文字数 4,501文字

最終章 『エピローグ』


「ちょっと待ってよぉ」

声に振り向くと、松葉づえをつきながらよしこちゃんが不満げな声を出して追いかけてきていた。

「よしこちゃんはまだ入院中なんだからね。同じ病院なんだから、いつでもお見舞い行けるでしょ」

そう言って苦笑する自分に、久しぶりに笑ってるな、なんて思った。
今、私はよしこちゃんのお見舞いに総合病院に来ている。
このあとの予定を聞いたよしこちゃんが、「アタシも行くわ!」と鼻息荒く言ったので、こうしてふたりで向かっているところ。
日差しは今日も強く、病院の廊下を明るく染めている。
暑い夏に起きたこの事件。
普段なら楽しい夏休みも今は少し悲しい。

「だってぇ、せっかくだから戦友同士でお見舞いしたいじゃない?」

すっかり元気を取り戻したよしこちゃんは、バッチリ化粧をしているが、

「寝間着が男性用なのが許せないの」

と、持参したフリフリのパジャマを揺らして言う。

「はいはい」

この元気があれば大丈夫。
きっとすぐに元気になるよね。
目的の部屋の前には警官がいた。
お見舞いに行く連絡はしているが、念のため学生証を見せてから病室のドアを開けた。
明るい病室のベッドに体を起こして、なにかを書いていた彼女が顔をあげた。

顔色はまだ悪く見えるけれど・・・・・・。
せいいっぱいの元気な声を出して私は言う。

「友季子、久しぶり」
「ほんとだね」

友季子は悲しくほほ笑んだ。


___あの事件から、10日が過ぎていた。


最後の発砲に崩れたのは、橘だった。
心臓を撃ち抜かれての即死だった、と聞いた。
その混乱の中、結城がまっすぐに私に駆けてくるところで意識は途絶えた。
やはり、強い睡眠薬のせいらしい。
病院で胃の洗浄を受けた私は、飛んで来た両親によって実家へと強制送還。
実家のテレビのニュースでしかその後のことは知らない。
事情聴取は見たこともない刑事が実家まで来てくれて終わっている。

「みんな助かってよかったわね」

よしこちゃんの声に、私もうなずく。
江梨子をはじめとする監禁されていたみんなは、無事、近くの船の荷物の中から発見されたそうだ。
睡眠薬の点滴をされていたらしいが、回復している。
江梨子も悠香も、未だ心の傷は癒えていないみたいだけど、さっき会ったら笑えるようになっていた。
当然、悠香の隣には番犬のように浩太がいたけれど。
海外で待ち構えていると思われた犯人は、状況を察してか港に現れなかったらしく、未だ組織の解明まではいってないらしい。

「もう痛くないの?」

そう尋ねる私に友季子は少しだけ笑って、手元の紙を封筒に入れた。
手紙を書いているようだった。

「よしこちゃんと同じように足を撃たれたのに、意識失うなんてね。痛みはだいぶマシになってるよ」
「うん。てっきりお腹あたりを撃たれたと思ってたから、本当に良かった……」

ここに来るまでの間、ずいぶん悩んだ。
何度も繰り返し、自分に聞いた。

『友季子になにを言ってあげられるの』って。

それは今も同じ。
友季子は体中から大きく息を吐くと、窓の外に視線をやった。

「今もね、信じられないの。あれは、全部夢だったんじゃないか、って思う」
「友季子ちゃん・・・・・・」

隣で震えるよしこちゃんの声。
やっぱり私はなにも言えない。
だってもう、友季子の愛した橘はいないから。

「でもね」と、少し笑うと友季子は自分の手元に目線を落とす。
「きょうちゃんのことが好きだった。はじめて会ったときから好きでたまらなかった。バカみたいだけど、きょうちゃんも同じように想ってくれているんだ、って勝手に思ってたの」
「女なら誰でもそうよ。友季子ちゃんだけじゃないのよ」

よしこちゃんが涙声で言う。
私もうなずいた。
けれど、友季子は「ううん」と否定した。

「でもちがった。きょうちゃんは私のことなんて見てなかったんだよね」

あごのあたりが震えている。
きっと、今日までずっとそのことを考えていたんだ。
たったひとりの病室で、ずっと橘のことを・・・・・・。
思わず友季子のそばに行ってその手を握った。
びっくりした涙目の友季子と目が合う。

「友季子、これを言ったらもっと苦しめちゃうかもしれないけど聞いて」
「え?」
「友季子が撃たれたとき・・・・・・ね、あのときの橘さんは本気で動揺していた。何度も何度も友季子の名前を呼んでいたんだよ」

きょとんとしたその表情から、友季子の真意は読み取れない。
だけど、私は見た。
そして感じたから。

「橘さんは友季子を本気で好きだったと思う。ひょっとして友季子を撃ってしまってから、それに気づいたのかもしれない。だけど、あの動揺は本当の感情だと思う。少なくとも私はそう信じてる」
「……ほんとうに?」
「琴葉ちゃんが言ったことは、本当のことよ。ウソじゃない。いつもウソの仮面をかぶっていた橘さんが、はじめて本当の表情をしていたもの」

