第7話 白いご飯

文字数 3,703文字

 イヴォンヌから、「うちに来ないか?」と、電話があったのは先週のことだった。おそらく、子供たちからスパゲティの話を聞き、自分も私の作った食事を食べたい、と思ったのだろう。いつものパターンだ。彼女たちが場所とお酒を提供し、うちが食事を提供する。子供たちは楽しく遊べる。ウイン・ウインというやつだ。
 何を持っていこうか考えた。二年前にうちに招待した時に焼き肉をごちそうしたのだけれど、それ以来ご主人のデトルフがずっと、焼き肉を食べたい、と言い続けている。二年間も言われ続け、そのままほったらかしてあったので、今回は焼き肉を持って行った。自家製のたれで味付けした肉と、焼き鳥用に切って串に刺したもの、キュウリの甘酢しょうゆ漬け、それに炭火のグリルと炊飯器を持って行った。
 子供たちにはピザを注文する、と言ったので、これはちょっと多すぎるかと思ったけれど、なぜか量を減らさなかった。多分、長年の勘と経験が私に何かを知らせたのだろう。

 案の定、家に着いたとたん、
「今日はジョンも来ることになったんだ」
 と、言われた。最初から言っておいてくれよ、と思うけれど、これはアメリカ人あるあるだ。

 ジョンは、この間までイヴォンヌたちの住む、この一億円クラスの家が立ち並ぶ住宅地の一角に居を構えていた。医者だという。けれど、奥さんがジョンの上司の医者と浮気をしたので、離婚して家を売り払った。それが半年前。顔を合わせなくなってからもジョンはしばしばデトルフに連絡を取っていたのだけれど、デトルフも会社経営者の忙しい身。なかなか連絡を取り合えない。今日たまたまジョンから電話があった。話のついでにうちがお邪魔することを言ってしまい、社交辞令で「来る?」と聞いたら、来ることになってしまったという。
 まあでも、焼き肉は二キロ。焼き鳥は一キロ用意した。子供たちはハメスとハビエルを入れて六人。食べるかもしれないし、食べないかもしれない。大人は五人。子供たちがどれくらい肉を食べるかで変わってくるけれど、まあ、ギリギリ足りるかな。

 イヴォンヌの家に行ったら、早速ビールとワインで乾杯した。デトルフはあたしのためにジントニックを作ってくれた。それを持って裏庭に行き、火を起こす。
 いい具合に火が回ったころ、表の方が何やら騒がしくなった。
「元気だった?」
 気のいい声に振り返る。ジョンだった。彼は気がよくて優しそうな白人男性。ハグをしたりしてお互いの無事を喜び合う。と、その向こうに何やらちょろちょろとした人影に気づいた。なんと、子供二人とその後ろには元妻がいた。彼女はがりがりにやせているセレブ風の白人だ。
 一気に冷汗が流れる。
 家族全員来るなら、最初に言えよっ!
 そうなると、こっちの食事の負担が増えると思って遠慮したのかは定かではないけれど、こっちは想定済みなのだから、予め言っていてほしかった。外で煙をもくもくさせながら焼いていると、イヴォンヌが家の中を気にしながら走ってきた。
「ジョン、家族連れで来たんだね」
 かるーく言ってやると、
「あたしだって知らなかったのよ!」
 イヴォンヌも大慌てだ。声を潜め、
「でも、信じられる? エックスまで来たのよ! 男作って出て行っておいて、こういう席に来るって。連れてくる方もつれてくる方だし、来る方も来る方よ!」
 やっぱりアメリカ人あるあるだ。
 「行く」と返事をしておいて来ない。「行かない」というのに、来る。「行く」と言って約束通りに来るのはいいけれど、招待されてない人まで連れてくる。

「これじゃ、デトルフの食べる分が少なくなっちゃうじゃない」
 なるほど、彼女の懸念はそこだったか。

 焼き肉と焼き鳥のいいにおいがあたりに漂った。うちの牛肉は、ここから二十分くらいのところにある農場で買っている。そうでないと、「くさい」と言って、子供が肉を食べないからだ。   最初は古いのかと思っていたけれど、どの肉も大概、同じようなにおいがする。ホルモン剤の影響なのか、牛の種類なのか。それとも豚肉と同じく、香料のようなものを添加しているのか。

