佐々木マユ 前編

文字数 4,062文字

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 今、私は3年前まで住んでいた元の家に居る。

 総理大臣が「るんるん」になってから、学校以外でもるんるんする人がすごく増えた。
 お母さんの会社でもそうらしく、「最近、(みんな)るんるんしていて仕事が(はかど)るし、気の合う人が増えた」と言っていた。
 お母さん自身はるんるんしていないけど、「るんるんしている人と気が合う」っていうのはすごく納得できた。お母さんはこの後もきっと「るんるん」にはならないだろうし、るんるんしてもしなくてもあまり変わらないような気がする。

 それからすぐに、「マユ、お母さん好きな人ができたの。近いうちに一緒に暮らすことになると思う。取りあえず、お互いの家を行ったり来たりするから、彼のことがイヤだなと思ったり、独りぼっちは寂しいなって思うなら、お父さんの所に行きなさい。事情は私から話しておくから」と報告された。

 お母さんはいつも突然決めて突然私に伝える。お母さんの中に私の気持ちは存在しない。

 3年しか住んでいないけど、この家も自分の部屋にも一応愛着はあるし、何よりカオちゃん家から遠くなるのが辛かった。だけど、知らない男の人が家の中に居るのは怖いし、すごく嫌だと思ったから、私はすぐに返事をした。

 お母さんの仕事は早く、その2日後の日曜日には引っ越し業者のトラックが来て私の部屋の全てのものが運ばれた。私はお母さんの恋人が運転する車の後部座席に乗せられて元の家に運ばれた。

 お母さんの恋人は30代くらいの人でるんるんしていた。運転しながらもお母さんと楽しそうに話していた、るんるんしながら…

 家に着くと、お母さんは恋人と一緒に車を降りて玄関チャイムを鳴らした。お姉ちゃんが出てきて、その後すぐにお父さんも出てきた。4人はニコニコしながら何か話して、すぐにお母さんと恋人はお辞儀をして戻ってきた。「マユ、お父さんとユリカが待っているから行ってらっしゃい。何か必要な物があったら連絡しなさいね」「うん、わかった」と言って私は車を降りて二人を見送った。門扉を閉めてドキドキしながらお父さんとお姉ちゃんの立っている玄関に向かった。

 ただいま、お父さん、お姉ちゃん
 お帰りなさい、マユ
 お帰り、マユ

 お父さんは昔のお父さんみたいで、学校の授業で見せる「やけに明るい田中先生」じゃなかった。お姉ちゃんは嬉しそうにニコニコしている。ちっちゃい頃一緒に遊んでくれた元気なお姉ちゃんだ。
 お兄ちゃんが「二人とも前と変わって、変なんだ」って言ってたからお母さんみたいになっちゃったのかと思っていたけど、お母さんとはちょっと違う感じだ。二人とも顔を小刻みに揺らしながら「さあ、中へ入ろう」と言ってくれた。

 靴は一応靴箱に全部入れてあるから、後で確認しなさい
 うん、ありがとう
 マユ、ベッドと机は前と同じ配置にしてあるけど、もし動かしたかったら言ってね、手伝うから
 うん、ありがとうお姉ちゃん
 今日は特別にお寿司を頼もうかと思っているんだが、いいかい?それとも一休庵(お蕎麦屋さん)の出前にするか 

 お寿司屋さんも一休庵もまだ出前をやってることに驚いた。お寿司は好きだけど、一休庵の親子丼はもっと好きだった(5年前には1度だけ悲しい味だったけど)

 お父さん、私、親子丼が食べたい、いい?
 もちろんだ、今日はマユの歓迎会だから
 じゃあ、お味噌汁はわたしが作るね
 お姉ちゃん料理出来るんだ、すごい
 うん、簡単なものだけどね

 二人とも優しい。私はホッとしていた。
 お母さんと違って二人の中にはちゃんと、娘のわたしが妹のわたしが居る。
 そんな当たり前のことにすごく安心した。

 さ、それじゃあ部屋の中の物を片づけてからお風呂に入りなさい。父さんはヒデヤに食べるか聞いてくるから
 わたしはお味噌汁の準備をしたら先にお風呂に入るね

 お姉ちゃんは台所へお父さんは2階へ上がって行った。私もお父さんについて一緒に階段を上って自分の部屋に向かった。お父さんはお兄ちゃんの部屋をコンコンと2回ノックして「ヒデヤ、マユが帰って来たぞ。今日は一休庵に出前を頼むんだが、お前も一緒に食べないか」とドア越しにさっきとは違って大きな声で言った。返事は無かったみたいで「そうか、残念だ」とまた大きな声で言って階段を降りて行った。

 私はすぐにでもお兄ちゃんに話しかけたかったけど、メールで「ただいま、お兄ちゃん。後で行くね」と送って片づけを始めた。 

 お兄ちゃんとは公園で会った後、すぐにアドレスを伝えてメールでやり取りをしている。2週間前には昼間に届くように指定してお肉や魚の缶詰やレトルトを送ってあげた。すごく感謝されて、本当になんとかしてあげなくちゃいけない気持ちになった。でも、どうすればいいのかはまだ分からない。

 マユ、出前来たぞ!

