君は呟くのか?呟かないのか?それは戦うことなのか?逃げることなのか?(終幕)

文字数 2,098文字

【タカハシは大山に怒りを感じていた。
(本当は恐怖心だ。自分のちっぽけなプライドを削った大山に憎しみを抱いて、感情のままにそれをぶつけたが、彼は泣きもわめきもせず、自分に立ち向かってくることもなかった。

「大山が切れるまで、それとも壊れるまでやり続けるのか?」

 奴はそんな自問などしない。ただ、ちっぽけな憎しみに支配され、執拗にイヤガラセを続けて、ビクっとする彼にちっぽけな優越感を感じていただけだった・・・ちっぽけで不毛な優越感だったが、奴にとってはそれでも必要な優越感だったのだろう。

 そこに突然「るんるん」が現れた。

 予想外の出来事を前にするとヒトは固まってしまい、一瞬、思考が止まる。泣いたり叫んだりできるのは、まだ脳が判断しようとしているレベルだ。奴は「るんるん」に素直に驚き、素直に恐怖した。そして動けなくなりフリーズした。

 しばらくして、「自分のせいで大山は本当に壊れてしまったのかも」と不安になった。それは、壊れてしまった大山を心配する気持ちなどではなく、周りからの自分に対する評価への不安だ。弱いものへ執拗にイヤガラセを繰り返すいじめっ子、最低人間・・・今でも立場は低いのに、もし周囲からそう思われたら、という不安だ。

 だが、大山は戻ってきた。
「るんるん」と呟きながら消えていった大山は「るんるん」と呟きながら戻ってきた、違う大山になって。

 あの大山は、もういない。

 奴は自分が感じた憎しみ、驚き、怖れ、そして不安を怒りに変えて、それを大山にぶつけることで、自分のこれまでの行動を正当なものとし、そのちっぽけなプライドを取り戻し、大山との位置関係を振り出しに戻そうとしたのだと思う)

 そんなタカハシの怒りは、初めてはっきりとした形の暴力として現れた。

 その日の国語の時間、タカハシは大山に話しかけた。

“おい、お前どこ行ってたんだよ” “いや、どこも”

もううつ向いていない大山はチラリと奴に視線を向けて短く返答した、板書を移す手を止めて。

“「るんるん」ってなんだよ”  “るんるん”

大山は微笑みながら呟いた。それから前を向いて、正面の黒板と自分のノートの間で視線を往復させてペンを動かし始めた。彼は、初めて自分に向けて発せられたタカハシからの問いかけを無視するように“るんるん”と呟く。タカハシの顔が固くなる】

 無視すんじゃねぇ(低い声だった)
 るんるん るんるん

タカハシの顔がさらに固くなる。分かりやすい怒りの表情が現れ、奴の左手が大山に突き出された。
 ドンッ、大山の体が大きく揺れる。倒れる…のかと思った、が棒高跳びの棒のように大山の体は僕と山田の方に大きくしなり、それからその反動で体はタカハシの左手に戻った。

 いてぇ 

タカハシの左手は弾かれる。

 るんるん るんるん るんるん

大山の体は振り子のように何度も揺れ、少しずつその振れ幅を小さくしていき、静止した。

 るんるん るんるん るんるん るんるん

 タカハシは左手を握りしめ立ち上がる。椅子が倒れる大きな音で田中の声が止まる。皆が後ろを振り返る。

 ふざけんなよ オオヤマ

叫びながら奴は右の拳を振り上げて大山に殴り掛かった。

 椅子から転げ落ちる大山。
 ビクッとしてペンの動きを止める山田。
 すぐ横に倒れている大山を見つめる山田。

 何人かの女子が悲鳴を上げる。
 田中は黒板の前でチョークを持ったまま、タカハシと大山を見つめながら口を開けている。少し震えながら。

 痛いなぁ、タカハシ君 ひどいことするね るんるん るんるん るんるん

ゆっくりと立ち上がった大山は殴られた右頬をさすりながら、また「るんるん」を呟いて何事もなかったかのように席に着いた。タカハシは少し震えている。隣の教室から真中(数学担当)が前の扉を開けて入ってくる。

 何があったんですか? 田中先生!田中先生!

 田中は口を開けたまま動かない。大山の前に座っている小林さんが口を開く。

 先生、タカハシ君が大山君に暴力をふるいました
 田中先生!

 真中に詰問されて田中の口が二度三度動いた、ゆっくりと。そして、閉じた。そして、震えた。それから唇がピクピクとして、小さく動き出した。

 ・・・んっ・ん ・・んっん ・fんっfん るんっ るんっるん るん るんっるん 
るん るん るん るん るんるん るんるん

顔と膝が上下に動き出し、体が揺れ始めた。チョークを持った右手は左右に動いてリズムを取っている。

 るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん

声は次第に大きくなり、田中は両手でリズムをとってゆっくりと歩きながら教室を出て行った。扉側の最前列に座っている佐村君が慌てて立ち上がって追いかけ

 先生!

と声をかけるが田中はそのまま振り向きもせずに歩き去ったようだ。
 真中は保健委員に大山を保健室に連れて行くように指示すると、立ち尽くすタカハシに静かな声で

 大丈夫ですか?タカハシ君

と尋ねた。タカハシは

 いや、おれ、なぐるつもりは……

とだけ呟いて力なく座った。

 教頭先生を呼んで来るので、皆さんはそのまま待っていてください。

 そう言って真中は教室を出て行った。



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