第41話 白と黒の視線<集団同調の怖さ>

文字数 10,897文字


 翌朝、携帯を確認すると“連絡ありがとう。今日はよろしく”短い文章とは言え、優希君から来ていたメッセージに顔が綻ぶ。自分の部屋で確認して良かったよ。
 そんな気持ちも手伝ってか、少しどうしようかと迷いはしたけれど、優希君からのメッセージでゴキゲンだった私は、朝ご飯だけ慶の分も用意する。
 ホント私って単純だなって再認識して。
 ただお昼のお弁当の分だけはどうしてもお弁当箱を投げられた事が脳裏に焼き付いていて、作る気にはなれなかった。
 ……お父さんとお母さんにはご飯は作らないって言ったけれど、やっぱり私は甘いのかな。それとも私が自意識過剰なだけなのかな。
 ……ホント家族って何だろう。大切にするって何だろう。甘やかすってどこからなんだろう。私は弟の為に作った朝ごはんを見ながら答えの出ない自問を繰り返す。
 ただ、慶の顔を見る気にはなれない私は、慶を起こさずにそのまま学校に向かう。


 教室へ着いた私は昨日の咲夜さんとの事を思い出して、蒼ちゃんの耳に入れたくない私は蒼ちゃんがまだ来ていない事を確認してから、まだリーダーの子が来ていない例のグループの方へ足を向ける。
 昨日の今日だからなのか、咲夜さんが言っていた通りだからか、私の姿、行動を見て露骨に視線を逸らしたり、腰が引け気味になっている取り巻きの子たちの前まで向かって
「……な、なに?」
「昨日はごめんなさい」
 私にとっては大変不本意な事に、私に対して怖がっている取り巻きの子たちに頭を下げる。
「……」
 私の行動にあっけにとられる取り巻きの子たち。
 視線を感じて振り返ると、実祝さんと視線がぶつかる。
「え、えっと……あたしたちに言われても……」
「アノ人に言ってもらわないとねぇ」
 取り巻き達の声に向き直ると、私が頭を下げた事で自分たちが上だと勘違いしたのか、いやらしい視線を向けてくる。
 そこに蒼ちゃんが入って来たのを確認した一人が、
「昨日の事って何の事? 何について謝ってんのかちゃんと言ってくんなきゃ分かんない」
 蒼ちゃんに聞こえるように私に向かって言う。
 不安そうにこっちを見る蒼ちゃんには知られたくなかったけれど、私が責められてると勘違いして、蒼ちゃんが自分を責めてしまわないとも限らないから
「昨日私が、貴方たちをビビらせてしまってごめんなさい」
 そう言ってもう一回頭を下げる。
 今度は勘違いさせないように笑顔をおまけで付けて。
 私が再度頭を下げた事か、はたまた理由の方なのか取り巻き達が慌てる。向こうも何かを言いかけたのだろうけれど、教室の中にはもうそれなりの人数が登校して来ているのか咲夜さん、蒼ちゃんも含め過半数の席は埋まっている。
 取り巻きの子たちがそれ以上何も言わないのを確認してから、自分の席へ戻った所で
「ちょっと愛美さん。朝から何の話をしてたの?」
 リーダーの子はいないとしても、珍しく取り巻きの子たちがいる中で私に話しかけてくる咲夜さん。
 私はそのまま蒼ちゃんの席へ向かいながら、
「何話してたって、昨日咲夜さんが――『ちょっと月森さん良いかな?』――」
 咲夜さんに昨日の件で謝っていた事を伝えようとして、他のクラスメイトによって中断される。
「ごめ~ん。昨日に続いてで悪いんだけど聞きたい事あるから今、良いかな?」
 そして私の方も呼ばれたから
「ちょっと待って」
 仕方なくそちらに足を向ける。
「ごめんねー今日の授業で当てられそうだったから、助かったよ」
 一通り説明を終えてクラスメイトからお礼を言われたところで、授業開始の予鈴が鳴る。結局別のグループと雑談をしている咲夜さんとも、さっきの会話のいきさつを蒼ちゃんに説明出来ないまま午前の授業が始まる。


