文字数 7,198文字

遠くで物音が聞こえる。
異質な音・・・・・・ううん、声?
誰かが私を呼んでいるような。

結城さん?
結城さんなの?
でも今はもう少し寝ていたい。

疲れたんだよ。
もう、疲れた。

「全然起きないね」

ん・・・・・・この声は・・・・・・結城じゃない。
えっと、あ・・・・・・友季子?

「起きてよぉ」

友季子の声に聞こえる。
うん・・・・・・起きるから待ってて。
でもまぶたが開かないんだよ、おかしいね。
それにしてもこのベッド、固すぎない?
まるでコンクリート。
ひんやりしていて気持ちいいけど、押しつけている顔が痛い。

「ちょっと、琴葉」

ん?
ちがう方向からも声がする。
この声は、誰だっけ。

「困ったね」

友季子と笑い合っているこの声を私は知っている・・・・・・。
ゆっくりと目を開けると、横向きの景色。
ああ、私が横になっているのか。
息が苦しくて、のどが痛い。

「ううう」

自分の声じゃないみたいな音が出た。

「あ、起きたよ」

声のほうに目をやると、そこには・・・・・・。

「友季子?」

友季子が壁にもたれかかって私を見て笑っていた。

「琴葉のほうがお寝坊さんだね」
「友季子!」

思わずガバッと起きあがろうとして、見えない力に床に倒されてあごを床に打ちつける。
痛い!

「気をつけて、後ろ手に縛られているから」

右のほうからする声は・・・・・・。

「悠香!」

顔だけあげて確認すると、間違いなく悠香がそこにいた。
友季子とおなじように壁にもたれている。
言われた通り、私は両手をロープで後ろ手に縛られているようだった。
手から伸びたロープは壁にあるフックのようなもので固定されていて、友季子たちのところまで行けない。

「ここは?」

見回すと、むき出しのコンクリートに囲まれている薄暗い部屋。
窓もなく、ほの暗い照明だけが気持ち程度に光っていた。

「それが、私も気づいたらここにいたの」

あっけらかんと言う友季子は、状況がわかっていないように笑っていた。
見ると、友季子の手も縛られている。
いや、ちがう。
友季子と悠香は体の前で手を縛られている。
なんで私だけ後ろ手なの!?
急に肩が痛いような気がしてくる。

「ふたりともここに連れてこられたの? 友季子は車で連れ去られたでしょう?」

そうたずねると、友季子は、

「うーん。たぶん」

と、答えた。

「たぶん、って」
「だって、歩いてたら急に引っ張られてそのまま袋みたいなものかぶせられたんだもん」

ブーッとふくれっつらの友季子が言うと、悠香も、

「私も同じだった」

と、同意した。

「そうなんだ・・・・・・。犯人の顔は見たの?」

私の問いに、ふたりは無言で首を横に振る。
見てないのか・・・・・・。

「琴葉はどうやって?」

悠香が心配そうに私を見た。
少しやつれたように見えるけれど、気丈に背筋を伸ばしている。

「私・・・・・・。ああ、部屋に犯人が入ってきたみたい」
「え! マジでぇ」

友季子の驚きの声の大きさのほうがビックリするってば。
思い出そうとするけれど、怖かった記憶だけが頭にコゲのようにこびりついている。

「よしこちゃんと部屋にいたら、いきなり部屋が真っ暗になってね。それで気を失ったの」
「よしこちゃんがいたのに?」

不思議そうに友季子が首をかしげるので、

「ああ。なんかお酒に薬が入ってたみたいで、よしこちゃんバタンって寝ちゃったんだよね」

と、説明した。

「そうだよねぇ。よしこちゃん、元自衛隊員だもん。起きてたら犯人をとっちめてたと思うよ」
「え!? よしこちゃんて自衛隊の人だったの?」

これには驚いた。
たしかに言われてみると、窓ガラスが割れたときとかも俊敏な動きをしていたっけ……。
なんだか男の人みたいだな、なんて思ってしまい、まだ頭がぼんやりしていることを知る。
もともと男性だっけ・・・・・・。

