第43話 懊悩する視線<迷い、そして>

文字数 10,207文字


 同時に咲夜さんが蒼ちゃんの背中を撫でて、落ち着かせようとしてくれている。
「愛……美……?」
 まさか本当に私が怒ると思っていなかったのか、実祝さんの戸惑いがこっちにもはっきりと伝わってくる。
「私言ったよね? 咲夜さんの前で。私の親友を傷つけたら私は、絶対に怒るって」
 私よりも背のある実祝さんを睨め付ける。
「私、今はまだ実祝さんの事友達だと思ってるから一回だけ聞く。これってどういう事? ちゃんと私が納得するように説明して」
 それでも私を見つめてくるだけで、口を開く様子はない。
「言ってくれないと私、実祝さんと友『あ、ちょっと蒼依さん?!』――蒼ちゃんっ!!」
 蒼ちゃんが教室から出て行く。
 私は間違っても蒼ちゃんを見失わない様に
「咲夜さんごめん! 実祝さんをお願い!」
「分かった」
 視界から外さずに声だけで咲夜さんにお願いする。
 そして一足遅れて蒼ちゃんを追いかけるために教室を出たところで、
「えっ?!」
 まさかの金髪の子――優希君の妹さんの姿に足を止めそうになるも
「わたしの事よりも、早く」
 あのカナって子にかけていたのと寸分違わない柔らかく優しいよく通る声で、私にエールを送ってくれる。
 私は視線だけで妹さんにお礼を言って、蒼ちゃんに全神経を集中して追いかける。
 傷ついている親友の前に、廊下を走るなとかのルールなんて些事な事でしかない。それは統括会だからとかそんなのも関係ない。
「待って蒼ちゃん!」

して! 

してよ! 愛ちゃん」
 昇降口の所で蒼ちゃんの腕を何とかつかむも、力いっぱい振りほどこうとする。
「離すわけ無いよ! 親友が泣いているのに、傷ついているのに離せるわけ無い!」
 私が掴んだ腕を離せないと感じたのか、振りほどく事を諦めて、蒼ちゃんはそのまま泣き崩れてしまう。