 お昼休みにこそ蒼ちゃんに説明しようとしていた矢先、教室の出入り口付近が少し騒がしい。私は何かなとは思いながらも、お弁当箱を持って蒼ちゃんの席へ向かおうとしていると、
「愛美さん。会長が来てるけど」
 咲夜さんが私を呼びに来る。
 何でも良いけれど “会長=私” にするのは彩風さんと雪野さんの耳に入るとややこしいから辞めて欲しい。万一優希君に誤解されると目も当てられないどころか、泣くに泣けない。
「本当に倉本君は私を呼んでるの?」
 特に急ぎの連絡も用事も思い当たる事も無い。
 私の所へ来るなら彩風さんの所に行ってあげればいいのに。
「え? だって前の時も愛美さん目当てで来てたじゃん」
 咲夜さんがさも当然のように言う。
 周りを見ると、蒼ちゃんの姿もなく、例のグループの子たちがこっちをニヤニヤと見ている。嫌な予感がした私は
「咲夜さんも一緒に来てくれる?」
 一人で倉本君の所に行くのを避ける。
「えぇ……あたしお邪魔虫は嫌だなー」
 私が倉本君の方へ向かいかけた時、咲夜さんから聞き捨てならない一言が聞こえる。
「……咲夜さん? お邪魔虫ってどういう意味? 私が空木君をって前に説明したよね? それを分かってて、雪野さんみたいに私と倉本君を仲良くさせようとか……思ってる?」
 雪野さんと同じような事をしようとしているのか、だとしたらさすがに容認は出来ない。彩風さんの気持ちが私は何となくでもわかるから。
 それに咲夜さんは咲夜さんので私に内緒で、優希君と仲が良いみたいだし。
 そう考えると少しイラつく。私ってこんなに狭量だったっけ。
「愛美さんが怖すぎる。それに雪野さんもって確か議長の子だよね? 統括会の中ってどうなってんの?」
 限度はあるにしても倉本君には多少の事ならどう思われても大丈夫だから、咲夜さんには特に注意する事無くまずは待たせている倉本君の所まで咲夜さんと共に急ぐ。
「お待たせ倉本君。どうしたの? 何か用事?」
 何か用事があるなら先に聞いてしまう。
「特に用事とかじゃないんだけど、そっちの人は?」
「友達の月森さん。一緒にお昼しようと思って」
 流れで咲夜さんを倉本君に紹介する事に。
「いや俺もたまには岡本さんと一緒にお昼をしようかと思って」
 ……まあ何となくは分かってはいたけれど、何で私なんだろう。
「えっと……彩風さんとは一緒に食べないの?」
 本来なら彩風さんの所に行くべきじゃないのかな。
「いや、霧華は学年が違うからな」
 倉本君が困った表情を浮かべる。
「じゃあ彩風さんも呼んで4人で食べよっか。咲夜さんもそれで良い?」
「いやあたし弁当じゃ――はい分かりました」
 咲夜さんから逃げようとする雰囲気を感じたから、足を使って私の意思を伝える。
 例のグループに変な吹聴をされても困るし、他の男の人と二人で歩いている所を優希君に見られたりしたら、今日の放課後の時になんて言えば良いのか。

 ……え? 女のくせに足癖が悪いって? 好きな人に誤解されるよりマシに決まってるっての!

 その後、グラウンド横にある休憩スペースにて待ち合わせとして、今日は咲夜さんに学食ではなく購買に行ってもらう。
 先に二人で待ち合わせ場所に向かう道すがら、
「突然で迷惑だったか?」
 倉本君が申し訳なさそうな、残念そうな表情を浮かべる。
「迷惑と言うよりびっくりした。今まで頬の時しか来た事ないよね? あの時も彩風さんと一緒だったし」
 そう。今回は彩風さんも無しで、倉本君一人で来たし。
「いや今日の放課後――『あ! 岡本先輩』――」
「――と……清(きよ)くん」
 倉本君が今日の放課後の事らしき何かを言いかけたところで、走って来たのだろう彩風さんが息を切らしながら私たちと合流する。
 倉本君からは、今はその呼び方辞めろって聞こえてくるけれどそっか、彩風さんは倉本君の事をそう呼んでるんだ。私はその姿が微笑ましくて
「もう一人来るから、そんなに急がなくて大丈夫だよ」
 そう言って少しでも安心してもらえるように彩風さんに微笑みかけて、咲夜さんを待つ。