 お風呂から上がって髪を乾かしていた時、お父さんの声がした。浴室のドアを開けるとお味噌汁のいい匂いが広がっていた。食卓には出前のどんぶりが3つとお漬物が入った小皿が3つ並んでいた。お姉ちゃんがちょうどお椀にお味噌汁をよそっている。私は「運ぶね」と言ってお椀をお盆に載せて食卓に運んだ。お父さんはお箸を3人分用意している。「マユが持って来た箸はこれで合ってるかな」とさっき箸立てに差した私のお箸を指差した。私がうなずくとニッコリ笑って箸置きに私のお箸を並べてくれた。

 お姉ちゃんのお味噌汁は優しい味がした。どんぶりのフタを開けると大好きな匂いが広がった。

 おいしい、お味噌汁も親子丼も、そして懐かしい
 そうか、良かった
 うん、マユが気に入るか心配だったけど良かった
 お姉ちゃん、かなり上手だと思うよ
 ありがとう、マユ、でもお父さんもなかなかの腕よ
 え、お父さんも料理するの
 うん、この3年で結構上達したと思う。明日の朝ごはんは父さんが作るからね
 楽しみ

 3年ぶりの家族(全員ではないけど)団欒(だんらん)の食事だった。独りぼっちやお母さんと二人で食べる食事とはやっぱり違った。5年前(お兄ちゃんが閉じこもる前)とは人数が減ったけど「おいしい」って素直に言える相手と食べるご飯は本当においしさのレベルが変わると思った。

 ごちそうさま
 ごちそうさま
 はい、ごちそうさま
 お父さんお茶飲む?マユは?

「うん、飲む」と返した後、私はるんるんしている二人にいよいよ大切な質問を切り出した。

 あのね、実は、私この前、うちの近くの公園でお兄ちゃんに会ったの。
 それでねその時、お兄ちゃんが話してくれたんだ、「お父さんとお姉ちゃんが2・3日家に戻ってこなくなって…その後、戻って来てからはご飯を置いてくれなくなった」って、「それで、困って自分でコンビニに買い物に行ったんだけど、お店が閉まっていてパニックを起こして、それで、ずっと歩き続けていた」んだって。
 本当はすぐに「家に帰りたかったんだけど、二人のことが何だか怖くて戻れなくて」それで私に助けを求めに来たみたい。それからは時々メールで連絡を取り合ってるの

 二人は私の話を微笑みながら、黙って聞いてくれている、顔を小刻みに動かしながら。
 私は、話を続けた。

 それでね、二人に聞きたい事が1つとお願いが1つあるんだけどいい?

 二人とも顔を小刻みに動かしながら(うなず)いてくれた。

 お父さんもお姉ちゃんも、どうしてお兄ちゃんにご飯を運ぶのを止めたの?

 この質問にはお父さんが答えてくれた。

 お父さんはね、最初、ヒデヤが閉じこもった時、これは私に対する抗議ではないかと思ったんだ。ヒデヤの意見も聞かずに母さんに任せっきりで、彼女の言うがままに、させてきた事に対する…
 母さんは母さんで、自分に対する反抗・抗議だと言って聞かなかった。未だにその理由は分からないがね。それで、私は贖罪(しょくざい)の意味もあったのかもしれないが、彼の怒りが悲しみが解けるまでずっと閉じこもらせてあげようと思ったんだよ。
 それで、毎日彼の部屋に食事を運んでいたんだ。
 でもね、突然、「るんるん」が降りてきてから考えが変わったんだ。
 そんなことはヒデヤに直接言ってもらわなければ分かるはずがない。私がウジウジ悩んでいても問題は変わらない。これを解決できるのはヒデヤ自身だけだってね。
 彼も、もう二十歳だ。このままずっと閉じこもっているわけにはいかない。だから、父さんは彼には部屋から出てきてもらって、一緒に食事をしながら少しずつでいいから話して欲しかったんだ。
 それで、私は毎日ヒデヤに「一緒に食べよう」と声をかけ続けている。ユリカにも話したが同意してくれた

 理由は分かった、ありがとう。私もお父さんの言ってることに賛成できるし、ずっとお兄ちゃんが元に戻って欲しいって思っていたの。それでね、お願いなんだけどお兄ちゃんはお父さんとお姉ちゃんがやけに明るくなったからお母さんみたいで怖いって思ってるの。実際私もお父さんが戻って来た後、学校で授業をしている様子が何か気味悪かったし…ゴメン。
 でね、私、少しづつお兄ちゃんを説得するから、それまでは、お兄ちゃんに食事を運ばせてほしいの。ずっと、カップ麺とレトルトカレーばっかりで偏った食事をして体調があまり良くないみたいだし…

 二人ともすぐに返事はしなかったが、少し間をおいて、

 うん、私はマユがお兄ちゃんを説得するって言うなら、ぜひやって欲しい。私とお父さんを怖いって思っているのはちょっと心外だけど。でも、お兄ちゃんは何かきっかけがないと変われないと思うから
 うん、確かにそうだね。マユやユリカの言うとおりだね。父さんは気長にヒデヤの変化を待つつもりだったけど、マユが戻ってきたのもそうだし、いいきっかっけになるかもしれないな。でもね、食事を運ぶのは賛成できないな。それだと、結局今までと同じ事になってしまうんじゃないかな

 と、食事を運ぶことには賛成してくれなかった。

 二人には、今晩お兄ちゃんの部屋で話をする事、それで夜遅くまでかかるかもしれないので明日は学校を休むことを伝えて自分の部屋に戻った。
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