 このままだとどんどん人が集まって来てしまうから、比較的昇降口の近くに設置されている保健室へ一度避難させてもらう。
「ど、どうしたの? ケガ?」
 ノックもそこそこに私達が入室すると保健室の先生が驚く。
「一旦落ち着きたいので、空いているベッド借りて良いですか?」
「え、ええ分かったわ。その一番手前を使ってくれてかまわないから」
 先生への説明もしないといけないのは分かるけれど、先に何よりも蒼ちゃんなのだ。
 先生の方も何も説明はしていないにもかかわらず、私達の表情を見て何も聞かずにすぐに対応してくれる。
 その時奥のベッドから特徴的な喋り方をする独り言が聞こえはしたけれど、まずは蒼ちゃんを優先させてもらう。
「少し落ち着こう?」
 もちろん今の蒼ちゃんに落ち着け。なんてそんな酷な事は思ってはいない。
 ただ何か声を掛けないといけないと思って、とっさに思いついたのがこれなのだ。
 声を掛けながら、蒼ちゃんにはベッドに腰掛けてもらい、それぞれのベッドに備え付けられている仕切りカーテンを広げる。
 そして蒼ちゃんの両手から半ば強引にカバンを受け取る。
 この際、もう会話を他の生徒に聞かれるのはあのまま昇降口で衆目を集めるよりマシだと無理やり自分を納得させて諦める。
 ただし、例え先生であっても今の蒼ちゃんの表情だけは見せない。
「何かのケガ? ケンカ?」
 先生がこっちに来る気配がする。
 私は先生がパーティションの中に入るのを阻止するために、私の方からいったん外に出て
「そうですけれど、私がちゃんと話をするので、少し待ってください」
 先生が入って来ないように拒絶する。
「あなた統括会の岡本さんよね」
 少しだけ髪を茶色に染めた白衣を纏った保健の先生が、肩甲骨辺りまで伸ばした髪を背中越しに広げる。
「はいそうですけれど」
「ええ。分かったわ。だったら先生は何も口は出さない」
 ただどうしてもの場合は先生も踏み込むわよ。それだけを私に言い残して、元座っていた椅子に腰かけるためか、踵を返す先生を見届けてから、改めてカーテンの中の蒼ちゃんと向き合う。
「蒼ちゃんごめんなさい」
 そしてまず初めに私は謝る。
 今日二人にクッキーを渡す場を作ったのは私なのだ。
 その上、実祝さんがひょっとしたら拒否するかもしれない所までは予想出来てはいたけれど、教室の床に叩きつける所までは予想出来ていなかった。
「蒼依、夕摘さんにここまで嫌われていたんだね……やっぱり義(よし)君なのかな?」
「違う! それだけは違う!」
 私はベッドに腰掛けた蒼ちゃんを立ったまま正面からそっと抱き寄せる。
 蒼ちゃんの顔をがちょうど私の胸の下辺りの高さに来る。
 実祝さんはクラスの集団同調の中には入っていない。
 実祝さんもその一点だけで言えば被害者側なのだから。
 だからこそ断言できるのだけれど
「じゃあなんで?! 何で蒼依ばっかりこんな目に遭うの? 蒼依があの日言い返せなかったから?」
 蒼ちゃんの嗚咽に対する答えを私は持っていない。
 私のお腹辺りが湿って来るのが分かる。蒼ちゃんの涙が、蒼ちゃんの今の気持ちと一緒に私に伝わる。
「ねぇ、愛ちゃん。違うなら正解を教えてよぉ……」
 実祝さんから答えを聞けなかった私には蒼ちゃんの嗚咽をただ聞く事しかできない。
「私一回ちゃんと実祝さんと話してみる」
 今の私には何が最善なのか分からない。
 だから間違った選択なのかもしれない。
「ただ何がどんな話になったとしても、私は蒼ちゃんの味方だし、蒼ちゃんの側にいる」
 今は蒼ちゃんの泣き顔しかなくても、私と一緒にもっと学生生活を送りたいと言って、その気持ち、心ひとつで蒼ちゃんが努力して、お互いに協力し合った時の表情、言葉は私の中で色あせる事無く今も鮮明にすぐに思い出す事が出来る。
「蒼依なんかが友達で本当に良いの?」
「違う! 私達は親友『……!』ううん。それ以上だから。だから、そんな悲しい事言わないで欲しい」
 ベッドの奥から身じろぎする気配を感じるけれど、さっきの特徴的な喋り方をする子なのかな。
 出来れば部外者の耳には入れたくなかったけれど、それでもさっきの昇降口で注目を集めるよりマシだと思いなおす……しかない。
「……」
「だから私は何があっても蒼ちゃんを優先する……例え実祝さんと友達を辞める事になっても」
 ――でも、たくさんの人とまとめて行動したり、
                人の輪を広げるのは今しか出来ない事なのよ――
 いつかの実祝さんのお姉さんの言葉を思い出す。
 もちろんそれはそれで間違いじゃないとは思うけれど、それでもこの状況なら……私は覚悟を決める。決めることが出来る。
「そんな……蒼依なんかの為にそこまで……」
「蒼ちゃん“なんか”じゃない! それに蒼ちゃんは私と一緒に過ごすために三年と言う大きな時間をくれたんだよ」
 もう一つ。
「それに咲夜さんは受け取ってくれた」
 私の心まで折れずに済んだのは、覚悟を決めることが出来たのはここに尽きると言っても過言じゃない。
「咲……ちゃんは蒼依の事、まだ友達だと思ってくれてるのかな?」
 蒼ちゃんにとっても心の支えになったのか、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻し始める。
「元々咲夜さんはそんなに怒ってないよ。咲夜さんは周りの女子と同じように同調に圧力が少し入ってるだけ。もちろんこれが一番致命的で問題なんだけれど、今、咲夜さんは迷ってる。葛藤してる」
「葛藤……」
 懊悩と言い換えても良いかもしれない。
「咲夜さんはもう気付いてる。周りに流されて加担しているだけで、自分の意志ではない事を」
 何も知らない初めとは違う。だったら一番初めの事は言わなくても良い。
「だから私は咲夜さんを信じて待つよ。咲夜さんにも友達関係とか交友関係もあるから今すぐにってわけにはいかないと思うけれど、それまでは蒼ちゃんと出来るだけ一緒にいるようにする……ううん。一緒にいたい」
「愛ちゃんは強いね」
 蒼ちゃんが私の腰に腕を回しながら、やっと私の方に顔を向けてくれる。
 そして蒼ちゃんの目を見て朱先輩を思い出した私は
「ちょっとだけ待っててね」
 あの日以来持ち歩いている7つ道具の入ったポーチの中からハンカチを一枚取り出して、仕切りカーテンの外に出る。
「ハンカチを濡らしてくるので、絶対に中に入らないで下さいね」
 断りを入れてから部屋を出ようとして、
「そこの洗面台を使って良いわよ」
 先生の言葉に足を止める。


