君は呟くのか?呟かないのか?僕は…(終幕)

文字数 10,534文字

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 最後に僕の話をしようと思う。

 僕の家族は4人だ、母と祖父と叔父の。母は僕が8歳の時に父と離婚して、それからは母が生まれ育った祖父の家で暮らしている。祖母は僕と母がこの家に来る直前に病気で亡くなった。母は祖母の病気と看病の事で父と()めて、それで父を見限ったらしい。

 叔父はもう40歳になるが、いわゆるニートで大学を卒業してから就職をしたことは一度も無く、時々アルバイトをしたりはしているが、基本的には祖父の世話になっている。若い頃は自主製作で映画を撮ったり、演劇をやったりしたそうだが、ものにはならず、時々変なことをやっているみたいだけど、大体ふらふらしている。

 母は僕を生む前からずっと市役所で働いていて、今も頑張っている。僕には優しいが叔父さんのことは「くそニート」と呼んでいつも高圧的だ。

 祖父はずっと会社員をやっていたが定年前に子会社に役員として出向して、その後65歳まで務めたらしい。だから、引退後も暮らしにはゆとりがあり、ニートの叔父を養っている。叔父はその事を全く負い目に感じていないようで、小遣いこそせびらないが食費も家賃も払わずに祖父に寄生している。祖父は大らかなのか、叔父に対して「働け!」とか「もっとちゃんとしろ」みたいな説教をしているのを聞いたことが無い。

 自分は自分で、庭で盆栽や草花を育てたり、週に3回はスポーツクラブに行って、水泳かテニスをしている。かなり活動的な老人だ。僕には聞かれない限り自分の事(いわゆる年寄りの自慢)は話さない。元気はあるが、ガツガツしていない、居心地のいい人なので祖父と二人っきりでも苦にはならない。

 でも、家の中で一緒に過ごす時間が1番多いのは叔父さんだ。

 彼とは小学生の頃から、日々生まれる様々な疑問やこの世界の謎を尋ねてみたり、テレビや映画、音楽の話をしたり、対人関係について相談したりした。口ぐせは「あくまでオレの意見だ」と「決めるのはお前だ」そして「真実とか正義なんて言葉を吐く奴は信用するな」だった。

 母からは「くそニート」と呼ばれていたが、だからこそ自由な感じがして僕自身は好きだった。

 叔父さんには、大山が「るんるん」になってからよく相談していた。

 大山と田中が「るんるん」する瞬間、何かが壊れた感じがして怖かったこと、でも、その恐怖の正体がよく分からないこと、そして、クラスの皆も怖がっていることを。叔父さんはじいちゃんの酒をチビチビ飲みながらじっと聞いてくれて、それから

“オレは実際にそのシーンを見たわけじゃないから、断定は出来ないが多分、お前の恐れが視覚からくるもの、ちょっと難しい言葉で言うと、「モノの変容」分かるか?(僕が首を振ると)モノの本質が変わってしまう事だよ。今までと根本(こんぽん)が変わっちまう事だ。

 人間は()れ物が同じでも、中身が変わると違和感を覚える。ましてや、よく知った人間だと気味悪く思う。サスペンスやホラーでよく使うやり方だ。「知ってるはずなのに、何か違う…違うモノだ、何なんだ、これは?」っていう未知への恐怖だ。「分類(カテゴライズ)不能な物には近づくな!」ってのは原始から続く生命の本能だ。だから、それは正しい反応なんだよ”と答えてくれた。

 「るんるん」の後に失踪してしまう事には、“感染症なら発作の一種かもしれないが、オレは医者じゃないし分かるわけがない。知りたきゃ本人に直接聞け”とそっけないものだった。

 でも、小林さんや十条さんのように、ある日突然「るんるん」して(失踪なしで)登校してくる話をしたら、すごく興味を持って、“同じ病気でも症状が重い奴と軽い奴がいるだろ。単にその違いかもしれないし、種類が違う「るんるん」が存在するのかもしれない。インフルエンザみたいに、A型とかB型とかな。(るんるんにA型、B型があるかもという発想は僕も面白いと思った)あとは、バンパイア、まあ、作り物のウソだけどな、そのバンパイアみたいに、本家に血を吸われた後、手下になる奴と単なるエサになる奴がいる。それから、本家以外に吸われた奴とでは、その後が違うんだ。「るんるん」もその(たぐい)かもしれない。面白いから、サンプリングしてみろよ”と楽しそうだった。

