文字数 6,809文字

真っ暗になった世界の中、すぐに、

ギィィィィ

と、いう鉄の扉が開く音がした。

「来た・・・・・・。私、見ない、見ないからっ」

叫ぶように言う悠香は、さっき言っていたとおり目を閉じたのだろう。
足音が、ヒタヒタと近づいてくる。
目の前すら見えない黒一色の中、相手がどこにいるかもわからない。
やがてすぐ近くで、

カチャ

と、なにかを床に置く音が聞こえる。
きっと食事を運んで来たのだろう。
体を固くして身構えていると、友季子のいるあたりから鼻をすする音が聞こえた。
だめ、言っちゃだめ。
けれど、友季子に願いは届かない。

「きょう・・・・・・ちゃん、なの?」

友季子の小さな声がまるで耳元で言われたように響いた。

ガサッ

動揺したのか足をする音が狭い部屋で反射した。

「ねぇ、ちがうよね? きょうちゃんじゃ、ないよ・・・・・・ね?」

沈黙が空間を支配する。
どうしよう。
心臓が耳の近くにあるみたいにドクンドクンと、早い鼓動が聞こえる。

「きょうちゃん・・・・・・お願い、ちがうって言ってよ。言ってよぉ」

うめくような声が、コンクリートでこだましている。

「友季子、もう黙って」

そう言うのがせいいっぱいだった。
これ以上、犯人を刺激したくない。
橘であろうと、そうじゃない人であろうと危険すぎる。

「だって、だってぇ」
「お願い、友季子」

うめく声は泣き声にかわった。

やがて、

ヒタヒタ

足音が遠ざかってゆく。
どうやら答える気のない犯人が部屋を出て行くようだ。
額から汗が流れ、ようやく息がすえる。
やがて鉄の扉を開く音が聞こえたかと思うと、次の瞬間、思ってもいないことが起きた。

「そこまでよ!」

えっ、この声。

「っ!」

驚いた犯人らしき人物が私たちのほうへ後ずさりする音。

「おかしいと思ったのよ。だから、後をつけてきたの」
「よしこちゃん!」

気づけば私は大きな声で叫んでいた。
この声は、間違いなくよしこちゃんだ!

「琴葉ちゃん! ああ、無事だったのね」
「え? よしこちゃん?」
「よしこちゃんって、寮母さん?」

友季子と悠香の声に、

「みんな無事なのね! 待ってて、すぐに電気をつけるから」

よしこちゃんがガタガタと音をたてた。

「これね」

その声と同時に、部屋に電気がついた。
さっきまでは頼りない明かりだと思っていたけれど、暗闇からの生還だからかものすごくまぶしい。
そのオレンジ色のライトのちょうど真下に、陰影をまとった姿。


それは、橘だった。


「きょうちゃん・・・・・・」

呆けたような友季子の声に、橘がゆっくりとそちらを向く。
お互いに信じられないような表情をしている。
入り口にはよしこちゃんがフライパンを片手に立ちはだかっている。
髪はボサボサで、すごい汗でメイクもくずれているけれど・・・・・・すごく頼もしい!

「やっぱりあなただったのねっ」

鼻息荒くフライパンを向けるが、橘は友季子から目を離さない。

「おかしいと思ったの。橘さんにこの間会ったときに、アタシのことを女性扱いしてくれたでしょう?」
「あ、あのとき」

たしかに、橘はよしこちゃんに『でも女性だけだと心配でしょう』とか言って喜ばせていたっけ・・・・・・。

「その時のあなたの表情。自分でも気づいてないでしょうけれど、すごく不愉快な顔を一瞬したのよ。アタシをバカにしていることを薄いオブラートで隠して言葉にしているのがわかったわ」
「・・・・・・」

橘はまだ友季子から視線を外さないまま黙っている。

「だから、アタシ思ったの。この人は平気でウソをつけるんだな、って。それからよ、アタシがあなたを怪しいと思ってたのは。こう見えても、昔、探偵事務所で働いてたこともあるから、人の観察は得意なのよ」

