民訴裁定

文字数 3,267文字

 泊瀬部天皇の二年、飛鳥では法興寺の建立の準備が既に始まっていた。
 物部守屋との戦の際に勝利の願を掛けたとのことで、その誓約を守る為に蘇我馬子の命に依り法興寺の建立が始められたのだ。だが、彼が本当にその様な誓約をしたのか疑わしいと云う噂が無いでもなかった。実際、勝利を祈ったことは間違いないのだが、「成就の暁には寺塔を建てて三宝を広める」との誓いが本当のことなのか、彼以外には知る由もなかったのである。
 少なくともこのエピソードにより、この寺院に祀られている諸天王と大神王に祈れば、現世の御利益がある……との権威付けがされたことだけは間違いがない。
 また、七月になると、天皇は、東山道、東海道、北陸道にそれぞれ使者を遣わし、蝦夷との国の国境、東方の海辺の国、越などの諸国の境を視察させていた。
 これ迄であれば、この様な世間の動きなど、上宮の屋敷奥に住む厩戸皇子には何も分からず仕舞いであっただろうし、それにより民が、どの様なことをさせられ、どの様に思い、どの様なことを望んだのか、彼に知る術などもなかった。
 だが、丁未の乱以降、彼は世情のことを人一倍知るようになった。今の彼には目と耳が出来たのである。このことが摂政になってからの彼の治政に、大きな影響を与えたであろうことは想像に難くない。
 勿論、この間も厩戸皇子は、仏教の経典の勉強を怠ってはいなかった。摂政となってからの彼には、ゆっくりと仏典を研究をする時間など在りはしなかった。それにも関わらず、後に法華経や勝鬘経を炊屋姫尊らに講じることが出来たのは、この頃の集中的な勉学のお蔭であったのだ。
 斯うして、後に聖徳太子と呼ばれ民に慕われた彼の思想は、この期間における昼の仏道修行と夜の世情蒐集によってその土台が形付けられていった。しかし、この時の彼にとって、目と耳、即ち智仙娘と二人だけで過ごす夜の時間は、世情蒐集などと云うものではなく、寧ろ同年代の女性と語らう彼の大切な息抜きの時間だったのである。

 ところが、その夜、智仙娘が床下から声を掛けても厩戸皇子は直ぐに返事を返してはくれなかった。智仙娘が訝って、床板をそっと持ち上げて部屋を覗くと、留守かと思った厩戸皇子は部屋に居り、文机の前でうんうん唸っている。どうやら何か古い記録を読むことに集中し、智仙娘の声が聞こえなかったらしい。
 智仙娘は床下から這い出して、厩戸皇子の後ろから彼の肩を叩く。
「おい。いるのなら返事ぐらいしろ!」
「お、おお。細人か」
 後ろに立つ身分の高そうな若人を見て、厩戸皇子はそう応えた。
「どうしたのだ? うんうん唸って、歯でも痛くなったのか?」
「馬鹿を言え」
「取りあえず、米の飯をよこせ!」
 智仙娘の言葉に、厩戸皇子は奥に隠してあった米の飯を彼女に差し出した。智仙娘も何の不思議もないかの様に、飯を受け取りそれを頬張る。ここまでは何時もと何も変わらないのだが、何時もであれば智仙娘が食べ終わらないうちに話しかけてくる厩戸皇子が、今日に限っては机に向かったまま黙って何かを考えている。
「おい、今宵はどうしたのだ、一体?」
 食べている最中に話し掛けられるのは常々鬱陶しいと思っていたのだが、突然何も言われなくなるのも居心地が悪い。智仙娘は飯を食べ終わると、彼女の方から声を掛けた。
 厩戸皇子は仕方ないとばかりに、机から智仙娘の方に向き直り、彼が唸っている理由を彼女に語りだした。
「私が聖人であるかの様な噂があるのを知って居るか?」
「ああ。それが、どうかしたのか?」
「困ったことに、それを大王が聞きつけられて、大王から出仕するように詔を受けてしまったのだ……」
 厩戸皇子が言うには、この日の昼間、彼が慧慈に仏法の講義を受けている時、突然天皇の使者が現れ、彼に天皇からの詔を伝えたとのことであった……。
「明後日、十足らずの百姓の申し立てを裁く役目をせよ」
 天皇はそう彼に命じていた。
 使者が言うには、その日、天皇は所用があり、その役を担う役人を連れて行かなければならないとのことであった。加えて天皇の使いが言うには、「大王は厩戸皇子様が人並み外れて賢い方だと云うのをお聞きし、『ならば、厩戸であれば、その役必ずや勤め上げるであろう』と仰って居ります」とのことであった。
 要するに、人の言う賢い皇子のお手並み拝見と云った所であろう。