 でも、タカハシの一件を話すと顔色が変わった。そして、“るんるんしている奴らに仲間意識があるとはな…、「るんるん」の否定は許さないんだな…十数人に囲まれて「るんるん」やられたら、さすがにアホでも逃げられないか…”と呟いた。

 “どういう事?”と質問すると、“シュン、世の中にはな色々な奴がいる。まあ、大部分は真面目でイイ奴なんだが、オレの私見では1%くらい、まあ100人に1人くらい、真性(マジもん)の悪党とかサイコパス(こいつらは頭がいい)、それからアホがいる。アホは本気で嘘をつくし、本気で信じられない勘違いをするし、本気で色々なことをすぐ忘れる。アホには悪意なんかない。いたって真面目で一生懸命だ。そういう奴は深く悩まない、いや、悩み自体を上手く形に出来ないから、抑圧を意識しにくい。だから、ボ~っとしている。仕方なくニコニコしている。一般的には優しくてイイ奴だ。そういうアホは「るんるん」する必要はあまりないんじゃないかとオレは考えていたんだ。それを囲んで追い込むとは…ヤバイな…オレもさすがに囲まれたら、耐え切れるかどうか…自信はないな”と珍しく弱気なことを言った。

 それから、佐々木さんだけが「るんるん」していない事も話した。叔父さんは少し考え込んで、“この前、アホは抑圧(プレッシャー)を意識しにくいから「るんるん」する必要は無い、「るんるん」になりにくいと考えているって言ったよな。これも、あくまで「お前の話」という限定された情報から推察しているだけなんだが、あの大山とか田中は大きな抑圧(プレッシャー)か不安を感じていたと思うんだ。奴らはそれに耐えきれなくなって「るんるん」になった。じゃあ、お前やその佐々木って子は何故なっていないんだ?”と質問してきた。

 僕は、“佐々木さんのことは、よく分からない。真面目で優しくて、すごく丁寧な子なんだけど、知り合って半年くらいだし、何考えているかはまだよく分からないんだ…”と正直に答えた。“じゃあ、お前自身はどうなんだ”と、もう1度聞かれて、僕は言葉と一緒に自分の体験と気持ちを探り始めた。

 不安・恐怖・抑圧… 

 父親がいなくなったのは、確かにショックだった…でも、すぐこの家に来て、じいちゃんと叔父さんが父さん以上の存在?に、いや違う、寂しさを、僕の中に在る、寂しさを埋めてくれた。

 何しろ、二人は基本、いつも家に居て、何やかんや僕を気にかけてくれた。そして、ちゃんとしているじいちゃんとあまりちゃんとしていない叔父さん、この二人の大人が近くに居てくれたおかげで、僕は割と早く母親から精神的に離れることができたと思う。

 だから、母親に対して「このくそババア」なんて考える、目立った反抗期はなかった。そのせいなのか、家の中で思春期特有の孤独を感じたことは無かった。また叔父さんっていう話し相手がいたからか、仲のいいヤツがいなくても大丈夫だった気がする。サカモトも気の合う奴だったけど、「親友」みたいな照れくさい間柄じゃなかったし、それを欲したことも無かった。

 僕は人間関係で大きな不安や抑圧を感じたことは…多分、無かった。

 勉強の事や将来の事も、母さんもじいちゃんも口うるさく言う人じゃないし、その事に対する不安やプレッシャーもやっぱり無かったと思う。

 学校でも街でも、はしゃいだり熱中して何かに打ち込んだりする事なんかなくて(叔父さんのマネをして)ちょっと斜に構えて、他人を観察して、分析して、何か分ってる風だった…それでなのか僕はこれまで大きな不安やプレッシャーを感じたことがない、思い出せない。

 ひょっとして、僕は空っぽってことなのかな?

 自分でしゃべっていて、何だか悲しいというか絶望的な気分になってきた。

 それをじっと聞いてくれていた叔父さんは、“ガキにしては、きちんと内省したじゃないか。まあ、オレが言うのも何だが、お前は空っぽなんかじゃない。欲望が少し薄いところはあるが、感情を上手く消化出来ているだけだ。“えっ、「しょうか」って?”僕は言葉の意味が分からずに聞き返した。“不安や悩みの原因を見つけて、それを取り除くか、別のことで解消することだ。まあ、ストレス発散なんてのもその1つだと思えばいい。お前の周りに抑圧的な人間が少なかったのも幸いだが、お前は、よく見て、よく考えて、生きているってことさ、ガキなりにな。お前が「るんるん」になっていないのも、多分それが1番大きな理由だとオレは思う。物事から逃げるにしろ戦うにしろ、お前はお前なりにキチンと判断出来るし、してきたはずだ。

