文字数 6,912文字

友季子はまだ戻ってきていないようだったので、手早く着替えると私は学校へ急いだ。
校門前につく頃には、背中にじんわり汗をかいていた。

「おう」

校門にもたれるように浩太が立っていた。

「お待たせ」
「俺も今来たとこ。友季子は?」
「まだ、みたいだね。橘さんに会いに行くって言ってたから」

私の返事に、浩太は歩き出した。

「なぁ、友季子ってほんとにあの刑事と付き合ってんのか?」
「うん。かなり夢中みたい」
「でも、けっこう年上だろ?」
「まぁ、大人の男性にあこがれる年頃ってやつ?」

そう言いながらも、私の頭のなかは・・・・・・。
あこがれ、なんて言葉ではもう押さえられないくらい大きくなっているんだよね。

「そんなもんなのかな」

浩太がそれ以上聞いてこないので、ホッと胸をなでおろす。
もし、結城のことを聞かれたら話してしまうかもしれなかった。
誰かに相談できればな。
でも、そしたらほんとに歯止めがきかなくなるかも。
上靴にはき替えて職員室へ。

「コータ、強引に山本先生を問い詰めないでよ」
「わかってるよ」

そう言うが、とても信用できない。
それくらい浩太がさっきから緊張しているのがわかったから。
恋人の行方をつかむためなら、なにするかわからない。

ガラッ

扉を開けると、4人の先生が集まって話をしていた。

「なんだ、おまえら」

生徒指導の赤ダヌキが私たちを見て言った。
いつも顔が赤いのは、お酒が抜けていないからだ、とみんなウワサしている。

「すみません。山本先生いますか?」

なんでもない、という軽い感じで浩太が尋ねる。

「今日は学校は休みのはずだろ。早く帰れ」

赤ダヌキはギロッとにらむが、浩太は、

「山本先生に話があって来たんです」

と、食いさがった。

「だからぁ」

今にも大声を出しそうに赤ダヌキが近づいて来る。

「僕ならここです」

その声に振り向くと、山本先生が汗をハンカチで拭きながら立っていた。

「あ、先生」

そう声を出したのは、赤ダヌキだった。

「すみません。今、戻りました」

山本先生はそう言うと、再び私たちを見た。
外から帰ったところなのだろう。
雨にでも降られたみたいに汗だく。
その大きな体のせいで、冬でも額に汗をかいてるくらいだから、この暑さはたまらないだろうな。

「どうしたんだ?」

体に似つかわしくない小さな瞳で浩太を見る山本先生。

「あ・・・・・・」

浩太が私を見た。
ちょっと。
なんで私を見るのよ。
さっきの勢いはどこへやら、浩太は固まっている。
仕方ないなぁ、もう。

「先生、お話があって来ました。どこかで話せませんか?」

私がそう言うと、山本先生はうなずいた。

「じゃあ、外へ行こうか」

他の先生に聞かれないための配慮だろう。

「その方が先生にとってもいいと思う」

浩太が余計なことを口にしたので、そのわき腹をつねった。
山本先生は気にもしてないようで、歩き出した。

校舎を出て、裏手に回ると風が気持ちいい。

「お待たせ」

向こうから手を振りながら友季子が走って来た。

「もう、遅いよ」

そう言うと、

「ごめーん。きょうちゃんと話がつきなくってぇ」

と、両手を合わせて謝ってくる。
よく見ると、私服のまんま。
帰って着替えもしてないみたい。
それくらい橘と話が盛りあがったっていうのだろうか。

……友達が行方不明っていうのに。
ムカつく気持ちがわきあがってきて、それに自分で驚いた。
そんなの・・・・・・私だって同じじゃない。
勝手に恋して苦しんで。
その上、友達の恋にまでムカついて。
恋をすると、すごくウキウキして楽しいものかと思ってたけれど、実際は自分のイヤな面を知ってゆくだけ。
自分自身をどんどん嫌いになっていく気分。

するもんじゃないんだよ、恋なんて。

「で、話って?」

校舎の壁に寄りかかりながら、山本先生はまだ汗をかいている。
浩太がまた私を見てくるので、わざとらしくため息をついてやった。
ほんとに、肝心な時に黙っちゃうんだから。