「お待たせ蒼ちゃん。これを目に充ててね」
 濡れたハンカチを涙で腫れぼったくなった目に充ててもらうように渡す。
「私が強いんじゃなくて、この強さは蒼ちゃんからもらったものだよ」
 そして話の続き。再び蒼ちゃんが私の腰に手を回してさっきと同じ体勢になる。
 ただし今度はうつむくんじゃなくて、私の顔を見上げながら。
「蒼依が愛ちゃんに?」
「そうだよ。蒼ちゃんが私を親友だと思ってくれているから、信用してくれているのが伝わるから、分かるから、だから私は勇気を持てるんだよ」
 私は蒼ちゃんの髪を優しく優しく梳き続ける。
 どれくらいの間かそうしていると、携帯から新着受信のお知らせの音が鳴る。
「愛ちゃん良いの?」
 私に出る様子が無いから気にしてくれたんだろうけれど
「今は良いよ」
 そう言ってただひたすら蒼ちゃんの綺麗で、引っ掛かりの全くない髪を梳き続ける。さらにしばらくそうしていると
「ありがとう愛ちゃん。少し落ち着いたから……ハンカチは洗って返すね」
 蒼ちゃんがカバンを手に取って立ちあがる。
「うん分かったよ。それと今日は蒼ちゃんの家まで送って行くから一緒に帰ろう」
「うんありがとう。愛ちゃん」
 私は蒼ちゃんの背中に手を添えながら、パーティションの外に出る。
「それじゃあ先生今日はありがとうございました」
「こちらこそ。教頭先生の言う通り本当に私の踏み込む必要なかったわね」
 ……どうしてここで教頭先生の名前が出てくるのか。
 それに心なしか先生の目が潤んでいるのは気のせいなのか。
「先生。ここでの事は口外無しでお願いします」
「ええ。他の生徒に喋るような事はしないわよ。生徒個人の事だからね」
「ありがとうございます」
 私は蒼ちゃんを連れて下校する。


 校門を出て、少し遠回りにはなるけれどなるべく人と通りの少ない道を選んで歩き始めてからしばらくして
「もう蒼依の事は大丈夫だから、さっきの着信見てあげようよ。もし困ってたらかわいそうだよ」
 本来の蒼ちゃんらしく相手を気遣い始める。
「分かった。ちょっと確認してみるね」
 六月の中旬、少し薄暗くなった夕方の只中にあるこの時間、曇天の公園横の遊歩道で足を止めて携帯を確認する。
 私は咲夜さんからだったメッセージを見て微笑みをこぼす。

