文字数 3,959文字

第一章 『最悪の出逢い』


――それは、財布のように見えた。

学校帰りにコンビニに寄ってから帰るのが、私の日課。
夏の夕暮れ、駅前にぽつんとあるベンチ。
何気なく目をやったのが、そもそものきっかけだった。
白いベンチの上に、なにか置いてあるのが見えたのだ。
赤い色の財布がコントラストのせいでやけに目立っていた。

なんだろう?

近寄ってみると、それはまさしく財布そのものだった。
赤色の二つ折りで若い子に人気のブランド製で、私の友達でも愛用している人はいる。

「・・・・・・困ったな」

キョロキョロとあたりを見回してみる。
今にも落とし主が走ってきそうなのに、さすがここは田舎町。
駅前だというのに、歩行者の姿は見当たらない。
持ち主を確認しようにも、勝手に財布を開けるのもためらわれる。
ここから最寄りの交番までは目と鼻の先だから、持っていけないことはないけれど・・・・・・。

「あ、門限っ」

慌ててスマホを確認すると、もう6時半を過ぎてしまっている。
ということは、非常にヤバい状況なわけで……。
私の住んでいる寮では、異様に門限が早くて厳しいことは有名だ。
寮母の“よしこちゃん”にうるさく言われるのもイヤだし…。


「よし。コンビニから帰ってきて、まだここにあったら届けてあげるね」


財布にそう告げると、私は元の位置に戻した。
ちょっと罪悪感はあるけれど、今は急いだ方がよい。
よしこちゃんが怒ると、手をつけられないからなぁ……。

「琴葉ちゃん、今帰り?」

コンビニの自動ドアをくぐると、店長の奥さんが声をかけてきた。
この、小さな町にコンビニはひとつしかない。
オーナーの奥さんともすっかり顔なじみだ。

「そうなの。遅くなっちゃった」

答えながら、明日の昼食分のパンと麦茶を選んでレジに持っていく。
昼休みに購買部に並ぶくらいなら、前の日に買っておくほうが時間を有効につかえるので、いつもそうしている。

「まさか、補習受けてたとか?」

奥さんがいじわるそうに笑う。

「違う違う。友季子としゃべってただけ」
「あら、友季子ちゃんは?」

おつりを手渡しながら奥さんが尋ねる。

「友季子は今日、夕食当番。さっさと走って帰っちゃった」
「はは。寮生活も大変だ。気をつけて」

奥さんに手を振って、コンビニから外に出る。
夏とはいえ、夕暮れは間もなく夜の黒に変わりそう。
東京に住んでいた私は、どうしてもこの町にある学校に行きたくて親を何か月もかけて説得した。
田舎だけど、ここには私のレベルでも入れる『薬剤科』というクラスがあったから。
将来の夢は『薬剤師』。
お薬でみんなを元気にしたい、なんて願望は持ってないし口にすることはできない。
ただ、なぜか昔からあこがれていたから、それが夢になるのも自然な流れだった。
正直に言えば、幼い頃に見たドラマの影響で白衣にあこがれたのがきっかけ。
ここの高校に通い、そのまま系列の大学に入るつもり。
本当ならひとり暮らしをしたかったけれど、両親の猛反対に苦戦して『寮なら』という妥協案に納得するしかなかった。
ま、行かせてもらえてるだけでも感謝感謝。
門限が早いのがたまにキズだけど、それなりに楽しく過ごせているし。

「あ・・・・・・」

駅前に差しかかり、さっきの財布のことを思い出した。
まさか・・・・・・もう、ないよね?
落とし主には悪いけれど、財布が落ちてたら誰かが持っていくだろうし。
運よく、交番に届けてくれるといいな・・・・・・。
ベンチが見えてくる。
さっきはついていなかった街灯が灯り、ほのかなスポットライトのようにベンチを照らしている。
その中央に、財布はまだそこにちょこんとあった。
飼い主を待つ犬のよう。
ため息をつくと、それを手に取った。

「・・・しょうがない。君を届けてあげよう」

右手に持って、交番のある方角へ進路を目指す。
7時の門限には、急げばなんとか間に合うはず。
風もないこんな夕暮れは、まだ昼間の暑さが残っている。
一歩進むごとにHPが減ってゆくゲームの勇者みたい。
すぐ近くにあるはずの交番も、果てしなく遠く感じた。

ようやく交番にたどりついた時には、背中に汗をかいていた。
どんどん消えてゆく赤色の空にあせりながら、中をのぞく。

「すみません」

引き戸を開けようとしたが、開かない。

「あれ?」

ガチャガチャ引っ張ってみるが、鍵がかかっているようだ。

「もう!」

せっかく持ってきたのに、留守?
なにか事件があったらどうすんのよ。
それより、時間だ。
ヤバいよ、早く帰らなくちゃいけないのに・・・・・・。
ガラス越しに誰かいないのか、のぞきこんでいると、

