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第二章 『刑事との日々』


あれから何日かが過ぎたけれど、結城からの連絡は、ない。

ま、いいけど。

友季子はしょっちゅう橘と連絡を取り合っているらしい。
なんだか、『いい感じ』とのこと。

ま、いいんだけどね。

「なんか元気なくない?」

隣の席の宮崎悠香が話しかけてきた。
今は、ちょうど昼休み。
みんなお弁当を食べ終わって、おしゃべりに忙しい時間。
教室の中には笑い声や男子の雄叫びなど、いろんな音がうずまいている。
友季子は、『橘と電話しにいってくる』と言って出て行ったまま帰ってこない。

「別に、全然元気だよ」

笑ってみるけど、実際私は元気がない。
てか、モヤがかかったみたいにスッキリしない気分が続いている。
それは間違いなく、結城のせいであって。

「そう? なんかヘンだよ」
「へへ。ありがと」

悠香は勉強だってできるし、顔だって女の私から見てもめっちゃかわいい。
それにひきかえ・・・・・・。
後ろを振りかえる。

「なに見てんだよ」

私のうしろの席に座ってるのが、悠香の彼氏の香川浩太。
お調子者で、自称『クラスのムードメーカー』らしいが、さわがしいだけだと思うんだよなぁ。
とても高校2年生には見えない。

「悠香、私になんかあったら言いなよ。コータのこととかさ」
「うるせー。俺がなにしたってんだよ」

悠香は困ったような顔をして笑っている。
ふと、また結城の顔が浮かぶ。
ブンブンと首を振ってそれを消していると、悠香が顔をのぞきこんできた。

「でもさ、琴葉。なんかあったんじゃないの?  最近元気ない気がするんだけどな」

うしろから浩太が、

「琴葉から元気とったら何残るんだよ。珍しい」

とからかってきた。

「うるさい」

浩太をギロッとにらんでから、悠香を見る。
うう……、やっぱりこのモヤモヤを聞いてもらいたい。

「あのさ・・・・・・。実は、この間、“壁ドン”やられたんだよね」
「ええっ! それ、ほんと?」
「夢の中でじゃねーの?」

浩太はムシすることにして、私は悠香に顔を寄せた。

「でもさ、それが複雑な事情でね。恋人でもなんでもないの。恋人のフリをさせられてね」

あのときの、結城の息づかい。
メガネ越しの目。
抱きしめられた感覚。
それらをこの数日、何度思い出しただろう・・・・・・。
思い出すたびに、心臓が鼓動を強めている。
あの暗い空間での時間が、記憶だけじゃなくて身体にも残っている。
でもそれは、警察署での私の暴走の記憶につながってゆくわけで・・・・・・。

そしてまた、ため息。

「なんだかよくわからないけど、それって危なくない?」

悠香が声をひそめて言う。

「危ない?」
「うん。ほら、最近変な事件はやってるでしょう?」
「ああ、そうだね・・・・・・」

この一か月、高校生が行方不明になる事件が、この市内で3件起きている。
警察の捜査にもかかわらず、誰ひとり発見されていない。
家出したのか、事件なのかもわかっていないそうだ。

「ほら、月曜日からさ・・・・・・」

そう言って悠香が教室の右側最前列にある席を見た。

「え、江梨子? 風邪じゃないの?」

松下江梨子は確かに月曜日から休んでいた。
風邪だと先生は言っていたけれど・・・・・・。

「見たんだってさ」

浩太の声に振り返る。
いつもの悪ふざけもなく、浩太は静かに言った。

「悠香が、昨日江梨子の家の前を通りかかったらさ、パトカーが停まってたんだって」
「え?」

悠香の顔を見ると、彼女は静かにうなずいた。

「江梨子の家の前じゃないよ。すぐ近く。・・・・・・でも、なんだか気になっちゃって。ウワサになるから内緒ね」

そう言って心配そうにため息をついた。

「・・・・・・うん」

江梨子の席をもう一度見た。
まさか、違うよね。
たしかに高校生が行方不明になる事件が続いているみたいだけど・・・・・・。
そんな事件が、このクラスで起きるわけがないもん。

キーンコーン

チャイムの音が鳴りみんなが自分の席につく。
午後の授業は英語から。

「え? 友季子、戻ってきてない」

友季子の席に、彼女の姿はなかった。
橘との電話が長びいてるのだろうか?
さっきの悠香の話もあるし、まさか学校から失踪ってことはないだろうけど、ソワソワと落ち着かなくなる。

「あれ?」

当の友季子が、入り口からひょっこり顔だけ出した。
私のほうを見るとにっこり笑いかける。

……なにやってんの?