「それより、ここどこ?」

あらためて周りを見回す。
今が昼なのか夜なのかもわからない。

「わかんないー」

友季子には答えを期待してなかったので、スルーして悠香の顔を見た。

「たぶん、倉庫だと思う。遠くでたまに船の出す『ボーッ』ていう音がかすかに聞こえるから」
「やっぱり港なんだ」

結城の考えは合っていたってことになる。

「てことは、警察がそのへんで捜査してるんじゃない?」

きっと、結城が見つけてくれるはず。
絶望から急に希望が生まれたようで、なんだか少し安心した。
けれど、そんな私に悠香は「でもね」と、続けた。

「たぶんここは、地下なんだと思う」
「え? 地下?」

ふぅ、とため息ひとつ落として、悠香は天井をみあげた。

「うん。船の音は斜め上から聞こえてくるし、それ以外の音は聞こえないから。だから、捜査したとしても、地下の存在に気づかないと見つけてもらえないと思う」
「そんな・・・・・・。あ、江梨子はどこ? それに他の連れ去られた人たちはどこにいるの?」

この部屋には私たちしかいない。
まさか、もう外国に・・・・・・?

「昨日までは江梨子もいたんだよ。それに他にも3人いたの。だけど、ゆうべ気づいたらすごく眠くなってて、気を失うように寝ちゃったの。で、起きたらもういなくなってた」

くやしそうに悠香はくちびるをかんだ。
きっと、よしこちゃんに盛られた薬と同じかもしれない。
そっか、江梨子も無事だったんだ。
会えなくても、行方不明になったみんなの無事がわかっただけでもホッとする。
犯人はもう3人を海外に運んだか、船に乗せこんだか・・・・・・。
どちらにしても時間が迫っているってこと。

「江梨子たちは元気なの? なんか言ってた?」

私の問いに、悠香が悲しくうつむく。

「みんな同じ。気づいたらここにいたんだって」
「そうなんだ・・・・・・」

場の空気を読まない友季子が、「結局さぁ」と口を開いた。

「犯人は顔を見せないようにすごく気をつけてるみたい。完全犯罪だね」
「ご飯はどうしてるの?」

トイレは部屋の片隅についていた。
むきだしの便器が、どことなく刑務所のよう。
足は動けるけれど、手が使えないのは不便だろうな。
あれ?
ていうか、私のロープの長さだとトイレまで行けないじゃん!
ひどすぎる。

「あのね、食事を運ぶときだけ犯人がここに来るの。部屋の電気を消して真っ暗にしてから」

何日も監禁されているから、当然食事は運ばれてきてるってことか。
でも、それなら・・・・・・。

「まったく顔は見えないの?」
「見ないようにしてるから」

悠香がボソッと答えた。

「え?」
「だって、もし見ちゃったら殺されるかもしれないでしょう? 私、生きて帰りたい。生きて、浩太に会いたい。だから、部屋が真っ暗になるとギュッて目をつぶるようにしてるの」

