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第五章 『暗闇で叫んでる』


「なんてことしたのよ!」

大きな声が耳元でして、ゆるゆるとそちらに目を向けた。
もうすっかり夜。
さっきまで事情聴取をされていた。
同じ話ばかり何度もくりかえし、担当が変わるとまた同じ話。
ようやく解放されたのは、もう黒色が町を支配したころ。
目の前にはカンカンに怒ったよしこちゃんが。

「あ、よしこちゃん・・・・・・」
「琴葉ちゃん、あなたって子は・・・・・・外に出たらダメ、ってアタシ言ったわよね!」

そう言うと、よしこちゃんはハンカチを目に当てて、地響きのような声をあげて泣き出した。

「うん、ごめんね。でも、でもね・・・・・・」

ダメだ。
言ってるそばから、さっきの光景が思い出されて涙が視界を揺らす。
私がしっかりしていれば、友季子を止められたはず。
無理矢理でも港に行くのを阻止できていれば。
結城との電話を長引かせなければ。

後悔したって遅すぎる。

「そうよね。琴葉ちゃんは、友季子ちゃんを助けようとしたんだもんね。ああ、友季子ちゃん」

よしこちゃんは人目もはばからず涙をぼろぼろとこぼしている。
ちがうの、よしこちゃん。
ダメなのは私。
恋なんてしちゃったから、だから結城の言葉に耳をかたむけてしまったの。
すぐにでも飛び出して行って止めるべきだった。

「石田さん」

警察署の外階段を、橘が駆け足で登ってくるところだった。

「橘さん。あの、友季子は・・・・・・」

静かに首を振る橘に、足元の地面が崩れてゆくような気分になる。

「石田さんの言う黒色の車は、町外れに乗り捨てられていたよ」
「じゃあ、持ち主から」

「いや」橘は眉間にシワを寄せた。

「盗難車だったんだ」
「また? じゃあ、友季子は・・・・・・」
「今、必死で捜索している」

疲労をかくせない橘がぽつりと言った。

「ごめんなさい・・・・・・。私が、私が止めていれば・・・・・・」

震えるのは声だけじゃなくて、体ぜんぶ。
よしこちゃんが後ろから肩に手を置いてくれた。
涙があとからあとからほほを伝った。

「君のせいじゃないよ。もともとは、僕たちが潜入捜査につきあわせてしまったから、こんなことになったわけだし。それに、友季子が無鉄砲で怖いもの知らずだからってのも、原因のひとつだし」

橘は気丈に笑ってくれるけれど、きっとちがう。
私のせいだ・・・・・・。

「とにかく、琴葉ちゃんも十分気をつけてほしい。犯人は君を狙っていると思うから」

その言葉によしこちゃんが私の肩をぎゅっと強く抱いた。

「大丈夫。もう、単独行動はさせないから」
「でも女性だけだと心配でしょう」

橘の言葉に、よしこちゃんはなぜか一瞬変な顔をしたが、自分が女性だと言われていることに気づいたのか、「あら」と、すっとんきょうな声を発した。

「女性扱いしてくれるなんて、橘刑事はやさしいのね」

よしこちゃんの表情が明るくなり、つられるように橘もやわらかい笑みを浮かべた。

「友季子にいつも言われてますから。『よしこちゃんは誰よりも女性らしい』って」

だけど、私は笑うことなんてできない。
何度も朝の会話を思い出しては、後悔たちが息を吸えなくして苦しめる。
橘が警察署に戻り、よしこちゃんに促されて階段をまたおりていると、

「琴葉」

低い声が私の名を呼んだ。
階段の下にいたのは、結城。
困ったような顔で私を見ている。
そして、その横にはひとりの女性が立っていた。
すぐにわかった。
以前、街灯のスポットライトの中で結城に抱きつくようにして泣いていた女性だ。
不思議そうに私を見ている彼女と目が合う。
けれど、今の私にとってはどうでもいいこと。
結城の声には答えずに階段を降りきると、歩道を寮に向かって歩き出す。
よしこちゃんも戸惑っているようで、