 四人揃ったところで、彩風さんと倉本君に並んで座ってもらって、私が彩風さんの正面に座る。
「今日はアタシも呼んでくれてありがとうございます」
 彩風さんがお弁当を広げながらお礼を言う。
「それ、彩風さんが自分で?」
「はい! って言いたいところなんですが、お母さんに手伝ってもらってます」
 恥ずかしそうに俯く彩風さんに、
「霧華は最近勉強だけじゃなくて料理も頑張ってるもんな」
 柔らかい微笑みを浮かべながら、彩風さんの頭に手を置いてポンポンとあやす倉本君。自然にスキンシップが取れる関係の二人はとてもお似合いだなって思って眺めていると、倉本君が私の方をチラチラ見ながら
「さっきの話の続きだけど、今日の放課後、空木の代わりに会長の俺が一緒に行こうか?」
 あまりにもの突然の話に
「え?」
 私も着いて行けなくてびっくりする。彩風さんに至っては、びっくりし過ぎて固まっている……というより不安そうにこっちを見ている。
「えぇ……なんなのこれ。あたし胃が痛い……」
 隣から咲夜さんの声がするけれど冗談じゃない。今日の優希君との買い出しデートは、私が思い切って声を掛けて何とかこぎつけた私と優希君だけの時間なのだ。
 私の事をもっと知って欲しい、優希君の事をもっと知りたい、優希君との信頼関係を築く為の大切な時間でもあるし。
「い、良いよ良いよ。昨日のうちに空木君には場所とか時間とか伝えてあるし」
 だいたい倉本君が時間を共にするのは私じゃなくて、彩風さんの方でしょう。
 彩風さんの目の前で、いくら統括会の事とは言え倉本君が私を誘うから、彩風さんの表情がすごく不安げなものに変わる。
「それくらいなら俺から言ってもかまわないし」
 どうしようか。優希君との二人だけの時間は誰にも邪魔されたくないし、かといって彩風さんの手前はっきり断るのも話が拗れそうだし……
「ちょっと清くん。岡本先輩困ってるってば」
 私の態度を見かねたのか、倉本君をたしなめる彩風さん。
「今回はごめんね。その分彩風さんに優しくしてあげてよ」
 だから私はそれに乗っからせてもらう。
 だから、彩風さんが頑張れるように私は笑顔と共に小さくエールを送る。
「……次の機会には空木じゃなくて気軽に俺の方に声を掛けてくれな」
 倉本君からしたらただの買い出しのはずなのに、どうしてそこまでして拘るんだろう。いくら統括会の事でも、会長がそこまで身を粉にする事も無いのに。
 皆が一通り食べ終わったところで場所が場所だけに、教室から少し遠いと言う事もあって少し早いけれど、解散する……前に。
「ちょっと彩風さん良いかな?」
「なんでしょう?」
「ちょっとこっちに来て?」
 誰にも聞かれないように、少しだけ離れて彩風さんの耳に小声でそっと耳打ちする。
「えっとね。彩風さんいつも心配そうにしてるから正直に言っておくね」
「はい」
「私は空木君の事が好きなの。だから雪野さんが煽って来ても心配する事無いからね。私は彩風さんと倉本君の事応援してるから。さっきのやり取りを見ても二人はお似合いだなって私は感じたよ」
「……ありがとうございます」
「私の事もあんまり言いふらさないでね」
「もちろんです! お互いに頑張りましょう! 先輩」
「そうだね。じゃああんまり待たせてもなんだし行こっか」
「はい!」
 彩風さんの元気な声を聞いて、
「ごめんね時間を取らせて」
 みんなの所に合流する。
「岡本先輩! 改めてありがとうございました。それとそっちの先輩も」
「ううん。こっちこそ突然呼び出してごめんね」
「岡本さんもありがとう。また一緒に食べよう! ほら霧華も行こう」
 自然に倉本君が待って、迷いなくその横について歩く彩風さん。
 やっぱり二人はお似合いだと思う。
「咲夜さんも今日はありがとう」
「いやホントあたしがいる意味あった? それに統括会ってどうなってんの? あたし胃が痛いんだけど」
 私たちも自分の教室へ戻る途中咲夜さんが言葉をこぼす。
「意味はあるよ。それから彩風さんも本気だから咲夜さんが何を考えてるのかは少し気になるけれど、あまり余計なことを言って話をややこしくしないでね」
 だから念のためにもう一度釘をさしておく。
「いやこれ。あたしでも意味わかんないから下手な事言えないって……」
「何か言った?」
「いえ! なんにも言ってないっす!」
 咲夜さんの喋り方がおかしいなと思いながら教室へ戻って来た瞬間
「岡本さんの男癖も相当よねー」
「そ、そうよねー。この前は副会長で、今日は会長ですか」
 さすがに昨日の今日で蒼ちゃんの名前を出す勇気がないのか、全く出てくる気配はない。
「まさに取っ替え引っ換えよね」
 だから私だけの事なら聞き流す事は出来るけれど、
「岡本さんって二股かけてるんじゃない? 成績も良いし選び放題だもんね」
 優希君に聞かれたくない事実無根の話も出始めたから
「咲夜さんとも一緒に食べたお昼、美味しかったね」
 実祝さんが立とうとしたところで、私は例のグループを抑えにかかる。
「なんであたしばっかり?!」
 私の言葉に教室内にいる大半の生徒の視線が、咲夜さんに集まる。
「ま、まあ美味しかったのは間違いなけど」
 私は咲夜さんの言葉を言質として、出て行く前にニヤついていたリーダーの子に流し目を送ったところで午後の授業が始まる。


