任那再建の出兵

文字数 3,058文字

 それは四年の八月の夜、泊瀬部天皇が公務を終え、彼の嬪小手子と寛いでいた時のことである。泊瀬部天皇は、厩戸皇子の噂を聞いて今宵も期限が悪く、それを、何時もの様に妃の小手子へと当たり散らしていた。
「どうして、いつも厩戸ばかりが良く言われるのだ? 私の(まつりごと)のどこが悪いと云うのだ? 私が一体何をしたと言うのだ?」
 泊瀬部天皇は、そう言うと机の上を袖で払い落とし食器に当たった。小手子もこう毎日々々愚痴を聞かされては、嫌味の一つも言いたくなり、きつい言葉で夫に返してしまう。
「何をしたではなく、大王が何もしていないからでございましょう」
「私は大王だぞ。私に何をしろと云うのだ? お前たち民どもは……。私のお蔭で倭は、物部守屋との戦での疲弊も癒え、国力も以前と遜色のないものとなったのではないか」
 彼の言うことが、単なる妄言だとばかりには言えない。合理主義者の小手子などに言わせると、「それは偶然、飢饉や疫病が無かっただけで、大王のお蔭でも何でもないではないか」と言うことになるのだが、当時の主流の考えでは、天皇が誤った政を行ったことで天災は起こるものであり、治政の間に飢饉や疫病が無いのは、間違いなく泊瀬部天皇のお蔭であった。
「そこまで国力が充実したのだと仰るのなら、何か歴代の大王の為せなかったことでも、大君が為さればよろしいではないですか?」
 泊瀬部天皇はそれを聞き、考え込んだ。そして、少し考えてから、口元に冷ややかな笑みを浮かべ、こう言ったのである。
「歴代の大王の為せなかったことか……。悪くはない! そして、それを利用すれば、私の宿願も叶うやもしれぬ……」

 彼が思いついた、歴代の大王の為せなかったこととは?

 それは、天国排開広庭(欽明)天皇の二十三年、新羅に因って滅ぼされた任那の宮家(屯倉)の復興であった。
 その後、大王は、渟中倉太珠敷(敏達)天皇、橘豊日(用明)天皇と続いたが、任那は新羅に滅ぼされた後、誰も復興を成し得ていない。それを、泊瀬部天皇は自分の代で成そうと云うのだ。
 だが、聡い泊瀬部天皇は、一人で勝手決めなどせず、この出兵に関し、群臣に是非を問うて、倭国の総意と云う形にして詔を出すことにした。
「新羅に滅ぼされた任那を、私は再建しようと思うのだが、卿らはどう思われるのかな?」
 群臣のそれに対する答えは、概ね次の様なものであった。
「任那の宮家を復興すべきであります」
「皆、大王の思し召しと同じ思いであります」
 こうして泊瀬部天皇は、長年の懸案であった任那再建を目指し、紀男麻呂宿禰(きのおまろのすくね)など多くの有力豪族に、筑紫への出兵を命じることにしたのである。

 さて、蛇足かも知れないが、参考までに、任那について簡単な説明をしておこう。
 任那とは、現在の朝鮮半島にあった十国程の諸国群であり、そこには倭の出先機関の宮家(屯倉)が存在していたとある。その地の領有、その他諸々に関して諸説あり、明確に断言することは出来ないが、倭側の多くの豪族にとって、任那は倭の管轄地であり、取り戻すべき領地と云う認識であった。
 勿論、泊瀬部天皇にしても、新羅と戦をしようなどと考えていた訳ではない。あくまで筑紫まで兵を出し、後方に兵を見せて、百済に新羅との交渉をさせようと云うだけである。そして、任那の諸都市国家を百済と倭の属国とし、両国へ貢ぎ物を献上させようと云うのだ。
 だが、任那の側に立って見れば、二国から搾取されるよりは、新羅一国から搾取される方がまだましであっただろう。が、そのような話は記紀には残されていない。