「あら」

とかつぶやいているけれど、足は止めなかった。

「おい、琴葉」

後ろから私を呼ぶ声がする。
昨日までは愛しくてたまらなかった声も、今は聞きたくない。
だって、結城は友季子を犯人扱いした。
私の大事な友達を・・・・・・。
自然に足が速くなる。
まるで、結城から逃れるように。
それ以上結城は声をかけてこなかったけれど、耳の奥でまだ私を呼ぶ声が聞こえているよう。

聞きたくない。
今は、聞きたくない。
だけど、耳をふさいでも、忘れられない声がずっと聞こえてくる。



友季子が戻ってきているんじゃないか、なんて望みは持っていなかった。
だけど、ひょっとしたら友季子のことだし、犯人から自分で逃げてくることだって考えられる。
わずかな希望を胸に、友季子の部屋の前に立つ。
ノックをした。

1回。2回。3回。

部屋のノブをまわすけれど、真っ暗な部屋に友季子の姿はなかった。

「友季子ごめんね・・・・・・」

つぶやくと、自分の部屋に戻る。
明かりをつける気にもなれなくって、ベッドにごろんと横になった。
暗闇のなかで考えることは同じことばかり。
今ごろ、友季子も怖い思いをしているのだろうか。
江梨子や悠香には会えたのかな。
床にほおり投げたスマホを取ると、電源をつけた。
ブーッと震えて、立ちあがる画面。
着信は、結城からたくさんあった。
きっと、あのあとたくさん電話くれたんだろう。
力なくそのまままたベッドに横になろうとする私を、着信音が止めた。
ムリ、今は結城と話せる気分じゃないよ。
画面に目をやると、そこには『浩太』の文字が。

「もしもし、コータ!?」

すぐに通話ボタンを押すと耳に当てた。

『・・・・・・』
「コータ、コータぁ・・・・・・」

がまんしようとしても、どんどん涙があふれた。
浩太だけでも無事なことのうれしさ、友季子がいなくなったことの悲しさ、いろんなことが混ざり合って言葉にならない。

『俺のせいだ』

外にいるのか、雑音の中で浩太の声が低く耳に届く。

「ちが・・・・・・。コータのせいじゃないよ」
『ぜんぶ、俺が悪いんだよ。友季子の誘いを断ってさえいれば、あいつ行かなかったはずだし』
「コータ・・・・・・」
『なんでこんなことになっちゃうんだよ。俺の周りのやつ、みんないなくなっていくみたいだ』

かすれるような声が浩太の悲しみをリアルに感じさせるよう。

「同じこと、私だって考えてるよ」
『同じこと?』
「私が刑事と知り合いになったばかりに、周りを危険に巻きこんでいる気がしてる。浩太のせいじゃない、私のせい。だったら私に・・・・・・、私に復讐すればいいのに!」

最後は声にならず、私はうめくような声をあげて枕に顔を押しあてた。
届くだろうか?
私の悲しみも浩太に同じように。
鼻をすする音が聞こえ、少し浩太が笑ったような気がした。

『じゃあ、俺らふたりのせいだよな』
「うん、私たちのせいだね」
『なにができる? どんなことでもする。犯人を捕まえなくてもいい。友達を、取り戻したいだけなんだ』
「わかるよ。私も同じ気持ち。今、私たちにできるのは・・・・・・」

