文字数 7,087文字

疲れすぎていて眠れないのか、一向に眠気が訪れない。
体はぐったりと疲れているし、目だって開けていられないのに、なぜか頭がさえている。
暗闇の中、寝返りばかりをさっきから何度もしている。
早く寝なくちゃ、って思えば思うほどに目が覚めていく感覚。

原因は明白。
寺田さんの死と、そして・・・・・・。

「誰だろう、あの人・・・・・・」

つぶやく声に答えはない。
結城に抱きついていた女性。
一瞬見ただけなのに、あの顔が脳裏から離れてくれない。
考えたくないけれど、まるでラブシーンのようだったし。
友季子が起きていれば話をして気でも紛らわせるのに、珍しく早々と寝てしまったらしく物音ひとつしない。
電気をつけて起きあがる。
部屋の隅に結城の寝袋と、几帳面にたたまれたジャージ。

「ひょっとして」

あれは結城の彼女で、彼が私と住んでいることを知って抗議に来たのでは?
考えるほどにそのような気がしてくる。
だって、自分の彼氏が女子高生と同棲してるなんて、絶対に許せないだろうし。
で、結城はやさしく言うの。

『あいつは命を狙われてるんだ。俺だってお前のそばがいいよ。でも、仕方ないんだ』

とかなんとか。
彼女は涙を拭いて、

『でも、同じ部屋で寝ることないじゃない。なにかの間違いがあったらどうするのよ』

と、さらに抗議する。
結城はあのバカにしたような笑い方をする。

『あいつと? ありえないだろ。天地がひっくり返ってもありえない』
『ほんとに?』
『ああ、俺が好きなのはお前だけだよ』
『うれしいっ』

それで、街灯の下で抱き合うふたり。
ムカムカする。

「他でやれ、ってのよ!」

膝に抱えた枕をボフッと叩くと、

「なにが?」

と、すぐそばで声が聞こえた。

「げ」

いつの間にか結城が立っていた。
静かにドアを閉めると、結城は私には目もくれずに寝袋を広げた。

「びっくりした。いきなり立ってるんだもん」
「寝てるだろうから」

短くそう言った結城は、床に腰をおろしてネクタイを緩めた。

「あ、うん」

まだ胸がドキドキしてる。
ジャージに手早く着替えた結城はメガネを外すと横になった。
壁の方をむいているから、その表情は見えない。
今日のことのお礼を言わなきゃ。
あと、もし聞けるならさっきの女の人のことを・・・・・・。
背中を見ながらそう考えるけれど、言葉にできない。
向けられた背中がそれを拒絶しているように感じて。

ガサッ

と、寝袋の音を立てて結城が私に顔を向ける。

「眠らないのか?」
「え?」

頭が麻痺したようにジーンとしている私が尋ねると、結城はまた背中を向けた。

「まぶしい」

ひとこと。

「・・・・・・ごめん」

電気を消すと暗闇が部屋に訪れる。
横になってもやっぱり眠気は来ない。
結城もなにも言ってはくれない。
ふいに目頭が熱くなっていることに気づいた。
なんで泣けるのかもわからないけれど、どんどん涙があふれてくる。
結城の存在をすぐ近くに感じたかと思ったら、次の瞬間にはもう遠くに感じる。

彼が冷たいんじゃない。

私が過剰に反応しているんだ。
好きでいればいいだけなのに、やさしさを求めるから苦しくなるんだ。


悲しいのは、恋のせいかもしれなかった。



「屋上でテレビ局のレポーターが殺されたんだってさ。怖いよねぇ」

目を見開いて興奮したような先輩である嶋村の顔は、全然怖がっていない。
むしろ楽しんでいるようにも見える。

「……怖いですね」

思い出したくないのに、あの青空の下の赤い血だまりがフラッシュバックして気持ち悪くなる。

「それだけじゃないんだよ。カメラマンも体育倉庫で殺されてたんだって!」
「えっ・・・・・・」

サーッという音が耳元でするように、血の気が引く。

「今朝、早くに発見されたらしいよ。もう、ニュースそのことで持ち切り!」
「カメラマンまで・・・・・・?」
「もううちの学校有名になっちゃうよね」

嶋村は隣の寮生と「ねー」と、興奮したように言い合っている。
人が死んだのに・・・・・・私のクラスメイトが行方不明だっていうのに・・・・・・。
文句でも言ってやりたいけれど、それよりも恐怖が足元からじわじわと這いあがってくる。