自衛隊員で、探偵で、寮母!?
その遍歴に開いた口がふさがらない。
すごすぎる・・・・・・。

「警察署をコソコソ出てきた姿を見て、ピンときたの。だから探偵のスキルである『尾行』を発動させてここまで来たの」

得意気に鼻から息を吐き出すよしこちゃんは、するどい目で橘を見ている。

「どう? 認めるわね。あなたが犯人なのよね!?」

問い詰める声に、橘はゆっくりとよしこちゃんを見やった。
長い沈黙が流れ、空気がピンと張りつめている。
やがて、橘が肩を揺らしだした。

「・・・フッ」

泣いているのかと思ったけれど、それは橘の笑い声だった。

「アハハハハ」
「な、なにがおかしいのよ」
「このオカマ野郎が見破るなんてな」

おかしそうに笑う橘は、見たこともないような冷たい目をしていた。
ゾッとした。
誰もが言葉を発することもできずに、ただただ橘をみている。

「あなた、刑事でしょう? こんなことしていいと思ってるの?」

低い声で言うよしこちゃんが野球選手のようにフライパンを構えた。

「思ってるからやってるんだ。ふん、どうせ誰にも言わずにここまで来たんだろ?」

そう言うと、橘はすばやく友季子の腕を引っ張って後ろから抱くようにした。

「キャッ」

右手にいつのまにか何か握られている。

「なっ! 危ないじゃない!」

よしこちゃんの悲鳴にも似た声に、もう一度橘の右手を見て、それが拳銃であることを知った。

「きょうちゃん?」

かすれるような友季子の声。

「ほら、早く中に入って来いよ。でなきゃ、こいつを撃つ」
「ひ、卑怯じゃない!」
「うるさい! さっさと入れ!」

怒号に押されるように、よしこちゃんが扉を開けたままゆっくりと中に入る。

「そう、それでいい。そこでひざまづけ」

銃身を前後に振って、床を指す橘の表情はまだ笑っていた。
くやし気な表情を見せたよしこちゃんだったけれど、銃口が再び友季子のこめかみに当たるのを見て観念したように膝をコンクリートにつけた。

橘が犯人・・・・・・。

女子高生を監禁して、海外に売る?
なんのために?
橘が私を見た。
まるで考えていることがわかるように、「フッ」と鼻で笑う。

「大事な商品だ。悪いけど、オカマも入れて海外に行ってもらうことにするか。7人いれば、だいぶ金になるしな」
「きょうちゃん・・・・・・。ウソでしょう? なんで?」

首を左腕でしめられている友季子が、苦し気に声に出す。

「なんで? そんなの金のために決まっているだろ」
「お金?」
「金だよ金! 刑事なんてやってても体力使うだけなんだよ。人間誰しもラクして稼ぎたいだろう?」

当たり前のように言う橘は、狂っている。
普段見せていたやさしい顔は、よしこちゃんの言うとおりウソだったんだ。
だけど、友季子のことを好きだったんじゃないの?
好きな人を売るなんて、ひどすぎる。

「友季子は江梨子や悠香と同じクラスだったから利用させてもらった。おかげでいろいろ情報もらえたしな。なんでもペラペラしゃべって、ほんとバカだよな」
「きょうちゃん?」
「友季子も海外に行ってもらう。もう用済みってことだ」
「ウソ……だよね?」

ガクガクと震えながら口にする友季子の首を、橘は軽蔑したような目のままさらに強くしめる。

「あ? まさかお前、俺が本気で好きになってるとか思ったわけ? だとしたらバカにもほどがある」

後ろ手に縛られたロープさえなければ、飛びかかっていたかもしれない。
怒りが体中からこみあげてくる。
……こいつ、最低だ。
ふわっと、友季子が床に崩れ落ちた。
意識を失ったんだ・・・・・・。
そのほほにいくつもの筋が見える。

「ひどすぎる」

私のつぶやきに橘が反応した。

「ひどい? バカじゃねぇの。お前らの感情とか命すら、俺にとってはどうでもいいんだよ。余計なこと言って怒らせるなよ。商品を台無しにしたくねぇんだ」

半笑いのその顔を見て、本気で『殺したい』って思った。
黙ってなくちゃいけない状況のはずなのに、口が勝手に開く。

「どうでもいい、ってひどいよ! 友季子は本気で・・・・・・本気で橘さんを好きだったのに!」

橘が不思議そうな顔をした。
そしてその表情のまま私に近づくと、銃口を私の胸に押し当てた。

「本気って? お前らみたいな青いガキが、本気で人を好きになる? 笑わせんなよ。恋愛ごっこしかできない子供のくせに」
「年齢は関係ないでしょ!?」
「琴葉、だまって!」

悠香が叫ぶけれど、口が勝手に動く。

「誰だって、本気で人を好きになることくらいあるよ。いくつになっても変わらない。友季子がかわいそすぎるよ!」

橘のことを話す友季子は輝いていた。
うらやましくって、ねたんでしまうくらい幸せそうだった。
それが、橘にとっては利用していただけなんてひどい。
あんまりだよ!