「先生」

取りあえず話し始めようとする私を、

「今、先生な。警察に行ってきたんだ」

と、山本先生の声が割りこんできた。

「え?」

その声は私たち3人から発せられた。

「急に呼ばれてな。捜査の状況報告かと思ったらな。あのメガネの刑事が失礼なことを言うんだよ」

メガネの刑事・・・・・・。
それって結城のことだよね、やっぱり。

「失礼なことって?」

そう尋ねると、山本先生は肩で大きく息をついた。

「あの刑事がな・・・・・・。『山本先生がいちばん共通点があるんです。なにか知っているんじゃないですか?』って聞くんだ。驚いて声も出なかったよ」
「・・・・・・」

思わず浩太と目を見合わせた。
それって、私たちが聞きたかったことだ。

「まったくイヤになるよな」

自嘲ぎみに笑う山本先生が、私を見たので合わせて「あはは」と笑って見せたけどそれは乾いた笑い声になるだけだった。

「先生はなんて答えたんですかぁ?」

間の抜けた声で友季子が尋ねる。
すると山本は、急に真顔になり唇をかみしめて黙りこんでしまった。
すぐに、

「ウグッ」

と、ヘンな声が聞こえた。


イヤだ。
なにか食べ物をつまらせちゃったのかしら。

「先生?」

声をかける私が見たのは、山本先生の汗。
……違う。
巨体とは似合わない小さな目から涙がこぼれ落ちるところだった。
流れる涙をぬぐおうともせず、山本先生は必死でこらえて身体を震わせている。

「ウ、ウウ」
「ど、どうしたんですか? (食べ過ぎで)お腹痛いんですか?」
「ぼ、僕は、教師になって15年。これまで教師一筋でやってきました」
「は、はぁ」

なぜか山本先生は敬語になっている。

「最近は結婚もさせていただき、子供も授かりました。こんなに命の大切さや人のあたたかさを感じている僕を、は、は、犯人扱いするなんて、ひどいじゃないですか!」

泣きながらも懇願するように訴える。
もう、汗も涙もボタボタとこぼれ落ちていた。

「あ、あの・・・・・・。私たちはなにも言ってないです・・・・・・よ?」
「僕は言ってやりましたよ! 『なにも知りません』って。本当のことなんですからっ」
「そ、そうですよね」

体をのけぞらせてなんとかそう答えるが、山本はさらにつめ寄ってくる。

「そしたらあの刑事が言うんですよ。『果たして信用して良いのでしょうか』って!」

……結城なら言いそうなセリフだ。

「ひどいよな」

浩太がつぶやくようにそう言ったので、私は目を見開いた。
浩太!?

「わかってくれますか!?」
「もちろん」

浩太は大きくうなずいた。
ちょ・・・・・・。
唖然とする私に、浩太は平然と、

「山本先生がそんなひどいことできるはずねぇよ。俺が保証する」

と、またうなずいてみせた。

「ありがとう。ありがとう・・・・・・ウウ」
「それにしてもその刑事ひどいよな。先生、クレームつけてもいいんじゃね?」
「うん、うん……。そうだよね。・・・あ、それで君たちの用事はなんだったの?」

山本先生が私を見た。
浩太も、そして友季子も。
全員の視線が私に向いている。

なんで私なの!?

「あ・・・・・・あれ? なんだっけ? あははは」

また乾いた笑いを出す自分の声が、どこか遠くで聞こえているようだった。



「さっきのなによ!」

泣きじゃくる山本と別れたあと、私は浩太に抗議した。

「なに、って言われても」
「コータが言いだしたんでしょうが。それなのに、先生の味方しちゃってさ」

友季子は意味がわかってないようで、ニコニコと笑いながらついて来ている。
浩太は、下駄箱で靴を履きかえると、

「しょーがねぇじゃん。あいつにはできない、って思ったんだから」

と、悪びれた感じもなく言った。

「まったくもう、これでふり出しじゃないのよ」
「また考えてみようぜ。俺も考えてみるからさ」

友季子も、「そうだね」とうなずくと、

「もう帰ろうか。なんか疲れちゃったし」

と、急にぐったりしてみせた。

「友季子はなんにもしてないでしょ」
「へへ」

わざとらしく私はため息をついてみせると、

「先に帰ってて」

と、言った。

「なんで?」

友季子が首をかしげる。

「ちょっと忘れ物」
「あ、そうなんだ」

今日学校に行ってないから違和感があったかな、とも思ったけれど友季子はすんなり納得したらしい。

「待ってるよ」

げ。

「俺も」

げげ。

「友季子は夕食当番っしょ。浩太も早く帰って考えること」

いささか強引かとは思ったが、ようやくふたりは帰ってくれた。
ふたりの姿が見えなくなると、ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。