 まだ短い人生とは言え、人生初の男の人との二人きりでのお出かけ。それも好きな人とのお出かけなら気になって授業に集中できなくても今日ばかりは仕方が無い。
 授業が始まる前にも一度携帯を確認するけれど、新しいメッセージは来ていない。
 優希君からも何でも良いからメッセージを送ってくれれば良いのに。
 そう思うのは私のワガママになるのかな。結局午後の授業は終始優希君一緒に染まったまま終礼を迎える。
 終礼が長引いたら忙しなくなる事も想定して、時間には少し余裕を持たせてある。
 優希君との約束の時間までに、優希君に変な姿、服装、格好を見られるわけにはいかないから教室の中だけれど、普段めったに使わないコンパクトミラーを取り出して、身だしなみをチェックする。
 一通りを終えてなかなか話が出来ていない蒼ちゃんの方へカバンを持って一歩足を踏み出した所へ
「愛美さん。今から副会長とお出かけ?」
 咲夜さんが少し申し訳ない表情を浮かべながら聞いてくる。ちなみに今はもう例のグループの子はいない。
「そうだけれど。それがどうかした?」
 お昼の時に聞いているはずなのに、何をいまさら確認してくるのか。
 その間に蒼ちゃんが教室から出て行ってしまう。
「いや~愛美さんが気合入ってるから」
 ただそっちに気を取られる前に、私の顔が熱を持つ。
 そりゃ好きな人と歩くのだから気合が入るに決まってる。
「……まさか。空木君と仲が良いからって、一緒に来るとか言わないよね?」
 だから咲夜さんも警戒しないといけない。
「い゛?! いや~さすがにそんなわけないじゃん? だいたい愛美さんと争っても勝てる気がしない」
 ――争ってもってどういう事なのか、これは確認した方が良いかもしれない。
「咲夜さん? 争ってもってどういう意味? 咲夜さんもライバルなの?」
「え゛? ち、違うって。そう言う意味じゃなくてですね?」
 よく見ると咲夜さんの顔が汗ばんでいる。まあもう6月も中旬。
 そろそろ梅雨の時期で雨が降り始める時期だから仕方が無いとは思うけれど、
 どうにも咲夜さんの態度が気になる。
「ちょっと詳しく話を聞かせてもらおうかな」
 私がそう言った時、部活開始のチャイムが鳴る。
「あ! 私行くけれど、今度その話詳しく聞かせてもらうからね」
「……」
 私は大慌てで待ち合わせ場所である、正門横の自転車置き場に向かう。