「怖いですね」

本音の言葉だった。

「そいで、今日休校なんだって」
「休校?」
「最近休校多いよね」
「あ、はい」
「今から遊びに行こうか、って話してたとこ」

ああ、それで騒いでたのか。
人が死んだっていうのに、なんてお気楽なのだろう。
まぁ嶋村には関係のない話だし、責めるつもりもないけど。

部屋に戻ると制服を脱ぐ。
友季子はほうっておくと寝ているだろうから、あえて休校のことを伝えなくても良いだろう。
もう少したったら、起こしてあげよう。
きっと友季子のことだから、話半分ですぐに寝ちゃうだろうけれど。
ニュースを見る気にもなれず、怖い気持ちを抱えたままで食堂におりると、ピンクのフリフリエプロンをつけたよしこちゃんが、

「あら、早いのね」

と、声をかけてきた。
さすがに朝だからよしこちゃんの顔は化粧崩れもしていない。
休校が決まったからか、食堂には誰もいなかった。
嶋村のように遊びに行く人と、せっかくだから寝ている人がいるんだろうな。

ギィ

椅子を引いて食堂に座った。
なんだろう、胸がいっぱいで朝だというのに体が重く感じる。

「カメラマンも殺されたらしいわね」

よしこちゃんが誰もいないのに小声で言った。

「らしいね・・・・・・。なんかもう、いっぱいいっぱいで理解不能」
「琴葉ちゃん、朝ごはん取りに行かないの?」

朝食はセルフサービスで、カウンターに並んだ朝食を各自が取りに行くスタイル。
夕食は寮生の担当だけど、朝食だけはよしこちゃんが毎回腕をふるっている。
味もなかなかのものだ。
でも、とても食べる気になれない。

「今日はお腹すいてなくって」
「あらま、めずらしい」

よしこちゃんはそう言うと、カウンターの方へ歩いて行った。
テーブルに肘をついてあごを乗せる。
ため息ひとつ。
そして、ふたつ。
気になることばかりのこの頃。
江梨子や悠香はまだ日本にいるのかな。
ちゃんとご飯食べさせてもらっているのかな。
寺田とカメラマンを殺した犯人は誰だろう。
江梨子たちを連れ去った人と同じ人なのだろうか。
そして・・・・・・。
あの泣いていた女性はいったい・・・・・・。

「はぁ」

ため息をついても、モヤモヤとした気持ちは晴れない。
どれかひとつでも解決すれば、少しは違うんだろうけど・・・・・・。
こんな朝は、見慣れた食堂の景色ですらどんよりモヤがかかっているみたいに感じちゃう。

「はい、これ」

ガチャンと音がして目の前にお皿が置かれた。
お皿には、鮭の切り身と目玉焼き、そしてきんぴらごぼうが盛られている。
続いてご飯とお味噌汁も次々に並べられる。

「食べるのよ」

断ろうと口を開きかけた私に、向かい側に座ったよしこちゃんが言う。

「でも」
「でもじゃないの。食べなきゃ元気でないでしょ」
「うん・・・・・・」

うなずいてはみるけれど、一向に箸に手が伸びてくれない。
みんなのことを考えると、とても・・・・・・。

「のんきに食べるの」
「へ?」

言われた意味がわからずに顔をあげると、毛穴まで見えそうなくらい近い顔があった。

「あのね、琴葉ちゃん。こういうときこそ、ご飯を食べるの。食べ物をとらなきゃ、良い考えだって浮かばないものよ」
「はぁ」
「問題はいったん脇に放置して、今はのんきにご飯を食べるのよ」

鮭を見る。
油が乗っていておいしそう。
ご飯の湯気が宙にとけてゆく。

「うん、わかった。いただきます」

ひと口、ご飯を食べると甘い味が広がる。

「おいしいでしょう?」

ウインクしてみせるよしこちゃんに、こくんとうなずいた。
感謝の気持ちをこめながら。
そうだよね、私まで元気がなくなっちゃったら助けられるものも助けられないよね。
お腹に入る食べ物に、なぜかほっこりと暖かい気持ちになったのが不思議。

「寺田さんを殺した犯人って、やっぱり江梨子たちをさらったのと同じ人なのかな」

ぼそぼそと食べながら、私は口を開く。

「まぁ、そうでしょうねぇ」

湯呑にお茶を注いだよしこちゃんは、それを私にくれるのかと思いきや、自分でグビグビ飲み干した。

「犯人もあせってるよね。殺人までおかしちゃったんだもん。しかもふたりも」
「そうね」

聞いているのかいないのか、今度はご自慢のネイルアートを眺めている。
老眼がはじまっているのか、けっこう目から離して細めて眺めている様が、なんだかおばあちゃんみたい。
私になにができるんだろう。
行方不明になっている5人のために、いったい・・・・・・。

ガシャーン!