 だから、お前がもし必要だと思ったら、お前は「るんるん」を受け入れると思うね、オレは”と、叔父さんは少し苦い顔をしながら僕をフォロー?してくれた。

 数日後にはサカモトや『るんるん革命』の事も話した。

 叔父さんは少し呆気(あっけ)にとられた表情をした後、笑いながら、“お前は凄い知り合い持ってるな。ひょっとすると、今、この世界という物語の中心はお前なんじゃないか?オレはあまり世間と関わってないけど、この「るんるん」に関してはお前の話だけでかなり輪郭が(つか)めている。闇サイトの『るんるん革命』とか、リーフレットやらはきっかけかもしれないが、現実に起きていることは、お前の学校が中心で、それにサカモトが拍車をかけただけだと思うぞ。山田が無意識にるんるんしていることは本人が分からないんだから、その理由なんて調べようがない。お前の学校から始まって、「るんるん」は今、世界中に拡がっているんだ。この事実は変わらないし、止めようがない。まあ、どうしても気になるなら、しつこくサカモトにアクセスを試みるしかないな。でもな、必要な時が来れば、きっとお前はサカモトに会えるし、『るんるん革命』のことも伝えてもらえるんじゃないか”と言った。 

 MHKのニュースは夕食前に叔父さんと二人で見ていた。

 突然ニュースキャスターが「るんるん」と呟いたので、僕と叔父さんは「え」と言いながら同時に互いの顔を見つめた。“ついに、全国放送か…もう、止まらないな”と叔父さんは少しだけ哀しい顔で呟いた。“そうだね、でも、早すぎるね、拡がるのが”、“サカモトの力、かもな…やっぱ、音楽は強いな”

 僕が返すと叔父さんはため息交じりにまた、呟いた。

 翌日、学校から帰ると叔父さんはすぐに僕を居間に呼んで、“おい、見てみろよ”とテレビを指差した。画面では総理大臣が明らかにるんるんしながら話している。“どうしたの?”と尋ねると、“1時間くらい前かな、「るんるん」した役人や秘書がバッチリ総理の悪事をぶちまけたら、コイツ、あうあうピクピクした後、急に「るんるん」叫びながら国会の中をダッシュしやがった。3回くらいグルグル走り回った後で己の悪事をベラベラ話し始めたんだ。いや~お前から聞いてはいたけど、すごいインパクトだな、「るんるん」は。一瞬、ビビったぞ。しかし、こいつも小粒の悪党だったんだな。“どういうこと?小粒の悪党って”続けて尋ねると、“前も言ったろ、真性の悪党がいるって。奴らは悪事を悪事と分かった上でやっているんだ。だから、その悪事を追及されたところで(ひる)まないし、もちろん反省や後悔なんて一切しない。アホと一緒だよ。でも、コイツはちょっと身内に裏切られて、矛先が自分に向けられるとビビッてパニックを起こして全部ゲロを吐くようにぶちまけている。そういう事さ”と鼻で笑うように答えてくれた。


 僕は母さんともじいちゃんとも()えて「るんるん」の話はしなかった。

 でも、「るんるん」がメディアで拡散され始めるとついに、僕の家にもそれはやって来た。まず最初に母さんが「るんるん」になった。

 役所というところは市民のために働こうと考えている人だけではなく、「ただ安定しているから」という理由だけでカウンターの内側(役所の中)で決められたルールに従って機械的に仕事をする人、さらには、規定の仕事すらこなさずにダラダラして、臨時の職員にそれを押し付けているろくでもない人も多いらしい。母さんはそれをグチとして夕食時に話すことがあった。

 母さんはそういった不満や怒りを抱えながらも、ずっと我慢していたのだろう、生活のために、僕のために。 

 突然、役所から“みすずさん(母)が「るんるん」と叫んでいなくなりました”という電話があったと、じいちゃんが教えてくれた。じいちゃんは多少動揺していたが、僕が「るんるん」の説明をすると、“そうか、そういうものなのか…今一つよく分からんが、シュンがそう言うのなら騒ぎ立てずに、待っているとしよう”と言って安心はしていないが、少し落ち着いたようだった。それから2日たって母さんんは元気な様子で戻って来た。