 もともとうちの子供たちは偏食が激しい。子供のころなど、ビッキーは果物をおかずにして、白飯を食べていた。ノアは、白飯をおかずにして、白飯を食べていた。スイカが食べたい、と思えば真冬でもスイカが食べられるまでほぼ牛乳だけで飢えをしのぐ。当時はドイツに住んでいたから、農家が設置した自動販売機で買える新鮮な牛乳を買っていた。その牛乳とフライドポテト以外は口にしない。そのせいで体重が増えず、何度も病院に通わされた。医者は、バニラアイスとプロテインシェイクの粉を混ぜて飲ませろ、と食事指導をするが、ビッキーに言わせるとどちらも薬品のようなにおいがするという。それが本当かどうかはわからないけれど、やはり飲まない。そのせいで虐待を疑われ、もう少しで警察に通報されそうになり、最後通告を受けた検診の直前にファーストフード店に連れて行き、フライドポテトをおなか一杯食べさせ、のどの渇きをチョコレートシェイクで潤わせた。それでようやく通報から免れた、という過去さえある。

 説明が長くなったけれど、そういうわけで、うちの焼き肉は、肉がおいしいので必然的においしいのだ。
 ピザが到着したのに、子供たちは焼き鳥を食べ、焼き肉を食べ始めた。これはもう、足りないな、と覚悟を決めたとき、家の中から歓声が起こった。何事かと行ってみると、ビッキーがドヤ顔でテーブルに置いた炊飯器のふたを開けたところだった。
 蒸気が出て、ご飯のいい香りが漂う。
「すごい!」
 イヴォンヌとジョンの元妻があたしの炊飯器をながめて目を輝かせた。
「すごい! こんな炊飯器、見たことない」
 日本の普通の家庭にあるIH炊飯器に羨望のまなざしを向ける。それもそのはず、一度も使ったことがないというイヴォンヌの炊飯器は、朝ドラの昭和初期ぐらいに出てくる感じのものだった。こっちこそ、「こんな炊飯器、見たことない」と言いたいくらいだった。ジョンの元妻も、
「健康にいいから、最近はお米にはまってるの」
 と、いかにも白人セレブ風のことを言う。けれど、その彼女の持っている炊飯器でさえ「沸騰」と、「切る」しかスイッチがないという。その点、私のはタイマーもついていて、保温もできる。
「アジア人の家庭には、一家に一台炊飯器がある、っていうのはさ、アメリカ人にとっては伝説みたいなもんなんだよね」
 ビッキーがこっそり日本語で言ってきた。おそらく、東京の人が、大阪の人は、一家に一台タコ焼き器がある、というのが信じられない、という感覚と同じか。
 アジア人同士で、
「昨日、炊飯器からご飯出すの忘れたらお母さんに怒られちゃってさ」
「うちなんか、いつも全部食べ切っちゃうよ」
 的な話をしていても、アメリカ人には想像もできないみたいで、「はいはい。話盛ってるのね」みたいな反応をするらしい。
 だから、イヴォンヌとその友達は、「アジア人の一家に一台炊飯器伝説」が事実だと知って驚いたのだ、と、ビッキーは言う。
 さらに、今、アメリカ人のセレブの間では日本が大人気で、横にスライドするドアとかふすまとか、そういうのがある家が金持ちの象徴になっているから、COOLでスタイリッシュな銀色ボディで保温機能、炊きあがりの硬さ調節付きの日本製炊飯器となると、そりゃ、特別感半端ないはず、らしい。
「最近、ちょっと変わってきたことがあってさ」
 ビッキーは口を開いた。
「昔は第二次世界大戦のことを授業で習うと、必ず日本はパールハーバーに奇襲攻撃をしかけた卑怯者で、アメリカ人を大量に殺した敵、みたいに教わってさ。そのせいでずいぶんいじめられたけど、最近は、日本は攻撃前にアメリカ側に通達したけれど、手違いで攻撃後にしか通知が伝わらなかった。あれは、不運な悲劇だ、っていう風に変わったんだよ」
 驚きだった。今まではそのせいでけっこうひどいことを言われたこともあったのに。
「それだけじゃないの」
 ビッキーはつづけた。
「第二次世界大戦の敗戦国は日本とドイツとイタリア。なのに、どうして日本人だけが捕虜になってキャンプに収容されて拷問されなきゃいけなかったのか、そんなのはおかしいじゃないか、っていう話にまでなってきてるんだよ」
 子供を産んでアメリカで育てると決めたとき、子供が第二次世界大戦のことを学校で習う時のことが一番心配だった。それは、日本人とのハーフなら、必ず通らなければならない苦痛の道だった。誰もがそのせいでいじめられ、嫌な思いをしてきた。
 ビッキーにはかわいそうだったが、ノアは、その道さえも通らずに済むのだ。
 ジョンの元妻は、イヴォンヌが用意したフォークではなく、わたしが肉を焼くように持ってきた割り箸をつかいこなし、焼き肉一切れで白米一杯を食べ切るぐらいの勢いで米を食べまくっていた。アメリカで作られた特に名もない日本種の米を使っているのだけれど、
「こんなおいしいコメは食べたことがない」
 と、感激しきりだった。
 時代が変わったと思わざるを得ない一日だった。
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