私は呟くべきなのか呟かないでいるべきなのか今私は戦ってるのそれとも逃げてるの?
文字数 1,611文字
“ただいま” と家のドアを開けても、いつも通り返事はない。
誰もいないわけではないけど、うちでは3年前からずっとこうだ。
(母と妹が出て行ったあの日から)
父が帰ってくるまでにはまだ時間がある。私は急いで夕食の支度に取りかかる。
土、日や私のテスト前には父がやってくれるが、普段の夕食の準備は私の仕事になっている。3年前から始めたので、食事といってもレパートリーが沢山あるわけじゃない。ご飯とお味噌汁かスープ(簡単なもの)と野菜はだいたいスーパーのお惣菜(あっためるだけ)で肉や魚も焼けばOKなもの。お米を洗って炊飯器にセットしたら、お味噌汁の具を刻んで簡単おダシで煮る。
味噌は父が帰って来て、食べる直前に入れるので30分くらいで準備は終わる。同時進行で朝食の食器やお弁当箱も洗っておく。
洗濯は下着とおしゃれ着は自分で洗っているけど、それは毎日のことじゃないので、今日は学校の課題と明日の予習に取り掛かる(この3年間、食卓で勉強することが多くなった)
うちの学校はそこそこの進学校なので、学校の成績さえ良ければ、大学は推薦でかなり選べる。幸い私の志望校も指定校に入っていて、もう少し模試の成績が上がれば推薦してもらえそうだ。
父は、“塾に通ってもいいよ” と言ってくれたけど、私が塾に行っている間、家の中に父1人だけなら問題なかったかもしれない。でも、実際はそうじゃない…
私は、“大丈夫、数学はちょっとキツイけど、予習しとけば何とかなるから” と。
父は、“そうか…” と分かったのか分かってないのか、相変わらずの表情でうなずいて、それ以上は何も言わなかった。
大好きな安倍公房とカフカの話をする時だけは饒舌だけど、それ以外では昔から必要以上にしゃべる人ではなく、私に、“ああしろ、こうしろ、あれはダメ、これはダメ” とか言わない人だった。
お酒も夕食の時に、酒を1合(湯呑1杯くらい)か焼酎のお湯割り1合飲むくらいで、酔っぱらった姿は1度も見たことがない。仕事柄、残業はほとんどなく7時前には必ず家にいた。夕食が済むとだいたい、本が積まれた部屋で、何かを調べながら何かを書いていた。
母は何が不満だったんだろう?父に対するグチを聞いたこともないし、2人でケンカをしているのを見たことも聞いたこともない。
本当に突然だった(3年前は)
(あいつが原因だったのだろうか?)
3年前、家に帰ると、父と母、妹のマユの3人が食卓に座っていて
“急ですごく驚くと思うし、申し訳ないないんだけど、お母さん、お父さんと別れてこの家を出るの。マユは小学生だから連れて行く。ユリカも一緒に来てほしいけど、一応もう中学生だから貴女の気持ちを聞いておこうと思って…”
いたって、冷静に話す母の顔を見て、ああ、これは、泣き叫んでも絶対に覆 らないやつだと感じた。
“すぐは決められない…” “でも、どうして?” と一応、理由を聞いてみたけど、母は多くを語ってくれなかった。
“ごめんね、もう無理なの” と母は静かに呟いた。
(えっ何が、何が無理なの。訳が分からない)
母は仕事をしていて十分な収入もあったので、マユと2人で暮らすらしい。
私は、<もし母と一緒に行って、そこに別の人がやって来たら…>とか<お父さんあいつと2人きりで大丈夫かな?>とか<父はそこそこ家事は出来るし、今さら恋して恋人連れてくるような人でもないし…>とか、アレコレといろいろ数日考えて、
この家に残ることに決めた。
月をまたがずに、母とマユは出て行った。
マユには“寂しくなったらすぐ連絡して。ここは何時でもずっとマユの家だから”と別れ際に伝えた。
それから、実質、父との2人暮らしが始まったのだ。
もうすぐ7時だ。炊飯器のタイマーがスタートの合図をした。“ピッ!
