大山

文字数 1,679文字

 1の5(day1)

 タカハシのアレが始まってから6日目のことだった。その日は5時間目が国語で僕はいつものように山田の大作を左手で頬杖をつきながら眺めていた。

 一本の高い塔とそれを取り囲む4本の塔、中央の高い塔には窓が一つあり、そこから少年が身を乗り出して左手を伸ばしている。その手の先には大きな蝶が羽を広げて飛んでいる。蝶の羽には不思議な渦の模様。2本の触角は長く後方に流れて風を感じさせる。

 5時間目というまったりとした時間にぴったりの幻想的な美しい絵だと思った。

 るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん・・・

 今日も山田の「るんるん」がペンの動きとリンクして呟かれている。あの日以来、国語の時間には必ず山田の方に身を乗り出して確認するようにしているが、奴は常に「るんるん」を呟いている、近づかなければ気づかないほどの小さな声で。

 るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん・・・るんるん

 一度、佐々木さんにノートを借りるついでに

 国語の時間、後ろから何か聞こえたりしない?

 と聞いてみたことがあるが、彼女は

 うん、なんかブツブツ呟いているのが国語の時間だけ聞こえるけど、ふんふんみたいな呟きで何言ってるかは、ちょっと・・・

 と、首をかしげてのち、興味ないです光線を僕に送ってきたので、それ以上は突っ込んで話さなかった。多分30センチ以上離れた距離だとハッキリ聞き取れないのだろう。

 田中の授業も終盤にさしかかり、山田の大作も背景の処理が終わりかけた時だった。


 僕は初めて大山と目を合わせた。

 大山はゆっくりとうつ向いていた顔を上げ、それからゆっくりと顔を左に向けた。隣に座っている山田の方へと。僕と大山の視線は一瞬だけ交錯した。疲労感も怯えも無い、何も無い表情の大山だった。

 ザァーという変な音が僕の頭の中で鳴った(人間ってヤバイと思うとこんな音が鳴るんだ)

 それから大山は視線を下に落として山田を見つめながら、ゆっくりと体を左にひねり、傾けた。山田はなにも気づかずにペンを走らせている。大山の体が小刻みに震え始めた。そしてその震えは数秒で止まり、次は顔が上下に動き出した、ゆっくりと、ゆっくりと。

 大山の唇がかすかに動いたような気がした。背後でタカハシが大きなモーションで何かを大山に向けて投げつけた。大山は振り返らない。今度は消しゴムを投げつけた。大山に当たって消しゴムは教室の後ろのロッカーの方へ跳ね返る。大山は振り返らない。そして、顔と一緒に体もゆっくりと上下に動き出した。

 おい、大山なにしてんだよ!

 久しぶりにタカハシが大きな声で、しかも今までとは違って明確な意味を持った言葉を発した。その声の大きさに田中がピクリとする。教室も一瞬だけ時間が止まる。

 大山は体を正面に戻すといつものうつ向いた姿勢ではなく、顔を上げてゆっくり首を左右に動かし始めた。今度はハッキリと唇が動いている。

 rんrん rんrん rんrん rんrん

 首と一緒に肩まで動き出して、その動きはよりリズミカルになる。

 るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん

 かすかな声だが唇の動きで僕には「るんるん」が分かった。

 大山の顔にスマイルが拡がる。タカハシは動かなくなる。

 るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん るんるん

 すぐ近くの生徒には聞こえるのだろう、大山の前に座っている小林さんが(えっ、何?)という表情で後ろを見た。タカハシは動かない。山田はペンを動かしている、「るんるん」を呟きながら。 

 チャイムが鳴る。授業が終わる。田中はタカハシの大声も大山の異変にも気づかないふりをして足早に教室を出て行った。途端に教室内にざわめきが拡がる。皆が後ろを振り返り大山を見つめる。
 大山の「るんるん」はその動きと共にさらに大きくなり、そして

 ガタンと音がすると、

 るんるん るんるん るんるん るんるん

 とスキップをしながら教室を出て行った、倒れた机と椅子を残して。


 6時間目、大山の姿はもちろん教室にはなかった。
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