眉をひそめる私に、こっちに来いと手をふっている。
もう授業はじまるんですけど。
首をかしげて見せるが、友季子は笑って手をふり続ける。
行けないよ、と首をふると、友季子はわざと泣いてるような顔をして、顔をひっこめた。

「なにやってのよ、もう」

机の中から英語のテキストを取り出し、何度目かのため息をついた。

「ねぇ、あれだあれ?」

悠香が私に聞く。

「え?」

顔をあげると、そこには、

「橘さん!」

橘刑事が顔をのぞかせてこっちを見ているではないか。
うしろで友季子も顔を出して、また手をふってる。
教室がざわつき出す。
なんで橘刑事までここにいるの!?
パニックになりながらも急いで教室から出ると、そこには橘と友季子がにこにこと笑って立っていた。
うしろ手に扉を閉める。

「ちょ、なにやってるんですか!?」
「えとね」

友季子が橘を見て笑いながら言う。

「電話で話してたら、ちょうど橘さんたちがこっちに向かってるとこだったの」
「すみません、ちょっとお話をうかがいたくてですねぇ」

申しわけなさそうに橘が頭をかいた。

「え? 今?」
「結城刑事が会議室でお待ちです」

その名前にドキッと胸が鳴る。
あの日以来、一日も忘れたことがない顔がまた脳裏に浮かんだ。

……なんで?

あんな自分勝手でムカつくやつなのに、なんで気になるの?
なんで心に居続けるのよ。

「行きたくない」

知らずに私は声を出していた。

「琴葉?」

友季子が顔をのぞきこむ。

「行きたくない。なんで協力しなくちゃいけないの? 話なんかしたくない」

両手をぎゅっと握りしめていた。
会いたくない。
会いたくない。

会いたい。

違う、会いたくない。
橘は困ったような顔をしていた。
見なくても視界に入ってきてる。

「どうしたの琴葉?」

とまどったような友季子の声。
私は、鼻から息をこぼすと、

「ごめん」

と小さく謝った。
なにに謝っているのかもわからないけど。

「石田さん。この間、結城刑事とやりあったそうですね。同僚から聞きました」

私は何も答えない。

「結城刑事は、悪い人ではないです。ただ、ちょっと言葉選びがヘタなだけなんです。女性に慣れていないんですよ」
「そうですか」
「それに」

そう言うと、橘は言葉を止めた。

「今回は、松下江梨子さんのことで話を聞きにきたんです」
「江梨子の?」

橘は真剣な顔をしていた。
静かに彼はうなずく。

「少しのお時間、お話を聞かせてください。許可はとってありますから」

悠香の言葉がよみがえる。
江梨子の家にパトカーが停まっていたって・・・・・・。
風邪じゃないの?
まさか・・・・・・。

「わかりました。行きます」

そう短く言うと、私は廊下を歩き出した。


キュッキュッという音が響いて、悪い予感が胸を満たした。

会議室の前には、担任の山本先生が立っていた。
中年太りできつそうなズボンの上にお腹が乗っている。

「石田、大丈夫か?」
「はい」

会議室のドアを見つめる。
この中に、結城がいる、と思うと逃げ出したくなる。
話をしたくないのは、早く忘れてしまいたいから。
でも、今は江梨子のことが先だ。

「知ってることを話せばいいからな。先生は表にいるから、いつでも声をかけろな」
「はい」

広い会議室の大きなテーブルの真ん中に結城は座っていた。
うつむいた姿勢で資料らしき紙をめくっている。
私が入ってきたのを知っているくせに、こちらを見ようともしない。
向かい側に立ち、黙って椅子に座った。

胸が。
胸が、痛くなる。

___私は。私は・・・・・・。

ギュッと唇をかんだ。
今はそんな場合じゃない。

「江梨子のことですか?」

背筋を伸ばして声を出すと、資料を見たまま結城は、

「ああ」

と、うなずく。

「月曜日から学校には来ていません」
「らしいな」

メガネを直しながら、足を組んだまま私を見た。
その目に、すいこまれそうになる。
視線が離せない。

「風邪、じゃないんですか?」

あくまで丁寧に私は話す。
感情を出してはだめ。
嵐のように巻き起こる感情の風に、必死で耐える。

「行方不明だ。金曜日の夜から家に帰っていない」
「金曜日の夜?」
「今日が水曜日だから、もう6日も行方不明だ。なにかしらの事件に巻きこまれた、と我々はみている」

結城が資料をめくりながら言った。
否が応でも、さっき悠香が言った言葉が頭をよぎる。

『ほら、最近変な事件はやってるでしょう?』

江梨子があの事件に巻きこまれて・・・・・・?