「前から思っていたけどさぁ、お前ってほんと生意気なヤツだな。結城に取りこんで、なにをたくらんでるんだ?」

グッと胸に強く押しあてられる拳銃。
その引き金に橘が指をかけた。

「お前、死ぬか?」

その時、よしこちゃんがバッと立ちあがった。

「お願いやめて!」

駆け寄ろうとするよしこちゃんにすばやく橘が銃口を向けると、ためらいもなく引き金を引いた。

バンッ!

破裂したような音に体が浮きあがった。
声も出さずによしこちゃんが床に転げる。

「よしこちゃん!」

銃口から出る煙に、興奮したような橘の顔。
しこちゃんの右足から血が流れているのを信じられない思いでただただ見る。

「うっ・・・・・・」

苦しそうなよしこちゃんの顔。
怖いだろうに、必死で橘をまだにらんでいる。

「心臓を狙わなかっただけありがたく思えよ。ま、どっちにしてもお前は商品にならねぇから、ここで死んでもらうしかないけどな」

ククク、と含んだ笑い。
……本気なんだ。
橘は、人の命なんて本当になんとも思っていないんだ。
床で失神している友季子を確認した。
良かった。
これ以上、橘の本性を聞かせたくないから。

「さ、そういうことだから、これからお前らには眠ってもらう」

橘がさっき置いた夕食のトレーからコップに入った水を取ると、悠香、そして私の前に置いた。

「すぐに眠れるさ。目が覚めたらそこは日本の外。新しい人生を楽しんでくれ」

よしこちゃんが顔をあげると、痛みに顔をしかめながら、

「あなた、絶対に捕まるわよ」

と、言った。

「捕まるなら最初からするかよ。俺は日本に残って捜査をしているフリをするし、お前らは荷物として海外に送られる。向こうの港で仲間が待っているよ。『ノーリスク・ハイリターン』ってわけ」
「じゃあアタシを殺しなさいよ」
「そんなことしなくても、ここであと1日ももがいていれば、出血多量で死ねるから安心しな。さ、飲め!」

橘が私の髪を引っ張り、顔をあげさせる。
悲鳴が思わず出た。
コップを口に持ってこられる。
絶対飲むもんか!
顔をそらせると、橘はさらに髪を強く引っ張った。
そうして、耳元に顔を近づける。

「飲まないなら、目の前でオカマ野郎を殺すぞ」
「ヒッ」

口から出たのはくやしいけれど、恐怖の声。
ガクガクと意志に反して体が震えだしている。

「俺は本気だ」
「・・・・・・」

銃口を私に向けてきた橘を見て、逆らえないことを思い知った。
抵抗をやめて目をつぶると、すぐにコップのはしが口元にあたる。
苦い味の液体が流しこまれる。

「いい子だ」

やさしく変わる声に、絶望を知る。
もうダメ・・・・・・。
ああ、こんなことになるなんて・・・・・・。
のどを通る液体は、すぐに胃に落ちてゆく。
もう逆らう気力もないまま、私を『最期』へと導く魔の液体を流しこんでゆく。

――その時。

カラン。

コップが急に口元から外されたかと思うと、床を転がる音。

「・・・・・・?」

不思議に思って目を開けると、呆然とした橘の横顔があった。
信じられないものでも見たように目を見開いて、入り口あたりを見ていた。
コップからあふれた水がコンクリートを濃く染めている。
視線の先に目をやると、そこには・・・・・・。