14:50

「よし・・・・・・」

なんとか間に合った。
誰もいない校舎の階段を登ってゆく。
目指すはもちろん、屋上。
寺田が待っているはずだから。
ちなみに寺田には教えなかったけれど、屋上のドアにはカギがかかっているはず。
踊り場のところできっと待っているんだろう。
3階まで一気に登ると、一息つく。
山本先生じゃないけど、こんな夏日の昼過ぎは暑くて仕方ない。
息を整えながら、今度はゆっくり上へ。

寺田の言っていた情報っていったいなんだろう?

それを知ることで、一気に捜査が進むならいいけれど・・・・・・。
寺田には、よしこちゃんのアドバイスどおり全然違う情報を教えるつもり。
フェアじゃないとは思うけど、向こうをどこまで信用していいのかもわからないし。
あやしまれないようにしないと。
警察の捜査内容の偽シナリオをもう一度頭で復習する。

「えと、警察は空港で犯人の国外脱出を見張っている。おそらく貨物機での脱出だろうから、荷物の中に女子高生たちがいるものと踏んでいる。そいで・・・・・・なんだっけ?」

そうこうしているうちに屋上のドアの前まで来てしまった。

「あれ?」

寺田の姿はなかった。
ひょっとして、帰っちゃったとか?
それともドタキャン!?
あの人なら平気でしそうだな、なんて思いながら扉を引くと、

ギィ

重い音が空気を震わせた。

「・・・開いてる」

一気に外の光が目に飛びこんできてまぶしい。
屋上のアスファルトに踏み出す。
見たところ誰の姿も見えない。
大声を出して先生に見つかってもイヤなので、ゆっくりと広い屋上を歩いてゆく。
視界のどこにも寺田の姿は見えない。
やはり寺田はいないのだろうか?
いくつか屋上に通じる扉がある部分。
そこは四角の箱のようになっていて、後ろの部分は見えないのでひとつずつ見て回ってゆく。
それでもどこにも寺田の姿は見えなかった。

「おかしいな・・・・・・」

まだ約束の時間までは間があるはずだけど、ひょっとしたら気が変わったのかな。
そんなことを思いながら最後の扉部分までやってきた私は、そこに違和感を感じた。
なにかブルーの扉についている。
近づいてみると、扉のノブの部分に黒いものが付着していた。
いや、光の反射を自分の体でさえぎると、それは黒ではなく赤黒いものだった。

これは・・・・・・。
ゾワッとする感覚が震えながら足元を一気にかけあがった。

「まさか・・・・・・」

扉についているそれは、よく見るとノブの部分にもある。
まるで飛び散ったように・・・・・・。

「あ・・・・・・」

意志とは関係なく体が勝手に後ずさりをした。
否定したい気持ちとは裏腹に、もうそれは血にしか見えなくなっていたから。

「どうしよう」

つぶやきながらも、私の手は勝手に自分のスマホをポケットから取り出していた。
震える手で画面からメニューを呼び出す。
頭にあるのは、恐怖と逃げ出したい気持ち。
だけど、それ以上に・・・・・・。
スマホを操作すると、耳に当てる。
すでに呼び出し音が鳴っていた。

___プルルルル プルルル

お願い、早く出て。

___プルルルル ガチャ

『はい』

その声に一気に体の緊張がほどけた。
ぶっきらぼうな声、それは結城だった。
この声をなぜか聞きたかった。
さっきまでの体全体の震えが少しおさまったよう。

「あ、あのっ」
『琴葉か?』
「あの、ねっ」
『・・・なにがあった? 琴葉、お前今どこにいるんだ?』

結城は私が普通じゃないことをすぐに察知したようで、真剣な声に変えた。

「あ、あのね。今、学校の屋上でね。寺田さんと待ち合わせしててね」
『屋上? 寺田?』

あ、そっか。
寺田のことは話してなかったんだっけ。

「寺田さんは、この間公園で会ったレポーターの人。屋上で待ち合わせしててね。なんで待ち合わせしたかって言うとね」

『琴葉、その情報は今はいい。それよりなにかあったんだろ? どうしたんだ?』
「えとね。屋上に寺田さんいなくてね。でも扉にね、なにかついてるの」
『なにか?』
「うん」