「それって、ひょっとして、あの事件・・・・・・?」

結城が私を見て3秒あとにうなずく。

「4件目の失踪者の可能性が高い」
「ウソ・・・・・・」

女子高生の連続失踪事件。
その4人目が・・・・・・江梨子だと言うの?
まさか。
思わず笑いそうになるが、結城は真剣な顔をしている。
だけどどうして私が呼ばれたの?
たしかに江梨子とは友達だけど、私より仲のいいクラスメイトはいるはずなのに。

「琴葉、もう一度あの財布を見つけたときの状況を思い出せるか?」

言われた内容がわからずに、ぽかんと結城を見た。
……財布?
財布って、私が金曜日の夜に見つけたあの赤い・・・・・・。
あの財布と江梨子がどういう関係が?
目の前がグラッと揺れたような気がした。

めまい。

頭がぼんやりとして、視界がぐらぐらと回っている。

「大丈夫か?」

気づくと隣に結城がいた。
ハッと意識が戻って、結城を見た。

「財布って、ねぇ、財布って」
「琴葉が拾った財布の持ち主、それが松下江梨子だったんだ」
「ウソ!」

大きな声が出て、とっさに自分の口を両手で押さえた。
そんな!?

「松下江梨子は、あの場所に財布を置いて失踪したんだ」

口をおさえている手が震えだした。

「じゃあ、じゃあ・・・・・・、私がもっと早く見つけていれば江梨子は」

コンビニなんて行かずに、あたりを探していたら。
あれが江梨子の財布だって、すぐに気づいていたら。
江梨子は失踪せずに済んだの?

「違う。琴葉、違うんだ」

鼻が痛くなり、はらはらと涙がこぼれた。

「う・・・・・・」

どうしよう。
どうしよう・・・・・・。

「聞け、琴葉。この犯人は、かなり用意周到だ。ひとりになる機会を狙って彼女たちを連れ去っているとみている」
「でも、でも」
「これは失踪、というよりも連続誘拐事件だと警察はみている。琴葉の気持ちはわかるが、お前のせいじゃない。どうしようもなかったんだ」
「でもっ!」

私は結城を見ようとがんばったけれど、涙でぼやけてしまっている。

「私が、私がっ」

瞬間、目の前が真っ暗になった。
ああ、あのスーツの匂い。
気づくと、結城が私を抱きしめていた。
強い力が背中に加わる。

「どうしようもなかったんだ」

厚い胸に顔を押しつけられ、低い声が耳に届く。

「うう」
「琴葉、大丈夫だ。しっかりしろ」
「うえ・・・・・・」
「あの日の状況を思い出すことが、松下江梨子を救う糸口になるかもしれない」

その言葉にハッとする。
そうだ、まだ江梨子を助けられるかもしれない。
スーツから顔を離して、私は鼻をすすった。

「ほら」

結城がハンカチを出して渡してくれる。

「・・・・・・」

素直に受け取り、涙をぬぐった。
……私が、私が江梨子を助けるんだ。
結城を見ると、まっすぐに私を見てだまってうなずいた。
彼の右手が私の頭に乗せられる。

「えらいぞ」

そう言いながら、ポンポンと軽く叩いた。
江梨子のことを思うと、胸が張り裂けそう。
すぐ近くにいたのに・・・・・・。
なにも気づかずに、私はぼんやりと財布を見ていたなんて。

「俺たちは、松下江梨子が誘拐されたとみて捜査をしていた。そんなとき、あの日クラブで受け渡しがあるという情報をキャッチしたんだ」

顔をあげる。
そうだ。
あの小太りのヒゲ!

「ねぇ、あの男が犯人だったんでしょう? だから逮捕したんでしょう!?」
「いや」

結城は首を横にふる。

「金をもらっていた男は、誘拐の協力者だと思われる。でも、もうそれもわからない」
「わからないって、どういうこと?」
「ヤツは、留置所で隠し持っていた毒薬を飲んだんだ。・・・・・・死んだよ」
「そんなっ。え、江梨子は!?」

あの男が死んだなら、せっかくの逮捕が!?
どうして、自殺なんて。

「ヤツが金をもらっていたのは確かだ。でも、渡していた男は、逮捕できなかった」

黙って結城から視線を落として自分のひざを見つめた。

「これから……どうするの?」
「あの男が死んだ以上、ヤツが松下江梨子を誘拐したという証拠はない。琴葉が財布を拾った時間の前後の、付近にある監視カメラを調べてみるしかない」
「・・・・・・」

不安げな私の顔に気づいたのだろう。

「約束はできないけど、全力で捜査するから」

そう言って、結城は私を見た。
その表情が、いつもよりやさしく見える。

少しだけホッとしたような気がしたけれど、心は闇に染まるよう。








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