第2章 5場(終幕)

文字数 2,123文字

 ルルルル…ルルルル…ルルルル……カチッ

“タダイマ ルスニ シテイマス、ゴヨウケンヲ ハッシンオンノアトニ……”

 電話が鳴っている…取らなきゃ、お父さんかもしれない…でも、つらい…体が反応してくれない…

“ユリカ…ガーガー…ユリカ…ゴー…ン・ン・ン・ン” プーッ、プーッ…カチッ。

 えっ、何? 
 湧きあがった疑問が、なぜか私の体を覆うモノを少しだけ軽くする。

 ぅんー
 声が出せる。
 両腕に力を入れて食卓から体を起こす。
 毛布が後ろにずれる。外はもう明るくなっている。

 んー、もう一度声をを出してみる。
 また少しだけ軽くなる。

 後ろを振り向いてみると、電話機の受信ランプが点滅している。

 ゆっくりと大きく息を吸い込んで、はぁーと吐き出す。
 立てそうだ。

 両手に力を込めて、私を下へ下へと引っ張っているモノを引きちぎるように立ち上がる。

 1歩、左足を出す。もう1歩右足。
 少しフラフラする。やっぱり体は重い…
 よろけそうになったので電話機が置いてある台に右手をかけて、壁にもたれかかるようにして点滅するボタンを押した。

“メッセージハ イッケン デス……ユリカ…ガーガー…ゴー…”

 声が小さくてハッキリ聞こえない。雑音?外の音?

 ピー、“サイセイガ オワリ マシタ” ボリュームを上げてもう一度再生してみる。

“ユリカ…大丈夫かい…ユリカ…大丈夫だ…るんるん るんるん”

 お父さん?でも、お父さんの声に似てはいるけど、少し軽いし、少し高い。

「るんるん」?何だろう?「るんるん」って、と思っていると、突然、グラっとした。
 目の前が大きく揺れて歪んだ。頭の中で、
“ユリカ…るんるん、ユリカ…大丈夫、るんるん” さっきの声が鳴り出した。

 目の前がクラクラして家の中が急に回り出した。
 怖くなって、目をつぶって、しゃがみこんだ。


 るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん…

 目をつぶっているのに、頭の中で音と文字が、波打つように現れては消えていく。
 そして、私の周りでたくさんの文字が輪っかを作って回り出す。

 るんるんるんるんるんるんるんるんるんるんるんるんるんるんるん 

 そして、文字は人の形になって周りながら、踊り出す。 

 どうしよう……踊っている人たちはすごく楽しそうだ。でも、私は怖い…
 音は大きくなったり小さくなったりする。その音に合わせて、文字が近づいてくる、踊っている人たちを飛び超えて。そして、私の目の前で消える…

 クラクラする。

 唇が動きたそうにピクピク震える。体も震える。

 怖い…でも、動けない…どうしよう…

“ユリカ…大丈夫!大丈夫だ…るんるんだ。るんるん るんるん”

 さっきの声が今度は、お父さんの声になって響きわたる。

 大丈夫なの?私、大丈夫なの?

“大丈夫、るんるん るんるん”


 目の前に笑っている自分が現れた。楽しそうに何かを呟いている。
 お父さんも現れた。私と手をつないで笑っている。
 2人で仲良く手をつないで、笑いながら呟いている。

“るんるん るんるん るんるん”(ピーッ)

 突然、私もお父さんも消え、周りで踊っていた人たちも文字も音も消えて、


 暗い闇がやってきた。

 私はしゃがんだまま、閉じていた目を開けた。
 さっきまでのグラグラする感じは治まっていた。
 体もまた少し軽くなっていた。
 すっと、立ち上がることが出来た。


 でも、すごく、すごく、寂しかった。

 この世界から誰もいなくなったように、独りぼっちだった。

 寂しくて、寂しくて、泣きそうになった。

 でも、いくら泣いても誰も答えてはくれないし、誰も慰めてはくれない。
 そんな独りぼっちの私を、寂しくて泣きそうな私の心を何かがギューと握ってきた。
 長く強く握られたので、私は涙をポロポロとこぼした。

 私は、ただ、ただ、寂しいだけなのに……


(うん、わかってるよ、お父さん。わかってる)
 私はこの寂しさから逃れる方法をもう、知っている。
 すごく簡単なこと。
 そう、すごく簡単。
 ちょっと唇を動かすだけ…
 ちょっと呟いてみるだけ…

 何かは私の心を握り続けている、強く、強く。
 胸の奥が痛い、苦しい。涙はまだ、止まらない。
「ア~~」と大声で叫んで、どうにかなっちゃいそうなくらい苦しい。
 でも、誰も助けてなんかくれない。叫んでも無駄。

 そう、方法は1つだけ……迷う必要なんかない…

 だって、苦しいんだもん…だって、寂しいんだもん…


 口の中で舌だけ動かして呟いてみる “・rんrん ・rんrん”
 フワっとした。

 もう一度 “・rんrん ・rんrん” 
 スゴく軽くなる。
 こわばった顔の力が抜けていく。

“るんるん るんるん” 体の中で私をギュッと握っていた何かが融けて、消えていく。
“るんるん” 私をずっと包んでいた、ぼんやりした重たいものがいなくなる。
“るんるん” いろんなものがハッキリと見え始める。
“るんるん” たくさんの音が意味を持って「るんるん」と一緒に聞こえてくる。



 私はすごく楽しくなっていた。



 理由もなく自分に、理由もなく世界に、嬉しくなっていた。



 出かけなきゃ、この世界に。

 
 私は靴を履いて、扉を開けた。

「行ってきます」の代わりに “るんるん” と呟いて。

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