題名:ごめん
本文:夕摘さんは最後まで何も言わずに帰った。蒼依さんのクッキーはこっちで拾っといた。
追伸:蒼依さんのクッキー美味しくなかったけど、美味しかった

「蒼ちゃんのクッキー美味しくなかったけれど、美味しかったって。蒼ちゃんの気持ち、ちゃんと届いたね」
「……うん。本当にありがとう愛ちゃん」
 蒼ちゃんの気持ちを聞いて、咲夜さんにメッセージを返す。

題名:ありがとう咲夜さん
本文:蒼ちゃんも喜んでくれてる。今日の事詳しく聞きたいから、夜電話しても良い? 
追伸:その感想蒼ちゃんにも送ってあげて欲しい。絶対喜んでくれるから

 そうして蒼ちゃんの家までの道を、ゆっくりと二人で歩く。


 突然の訪問に少し迷いはしたのだけれど、蒼ちゃんと一緒にお邪魔させてもらう事にする。
「蒼依?! 学校で何かあったの? ……愛美ちゃんも一緒なのね」
 私に付き添われたおばさんがとても心配そうに娘を見る。
「突然のお邪魔をすみません。どうしても蒼ちゃんを一人に出来なくて」
「それは良いけれど、何があったの?」
「私が代わりに説明します」
 そう答えて、蒼ちゃんには先に着替えてもらう。
「今日蒼ちゃんが作ってくれたクッキーを渡そうとした時にトラブルになりました」
「そのトラブルって言うのは?」
 これを言葉で説明するのは辛い。
 私が代わりに説明を申し出て良かったと思う。
「蒼ちゃんがクッキーを渡した相手が、要らないって言って投げてしまって……」
 私でもこれ以上の説明は本当に辛い。
「大体の事は予想付いたわ。今日ごはんご馳走するから時間大丈夫ならしばらく蒼依の側に居て貰えないかしら」
 もちろんそのつもりだったから
「大丈夫です。私もそのつもりでしたし。それと……ごめんなさい」
 誰だって自分の娘の泣き顔なんて見たくないに決まってる。
「愛美ちゃんが悪いわけじゃないから謝らないで。こんなところ見られたら、蒼依におばさんが怒られちゃうから」
 そう言って苦笑いを浮かべながら、蒼依の所に行ってやってくれと言ってくれる。


