オレはどうするべきなのか?

文字数 2,191文字

 その日は父さんもユリカも帰ってこなかった。

 夕方、また、父さんの学校の砂川という人から電話があった(もちろん、出なかった)

 オレは炊飯器に保温されたあまり美味くなくなったご飯をレトルトのカレーと親子丼で全て食べつくした(昼飯と晩飯で)

 レトルトのストックはまだ8食分ある、カップ麺は5個、1日2食にしても2週間弱、しかしレトルトは米がないと食えない…悲しいかな、オレは人生で1度もご飯を炊いたことが無い…オレは2人の心配よりも、食事の事を考えていた。

 米を炊かなければならない。
 ネットで検索して米の洗い方と炊飯器の使い方を調べた。
 米の保管場所が分からずに台所中の扉を開けて、ようやく見つけた時には「ウォッシャー」と叫んでしまった。食欲ってやつは何にも勝るんだと痛感した。

 次の日、オレは生まれて初めて米を洗ってご飯を炊いた(炊いたのは炊飯器だが)

 自分で炊いたご飯は不思議といつもよりおいしく感じた。炊いたご飯は冷凍しておくと不味くならないとネットに書いてあったので、保存容器に入れて冷凍した。

 これで、まあ、2週間はしのげるだろう。問題はその後だ、食料のストックが切れたら買い物に行かないといけない。それはオレにとってはゾンビがあふれる場所に飛び込むレベルの緊張と恐怖だ。5年も閉じこもって誰とも会話していないオレが、もし、知り合いに会ったらどういう態度で接すればいいのか全く分からない。無視するか、逃げるか、嘘ついて適当に話すか(イヤ無理だ)考えただけで気分が悪くなる。

 しかし、まだまだ時間はある。その間に食欲を抑えるか、外出へ向けてのシミュレーションをするか考えよう…などと夕方、部屋で悩んでいたら、階下で物音がした。部屋のドアを少し開けて様子を伺ってみると、どうやら父さんのようだ。自分の部屋に入ってドアを閉める音がした。

「どうしたんだよ、何かあったのか」と勇気を出して聞くべきだと思ったが、閉じこもって無言で過ごした時間の束縛はなかなか強くて、その思いが行動に直結しない。(まあ、無事で帰ってきて良かった)と自分に言い訳がましく独り()ちてドアを閉じた。

 その後は風呂に入って夕食を作っているようだった。
 これで食料の買い出しという恐怖のミッションから逃れられると思い、ホッとした。

 “ヒデヤ、晩御飯出来たぞ” 今まで聞いたことのない大きな声で父さんが1階から呼びかけてきた。当然黙っていたら、

“食べないのかい、じゃあ、父さん1人で食べるね。残念だ、一緒に食べたかったのに”

 レトルトが続いていたので焼けたシャケの匂いは心を揺さぶられたが、後で持って来てくれるだろうと思って我慢した。だが、いつまでたっても父さんが階段を上ってくる音は聞こえず、ドアの前に食事が置かれることも無かった。

 オレはかなり動揺した。父さんが家に居て、こんなことは1度もなかった。病気で動けないならともかく、食事を作ってくれたのに持って来てくれないなんて…何が起こっているんだ。疑問と不安がまた大きくなる。

 夜中に父さんが寝た頃を見計らって、ゆっくりと階段を下りて、きっと台所にあるはずの晩御飯を取りに行った、が、ご飯もシャケも味噌汁も何も無かった。鍋も食器も炊飯器の内釜も全部洗われていた。冷蔵庫を静かに開けてみたが、そのどれも無かった。

 エッ…どうして? 何故? 父さんはオレの分も全部食べたのか?
 ちょっと信じられなかった。

 仕方なく自分で冷凍した最後のご飯とレトルトカレーを温めて食べた。

 好きなはずのカレーは何の喜びや高揚感も無く、ただ空腹を満たすだけの味気ないエサのようだった……


 翌朝、“行ってきます” という声が聞こえた。

 しばらくして、ドアを開けたが、やはり何も置いてなかった。

 オレは久しぶりに食パンを焼いて、それにリンゴジャムを塗って牛乳と一緒に食べた。パンにジャムを塗って食べるのは小学生以来だった。甘くて懐かしい味だ、と感慨にふけっていたら、

“ただいま!” 元気なユリカの声が聞こえてビクっとした。

 ゆっくりと部屋のドアを少しだけ開けて様子を伺うと、

“あ~、お腹空いた。誰かトーストしたのね、いい匂い。” 本当に元気だ、どこに行ってたんだろう?

“チーズあったけな、あるある、ジャムもある” 何か鼻歌交じりに食パンを焼き始めた。

 パンの焼ける匂いが漂ってきた。

“いっただきま~す。おいしい~” 元気すぎる…父さんもちょっと変だったが、こいつも変だ。おかしい。今までのユリカと違う。本当に何があったんだ?

 2階に上がってくる足音が聞こえたので、慌ててドアを閉めて、ドア越しに聞き耳を立ててみるとユリカは自分の部屋に入ったまま静かになった。眠ったのかもしれないがよくは分からなかった。

「ユリカ大丈夫か、どうした。何かあったのか」と兄らしく率直に聞いてみたかったが、オレはこの5年間あいつの兄なんかじゃなかった、いない人間だったという事実が向かいの部屋のドアをノックする勇気をオレから奪い取った。

 自分で選んで、自分で始めた閉じこもり生活、そこへ急にスポットライトを当てられて「さあ、ヒデヤさん、どうします?」と何か重大な決断を迫られている気分になった。

 5年前はしっかりとした意思を持って決断できたのに、今のオレは舞台上のライトの中で身動きできずにただ立ち尽くしていた。





 
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