炊屋姫尊即位

文字数 3,431文字

 泊瀬部天皇の死は、蘇我馬子に多くの判断を強いることになった。
 先ず五日、筑紫に展開する倭軍に、「国内の乱れに因って、外事を怠ってはならぬ」と早馬を飛ばし伝えた。だが、結局は兵を戻さねばならぬであろうと馬子大臣も考えている。
 そして、次期大王についても群臣にその奇策を後押しする様、工作を行ったのである。

 その奇策とは……。
 泊瀬部天皇と同世代に、年齢的・人格的に大王として適切な皇子は存在しない。では、その下の世代となるのだが、厩戸皇子は若すぎるし、蜂子皇子は陸奥(みちのく)へと流刑になって居り今どこにいるかも定かでない。
 そうなると、順当に行けば、渟中倉太珠敷(敏達)天皇の子で母を広姫に持つ押坂彦人大兄皇子となるのだが、これでは蘇我の血筋ではない大王となってしまうのだ。
 それで馬子大臣が満足できれば何も問題ないのだが、彼は厩戸皇子にどうしても大王になって貰い、倭国を天竺にも負けない仏法国として民を導いて欲しいと願っていた。
 彦人大兄皇子が大王となってしまえば、厩戸皇子が暗殺されなかったとしても、彦人大兄皇子が死ぬまでは、厩戸皇子には大王となる機会が与えられなくなってしまう……。
 そこで馬子大臣は考えた。
 一人だけ、蘇我の血筋で、彦人大兄皇子よりも上の世代の者がいるではないかと。
 その人であれば、血統も申し分ないし、民にも慕われ、容姿端麗、立ち居振る舞いにも過ちが無い。年齢的にも若過ぎず、老い過ぎてもいない。誰が何と言っても、この人以上の適任者はいないのだ。ただ、一点だけ問題があった。彼女は皇女であったのだ。
 そう。その適任者とは炊屋姫尊である。彼女は天国排開広庭(欽明)天皇の(むすめ)で、橘豊日(用明)天皇の同母妹に当たる。即ち泊瀬部(崇峻)天皇と同世代、彦人大兄皇子より一世代上の有利な立場にいるのだ。
 只、これまで何代もの大王が立っていたが、女帝となると数える程しかいない。神功皇后と飯豊青皇女くらいなものである。だが、前例がある以上、無理矢理のごり押しと云う訳でもない。それでも、矢張り群臣に推挙を得るのには、多少の運動が必要となったのである。
 そうした結果、群臣の意見を取りまとめ、炊屋姫尊に大王となるよう推挙することが出来たのであるが、今度は彼女の方がそれを拒絶してきたのだ。それでも、馬子大臣の圧力があった為か、百官が上奏文を奉って、やっとのこと、三回目の推挙で彼女の承諾を得ることに成功したのである。

 厩戸皇子と智仙娘はと云うと、蘇我馬子と異なり、大王レースやその他の政治的な行動からは一定の距離を保ち続けていた。
 厩戸皇子は「自分は年齢的に未だ関係ない」と考えていたし、智仙娘は泊瀬部(崇峻)天皇暗殺の事後処理で、各方面に暗躍しなければならなかったのだ。
 そんな二人であったが、この日は屋敷を出て、春ももう遠くないと感じられる日差しの中、倭の外れまで足を伸ばし、これから陸奥(みちのく)の地へと旅立とうとする老人と二人の女性を街道脇で見送っていた。その三人とは、小手子と錦代皇女、そして小手子の父、大伴糠手(あらて)であった。

 厩戸皇子は、旅姿の小手子の手を取り、餞の言葉を述べた。
「お妃様。矢張り、御自ら皇子様を迎えに行かれねばなりませぬか?」
「仕方ないでしょう。蜂子のことです。陸奥(みちのく)などに行き、一度でも庶民の暮らしを味わって羽を伸ばしたならば、『もう堅苦しい倭になど帰らん』と言い出すのは目に見えて居ります。妾が行って、皇子の耳でも引っ張って連れ戻さねば、倭に帰って来ることなど、決して在りはしないでしょう」
 小手子はそう答えたが、もう二度と倭に戻ることはないと小手子は考えている。彼女にとって倭は楽しい思い出の地ではなく、ただ謀略と怨念の渦巻いていた地獄の様な場所であった。その過去を、もう忘れたいと小手子は強く願っていたのだ。
 智仙娘も、小手子のその決意は感じとっていた。本来であれば、無力な嬪が野に降ることなど引き止めるべきなのであるが、小手子と糠手であれば、錦代皇女がいるにしても野盗などに負けることは在り得ないし、彼女の持つ大伴間諜の知識は旅先でも役に立ち、行く先々の土地の者にも、きっと慕われるに違いない。
 智仙娘は思う。
 恐らく、倭で、これからも起こり続ける天皇相続争いの只中で暮らすより、父糠手や実子である蜂子皇子や錦代皇女と伴に、陸奥(みちのく)で安住の暮らしをした方が、小手子にとって遥かに幸せと言えるのではなかろうか?
「では、厩戸皇子。達者に暮らす様に。智仙娘、其方もな」
「では、小手子様、糠手連殿、錦代皇女様、道中お気をつけて。皆のご無事を私も御仏にお祈り致します」
 大伴小手子と錦代皇女は、厩戸皇子の言葉に深々と頭を下げる。それに応え、厩戸皇子も同様に旅立つ者たちに頭を下げ続けた。
 彼が顔を上げた時、二人は背を向けて歩き始めており、その姿は既に道に遠く、厩戸皇子の目には小さな影のように映って見えるだけになっていた。