思考は2階から聞こえてくるすごい音に中断された。

「なに!?」

思わず体がこわばる。
今のって・・・・・・。

「ガラスが割れた音?」

ゆっくりと眉をひそめながら立ったよしこちゃんと目が合う。

「うん、きっとそうだよ!」

言うが否や、階段まで走り上を見あげた。
どこの部屋から?
駆けあがろうとする私の腕を、よしこちゃんがすごい力で引っ張った。

「危険よ。誰かいるのかもしれない」

聞いたこともないような低い声でよしこちゃんは警告してきた。

「え?」
「まかせて」

私を押しのけると、そばにあったフライパンを右手に持ち、体を低くして階段をのぼってゆく。
その後ろからおそるおそるついてゆく。
何人かの寮生が部屋から顔をのぞかせているのを、右手を振って「部屋に戻れ」を合図をだすよしこちゃん。
真剣な顔に、素直にドアがひとつずつ閉まってゆく。

「あ・・・・・・」

その時になって、私は違和感に気づいた。

「どうしたの?」

口だけを動かして、声には出さずによしこちゃんが私を見た。

「私の部屋・・・・・・ドアが開いてる。閉めたはずなのに」

そう、たしかに閉めたはず。
だけど、それが100%とは言い切れないのが悔しい。
開かれたドアが、少し揺れている。
思い返してみるが、開けたまま部屋を出た記憶はない。
よしこちゃんはうなずくと、フライパンを構え直した。

「おい、誰かいるのか」

低い声はよしこちゃんから発せられていた。

「男の声だ・・・・・・」
「そんなツッコミいいから。離れてなさい」

シッシッと追いやられて、私は壁際までさがった。

「開けるわよ」

犯人に宣言しているのか、私に言ったのかわからないけれど、

「はい」

そう答えた次の瞬間、

「うりゃぁぁぁぁあ!」

よしこちゃんはドアを開けたかと思うと、部屋に駆けこんで行ってしまった。

「よしこちゃん!」

慌てて後を追うと、部屋の真ん中でブンブンとフライパンを振り回しながら、

「キョエー!」

よしこちゃんが奇声をあげていた。
見たところ、誰の姿もなかった。
けれど、あからさまに違うのは、正面にある大きな窓が割れていること。
窓の下に破片が散らばっている。

「なにこれ・・・・・・」

よしこちゃんがすばやくトイレも見回ると、私のそばに来て、

「誰もいないわ」

と、報告した。

ワンルームだし、言われた通り誰の姿もない。
割れた破片が光にきらめていて、こんなときなのに「キレイ」とか思ってしまう。
それどころじゃないのに。

「誰かが割ったの?」

よくわからないまま尋ねると、よしこちゃんが隣で、

「勝手に割れるわけないから、そうでしょうね」

と、ごもっともな感想を述べる。

「でも、誰が?」

まさか、犯人?

「脅迫状にあったわよね。『捜査を打ち切らなければ、大切な恋人の安全も保障しない』って」

そう言うよしこちゃんは悔しそうな顔をしている。
破片はベッドの足元にまで広がっていて、もし部屋にいたら、と思うとゾッとした。
相手は本気なんだ・・・・・・。
結城に電話で事情を説明すると、すぐに来てくれるとのことだった。
まだドキドキする胸を押さえていると、ふとあることを思い出し、文字通りスーッと血の気が引く。
大切なこと、忘れてた。

「よしこちゃん!」
「なによ、急に大きな声出さないでよ」
「友季子は!?」
「へ?」
「友季子がまだ部屋にっ!」
「ええええ!」

友季子のことをすっかり忘れていたなんて。
急いで隣の部屋に向かうと、ドアを思いっきり叩く。

「友季子、友季子!」
「友季子ちゃん、返事してちょうだい!」

よしこちゃんも壊れるかと思うほど強く、何度もドアを引っ張った。
友季子をひとりにした。
ひょっとして、友季子の身になにかが!?
どうしよう。
友季子になにかあったら、どうしよう!?