 その日の夜、母さんを囲んで夕食時に詳しい話を聞いた。

“あたしだって志があって公務員になったわけじゃないんだけどね、長くこの仕事してると本当に困ってる人がたくさんいるわけよ。「そういう人たちの暮らしを支えたい助けたい」って思うのはごく自然な気持ちだと思うわけね。実際、あたしだってお父さんがいなけりゃ、シュンを抱えて1人ぼっちで困っていたと思うしね。それをね、「予算がない」「上の命令だから」「ルールだから」って言って、やりたくない言い訳を聞くのにウンザリしてたのよ。市長も「行政改革だ!ムダを無くそう!」っておためごかしを連呼するから、「お前は企業の社長か!役所の株主は市民だぞ。それを苦しめてどうすんの!」っていつもいつも思ってたんだけど、思うだけで、あたしも思ってる事は言えなかったんだよ。ダサいよね。

 そしたらさ、この前急に「るんるん るんるん」って声が太鼓の音と一緒に鳴り響いて、その後、どこかから「言っちゃえみすず!ファイトみすず!」って声も聞こえてきてね、それで、あたしもリズムに乗って「るんるん るんるん」って呟いてたら、急に、ドンッ!って大きな音が鳴って、仕事しない同僚とクソ上司に向かって思ってた事を全部ぶちまけたのよ、奴ら口をポカンと開けてたけどね。

 ああ、スゥっとした、って思っていたら窓の外がすごくキラキラ光って見えて、きれいだなって思ったのよ。それで「行ってきます」って言って、飛び出しちゃった。

 どれくらい歩いたか分からないけど、いつもの街や行き交う人、空や川、遠くの山、全部が違って見えた。「ああ、世界が変わったんだ。すごいわ」って思うと楽しくてね、色んな場所に行ったわ”

 母さんは体を上下に揺らしながら笑顔で話してくれた。本当にスッキリした顔をしていた。じいちゃんは、“まあ、無事で何より、ゆっくり休みなさい”と母さんに対して親らしい優しさで接していた。叔父さんは何故か神妙な顔つきでずっと黙って話を聞いていた。後で部屋に行くと、“お前から話を聞いてある程度イメージはついていたんだけど、実際、本物が目の前にいると、やっぱり何か気味悪いな。アレはオレの知っている姉さんとは違う。何か変な薬でもやってキマってんじゃないかって思ったわ…”と感想をもらした。

 その数日後には、庭でじいちゃんが「ふんふん るんるん ふんふん るんるん」と呟きながら、楽しそうに植木の手入れをしていた。いつもと違う(はさみ)の入れ方をしているのか、いかにも手入れをしましたという形ではなく、自然で少し荒々しい感じのする枝ぶりになっていた。“じいちゃん、今日の感じは何か凄いね”と話しかけると、“おお、シュンか。(スポーツ)クラブでちょっと「るんるん」が流行っているんで、じいちゃんもちょっとトライしてみたんだが、確かに少し楽しくなるし、感じ方が変わるね。うん、流行るわけだ…るんるん”と言ってまた手入れに戻った。以前なら、手を止めて僕の相手をしてくれることが多かったが、きっと夢中なんだろう、山田みたいに集中していた、るんるんしながら。

 僕は急いで叔父さんの部屋に行き、その事を話した。叔父さんは窓からじいちゃんの様子を伺うと、“姉さんは、まあ分かるけど、親父もしちゃうとはねえ”、“クラブで流行ってるらしいよ”、“まあ、仕事も趣味も集中してやりこんじゃう人だったからな。話を聞いて興味を持ってたんだな…しかし、斬新な剪定(せんてい)だな。悔しいけど、カッコイイよな”、“うん、僕もちょっとそう思ったんだ”、“るんるん恐るべし…”叔父さんは窓の外を見つめたままボンヤリした顔でボソッと呟いた。


 2日後家に帰るとすぐに叔父さんに呼ばれた。

 部屋に入ると、大きなバックパックが置かれていて、部屋の中はキチンと片付けられていた(元々、物が沢山ある部屋じゃなかったけど)“どうしたの”と半分答えが分かっている質問をすると、“ああ…黙って行こうと思っていたんだけどな、やっぱり最後に話しておきたい事があったから、お前を待っていた”叔父さんは小さなスマイルで答えた。

 お前が「るんるん」していない最後の1人になった時の事とオレの「るんるん」に対する今の時点での考えだ。

 お前はこの前、「るんるんしてても、悪いことをする奴はする。急に頭が良くなったりするわけじゃない。じゃあ、何が変わったんだろう?」って呟いてたよな
 うん…
 それと、るんるんしたクラスメイトの1人が「やりたい事が、やるべき事だけが頭の中に浮かんできて、はっきり分かる。自分の中がシンプルになった」って言ってたな
 うん(小林さんって子だけど)

「るんるん」している奴は、今まで必要以上に人に遠慮してたり、何かでブレーキがかかっていた事や他人の目を気にして心の中に押し留めていた事、そういったモノがタガが外れたみたいに噴き出している感じにオレは見えるんだ。悪い意味じゃなくてな
 どういう事?