 私は蒼ちゃんの部屋に久しぶりにお邪魔させてもらう。
 お菓子好きの蒼ちゃんらしくいくつかのぬいぐるみと、畳みに敷かれた布団の上に抱き枕が、ほんのりと甘い匂いのする部屋の中においてある。
「蒼ちゃん着替え終わってたんだ」
「……」
 色々なお菓子の柄がプリントされた部屋着を身に纏い、敷かれた布団の上に女の子座りをしながら、ぬいぐるみを強く抱きしめて顔をうずめるようにしている蒼ちゃん。その姿を見るだけで、私の心が痛む。
「おばさんには私から一通り説明しておいたから。これ以上は何も聞かれないし、言わなくても大丈夫だから」
 私は制服のままだったけれど蒼ちゃんの横に腰を落として、私が蒼ちゃんにもたれかかるようにして背中を優しく叩く。トントンと。
「蒼依はただみんなと楽しく喋りたいだけなのに。咲ちゃんと夕摘さんと仲良くおしゃべりしたいだけなのに」
 体勢としては少ししんどかったけれど、私は蒼ちゃんの頭をぬいぐるみごと抱きしめる。そして思う。同調圧力と言うのはこんなにも辛いものなのか。
 もちろん実祝さんは何となく違うとは思う。
 でも同調圧力さえなければ、こんな時いくらでも周りの人とでも気分を紛らわせる事も出来るはずなんだ。
 私は同調圧力・集団同調の範囲がただのいじめの範疇外にも及んでいる事に恐怖以上のものを感じる。
 同調している側には本当に何にも思う事は無いのか。一人の同年代の友達をここまで叩いて何が楽しいのか何が気持ち良いのか、あのグループを見てて思う。
 それともそれほどまでに戸塚君の将来性が魅力的なのだろうか。
 そこまでして妬むほどに戸塚君はイケメンなのだろうか。
 私も女だから嫉妬やヤキモチを妬く気持ちはよく分かる。
 でもそれを同調させて、しかも圧力まで加えると言うのはもう狂気としか思えない。
「さっきも言ったけれど、多分だけれど咲夜さんとは喋れるようになるよ」
 さっきのメッセージを見てても思う。
 蒼ちゃんの気持ちは咲夜さんに確実に届いている。
「蒼依、咲ちゃんとも全然喋って無いよぉ」
 蒼ちゃんの悲痛な思いが私の気持ちを、胸をきつく締め付ける。
「夕摘さんは初めから蒼依の事、嫌ってたよね」
 そう、実祝さんが分からない。
 クラスの同調圧力には加わってないはずなのに。
 例のグループから言われの無い事を言われて、しんどかった気持ちも分かるはずなのに。実祝さんの理由を聞かないと分からない部分は残るけれど
「もう実祝さんとは無理に喋らなくても良いんじゃないかな」
 それでも、どんな理由があってもやってはいけない、言ってはいけない一線って言うのは必ずある。
「そうなのかな?」
「蒼ちゃんが一生懸命努力しているのは私は知ってる。そしてその気持ちは咲夜さんには届いてる。だったら咲夜さんとだけまた仲良くしようよ」
 それほどまでに私の中では実祝さんに対する落胆は大きい。
「蒼依のせいで愛ちゃんに迷惑をかけてごめんね」
 ここに来て蒼ちゃんの方からもようやく私の背中に手を回してくれる。
 間に入っているぬいぐるみは、私達に挟まれて動かない。
「私は迷惑だなんて思ってないよ。だから私に関しては謝る必要ないからね」
 そこでおばさんから夕食に呼ばれる。

 夕食の後本当は一晩中蒼ちゃんについていたかったくらいなのだけれど、明日の事もある上、何よりも咲夜さんにも連絡を取りたかったから、後ろ髪を強く引かれる状態ではあったけれど、今日はお暇させて頂く事にする。
「ねえ愛美ちゃん」
「はい。何でしょう?」
 蒼ちゃんは部屋からは出てこない。今玄関先にいるのは私と蒼ちゃんのおばさんだけだ。正直今の私は蒼ちゃんの気持ちを推し量ることが出来るとは言えない。
 それでも蒼ちゃんは一人じゃない。私は、私だけは変わる事無く蒼ちゃんの味方である事を何とかして伝えたい。あの集団同調に参加する事は無いって事を伝えたい。
「最近蒼依に元気が無いのは友達だけのせい?」
 ……今日じゃなくて最近か……戸塚君とお付き合いを始めてから同調自体も始まっている上、集団になって圧力までかかり始めている。
 端から見ても分かるくらいだから、蒼ちゃん自身が感じる圧力なんて私には想像すらも届いていないと思う。
「いえ。色々な理由はありますが、それは蒼ちゃんが話してくれるまで待ってください」
 蒼ちゃんの性格からしても、今のおばさんからしても蒼ちゃんが何も言っていなのは分かる。
「蒼依の希望通り余計な事を言わずに、進学じゃなくて好きな料理学校に行かせていたら、もっと笑ってくれていたのかしら」
 おばさんがため息を掃く。
 家庭科の授業で本当に楽しそうに色々なものを作る蒼ちゃん。
 あの約束以来、時々私の家で新作のお菓子を披露してくれる時はいつも笑顔の蒼ちゃん。
「……」
 それでも私はおばさんの問いに答えることが出来ない。
 私自身が蒼ちゃんと一緒にいて楽しかった思い出ばかりだから。
「……ごめんなさいね。愛美ちゃんが悪いわけじゃないのに」
 自分の娘を思う母親の気持ちってどんなだろう。
 娘の笑顔が見られない母親の気持ちってどんなだろう。
 まだ学生でしかない私には、自分の子供なんていない私には、同じ女であったとしても想像する事すらできない。
 本当に、想像する事すらも出来ない事ばかりが私の周りには落ちてる。
「いえ、謝らないでください。私もどうしたら良いのか、なんにも分からないですけれど、蒼ちゃんは一人じゃないって事だけは蒼ちゃんに伝わるまで伝え続けたいと思ってます」
 結局のところ、所詮まだ十代の私にはいくら考えても自分の事しか分からない……いや自分の事すらも分かってはいないかもしれない。
 だったら少ないかもしれないけれど、自分の気持ちや分かってる事だけでも相手に伝え続けるしかない。
「ありがとう愛美ちゃん。蒼依の友達でいてくれて。あんまり遅くまで引き留めるのは悪いわね」
 私へのお礼の中に訂正したい事もあったけれど、今はそれを伝えずに、蒼ちゃんのいる二階に視線を向けて、
「今日は夕食を頂いた上に、夜遅くまでありがとうございました」
 私は蒼ちゃんの家から失礼して、自分の家へと帰る。