そう言いながら、もう一度それをしっかりと見た。
ノブについているそれはまだ乾いていない。
ゾクリと背中に悪寒が走った。

「血・・・・・・血に見えるの。これ、血かもしれないの」
『琴葉』
「どうしよう。違うかもしれないけど、でも・・・・・・」
『琴葉!』

大きな声に思わずスマホを耳から遠ざけた。

「ちょっと! びっくりさせないでよ!」

思わず苦情を言うと、結城は、

『お前が落ち着かないからだ。それよりそこには他に誰かいるのか?』

と、冷静な声で言った。

「ううん。ひとり・・・・・・」
『バカ! お前、命狙われてんだぞ! ひとりで行動するな、って言っただろうが!』

さっきよりも大きな声で叱られる。
そうだった。
そのことを思いだしたとたん、また恐怖が足元からはいあがってきた。

『今、向かってる。すぐにつくから』
「え?」
『他には誰もいないんだろ? だったらそこから動くな』

エラそうな口調も、こんなときには頼りがいを感じる。

「うん。早く来てね」

そこまで言って、私は気づいた。
そうだ・・・・・・。
あと、ここの扉のある壁の裏側だけまだ見てないんだ。
ゆっくりと壁伝いに歩き出す。

『あと5分くらいでつくから』

結城の声にも、

「う、うん」

と、上の空で返事をしながら裏手にまわった私は、

「あ!」

と、声をあげていた。

『どうした?』

その声が遠くで聞こえる。
ガンガンガンと、頭の中で警笛が鳴り出した。
壁にもたれるように座っているのは、寺田だった。
真っ赤な服を着て、両足を投げ出している。
長い髪の毛が乱れて顔にかかったまま、まるで眠っているみたい。

『おい! 琴葉、返事しろ!』

結城の大きな声がスマホから聞こえている。
それでも私は、ふらふらと寺田に近づいて行った。
私が近づいても寺田は微動だにしない。

「寺田・・・・・・さん?」

顔をのぞきこんだ私の目に飛びこんできたのは、目を見開いている青い顔だった。
その目は私を見ていない。
開いた口からなにかこぼれている。

「え・・・・・・?」

その時になって私は寺田の赤い服を見た。
さっきは白いワイシャツだったのに。

___違う。

ワイシャツのままだ。
じゃあ、この赤色は・・・・・・。

『琴葉!』

スマホから私を呼ぶ声が聞こえている。


ぴちゃん


寺田の口からこぼれたそれは、真っ赤な液体。


ぴちゃん


「あ・・・ああ・・・・・・」

真っ赤な服を着ているんじゃない。
血で・・・・・・血で染まっているんだ!
それに気づいた私は、その場にへなへなと座り込んでいた。
足から力が抜けたのだ。
それでも、寺田から目が離せない。


「ひゃあああああああ!」

気づいた時には叫んでいた。

「イヤ、イヤあ!」

その場から逃げたいけど、全然足が動いてくれない!
ジタバタと足を動かしているだけしかできなかった。

『琴葉、おい!』

その声に我に返った私は、スマホを耳につけた。

「結城さん助けて! 寺田さんが、寺田さんがっ!」

声の限り叫んだ。
そして、そこからの記憶があまりない。

覚えているのは屋上の扉が勢いよく開く音。

私の名前を何度も呼ぶ声。


抱きしめられた感覚。


混乱する記憶の中、結城が耳元で、

「大丈夫だ。もう大丈夫」

と、ささやくような低い声だけが聞こえていた。


そして、気づくとたくさんの警察官が屋上にいた。
寺田の死体のまわりを青いビニールで覆う姿。
写真をとる姿。




どれもあやふやで、写真で見たかのようにしか覚えていなかった。













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