”今日はいつもより遅いな……ノートの上のペンを止めて時計を見る。遅くなる時はメッセージメールが必ずあるのに……
誰もいないわけではないけど、うちでは3年前からずっとこうだ。
(母と妹が出て行ったあの日から)
父が帰ってくるまでにはまだ時間がある。私は急いで夕食の支度に取りかかる。
土、日や私のテスト前には父がやってくれるが、普段の夕食の準備は私の仕事になっている。3年前から始めたので、食事といってもレパートリーが沢山あるわけじゃない。ご飯とお味噌汁かスープ(簡単なもの)と野菜はだいたいスーパーのお惣菜(あっためるだけ)で肉や魚も焼けばOKなもの。お米を洗って炊飯器にセットしたら、お味噌汁の具を刻んで簡単おダシで煮る。
味噌は父が帰って来て、食べる直前に入れるので30分くらいで準備は終わる。同時進行で朝食の食器やお弁当箱も洗っておく。
洗濯は下着とおしゃれ着は自分で洗っているけど、それは毎日のことじゃないので、今日は学校の課題と明日の予習に取り掛かる(この3年間、食卓で勉強することが多くなった)
うちの学校はそこそこの進学校なので、学校の成績さえ良ければ、大学は推薦でかなり選べる。幸い私の志望校も指定校に入っていて、もう少し模試の成績が上がれば推薦してもらえそうだ。
父は、“塾に通ってもいいよ” と言ってくれたけど、私が塾に行っている間、家の中に父1人だけなら問題なかったかもしれない。でも、実際はそうじゃない…
私は、“大丈夫、数学はちょっとキツイけど、予習しとけば何とかなるから” と。
父は、“そうか…” と分かったのか分かってないのか、相変わらずの表情でうなずいて、それ以上は何も言わなかった。
大好きな安倍公房とカフカの話をする時だけは饒舌だけど、それ以外では昔から必要以上にしゃべる人ではなく、私に、“ああしろ、こうしろ、あれはダメ、これはダメ” とか言わない人だった。
お酒も夕食の時に、酒を1合(湯呑1杯くらい)か焼酎のお湯割り1合飲むくらいで、酔っぱらった姿は1度も見たことがない。仕事柄、残業はほとんどなく7時前には必ず家にいた。夕食が済むとだいたい、本が積まれた部屋で、何かを調べながら何かを書いていた。
母は何が不満だったんだろう?父に対するグチを聞いたこともないし、2人でケンカをしているのを見たことも聞いたこともない。
本当に突然だった(3年前は)
(あいつが原因だったのだろうか?)
3年前、家に帰ると、父と母、妹のマユの3人が食卓に座っていて
“急ですごく驚くと思うし、申し訳ないないんだけど、お母さん、お父さんと別れてこの家を出るの。マユは小学生だから連れて行く。ユリカも一緒に来てほしいけど、一応もう中学生だから貴女の気持ちを聞いておこうと思って…”
いたって、冷静に話す母の顔を見て、ああ、これは、泣き叫んでも絶対に
“すぐは決められない…” “でも、どうして?” と一応、理由を聞いてみたけど、母は多くを語ってくれなかった。
“ごめんね、もう無理なの” と母は静かに呟いた。
(えっ何が、何が無理なの。訳が分からない)
母は仕事をしていて十分な収入もあったので、マユと2人で暮らすらしい。
私は、<もし母と一緒に行って、そこに別の人がやって来たら…>とか<お父さんあいつと2人きりで大丈夫かな?>とか<父はそこそこ家事は出来るし、今さら恋して恋人連れてくるような人でもないし…>とか、アレコレといろいろ数日考えて、
この家に残ることに決めた。
月をまたがずに、母とマユは出て行った。
マユには“寂しくなったらすぐ連絡して。ここは何時でもずっとマユの家だから”と別れ際に伝えた。
それから、実質、父との2人暮らしが始まったのだ。
もうすぐ7時だ。炊飯器のタイマーがスタートの合図をした。“ピッ!
”今日はいつもより遅いな……ノートの上のペンを止めて時計を見る。遅くなる時はメッセージメールが必ずあるのに……