静かに言う悠香は真剣な目をしている。
浩太・・・・・・。
そうだよね、早く会いたいよね。
自分の声色に気づいたのか、悠香は肩で息をすると、

「ごめん、こんなときに。恋愛の話してる場合じゃないよね」

と、口をキュッとひきしめる。

「いいんだよ。こんなときだから、本当に会いたい人がわかるんじゃん」
「うん」

こくりとうなずく悠香は、さっきまでの気丈さとはちがい今にも泣きそうな顔になっている。
恋は、心を揺さぶって不安にさせる。

「私もきょうちゃんに会いたい」

友季子が橘の名前を出すと、悠香が、

「きょうちゃん?」

と、聞き返した。

「うん!」

元気よく答えると、友季子は、

「きょうちゃんは、京都生まれなんだって。だから、『京』の字を使ってるらしいよ」

と、どうでもいいことを説明し出した。

「友季子、わかったから」
「京都の『京』に、歴史の『史』。いい名前でしょー」
「はいはい」

そう答えながら起こして壁にもたれた。
ふたりとちがって、手が壁に当たるとそれはそれで痛い。
この体制はムリだな。
またごろんと横になった。

「琴葉、イモムシみたい」

キャッキャッと笑う友季子に一瞬イラッとしたけれど、逆に考えれば深刻になりすぎるのもイヤだし。

「ほっといてよね」

そう言うと、横向きになってコンクリートで頬を冷やした。
逆に友季子がいてくれてよかったのかも、なんて思いながら。

「琴葉は会いたい人、いないの?」

そうたずねる悠香に、私は黙って目を閉じた。
聞こえないフリ作戦。
けれど、友季子はそこに爆弾を落とす。

「そりゃ、結城さんでしょ」
「な、ちがう!」
「ははは。照れてる~」

やっぱりイラっとくる。
ほんとデリカシーないんだから。

「そんなんじゃないよ。だいたい、結城さん最近他の女の人といるのよく見るし。彼女がいると思う」

そしてその女性はとてもきれいで、泣いていて・・・・・・。
ググッと胸になにかこみあげてくるけれど、私は泣かない。
勝手に好きになったのは私だから。

「ああ。その女の人知ってるよ」

のんびりした友季子の言葉に、思わず、

「え!?」

と、エビがのけぞるようなポーズをしてしまう。
あわてて体を起こすと、友季子はにっこり笑った。

「あの人、最初に行方不明になった女の子のお姉さんなんだって。『警察の捜査が甘い』、っていつも泣いて怒って結城さんを責めるんだってさ。きょうちゃんが言ってた」
「え・・・・・・。そ、そうなの?」
「それにあの人さ、結婚してるらしいよ。小さい子供をつれて警察署に来たりもするんだって。ヒステリーだから結城さんも大変な目にあってるけど、冷たくもできない、って聞いたよ」

……そうだったんだ。
結城の彼女ではなかったんだ。
ああ、急に胸のつかえがとれたみたい。

「ニヤニヤしちゃって」

悠香がちゃかす声に、はじめて自分が笑っていることに気づいたくらい。

「ちがっ・・・・・・」
「またまたぁ」

友季子もからかってくる。

「だからちがうってば」

必死の否定しても、思わず顔がにやけちゃう。

「もう・・・・・・」

誰にたいして怒っているのかわからないけど、そう言うと心の中で大きく息を吐き出した。
冷たい態度とって悪かったな。
これで結城にもう会えないと、死んでも死にきれない。

「あのね」

思考は、悠香のうってかわって真剣な声にかき消された。

「私たち、死ぬかもしれないよね」
「悠香?」
「だって、このまま無事に帰れるとは思えないでしょう? ひょっとしたら死ぬかもしれない。自分の気持ちにウソついても仕方ないでしょう」

その言葉にハッとした。
悠香がいなくなってしばらくたっている。
ここで毎日そのことを考えていたんだ、って思うとなにも言えなくなる。
大好きな人に会えなくなるかもしれない。
その恐怖と向かい合った彼女の言葉に、胸のあたりが熱くなった。

「うん、そうだよね。でも、わからないの。結城さんのこと、どう思ってるかなんてわからない。好きなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない」
「うん」
「すごく好きなときもあるし、顔も見たくないってときもあるんだよ」

一度口から出た言葉は止まらない。
悠香と友季子がなにも言わないので、私は想いを言葉にした。

「好き、ってなんなの? たまたま出逢って、でもすごい自分勝手なこと言ったりするし。こんなに気持ちがかき乱されて、好きで、でも腹がたつなんて、自分でもわけがわからない」

結城のことを考えない日はなかった。
好きだ、と思い浮かべる。
ムカついて思い出す。
傷ついて考える。
それが恋だとしたら、寿命がちぢむだけじゃん。
そんな私に悠香は、「うん、わかるよ」とうなずいた。

「で、今はどんなふうに思ってるの?」
「今?」
「この瞬間、結城刑事をどう思う?」

この瞬間・・・・・・。
心に問いかける。
いや、問いかけるまでもない。

「すごく……会いたい」

びっくりするほど素直にその言葉が出ると同時に、視界が揺れた。
なぜかあふれてくる涙。
そう、会いたいんだ。
会いたくて仕方ないよ。
ぶっきらぼうなところも、そっけない言葉も、おだやかな寝顔も全部ぜんぶが好き。

結城にそんな気持ちはまったくないんだろうけれど、好きで仕方ない。
だからちょっとしたことでムカついたり悲しんだりしているんだ。
今すぐにでも会いたい、その気持ちが涙になってほほをこぼれた。

「うう・・・・・・」

声のするほうを見ると、なぜか友季子が顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

「ちょっと、なんで友季子が泣くのよ!」
「だっでぇ、琴葉が恋をするなんでぇ、お母さんうれじい」
「誰がお母さんよ、まったく・・・・・・」

そう言いながらも、なぜか私も素直に泣けた。
早く会いたい。会いたいよ。
胸元で揺れているペンダント。
うれしくてうれしくて、でも、やっぱり会いたくて。
プレゼントなんかより、早く結城のそばに行きたい。
ようやく泣き止んだ友季子が、