ガチャッ

カギが外される音がして、ドアがゆっくり開く。

ゴクリとつばを飲む。

「おはよう・・・・・・。もう朝?」

そこには、ボサボサの頭で半分まで眠っている友季子が立っていたのだった。



結城が警察官を連れてやって来たのは、それから30分後だった。
現場検証、とやらをしている間、私たちは食堂で待っているしかないわけで。

「窓ガラスが割れる音なんて聞こえなかったよ」

まだ目が覚めていない友季子がぼやいた。
着がえはしているけれど、まだ頭が爆発している。
いつにも増して、今日はかなり寝起きが悪いみたい。

「どれだけ深い眠りなのよ。ほら、濃いお茶」

呆れ顔で湯呑を置いてから、よしこちゃんも前の席に腰をおろし、

「はぁ、もう展開についていけないわよ」

と、天井をあおぎ見た。

「ほんとだね」

最近のこの展開はなんなの?
それもこれも、全部結城と出会ったがために起こったことのように感じる。
いや、ちがう・・・・・・。
女子高生の行方不明はその前からあったことだし、江梨子だっていなくなったのはその前の話。
だけど、いろんなことが起こりすぎて、もう頭がパンクしそうになっている。
階段をきしませる音にぼんやり目をやると、結城が食堂に降りてきたところだった。
大股で当然のように私の横に座ると、

「ご連絡ありがとうございました」

と、律儀によしこちゃんに向かって頭をさげた。

「で、なにかわかった?」

お茶を結城の前に置いたよしこちゃんに、結城は「ええ、まぁ」とうなずいた。

「なによ、歯切れ悪いじゃない。こっちは命の危険にあったっていうのに」
「捜査上のお話はできないことになっています。しかし、犯人が本気だということがわかりました」
「それで? これからどうするつもり?」

なんかよしこちゃんの目がすわってきているなぁ、と思ったらいつのまにか、よしこちゃんの湯呑に入っているのはお茶ではなく焼酎だった。
まだ朝っていうのに!
結城は気づいているのかいないのか、メガネを少し上にあげながら、

「警官を外にも配置するよう指示しました。今回のような危険な目には合わせません」

と、神妙な顔を作った。

「ねぇ」

私の声に、結城がそのときはじめて視線を合わせた。
一瞬言葉につまるけれど、それどころじゃないんだから、と自分に言い聞かせる。

「やっぱりこれって『余計なことをするな』っていう警告なの?」
「まぁ、そうだろうな」

江梨子や悠香の行方はわかったの?
まだ海外には出ていないの?
聞きたいことは山ほどあった。
だけど、なにも言えずに口をつぐむ。
それは、昨日屋上で見た寺田の姿がどうしても頭に浮かんでしまうから。
ひょっとしたら、私も寺田やカメラマンみたいに殺されるかもしれない。
なにも言わない私を見ながら、結城は立ちあがると、

「すぐにガラスは元に戻させます。念のため強化ガラスでお願いしました」

と、よしこちゃんに向き直った。

「そう。でも、これ以上ごめんよ」
「よしこちゃん?」

問いかける私に答えずに、よしこちゃんは同じように立つと結城に近づいた。
息が触れるほどそばにいくと、まっすぐに結城を見る。

「琴葉ちゃんをこれ以上危険な目には合わせられない。次になにかあったら、アタシが許さないから」

低い声に結城が黙ってその目を見つめ返す。

「はい、わかっています。でも、捜査は中断できません。一刻も早く犯人を逮捕してみせます」
「勝算はあるの?」
「それはまだわかりません。しかし」

そう言って、私を見おろす。

「今回のことで、いくつか手がかりもありました。犯人逮捕に一歩近づいたと思っています」
「ほぇ?」

突然そう声を出したのは、友季子だった。
寝ているのかと思った。
友季子は、

「手がかりって、なぁに?」

と、まだ半分開いていない目でたずねた。

「窓ガラスの割れ方、かな。とにかく、一度本部に戻ってすぐに戻ってきます。琴葉」
「え?」
「今日はここにいろ。戻って来るまでは絶対に外に出るなよ」

答えを聞く間もなく、結城はきびすを返し歩き出す。

「わかった」

そう言ったときには、結城はもう食堂から外に出て行ったあとだった。





















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