「おい」

と、後ろから声がかかった。
自分に言われたとは思わず、せまい交番の中をじーっと見ていると、

「おい、そこの学生」

肩をつかまれる。

「ひゃ」

驚いて振り向いた私の前に立っていたのは、スーツを着た男性。

「お前、なにしてんだ?」
「あ・・・・・・」

驚きのあまり声を出せない私は、口をぽかんと開けて男を見た。
20代半ばくらいのスラッとした男。
長身だけど骨格がしっかりしている印象で、紺のスーツに、黒いメガネをかけている。
目つきが鋭く、私をじっと見ている。

「交番、開いてないのか?」
「・・・・・・あの」
「パトロールにでも出かけてんだろ」
「はぁ」
「で、なんの用?」

あ、そうだった。
男の眼力に押されていた私は、右手に持っていた財布を男の目の前に見せた。

「これ、落とし物です」

男は、メガネを人差し指で直しながら、

「財布か」

とつぶやくように言った。

「あっちにあるベンチに・・・・・・」
「預かろう」
「は?」
「よこせ」

右手を伸ばして財布をつかもうとする男をかわして、私は手をひっこめた。

「い、いやです」

いぶかしげに男が私を見た。
いや、にらんでいるように見える。
ていうか、絶対にらんでいる。

「なんでだよ」
「あなた、誰ですか? 私は交番に落とし物を届けにきたんです。見ず知らずの人になんて渡せない」

勇気をふりしぼって素直な気持ちを男に伝える。
めちゃこわいんですけど。
めちゃにらんでくるんですけど。
でも、こんなあやしい男になんて渡せない。
しばらく男は私をじーっと見てきたが、やがて、

「フッ」

と、口角をあげた。
笑っているつもりなのだろうが、笑顔になってない。
むしろ余計に怖い。

「な、なにがおかしいんですか?」

私のバカ!
なんで余計なことを言うのよ!
男は、肩をすくめて、

「やれやれ」

と、内ポケットから名刺を取り出すと、私に差し出した。
警戒しながらも、それを受け取り、目の前に持ってくる。

『中央警察署 刑事課
      刑事部長 結城 駿』

「刑事・・・・・・」

中央署と言えば、市内でも一番大きい警察署だったはず。
そこの刑事ってこと?
まぁ、たしかに、鋭い目はそれっぽいけど・・・・・・。
そっちのスジの人かもしれない、と思っていただけに少しだけ安心した。

「そういうことだから」

と言いつつ、結城は手を差し出した。
目線の先には私の持っている財布がある。

「ま、まだ渡せないっ」
「お前なぁ・・・・・・」

あきれたような顔をして、結城は一歩私に迫ってきた。

「だって」

とられてたまるもんか。
財布を体のうしろに隠しながら、私は言った。

「名刺なんて誰でも持ってるでしょ。拾ったやつかもしれないし。ほら、あの…なんだっけ。定期券みたいなの見せてよね」
「アホか。それは警察手帳って言うんだ」

そう言いながら結城は、再度胸ポケットに手を入れて黒い手帳を出すと、投げるように私に渡した。
はじめて見る警察手帳は、いたってシンプルながら意外に重かった。
ページをめくると、確かに、結城の所属と名前が書いてあった。
写真もある。
目の前でしている表情と同じく、ムスッとしている。
なんて愛想のない顔なんだろう。
顔を見ただけで、どんなけ横柄な人か伝わってくるよ。
でも・・・・・・どうやら、刑事であることは間違いないみたい。
なんだか勝負に負けたような気がしながらも、私は警察手帳と財布を結城に渡した。

「生徒手帳も」
「え?」
「落とし物の届け出には、拾い主の情報が必要。生徒手帳出せよ」

ヒラヒラと手をふって要求する結城。
なによ、エラそうに。
心で反抗しながらも、私はカバンのサイドポケットから生徒手帳を取り出すと、結城に渡した。

「ふーん。石田琴葉、高校2年生か」
「・・・・・・」
「寮に住んでるのか?」
「寮に住んでちゃ悪い?」

バカにされているような気がして、私はタメ語で尋ねた。

「いや、このあたりの人間ぽくないからな」

なんだか分からないけど、ムカムカした私は結城の手から、

「もういいでしょ」

と、生徒手帳を取り返した。

「フン。ま、ごくろーさん。これは預かっておくから」

財布を見せてから、内ポケットにしまう。

「・・・・・・高校生だからって」
「あ?」
「高校生だからってバカにしないでください。明日交番で確認しますから。あなたがちゃんと財布を渡してくれたかって」

なにか言ってやらないと気が済まなかった。
私が挑むように言うのを、結城はしばらく目を細めて見ていたかと思うと、

「お前」

と口を開いた。
一瞬、間を置いてから結城は言い放つ。


「かわいくねーな」




















ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み