 いつもより帰る時間は遅かったけれど、慶の靴が無いって言う事は今日はまだ帰ってないのだろう。
 蒼ちゃんの家で夕食を頂いた分時間的な余裕はあったけれど、慶がいつ帰って来るのか分からない上、咲夜さんにも連絡を取りたかった私は慶が帰ってくるまでにシャワーを済ませて、自室にこもって咲夜さんに電話をする。
『ごめん。遅くなった。今大丈夫?』
『あたしは大丈夫だけど、今蒼依さんと一緒?』
 本当は顔を見て喋りたかったのだけれど、それをするには時間が遅い。
『ううん。今自分の部屋に帰ってきたところ。で? 実祝さんは一言も喋らなかったって?』
 本当は雑談でもしたい気持ちもあったのだけれど、先に本題に入ってしまう。
『うん。結局何を聞いても、何も言わずに帰っちゃった。ごめん』
『こっちこそありがとう。一回ちゃんと実祝さんと話してみるよ』
 決して咲夜さんが悪いわけじゃない。でも電話口の空気に少しの重さを乗せて
『あたしもよく分からないから教えて欲しいんだけど、あの二人ってあんなに険悪だった?』
 咲夜さんの質問はもっともだ。しかもあれを目の前で見たとなれば、その質問も当たり前だと思いはするけれど、答えるのは少し迷う。ただ、咲夜さんを信じると決めた以上は言うべきかもしれないと思い “実祝さんが“姫”と呼ばれることを嫌がっている事を知っていて、その事を例のグループが蒼ちゃんに同調させようとして、蒼ちゃんの性格上同調はしなかったものの、否定しきれなくて、それ以来ずっと拗れたままになっている” 事を話す。
 ただし、実祝さんが蒼ちゃんに対して“カレシ”がいる事に対して穿った見方をしているかもしれない事は伝えない。
『じゃあ愛美さんの事だから、二人の仲を取り持とうとその時からずっと?』
 そんなに驚くような事なのか。
『今はまだ、二人とも親友、友達だと思ってるから当然だって』
『当然って……』
 私の話に黙る咲夜さん。
『あのさ……変な事聞くようだけど、どうして蒼依さんの為に……ううん。友達の為にそこまで真剣になれるの? 血の繋がった兄妹ですら “他人の始まり” って言うのに』
 やっと口を開いた咲夜さんの言葉に小さなショックを受けると同時に慶の事が脳裏にちらつく。そして何となく、この答えが何かの分岐点になる気がする。

