うことを快諾したのである。
 謁見の間で、新羅の使者に化けた迦摩多は、泊瀬部天皇に来朝の礼を取ると直ぐに、新羅側は倭の友好国であることを述べ、出兵の取り止めを願った。当然、拒否されるであろうし、その場合には天皇を暗殺し、倭を混乱に陥れようと思ったのである。だが、天皇の返事は意外なものであった。
「うむ。迦摩多の申すこと尤もである」
 これには迦摩多も、困惑の色を隠すことが出来なかった。
「だがな、私は良くとも蘇我馬子大臣が許しはすまい。任那再建は馬子大臣が奏上してきたものでな。私は戦は好まぬので、詔を渋って居ったのだが、他の皇子や群臣たちも乗り気になってしまい、馬子たちの判断で事が決められてしまったのだ」
「その様なこと、あろう筈がございません」
(いや)、私は傀儡の大王。馬子大臣の意には逆らえぬのだ」
「すると、馬子大臣が全て計画したことだと仰られますのか?」
「恐らく、馬子大臣のみの考えではなかろう。誰ぞが、陰で入れ知恵をして居るに違いなかろうと思う」
「誰だと仰るのでございましょう?」
「厩戸皇子だ。奴が馬子大臣を操り、押坂彦人大兄皇子や蘇我、中臣、大伴などの群臣と謀って新羅、百済、高句麗までも攻めんと画策して居るに相違ないのだ」
「すると……」
「少なくとも、厩戸皇子、押坂彦人大兄皇子、蘇我馬子を誅殺せねば、私がいくら望んでも、戦を止めることなど、決して出来はせぬのだ」
「なれば、大王が奴らを朝敵として誅殺する詔を出されては?」
「言ったであろう、私は傀儡の大王だと。その様な詔など出せるものではない。勿論、奴らを討った後であれば、詔を出したことに出来るやも知れぬが……」
 泊瀬部天皇は、そう残念そうに嘆くと、これ以上は話すことも無いと、家臣に手で合図し迦摩多を下がらせた。
 勿論、任那再建が馬子大臣の奏上に依るものだと云うのは嘘であり、厩戸皇子や彦人大兄皇子の入れ知恵だと云うのも口から出任せであった。だが、出任せと云っても、迦摩多との会話の最中、咄嗟に思い付いたと云う訳ではない。泊瀬部天皇は、事前に新羅の使者が訪れることを想定し、彼自身が暗殺者に狙われない様にと……、そして、あわよくば憎き厩戸皇子を殺してくれることを願って、この新羅の使者に偽りを吹き込んだのである。
 こうして泊瀬部天皇は、新羅の暗殺者に自分ではなく厩戸皇子らを狙わせることで、自らの身の安全を確保したのであった。しかし、それは単に、彼の身の安全を謀る為だけのものではなかった。
 任那再建は、確かに歴代大王が為せなかった大事業には違いない。だが、彼の真の狙いは別にあり、それは大王を中心とする、中央集権国家の完成だったのである。

 当時の倭国は、諸国を統率する豪族の合議体の国家である。大王はこの豪族の合議に依って決定される。
 勿論、大王となる為には、天皇家の血筋であると云うことが前提にあったが、前帝の直系の子孫である必要はなく、神日本磐余彦尊から何代目かが明言できれば、それで問題は無かった。確かに、世代が祖先に近ければ、大王候補として優位に立てると云うことはある。だが、それ以外には血統上の優劣など無く、同世代の皇子は一律にライバルたちと大王の座を競わなければならなかった。
 しかし、同世代の皇子など、倭には数えきれぬ程に存在するのだ。そうなると、結局、誰が選ばれるかは、血の濃さなどより、どの豪族からの支援が、いくつ得られるかと云うことが重要になってくる。
 そうなると、選挙権のある豪族の立場は優位になり、被選挙者である皇子はパトロンとなる有力豪族の言いなりにならざるを得ない。そうして選ばれた皇子は、大王になっても豪族に頭が上がることはないのだ。つまり、当時の大王とは、群臣と呼ばれる豪族に依って選ばれるだけの、彼らから与えられた単なる一つの役職に過ぎなかったのである。
 泊瀬部天皇自身も、昔はそれが全て当たり前だと考えていた。
 だが、大陸の文化が入ってくると、彼の考えも徐々に変わってくる。
 今、彼は大唐の様な国家体制を理想とし、大王が他者に推挙されることなどなく、血筋により直系の子孫へと引き継がれるべきだと考えていた。そして、それと同時に豪族の地位を剥奪し、諸豪族が領地を治める封建制から郡国制、最終的には大王の臣下が大王の命で各地に派遣され、知事となって統治すると云う郡県制に変え、大王のみが支配権を持つ専制国家の成立を目指すべきであると、彼は思うに至ったのだ。
 勿論、それが簡単に出来るものではないことは泊瀬部天皇自身も良く知っている。
 彼と同様に、中国国家体制を理想と考えた厩戸皇子、後の聖徳太子は、律令国家を目指し、憲法、そして冠位の制定を行って、豪族たちへの意識改革から始めざるを得なかった。
 だが、厩戸皇子と異なり、彼はそういった制度改革より、もっと直接的な方法を考え出したのである。彼は、天皇世襲の王家を創りたいのであれば、邪魔する他の皇子や有力豪族を全て強引に力で押さえ込み、逆らうのであらば、誰であれ、片っ端から殺してしまえば良いと考えたのである。
 しかし、その様な力ずくの政治改革は、諸豪族の権力が弱まり、他の有力な大王候補のない、誰一人反対の出来ない状況にでもならなければ出来はしない。彼はそのことも充分に承知していた。
 彼の政治改革は、単なる彼の空想に過ぎなかったのかも知れない。
 だが、この任那再興の戦で豪族の幾人かが死ねば、彼の望む状況に一歩近づく。そして、若し、新羅の暗殺者に因って、厩戸皇子、押坂彦人大兄皇子、蘇我馬子らの幾人かが暗殺されることがあれば、中央集権の夢は、空想の段階から、一気に彼の手の届く理想へと変わってくるのだ。

 新羅の使者が現れることは、絶対ではないが彼の予想の範疇に入っていた。彼はそれを巧みに誘導し、厩戸皇子と彦人大兄皇子と云ったライバルや、厩戸皇子のパトロンとも言うべき蘇我馬子を、新羅の使者に狙わせ、出来れば抹殺してしまおうと考えた。
 当然、厩戸皇子らの暗殺に失敗したとしても、それは新羅の暗殺者が勝手にやったことであり、彼は預かり知らぬことにしようと考えている。そして、その場合には、一旦、中央集権国家の成立を空想へと戻し、彼はただ、任那再建を予定通り目指していく心算であった。
 だが、若し、二人の皇子と馬子大臣暗殺が成功した暁には、彼も一世一代の大勝負を試みようと心に決めている。その大勝負とは、倭に兵を集め、筑紫に派遣した豪族をも、彼の手で全て討ち果たそうと云うものであった。
 勝算はある……。派兵軍は豪族の私兵ではなく倭国の兵。大将軍を弑した兵には褒美を取らすと大王が言えば、大した戦にもならず、将軍の首を手土産に投降してくる者も、決して少なくはないだろう。こう云った読みが、当然、彼にはあった。
 迦摩多の来訪は、泊瀬部天皇の野望を実行に移すかどうか、一つの試金石だったのである。
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