 この世の中の大多数の人間は皆、基本的にはイイ奴だと思うんだ。他人を騙したり、嘘をついたり、殺したり…なんて事は皆、イヤだと思っている。でも、周りがやるから、自分を守るために、仕方なく…なんて奴が多いと思う。しかしだ、「るんるん」すると、そういった圧力、抑圧が気にならなくなる。すると、自分がイヤだなって思ってたことは無理してやらなくなる。そういう事だ。

 でな、世の中で生きていく上で他人の評価ってやつはすごく大事だ、まあ、オレなんかは全く評価されてないけどな。だから皆、自分が本当は「こう在りたい」って思ってることを曲げて生きている。「思いのまま行動する勇気」みたいなものを怖くて出せないんだ。そういう奴がほとんどのはずだ、学校でも、社会でも…

 でもな、芸術ってな、そんな人の心を解放するためにあるんだよ。難しい言い方をすると異化作用って言ってな、現実をちょっとずらして世界の見え方を少し変えるんだ。そうすると、自分の中の何だかよく分からないボンヤリとしたモノを形にすることが出来るんだ。この世界の芸術家(アーティスト)はそのために命削って創作してるんだよ、オレは上手くいってないけどな。

 ところがだ、「るんるん」はな、いとも簡単にそれをやってのけてるんだ。オレは自分の無能さを改めて実感すると共に恐怖を覚えたんだよ。「何だよ、るんるんって、もうこの世界に芸術なんて必要ないだろう」という気持ちだ。分かるか?絶望だ…だから、オレは今のこの状況を良く思っていないんだ


 叔父さんは、行く先の分からない旅に出る理由を話してくれた。
 僕も一緒に行っていいか、と尋ねたら、

 変わってはしまったけれど、この「るんるん」している社会は、いや、もう世界かもしれない…一応ちゃんと社会として機能している。お前はまだ15歳だ。まだ、社会もそして人間も自分自身ですらも全然分かっていない15歳だ。そんなお前がこの社会を飛び出して、どうやって生きていく?何年もオレの世話になるつもりか?オレはそんなのイヤだし、お前もイヤなはずだ

 とキッパリ断られた。「自分の事くらい自分で出来るさ」と言い返したかったが、それは希望的観測で自信は確かに無かった。

 この後、残ったお前が呟く、呟かないは多分どっちでもいいとオレは思っている。呟いて「るんるん」したところで大きくお前が変わるとは思えないしな
 えっ…
 現状、学校で孤独を感じているお前は皆がもし「るんるん」してなかったら、サカモト以外に友達はいたのか?孤独じゃなかったのか?ってことさ
 ……
 佐々木って子にしても、彼女がまだ「るんるん」してないってだけで仲間意識を持ってただけなんじゃないか?お前は佐々木のことをどれだけ知っていた?本当に1人の人間として好ましいと思ってるのか?これからよく考えてみるといい。オレはお前のことをガキにしては好ましいと思っている。だから、これまで色んな事を話してきたけど、お前は家族以外にそういう奴がいるのか?必要なのか?それを考えるんだ。オレが「るんるん」を恐れている理由とお前のとは違う。

 だから、オレは逃げる。そう、逃げる。逃げてオレはオレ自身と戦う、どうなるかは分からないけどな…お前はまずお前自身に問い続けろ!「どうしたいのか、何をしたいのか」を。そして、その後で決めたらいい

 叔父さんはそう言って、家を出て行った。
 じいちゃんも母さんもニコニコしながら見送った。

 お前がようやくこの家を出ることが出来たのは幸いだ。頑張ってこい
 くそニートのあんたが1人で生きていくなんて信じられないけど、元気でね。これ餞別(せんべつ)