『咲夜さんは私とケンカして喋らなくなったら、もう私とは喋る気はないの?』

 中にはそう言う人もいるかもしれない。でも人の繋がりってそんな簡単に切れるものなのだろうか。
 私は一番好きな言葉って訳では無いけれど“一期一会”ってすごく好きな言葉なんだけれどな。
『何とも言えないけれど、もしそうなってしまったらそれまでの関係……じゃないのかな』
 咲夜さんみたいな人付き合いもうまくて、自然と周りに人が集まるような人はそうなのかもしれない。だとしたら私は寂しいと思う。
『だったら――』
 ふと教頭先生の質問が頭に浮かび上がる。
『——雨降って地固まるって言葉。使えないね』
 そして心のうちに嬉しさと寂しさが同居する。
『あのさ……咲夜さんってさ。戸塚君の事、好きなの?』
 だから私は思い切って聞いてみる。あの蒼ちゃんに向かって険の込められた咲夜さんの言葉の意図を。
『……別にあたしは何とも。でもそんな事学校で口にしたら、女子グループから叩かれるよ』
『好きじゃなかったら。蒼ちゃんと同じ人を好きになった訳じゃなかったら、どうして蒼ちゃんの事許せないの? 何に腹立ってるの?』
『……』
 答えられない咲夜さん。
 もちろんクラス内にとどまらず交友関係の広い咲夜さんだからこそ、自分の意志よりも相手と合わせないといけない場面も多々あるんだろう。
『私は、今の友達を今だけで終わらせたくない。これから大人になっても現在(いま)の事を振り返って話せるくらいの関係ではいたいよ』
 でもそれは後から振り返って話をした時、ちゃんと “自分の思い出” として話す事は出来るのかな。
『そんなの、これから先も付き合いが続くかどうかなんてわかんないじゃん』
『だから喧嘩してでも、その度にお互いを理解して行ければ良いなって私は思うけれどな』
 もちろんこれらは全部きれいごとだ。そんなにうまく行くようなら誰も苦労しないって言う人が圧倒的だと思う。
『愛美さん。そうは言うけど、蒼依さんとケンカしたことある?』
『ないよ。今まではね』
『だったら喧嘩したらどうなるか分かんないじゃん。やっぱり』
 でも忘れて欲しくないのは、見落として欲しくないのは、今現在、私達は謂れのない集団同調で苦しんでるって事。今すごく苦しくて、苦労してるって事。
『もちろん分かんないよ。今も蒼ちゃんの気持ちを理解してるとは言えない』
『だったら――』
『だから! 私は今の気持ちを、蒼ちゃんが一人じゃないって事を伝え続けるんだよ。蒼ちゃんに届くまで。何度でも。いつまでも。親友として』
『……』
 今咲夜さんは何を考えてるのだろうか。ひょっとしたら私の考え方が重いって考えてるかもしれない。
 もちろん咲夜さんの考えてる事も分からない。
 だから私は自分の気持ちを伝える事しかできない。
『咲夜さんにも交友関係があるから、無理にどうとかは言わない。でも、咲夜さんなら、蒼ちゃんがいわれのない圧力を受けてるって気が付いている咲夜さんなら、いつかは蒼ちゃんと仲直りしてくれるって信じてるから』
『……分かった。もっとよく考えてみる。今日はありがとう。蒼依さんのクッキー良かったよ』
『また蒼ちゃんに直接その感想を伝えてあげてね』
『……考えとく』
 私は今自分に伝えられることを伝え切って電話を切る。
 そして、慶の帰りを気にする事無く、そのまま意識を闇に沈めた。



―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――

           「何の話? 蒼ちゃんの事?」
        それでも周りは私たちを待ってはくれない
          「先生。今の話はもう忘れて下さい」
           信用していた先生からの冷たい対応 

           「はぁ?! “そんな理由”?」

          44話 友達と言う視線<詰め会話>
           これでもあなたは独りでしたか?
       でも、まだあなたには伝わらないかもしれません……
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