よしこちゃんがうなずくと、友季子の目に光る粒が生まれた。
どんどん大きくなり輝きを増す。
そして、ポロポロとこぼれ落ちた。

「そっかぁ。そうだったんだね・・・・・・」

声をあげるでもなく、友季子は何度もくりかえしそう言いながら涙を流し続けていた。
よしこちゃんと別れて総合病院を出ると、まっすぐに寮に向かって歩く。
見慣れたはずの景色も、久しぶりだからかちがって見える。
騒がれていた事件も、きっとそのうち忘れ去られてゆくのだろう。
残された人の悲しみは癒えなくとも、時間がそれを置き去りにしてゆく。
曲がり角を曲がると、ようやく寮が見える。
なつかしささえ感じながら、中に入るとようやく大きく深呼吸をした。
早く友季子やよしこちゃんが戻ってこられるといいな。
そうしたら、またいつもの毎日に戻ろう。

階段をあがり、部屋のカギを開ける。

「あ・・・・・・」

ドアを開けた私の視線の先に、結城がいた。
窓辺に立って、私を見ている。

「結城さん・・・・・・」
「お帰り、琴葉」

久しぶりに見るその顔。
連日の報道や、警察の不祥事にさすがに疲れた顔をしている。

「どうした……の?」

部屋のドアを閉めてから、荷物を絨毯に置いた。
不思議。
結城がここにいるような気がしていたかのように、心は落ち着いている。

「ああ。荷物を取りに来た」

結城の足元には、まとめられた寝袋やトランクがある。
そっか・・・・・・。

「捜査は終わりだもんね。これで同棲も解消ってわけだね」

ことさら明るく言う私。
まるで自分じゃないみたい。
いつか、こうしてさよならをする日が来るのはわかっていた。
だからつらくなんかない。
悲しくない。

「いろいろ悪かったな。お前をたくさん危険な目にあわせてしまった」

眼鏡の奥のその瞳を見つめることができず、私はうなずいた。
いろいろ、ってひと言では言い表せないくらいの出来事たち。

「実家にもお見舞いに行けなくて、すまなかった」
「大丈夫だよ。私こそ助けてもらって感謝してるよ。あのまま売り飛ばされるはずだったんだから」

そこまで言ってからふと、気になった。

「ねぇ、どうしてあの地下に私がいることがわかったの? よしこちゃんの後をつけてたの?」
「いや」
「じゃあ、橘さんを疑ってたの?」
「それも違う」

そう言うと、結城が私に近づいて胸のあたりを指さした。

「そのペンダント」
「え? これ?」

取り出して見せると、結城はゴホンと咳払いをひとつする。

「それに、GPSを仕込んでおいたんだ」
「ぶ。なにそれ」
「いや、ペンダントはちゃんと買ったんだぞ。それこそ何時間も店で悩んで選んだんだ」

なぜか胸を張る結城を見て思わず笑ってしまう。
必死で選んでいる姿がなぜか容易に想像できたから。

「でも、GPSを?」
「まぁ・・・・・・な。琴葉が人の言うことを聞かないヤツってことくらい、すぐにわかったから。それにいざという時は、すぐに助けたかったから」
「ふうん」

私の声を呆れたようにとらえたのか、結城は、

「だいたいお前が、人の言うことも聞かずに飛び出すからだぞ」

と、逆に非難してきた。

「それは結城さんが友季子を疑うからでしょ。結局は結城さんの推理ミスだったんだから」
「ふん。でも半分は当たってただろうが」
「同僚をまず疑うべきでしょ」
「く・・・・・・。でも、そのおかげでお前の居場所もわかったし、今だって、お前がここに向かってるのがわかったんだ」
「それってストーカーみたい」

そう言いながらも私は笑っていた。
最後のシーンにこういう『サヨナラ』が、ひょっとしたらふさわしいのかもしれない。

「もう行くの?」
「ああ。まだまだ警察は叩かれている真っ最中だし、俺ですら疑われてるしな」
「そうなんだ。がんばってね刑事さん」

さよなら、私の愛した人。
私が愛した刑事。


___サヨナラケイジ



胸からあふれそうになる悲しみを必死で隠して、それでも最後は笑おう。
それが私たちには似合うから。

だけど、
だけど・・・・・・。


だめだった。


涙があふれてくるから。
もう、会えないと思うと悲しくて悲しくて。
おさえていた感情が、一気にあふれてくる。
目からこぼれそうになる涙をこらえて、うつむく。

「あはは。こういうの弱いんだよね。なに泣いてるんだろ」
「琴葉」
「もう行っていいよ。さよなら」

洗面所に逃げようと体の向きを変えた私は、次の瞬間後ろから抱きしめられていた。
結城が強く私を抱きしめている。

息が、止まる。

「良かった・・・・・・」

安堵のため息のような声が耳元で聞こえた。

「結城・・・・・・さん?」
「琴葉が無事で良かった。本当に良かった」

さらに強く抱きしめられる。
その腕に私も両手を重ねた。
息づかいが重なるようで、暖かい涙がスーツの袖を濃くしている。

「私も、最後、結城さんが撃たれなくて良かった」
「俺はそんなバカじゃない」
「だよね」

泣きながら私は笑っていた。

あなたが好き。

好きでたまらない。

この先は、別々の道をゆくの?

もう、会えないの?

「琴葉」
「……ん?」
「俺は不器用だし、愛想もない」
「知ってる」
「忙しいし、女性の扱いも知らない」
「それも知ってる」


「だけど、琴葉が好きだ」


ゆっくりと振り返ると、これ以上ないくらい顔を赤くしている結城がそこに。
私は言う。

「それは知らなかった」
「知ってくれ」

視線をそらせた結城が愛しくてたまらない。
ぶっきらぼうで、そっけなくて、だけど優しい。
自然に笑顔になる私に、彼はやさしくほほ笑んでくれた。

彼は、私が世界で一番愛している刑事だ。





もう一度抱きしめられたとき、私の涙は笑顔に変わっていた。













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