そのとき、なぜか今日の朝を思い出した。
そうだ・・・・・・。

「とりあえず、のんきにご飯を食べよう」
『えっ?』

思ってもみない言葉だったのか、絶句するような声を出す浩太。

「私たちまで元気をなくしたら、みんなを見つけられない。こんなときこそ、のんきにご飯を食べようよ」

しばらく黙った浩太が、今度は聞こえるように噴き出した。

『なにそれ。驚くし』
「ごめん・・・・・・」

もっと気の利いたことを言えればいいんだけど、そんな思考は持ち合わせていない。
でも、よしこちゃんの言ったあの言葉が今は大切だから。

『わかったよ。のんきにご飯食べてくるわ』
「うん。電話、ありがとね」
『おう』

たわいないいつもの会話のように私たちは電話を切った。
少し、胸のつかえがとれたような気がする。
ありがとうコータ。
しばらくぼんやりと、天井に顔を向けていると、

トントントン

ノックの音が聞こえた。

「琴葉ちゃん、もう寝た?」

よしこちゃんの声。

「ううん。開いてるよ」
「入るわね。あら」

ドアを開けたよしこちゃんの顔は、廊下の照明の逆光になっていて見えないけれど、きっと眉をしかめているんだろう。

「どうしたの、真っ暗じゃない」

そう言って電気をつける。
一瞬でまぶしさに目をしかめた。

「こら、おセンチにならないの」

ドカドカと入ってくると、絨毯にドスンとよしこちゃんは座った。
手には、たくさんのお酒とジュース、それにお菓子の山を抱えている。

「どうしたの、それ」

起きあがった私も、よしこちゃんと同じく地べたに座る。

「こういうときは呑みましょ」
「のんきにご飯、じゃないの?」
「夜は、のんきにお酒」
「てか、いつも呑んでんじゃん。それに私、未成年だし」
「子供はこれで十分」

冷えたジュースのペットボトルを目の前に出されたので苦笑しながら受け取る。
よしこちゃんはマイグラスを取り出して、そこに手際よく焼酎を注ぎ入れる。

カラン

氷が踊る音がして、少しだけ気分が明るくなる。

「せっかくだから考えてみましょうよ」
「考えるって、なにを?」

棚からコップを取り出してジュースを入れながら問うと、

「これまでの事件について」

と、当然のように言ってのけた。
正直そんな気分にはなれないけれど、どっちにしたって眠れないのは同じ。

「わかった」

素直に言う私に、少しヒゲの伸びたよしこちゃんは満足そうにうなずいた。

「じゃあ、まとめるわよ。まず、市内で3人の女子高生が行方不明になったわよね」
「うん」

名前も知らない彼女たち。
そっか、彼女たちのほうが長く監禁されているなら、周りの人たちの心配もそうとうなものだろうな。

「そして、松下江梨子ちゃんがいなくなった」
「私が財布だけ発見したんだよね」

自嘲気味に言うと、ふんふんとよしこちゃんはグラスの中身を飲み干した。
いつもよりピッチが早いのは、少なからずの動揺からなのか。

「琴葉ちゃんたちはそこで刑事さんに出逢い、潜入捜査をした、と」

つい最近のような気がしていたけれど、もうけっこう前の話になるんだな。

「拉致を手伝っていた人は逮捕したけど自殺しちゃったらしいし、お金を渡していた男はいまだ捕まっていないんだよね」
「案外、犯人に殺されたのかも」

言いながらも、結城に抱きしめられたことを思い出す。
スーツの匂い。
心がまた求めてしまいそうで、頭を振って追い払った。

「江梨子ちゃんが行方不明になって10日後、今度は宮崎悠香ちゃんがいなくなったわけね」

浩太の顔が浮かんだけれど、感傷的になるのはやめよう。

「うん。これで5人だね」
「脅迫状が届いたのは、それからすぐのことよね?」
「そう」
「それから、なんらかの秘密を握っていたと思われるレポーター・・・・・・えっと」
「寺田さん」

助け船を出すと、「そうそう」とうなずきながら、次の焼酎を作り出すよしこちゃん。

「屋上で殺されちゃったわけだけど、その秘密もわからずじまいなわけね。カメラマンも翌日に発見された、と」

ぽわんとほほを赤く染めて、よしこちゃんは考えるように宙を見あげた。

「私の部屋の窓ガラスが割られ、友季子が連れ去られたのが今日のこと」

こうして考えると、本当にいろんなことが起きたんだ、と思い知る。
本当に犯人たちは、みんなを海外に売るつもりなの?
今、みんなはどこにいるの?
港を捜索している刑事たちも、結局はなんの情報も得られていないのだろう。
こうしている間にも、みんなは怖くて震えているっていうのに。
ふと、結城の言葉が思い浮かんだ。