 僕にはもう言う事は無かったので、ただ黙って見送った。


 そして、この家で、僕は独りぼっちになった…


 …あのメッセージが届いてから5日後、佐々木さんからようやく返信が届いた。

「3日前から、元の家にいます。明日からは学校にも戻ります。何度かメッセージくれたみたいだけど、忙しくて返信できませんでした。詳しいことは明日話します」

 翌日、ドキドキしながら重い足取りで教室に入ると、佐々木さんは北村さんと楽しそうに話していた、「るんるん」しながら。

 僕に気づくと、手を振って、“おはよう、当麻君”と極上のスマイルで挨拶してくれた。そこには、もう今までの、チョットだけ物悲しい表情を時々見せる優しい佐々木さんは、いなかった。曇りのなくなった笑顔でリズムを取りながら顔をゆっくりと左右に動かしている、佐々木さんがいた。

 彼女は、元の家に戻った理由、それから、ヒデヤさんが閉じこもりを止めて部屋から出てきたこと、今はるんるんしていて高卒認定試験に向けて勉強を始めていること、自分が呟いた状況、そして、家族が一緒に暮らして幸せなことを話してくれた。

 僕は、“そっか、良かったね。うん”と半分本心、半分嘘の返事を返した。

 佐々木さんは、“ありがとう、るんるん”と呟いて北村さんの方を向いた。

 もう、彼女に話しかける用は無くなってしまった。
 それが、寂しかった。自分でも驚くほどに、すごく寂しかった。


「るんるん」しているクラスメイトとの挨拶や当たり(さわ)りのない会話はあるが、この教室の中でも、僕は居心地が悪い。

 居場所がないっていうのは、こういう感覚なんだろうと思った。
 ただし、僕の場合は家の中にも、街にも、多分、他の街にも、仮想空間の中でさえ、ホッとして楽しく会話できる場所はもう無い…もう誰も僕の不安やグチを聞いてくれる人はいない…

 自信は無くても、無理やりにでも、叔父さんについて行けば良かった…と何度か考えた。また、家を飛び出して自力でまだ「るんるん」していない奴を探す旅に出ることも考えた。

 でも、僕はドラマの主人公みたいに仲間を連れて逃げたり、敵と戦ったりするタイプじゃない。いや、やりたくても出来ない。そんな行動をする勇気も力も持っていない。

 ただ、安全な画面越しにドキドキしたり、拳を握ったり、ブツブツ言う事しか出来ない傍観者だ。ドラマの中でいうと、主人公にくっついて、賢者気取りでもっともらしい事を言うか、どこかに閉じこもり息を殺して、何か事態が変わるのを待っていることしか出来ない端役の1人にすぎない。叔父さんともサカモトとも、そして、山田とも違う。

 最近よく足を運ぶあの公園のベンチに座って独りでそんなことを考えていた。


 秋が深まったせいか日が落ちるのが早くなり、辺りはもう薄暗く月が少しずつ光を強くしている。

 僕はサカモトにちょっと長いメッセージを送った。


 これが君の目指した世界かどうかは知らない。
 けど、ここにはもう、うつ向いている奴なんか1人もいない。
 (ののし)りあっている奴も自分と価値観の違う人を攻撃する奴も、ちょっとしたことで順位を付けて優越感に浸る奴も、そして他人をバカにする奴もいない。

 皆、るんるんしている。皆、笑っている。幸せそうだ…
 でも、僕は孤独に包まれている。僕は1人でも大丈夫だと思っていたけど

 寂しい


 送信した後、イヤホンを付けて、初めてサカモトの「るんるん」を再生した。


 月は高くなり、輝きを増していた。静かな鈴の音が聞こえてきた。時々、微かに誰かの呟くるんるんが聞こえてくる。徐々に鈴の音が早くなり、併せて低いベース音が美しい旋律を奏で始めた。僕は目を閉じた。


 小さなるんるんが雪のようにゆっくりと降ってきた。

 しばらくすると、るんるんは花びらのようにひらひらと舞い始めた。

 大山が田中がタカハシがそして真中が向こうに現れて笑っている。
 クラスメイトのみんながその周りで笑っている。
 じいちゃんと母さんも現れて笑っている。
 ヒデヤさんが田中の隣に現れた。そして、佐々木さんも現れた。
 皆、笑っている。笑顔で手招きしている
「シュン、当麻君、おいでよ」


 うん、そうだね…


 僕が今まで守りたかったものって何だろう
 怖がっていたことってなんだろう


 るんるんはひらひらと舞っている ゆっくりと ゆっくりと



 うん、僕も行くよ 君のところへ みんなのところへ




 るんるん

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