「残念だよ」

いつのまにか結城がいた。

「結城さん!」
「琴葉、待たせたな」

視線はそのままにぶっきらぼうに言う結城は、拳銃をまっすぐに橘に向けていた。

「結城・・・・・・最後まで、最後まで俺のジャマをするのか?」
「そうらしいな」

結城が静かに言った。

「ふざけるなよ」

グイと体が引っ張られたかと思うと、私の体は橘の腕の中にあった。
私を盾にして、橘が結城と向かい合う。
銃口は私の顔に。

「橘、もうあきらめろ」

そう言った結城の後ろには、銃を構えた人の姿が見えた。
何人もいる。
ああ、結城が助けに来てくれたんだ。
うれしくて涙があふれた。
大好きな人が目の前にいる。

「離れろ。でないと、こいつを撃つ」

橘の声はこんな状況の中にいても、まだ笑っていた。

「・・・・・・」
「俺は本気だ。離れろ」

こんな状況なのにいやに落ち着いた橘は、私のほほに銃口を押しあてた。
ひんやりとした鉄の感触。
少し頭がボーッとしてくるのは、恐怖からの現実逃避からなのか、薬がまわってきたからなのか。
どんどん体から力が抜けてゆくみたい。

「そんなことしてどうなるんだ。もう逃げられないぞ」

まっすぐに銃口を橘の顔あたりに向けて結城は低い声で言った。

「逃げられなくてもいい。お前には前からムカついてたんだ」
「そうか」
「それ、それだよ! その態度! いっつも冷静なフリしやがって。手柄はいつもお前。俺がどんなにがんばっても、結局はお前が全部持っていくもんな!」

咆哮が耳元で爆発する。
そのたびに、ほほに強く押しつけられる拳銃。

「俺が解決したんだから仕方ない」
「ああ、そうだよ! お前はすごい刑事だよ! 俺にはかなわないもんな」
「だから?」

ジリッと、少し結城が前に出た。
荒い息を繰り返し吐きながら、橘は甲高い声で笑った。

「だから、だから今度は俺がお前のものを奪うんだ」
「なに?」
「お前のせいでこいつは死ぬ。お前はそれを一生後悔すればいい! 殺してやる!」

そう叫ぶや否や、橘はさらに強く銃口をつきつける。

殺される!?

そう思った瞬間、結城の銃が火花を放った。

ドンッ

お腹にまで響く重低音がしたかと思うと、首にあった橘の手がゆるんだ。
今しかない!
思いっきり橘に体当たりすると、逆側に飛ぶ。
コンクリートの壁にしこたま体をぶつけながらも横を見ると、そのまま倒れこんだ橘が見えた。
その左肩から血が噴き出している。
結城が撃った玉が当たったらしい。

「クッ、お前・・・・・・」
「あきらめろ」

そう言いつつ近づいてくる結城に、橘が再度銃口を向けるのを信じられない思いで見た

「あきらめるのはお前のほうだ! お前を殺す殺す殺す! 結城ぃぃ!」

橘の指が引き金をしぼる。

結城が撃たれる!

結城がっ!

スローモーションのように銃を向け合うふたり。
そこに飛び出したのは、

「やめてぇぇぇ!」

友季子だった。

バンッ!

すぐに銃声が響き渡り、ゆっくりと友季子が橘の方に倒れる。

「ウソ・・・・・・」

私のつぶやきにかぶせるように、

「いやああああ」

悠香の絶叫が響き渡った。
とっさに結城と橘を見やると、銃口から煙が出ているのは・・・・・・橘の方だった。
橘が友季子を撃ったんだ・・・・・・。
青白い顔で橘に抱かれている友季子の下に、赤い水たまりが広がってゆく。
友季子・・・・・・。
強烈な眠気が襲ってくるなか、なんとか目を開けて友季子を見た。
ウソだよ、ウソだよね・・・・・・。

「お、おい・・・・・・友季子?」

乾いた声でそう呼びかける橘は、オロオロと友季子の体を抱きしめた。

「な、ウソだろ。おい、友季子、友季子!」
「橘、離れろ。すぐに救急搬送する」

結城の言葉にも、橘は震える片手で友季子の顔をなでている。

「友季子、友季子ぉ・・・・・・」
「橘」
「お前の……せいだ。全部お前の」

つぶやく声に、頭が危険信号を出す。
目がすわっている。
体全身から怒りのオーラを出した橘は、右手に握った銃をゆっくりと目の前に持ってくる。
その視線が鋭く結城をとらえた。

「お前のせいだぁぁぁ!」

橘がすばやく銃口を結城に向けた。

「結城さん!」


___私の悲鳴は、一発の銃声にかき消された。















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