 厩戸皇子は智仙娘に理由を説明し終えると、再び机に向き直り古い資料の確認を始めた。智仙娘も邪魔をしては悪いと思い、暫くは黙って彼を見守っていた。だが、資料を漁っていたかと思えば、立ったり座ったり、意味も無く部屋を歩き回ったかと思えば、うんうん唸ったりと、どうにも厩戸皇子は落ち着きがない。彼を見ていると、智仙娘も流石に呆れて口を出してしまう。
「民の訴えを聞くと云うだけのことが、それほど心配か?」
 それを聞いた厩戸皇子は、怒った様に智仙娘に答えた。
「当り前だ。民は私のことを聖人だとか、仏の生まれ変わりだとか口々に噂していると言う。その私が、誤った裁定など下したとあらば、民は私に失望もするだろうし、仏とはこの程度のものかと御仏の力すらも疑ってしまうやも知れぬ」
「馬鹿々々しい。お前は聖人ではない。ましてや仏の生まれ変わりなどでもあるまい。その様なこと、馬子大臣が勝手に言い触らしている戯言に過ぎぬ」
 智仙娘の言う通り、厩戸皇子に関しての噂は、育ての親の贔屓目で、蘇我馬子が尾鰭を付けて流したものである。確かに仏教も儒教も学んでいたが、優秀な生徒と云うだけで、厩戸皇子に神掛かった所など、実は何処にもありはしない。
「私は二歳の時に『南無仏』と唱えたことになって居る。この前の戦も、私が四天王に祈ったから勝ったことになっているのだ」
「それにお前は厩戸の前で生まれたことにもなっているぞ。あれも嘘なのか?」
「遠く西国に聖王がいて、厩戸で生まれたとの伝説があるらしい。恐らくそれと私の名前を掛けたのだろう。『南無仏』と言った話も、仏陀をお生まれになった時、『天上天下唯我独尊』と唱えたというのを真似て、私にも唱えさせたのじゃないかと思っている」
 確かに、蘇我馬子は仏教興隆の為となると、そういうハッタリじみたことを言い触らす傾向があった。
 あれは、崇仏・廃仏の決着がつく前、善信尼ら三人の尼と、善信尼の父司馬達等と池辺水田とを呼び、馬子が法会をした時のことである。なんと、司馬達等の斎食の上に突然仏舍利が現れたのだと云うのだ。そして、司馬達等からそれを譲り受けた馬子は、鉄床に鉄鎚で打って壊れないこと、水に投げ入れ浮き沈み自在なことで舎利の真贋を確かめ、それが真実、仏舍利であり、彼らの信仰によって為された瑞兆であると言い触らしたのである。
 結局、その仏舍利は大野丘の北に建てた塔の心柱の下に納めたと云う話で、最早その舍利の真偽は確かめようもない。
 厩戸皇子にしても、仏法普及の為にはちょっとしたパフォーマンスがあっても悪くはないと思う。だが、あからさまな外連味たっぷりの演技は、寧ろ仏教を卑しめるものだと彼は考えていたのであった。智仙娘に至っては、言わずもがなである。
「お前は凡人で、仏ではないと皆に言ってしまえば良いのだ」
「それはそうだが、民の期待に応えられないのは心苦しい。それに大王が……」
 彼は口を濁したが、厩戸皇子が何を言わんとしているのか、智仙娘も分からないでは無かった。
 今の天皇、泊瀬部は厩戸皇子のことを間違いなく嫉妬して恨んでいる。今度の事も、民が余りに厩戸を讃えるもので、態と用事を作って訴訟対応をさせ、彼の失敗を嘲笑ってやろうとしているに違いなかった。そう考えると、智仙娘もむざむざ天皇の思う通りに厩戸皇子の訴訟対応を失敗させたくなくなってくる。
「分かった、分かった。どうだ、私が訴えの内容を聞いておいてやろう。それで前もって調べておけば、幾ら虚け者のお前でも誤った判断をせずに済もう」
 智仙娘の言葉に厩戸皇子の表情が晴れる。それを見た智仙娘も思わず笑みが零れた。
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