 厩戸皇子はと云うと、この派兵に関しては、反対も賛成も、実は殆ど何も考えていなかった。
 彼も、倭の他の豪族や皇子と同じ様に、任那は奪われた土地と云う程度の認識で、取り戻すべき属国であるのだとだけ考えていた。
 任那の民は、倭に支配されることで平穏に暮らしていける筈であり、それは全ての民が平和に暮らせる道だと厩戸皇子は思い込んでいた。だが、泊瀬部天皇ほどには、任那再建に重要性を感じておらず、倭国の兵が一人でも多く無事に帰ってきて欲しいと、彼は願っているだけだったのである。
 寧ろ、今回の派兵に関しては、智仙娘の方が遥かに不安を感じていた。

 その日の夜、厩戸皇子の部屋に来ていた智仙娘であったが、心配の為か、彼女も白い飯があまり喉を通って行かない様子であった。
「細人、どうしたのだ? 其方、風邪でもひいたか?」
 何時もなら、ここで何かしらの文句を言い返す智仙娘であったが、今日は無言のまま、飯を咀嚼し続けている。
「おい、本当にどうしたのだ?」
「今度の戦、お前はどう思う?」
 智仙娘は、やっとのことでそれだけの言葉を発した。
「任那の再建は倭国の悲願だ。大きな疫病も飢饉もなく、守屋との戦の痛手も癒えた今、任那再建の兵を出すのは悪いことではない。私はそう思うのだが……」
「そうだな。確かに……、それは、そうかも知れんな」
 智仙娘の言葉は、何時にもなく歯切れが悪い。
「何か不満なのか?」
「うん……。不満と云う訳でないが、不要な出兵の気がしてならないのだ。それに、私的なことだが、少し心配なのだ」
「そうか、大伴噛殿も、大将軍として派遣されて居るからな」
「ああ……。戦である以上、命の危険があるのは当然だ。理屈では分かっているのだが、やはり心配になってな。出来ることなら生きて帰ってきて欲しい」
 厩戸皇子は、智仙娘がそんなことを言うとは全く思ってもいなかった。だが、考えて見れば、彼女も一人の少女なのだ。身内が戦に行っていると云うことを考えれば、家族の無事を祈ったとしても何も不思議ではない。
 だが、昔の智仙娘であれば、間違っても厩戸皇子に弱音などは吐いたりしなかったであろう。弱音を吐くと云うことは、弱さを見せることだ。智仙娘は厩戸皇子に限らず、これ迄、誰にも弱さを見せてはこなかった。
 厩戸皇子は、智仙娘がそんな姿を見せたことに、寧ろ愛しさを感じている。彼女が弱さを隠さないと云うことは、厩戸皇子のことを信頼していると云うことだからだ。
「大丈夫だ。倭は強い。決して負けることは無いだろう」
「強いかどうかは兎も角、新羅から倭国にまで攻めて来ることは先ず無かろう。そう云う意味では確かに大丈夫かも知れない。だが、戦に勝っても、父や夫、兄などの働き手が死んでしまうこともある。そんな時、家族の者は戦に勝とうが負けようが、悲しみに打ちひしがれてしまうものなのだ」
 厩戸皇子にも、それは分からぬでもなかった。物部守屋との戦でも、多くの民が愛する者を失ったのを、彼も目にしている。
「細人よ、其方も筑紫に行って、噛殿の手助けをしてくるか?」
(いや)、必要ない。皆、覚悟は出来ている。戦がなくとも、病で死ぬこともあれば、事故で死ぬこともある。飢えて死ぬこともあるし、老いれば皆死ぬ運命だ。戦に行ったからと云って、別段、今になって死別を恐れることもないだろう……」
 智仙娘はそう言って、寂しそうに苦笑いを浮かべた。
 当時、彼女の言う様に、死は至る処にあった。疫病が流行れば何万と云う人が死に、飢饉が起きれば、矢張り多くの命が失われた。溜池を造ったり、寺院の建立の際の事故でも、何人もの命が奪われ、それらから逃れても、結局老いから逃れることは出来ず、誰もが死を迎えるしかないのだ。
「三界は火宅の如し……か。どうして、人の世は、こうも苦しみに満ちているのであろうな?」
「さあな……」
 智仙娘はそう言ってから、最後の一口の飯を口へと放り入れた。
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