 もちろん私が友達と喋っていて優希君を待たせていたのだから、私が文句を言うのは完全な筋違いだって分かってはいるんだけれど、
「じゃあ副会長。おつかれさまでしたー」
「そっちも気を付けて帰ってー」
 優希君の事をロクに知りもしないくせに、どうして私の知らない女の子が優希君の周りにいるのか。
「ごめん空木君。私の方が遅くなって」
 でも嫉妬深い女だって思われたくなくて、言葉にも表情にも出ないように気を付ける。それでも、ほのかに優希君から感じる柑橘類のこの匂いは……香水かな。
「僕もそんなに待ったわけじゃないから、気にしないで」
 でも遅れた私が、その立場でもない私が、入り込むことも出来ずに聞くことも出来ない。それなのに優希君の笑顔一つで、私の心が穏やかになるなんてそんなんで良いのか、私は。こんなの知られたら絶対に優希君にからかわれるに決まってる。
「ありがとう空木君」
 だから私は出来るだけ表情には出さず返事をする。
「今日はどこまで買いに行くの?」
 正門を出て、駅に出るため最寄りのバス停に向かう。
「せっかくだしショッピングモールに向かおうと思うんだけれど良いかな?」
「僕は大丈夫だよ」
 優希君の笑顔に私の心臓が音を立て始める。
「……」
 片側一車線ずつの道路に面したバス停の前で、他の生徒に混じってバスを待つ。
 歩いている間は気にはならないけれど、止まっているとほのかに漂う柑橘類の匂いが気になってくる。その事も聞きたいのに聞いて良いのかどうかわからずに結局聞けない。それ以外の話でもいくらでも話題はあるはずなのに教室や役員室の中なら口が勝手に動いてくれるのに、さっきまでの口はどこに行ったのか今は口に糊でも張り付いているのかって言うくらいに、全く動かない。
 その上、優希君は私に微笑んでくれるのに、私はうまく返せない。
 何でこんなに緊張してるんだろう。さっきまではあんなに普通に喋って、優希君を見て喜んだりイラついたりしていたのに。その上、優希君の後ろの女生徒も馴れ馴れしく優希君に話しかけてるし……私がもやもやしていると
「岡本さんバス来てるよ」
 優希君が教えてくれる。私は何をやってるんだろう。優希君と二人だけの時間を楽しく過ごすんじゃなかったのか。
 ……出だしから私の気持ちが落ちる。
 バスの中でも空木君は周りの生徒と軽く雑談をしている。今度は女生徒に限らず男子生徒とも。なのに私は緊張して一言も喋れない。
 私の知らない香水の匂いを漂わせているにもにも拘らず、優希君が近くにいてくれるだけで心臓の音はうるさい。
 気持ちとドキドキが全然一致していないちぐはぐさにも、戸惑いを覚える。
「岡本さん着いたよ」
 私が落ち込んでいる間に駅についたみたいで、優希君がそれを教えてくれる。
「……ごめん。ありがとう」
 待ち合わせ場所には遅れる。会話も弾まない。周りも見えていない……こんな私を知って欲しくて二人の時間を作った訳じゃないのに……極めつけは
「そう言えば。役員室をのぞかなくて大丈夫だった? 今日買うもの決まってる?」
 駅の改札口の前、優希君からの質問に私の頭が真っ白になる。
 完全にリストを作るのを、メモを取るのを忘れてた。
 これじゃあ私が一人で浮かれていただけでしかない。
 改札をくぐる時には、私の気持ちは完全に沈んでいた。
「役に立つかは分からないけれど、目についたものだけでも数をメモしてみたけど、参考になるかな?」
 私の姿を見て気遣ってくれる優希君。その気持ちはとっても嬉しいけれど“二人で”楽しい時間にしたかったのに、これじゃあ私ばっかり気を遣わせてるだけだ。
「ありがとう。使わせてもらうね」