 この後、小手子たち三人は結局、蜂子皇子に逢うことはなかった。
 伝説によると、蜂子皇子は山形県の出羽三山の開祖になったと伝えられ、大伴小手子ら三人は、現在の福島県伊達郡川俣町まで辿り着き、そこで養蚕を伝えるなどして暮らし、結局、小手子はその地で没したと云うことであった……。

 厩戸皇子は、彼らの姿が見えなくなるのを待って、智仙娘に語りかける。
「後味の悪い終わり方であったが、これで一応の決着がついたな……」
「ああ……」
「大王は間違いなく死んでいたのだな?」
「ああ。倉梯宮の隠し部屋で息絶えて居った。私が倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)に葬られていた影武者と入れ替えておいた。これで全てが片付いたのだ」
「全てが片付いた……か。結局、大王は何を望んで居られたのだろうか? 大王の地位にまでありながら、何が不満だったのであろうか?」
「東漢駒によると、天皇は蘇我馬子、お前、彦人大兄皇子を新羅の間諜に殺させようとしていたらしい。天皇を推挙するに影響力の一番強い豪族、それと次期天皇として、尤も有力視されている皇子二人……。恐らく、次の大王を、是が非でも蜂子皇子にしたかったのだろう」
「そんな……。大王は蜂子皇子様や小手子様を軟禁していたではないか?」
「そうだな。奴は家族への愛情溢れる人間と云うよりは、何か、特定の物に対する強いこだわりを持つ人間の様に思えたな……。それに小手子様も、天皇は全ての豪族を滅ぼそうとしていたと言っていた……。うん、もしかすると、奴は、単に蜂子皇子を天皇にしたかったのではなく、倭の天皇を選ぶ方法、(いや)、それだけではなく、倭の国家体制全てを変えようとしていたのやも知れぬ。お前と同じ様に……。だからこそ、それを考えている節の有るお前に対し、病的なまでの嫉妬心を持っていたのかも知れぬな」
 厩戸皇子にも、それはあり得ない話ではないと思われた。渡来人との交流の比較的多い、蘇我系の皇子には、大唐などの国家体制について耳にする者も少なくない。そうした時、倭の国家体制の遅れと大王としての権力の無さと云うものを、恥ずかしく、かつ残念である思うのは、厩戸皇子だけであろう筈はないのだ。
「大王と私は、同じ理想を持っていたと言うのか? 泊瀬部大王は……、私だったのか?」
「ああ、そうだ。だからこそ、お前は奴になってはならぬのだ。力で群臣を抑えるのではなく、徳と信を持って群臣、そして民に慕われねばならぬ」
「そうだな。私は倭を変えたいと思う。だが、それは強引に力で為すものではない。私は仏法を持って民を導きたいと思う」
 それについて、智仙娘は肯定も否定も口にしなかった。だが、厩戸皇子はそれで良かったと思う。否定されるのは当然嫌だが、肯定の言葉を口にされても、そう素直に受け取れるものでもない。
「細人、陽が落ちると冷える。我等ももう帰ろうではないか」
 厩戸皇子はそう言って、彼女の返事も待たずに屋敷への道を歩み始めていた。

 そして、小手子たちとは別に、もう一組ばかり倭を離れる者たちがあった。
 それは一組の男女。彼らの目的地は、近江国甲賀の里、今で言う滋賀県甲賀市辺り。彼らは縁者である大伴噛の紹介状を携え、彼の地で夫婦静かに余生を過ごそうと云うのだ。
 この男、名を大伴細人と云う。後に、始まりの忍びと呼ばれることになる男である。

 そして、元年の夏四月十日、豊御食炊屋姫天皇(とよみかけかしきやひめのすめらみこと)は、厩戸豊聡耳皇子を立てて、皇太子(ひつぎのみこ)とされ、国政をすべて彼に任されたのである。
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