「でも、ふたりお似合いだと思うよぉ。腹がたつことなんてあるわけ?」

と、不思議そうにたずねてきた。

「しょっちゅうある。・・・あ、そう言えばそのうちのひとつは、友季子が原因なんだよ」

結城と最後にもめた内容を思い出し、私はそう言った。

「なんで私なの?」
「まぁ・・・・・・。なんていうか・・・・・・。結城さんがね『友季子が犯人の可能性がある』なんて言いだしたもんだから、それでケンカ」
「ぶ。なにそれ」

怒るかと思ったけれど、カラカラと友季子は笑い出した。
悠香も同じようにおかしそうに目を見開いた。

 「でしょー。窓ガラスの割れ方がおかしいんだって。友季子がストッキングに石を入れて、隣の部屋から割ったとかなんとか言うんだよ。腹立つでしょ?」

友季子の履いている黒いストッキングはほこりですすけていた。

「面白いねぇ」

ふんふんとうなずく友季子に、

「それに、割ったと思われる石が見つからないらしいよ。部屋の中にも、地面にもそれらしいものがなかったんだって」

と、電話で言われた情報を伝える。

「そうなんだ。でもさ、そもそもこのストッキングはさ・・・・・・」

言いかけた友季子の口が急に、ギュッとすぼまったかと思うと動かなくなった。
それはあまりの急変だった。
目がせわしなく動いているけれど、体が硬直したようになっている。

「友季子? どうかした?」
「あ・・・・・・うん」

ハッと我に返った友季子は、ゆるゆるとあたりを見回した。
顔つきがおかしい。
悠香も不安げな顔で友季子を凝視しているけれど、気づきもしないで友季子はなにやらブツブツ言っている。
悠香と目が合うと、彼女は首をかしげてみせた。
どうしたんだろう。
どれくらいたったのか、友季子が、

「あのね・・・・・・」

と、おそるおそる口にした。
その目はうつろで、なにか恐ろしいものでも見てショックを受けているように思えた。
さっきまでの元気さはなく、つぶやくような声。

「あの日。あの、窓ガラスが割れた日ね・・・・・・」
「・・・・・・」

黙って友季子を見た。
なんとなく友季子が言おうとしていることが『悪い予感』だと知る。

「前の晩から、きょうちゃんが部屋に泊まってたの」
「・・・橘さんが?」

糸の切れたあやつり人形のように、友季子はコックリとうなずく。

「内緒でね、これまでもたまに泊まってたの。でもあの朝は、なぜかいつもより目覚めが悪かった。窓ガラスが割れた音にも気づかないくらい」
「うん・・・・・・」

ブンブンと友季子は首を横に振った。
まるで自分の頭からイヤな考えを振り払おうとしているみたいに。
でも・・・・・・。

「起きたときにはもう、きょうちゃんはいなかった。ほら、琴葉が青い顔して部屋に来たでしょう?」
「そうだったね」

あの朝、友季子はいつにもまして寝起きが悪かったっけ。
もしも薬で眠らされていたのなら・・・・・・。
前の晩に飲んだものに睡眠薬が入れられていたのなら。

「で、浩太から電話をもらって出かけるときに気づいたの。部屋の片隅に、プレゼントの袋が置いてあったの。寝る前はなかったんだよ」
「・・・それで?」

先を急かそうとするけれど、また友季子はふるふると首を横に振った。
アセらせちゃいけないのはわかっているけれど、吐きそうなくらいのイヤな予感がどんどんわきあがってくる。

「中には、小さな水晶と、ストッキングが入ってた」
「水晶・・・・・・」
「うん。すごくきれいな水晶でね。今も部屋に飾ってあるんだけど、私、てっきりプレゼントかと思って」

もし、水晶をストッキングに入れて振れば、窓ガラスくらい割れるかもしれない。
悠香も息を呑んで目を見開いている。

「そんな・・・・・・あはは。そんなわけないよ、ね?」

訴えるように友季子は私を見てくるけれど、私はなにも言えなかった。
でも、でも・・・・・・。
勇気を出して言葉にする。

「橘さんが私の部屋の窓を割ったなら、説明がつくね・・・・・・」

その言葉を『死刑宣告』を受けたかのように聞く友季子の顔色は、薄暗い中でも真っ青になっているのがわかる。

「きょうちゃんは刑事だよ? こ、こんな事件に関わっているわけないじゃん」

友季子がそこまで言ったときだった。




____部屋の明かりが消えた。












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