 それでも優希君の気持ちを無碍にはしたくなくて、優希君の好意を受け取る。
 電車に乗り換えても、これじゃ駄目だって分かってはいても私の気持ちは上がらない。目的の駅に着いた時、
「岡本さん。ちょっと喫茶店で少し話でもしよう」
「……うん。分かった」
 私との間の空気にいたたまれなくなったのか、声を掛けてくるけれど……何を言われるのかな。優希君が先導する形で駅の近くにあるチェーン展開する某喫茶店に入る。
 結構なお客さんが利用していて席の確保が難しそうだったから、私は優希君にココアをお願いして、先に席の確保をする。
 しばらくすると、優希君が私の分と合わせてトレイに乗せて持ってきてくれる。
「ありがとう」
 私の声はたくさんの人でほとんどの席が埋まっている店内でかき消されたかもしれない。今は静かな役員室よりも逆に誰にも会話を聞かれなくて良いかもしれない。
 そう考えると、こんな大勢の中で私はたった一人ぼっちの感覚にとらわれる。
 ただ今日はそんな一人ぼっちの世界に割って入る声がする。
「今日。岡本さん緊張してる?」
 その声に目を向けると、まっすぐな笑顔を向けた優希君の顔が私の瞳に映る。
「男の人と二人で出かけた事無いから」
 私ってめんどくさい女かも知れない。初めての度に毎回こんなんじゃこの先いつ愛想尽かされてもおかしくない。
「岡本さん。兄弟はいる?」
「うん。口の悪い弟が一人」
 この店内の喧騒の中、不思議と優希君の声だけが耳にはっきりと届く。
「その弟とは一緒に出掛けたりとかは?」
「ないよ。一回も無い」
 今では弟の顔も見たくないって思ってるくらいなのに。
「じゃあ岡本さんにとっては本当に僕が初めてなんだね」
 優希君の本当に嬉しそうな表情を見て、私の気持ちは、心はまた分からなくなる。
 どうしてそんな顔が出来るのだろう。今日の雰囲気なんて “二人で” の楽しい時間なんて完全に失敗なのに。こんな私を見て欲しかったわけでもないのに。
「僕には前に岡本さんに話した通り、とても優しい妹がいる」
 優希君の表情に私の視線がどうしても下がる。私が黙り込んだのを見て、優希君が言葉を続ける。
「僕もこう言うのどう言えば良いのか分からないけど、僕には妹と出かけた経験がたくさんあって、岡本さんにとっては僕が初めてだったって事だけ……かな? 岡本さん手を出してもらっても良い?」
 優希君が私に何かを伝えようとしてくれているのは分かるけれど、それが何かが分からない。もどかしい気持ちを抱えたまま、優希君に言われた通り手をテーブルの上に乗せると――っ。
「ちょっと優っ――?!」
 突然優希君が私の手を握った行動と、とっさに私の口から出てしまった私が心の中だけで呼んでいた優希君の名前に、一瞬にして私の頭はパニック状態にな――っ。
「僕も緊張して、手が震えてるの分かるかな?」
 私がびっくりして手をひこうとしたら、優希君が力を入れて私の手を握ってくれる。
 私を離さないと言わんばかりに……遅れて優希君の言葉を理解する。
「……空木君も緊張しているの?」
 優希君の話を聞いて、優希君の前にあるお冷が空になっている事に初めて気づく。
 ……そっか。私だけじゃなかったんだ。
 さっき口から滑り出た言葉は幸いにも聞かれていなかったことに安堵する――
「僕も女の人と出かけるのは妹の優珠(ゆず)以外では初めてだから……愛美さんとそう変わらないよ」
 ――間もなく、優希君の言葉に、かけてくれた名前に顔だけじゃなくて体全体が熱を持つ。
「ごめん! ちょっとお手洗い」
 ただ名前を呼ばれただけの事なのに、恥ずかしくて、嬉しくて、幸せで……居ても立ってもいられなかった私はトイレに駆け込む。