『小野友季子を信用しないほうがいい』

彼はどういうつもりであんなことを言ったのだろうか。
結城が勘違いしてしまうようなことがあったのかもしれない。
今夜は戻ってくるのかな・・・・・・。
寝たふりをしてもきっと結城なら見破るんだろう。
それとも、さっきいた女性と一緒なのかな・・・・・・。

ゴオオ

「え?」

ゴオオオ

どこからか地響きが聞こえて、キョロキョロすると音はよしこちゃんの口から発せられていた。
カラになったグラスを右手で持ちながら、いつのまにか口を開けて寝てしまっている。

「ちょ、よしこちゃん」

体を振って起こすと、

「うわ!」

男の声を出してバッ目を見開いた。
けれど、すぐにまたトロンとゆっくり眠気に負けてゆく。

「どうしたの? 眠いの?」

肩をワシワシと揺さぶると、また目を開いて私を見た。

「なにこれ・・・・・・。琴葉ちゃん、アタシ・・・・・・」
「疲れちゃったよね。ごめんね」

朝から晩までつき合わせてしまったから、疲労困憊しちゃっているのかも。
しかし、よしこちゃんは、

「ちが・・・・・・。なに・・・・・・?」

と、困惑したような顔をしていたかと思うと、ハッと私を見た。

「琴葉ちゃん、逃げて」
「え?」

言うそばから体が前後に揺れ出して眠る体制になってゆく。

「なんか、おかしいわ。アタシ・・・・・・眠りたくないのに、勝手に・・・・・・」
「・・・なに言ってるの?」

ゴトン

音を立てて、よしこちゃんの手から落ちたグラスが絨毯を転がった。

「きっと薬がお酒に・・・・・・逃げて・・・・・・早く」

よしこちゃんはそう言うと、逆らえない重力に押し倒されるように横になった。

「うそ・・・・・・よしこちゃん、よしこちゃん!」

体を揺さぶっても、「ううん」うめき声をあげるばかり。
そんな・・・・・・。
どうしよう。
信じられない思いのままゆっくり立ちあがったその時、部屋の電気が消えて真っ暗になった。

「あ・・・・・・」

視界がなくなり、足元すら見えない。
よしこちゃんの寝息だけが聞こえる暗闇で、1ミリも体が動かない。
悲鳴を出せば友季子が助けて・・・・・・ううん、隣には誰もいないんだった。
だったら、もっと大声で叫べば誰かが気づいてくれるはず。

「ひゃ・・・・・・」

けれど、のどから出たのはかすれた小さな声。
怖い。
怖いよ。

ギシッ

「っ!」

すぐ近くで、床を鳴らす音が聞こえた。

ギシッ

また。
逃げなくちゃ。
だんだん慣れてくる視界。
1年以上もここに住んでいるから、私のほうが有利なはず。
ドアに向けて思いっきり走れば、犯人を倒せるかも。
震える足をドアのほうへ向ける。
誰か、いる。
だんだん慣れて来る視界の先に、黒い影が立っている。
これは見まちがい?
いや、ちがう。
息を吸って勢いをつけると、そのままドアに向かって走った。

ドンッ

なにかにぶつかり、体制がくずれたけれど相手も同じなはず。
狭い部屋のドアまでの距離がこんなに長いなんて!
ようやくドアにつくとノブに手をかけようと伸ばす。
しかし、次の瞬間、強い力が私の体を引っ張った。
そのまま手で口を押えられる。

「んんんんんっ!」

もがいて声をあげるけれど、そのまま鼻をもふさがれた。
ツン、とした薬品の匂いが意識を遠ざける。
さっきまで感じてなかった恐怖という化け物が形になって私をとらえた。
息が、息ができない。
苦しい。
苦しいよ。

薄れゆく意識のなか、結城の顔が浮かんだ。


助けて、結城さん・・・・・・。




声にならない声は宙に溶け、やがて目の前がまっくらになった。













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