 あまり長く優希君をお待たせして変な想像をされても恥ずかしいだけだからと、顔の火照りも冷めないまま一度優希君の元へ戻る。
「えっと。名前呼び嫌だった? 岡本さんって呼んだ方が良い?」
 優希君に名字で呼ばれると、私の心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになる。
 たった一回しか呼んでもらってないのに、その一回だけで私の心が喜びを覚えてしまったかのように。だからなのか、私の心が、気持ちがその呼び方以外を嫌がっているのが、嫌と言うほどわかる。
「ううん。さっきの方が良い」
「さっきのってどっちの方かな? 岡本さん?」
 優希君の表情を見てて気づく。私またからかわれてるんだ。だったら私の方もちょっとくらい良いよね。
「……優希君のイジワル。分かってて言ってるよね」
 これは言う方も恥ずかしい。もうこれ以上染まりようもない程に赤くなっているであろう事も分かった上で、自爆も辞さない覚悟で“これでどうだ”と言わんばかりの気持ちを乗せて、ジト目で優希君を見る。
「分かった。これからは……愛美さんって呼ばせてもらうよ」
 私の視線に負けたのか、私から視線を外して小きく息を吐く優希君。
 私は嬉しさと幸せの中でココアを一口含む。
「あ。これ美味しい」
 いつも飲んでるココアよりも甘い。それにもかかわらずまとわりつく甘さも無くて、上品に甘い。私は両手でつかんで少しずつ飲んでいると、優希君からの視線を感じて
「どうしたの?」
 私が聞くと
「愛美さんって、何か飲む時いつも驚いてるから」
 優希君が言葉を濁す。からの続きは何を言おうとしたのかな。何が言いたいのかな。
「優希君って変なところばかり見てるよね。私だって恥ずかしいんだからね」
 どうせ聞いても教えてくれないだろうから、私の気持ちを伝えただけなのに
「僕は愛美さんの色々な面を見られて嬉しいよ」
「……」
 優希君の一言に何も言えなくなる。
 それでも言われっぱなしのままじゃ、今後に色々と影響しそうだから
「私だって優希君の事色々知りたいんだから、優希君の色んな面も私にもたくさん見せてね」
 優希君の事をもっとたくさん知りたいって気持ちを伝えると
「愛美さんに知られると後が怖そうだし、どうしようかな?」
 優希君がもったいぶる。
「私そんなに怖い? 私優しくしてるつもりなんだけどな?」
 優希君にそう思われるのだけは嫌だ。
「ごめんごめん。冗談だよ」
 こっちが真剣に考えてるのに、それを冗談で済ます優希君。
「……いじわる」
 ホントもっと私に

優しくしても良いと思うんだけれどな。
「……じゃあ愛美さんも元気になってくれたし、改めて買い出し。行こうか」
 そう言って私に笑顔を向けると同時に、なんと私に手を差し伸べてくる優希君。
「優希君……それはずるいよ」
 私にドキドキと、私の思う以上の気遣いをしてくれていた優希君。
 私はここが喫茶店の中だと言う事も完全に忘れて、いつの間にか私自身が元気になっていた事にも気付いて……私は優希君の手を取る。
 この手を離さないでと、心の中で強く想いながら。

 優希君に連れられて、喫茶店を出た時にはあれだけに気になっていた香水の匂いはもう気にならなくなっていた。
 そこから先は、私と優希君だけの二人の時間。
 とても幸せで楽しい時間になった事は言うまでもなく。これは私と優希君の中だけに取っておきたいから、悪いけれどここでは教えないね。



―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――

            『それで愛ちゃんが謝るの?』
           今朝の教室でのやり取りのいきさつ
             「あっ! これって!」
             思い出しか懐かしみか

           「あたしはこんなのいらないっ」

         42話 【親友はやがて】<届かない思い2>

         サブタイトル ★ 不器用で優しい味 ★
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