第15話 トマト

文字数 1,970文字

 今年は、虫が大発生するらしい。いや、すでに大発生してペンシルベニアからこっちに向かっているそうな。
 今年も家庭菜園を頑張ろうと思って、朝市にトマトの苗を買いに行った。そこで、家庭菜園愛好家の皆様が「虫」の話をしていたのだった。どうやらそれは、この地域に十七年ごとに起こる現象のようで、「イナゴのように大発生」して、「作物を食い荒らす」「セミのようなもの」だという。
 セミって、口に管がついてるんじゃなかったっけ? 歯でバリバリ食いちぎるのだろうか。どうも想像できない。そんなことを話していると、ダンディなおじさまがわざわざスマホで画像を検索して見せてくれた。

 なるほど。見た目は、セミ。真っ黒なボディに真っ赤な目。羽は透明だけれど、筋、というか、血管、というか、リンパ管、というか、羽に走っている模様は太いところが赤で、細くなるにつれ黒くなる、という、ちょい悪な仮面ライダーをほうふつとさせるビジュアルだった。それが、木の葉の一枚一枚にくっついているのだからかなり気持ちが悪い。
 去年庭でとれたトマトで作ったトマトソースが大変おいしく、スパゲティにもミートソースにもピザにもカレーにもエビチリにも大変重宝したので、今年はさらにたくさん栽培するぞ、と、裏庭の大半の芝生を菜園に変えた。オンラインの園芸店で、「トマトの木」なる苗を発見した。頑張って育てれば、十メートルくらいにはなるトマトの苗だそうで、そこまで行けるかどうかはわからないけれど注文したのに。

 虫の大発生、といえば、二十年前に一度、アイダホで経験した。
 その時はたまたまアパートに泊まっていたのだけれど、ドアを開けたら部屋の中に蛾が十匹ほど舞っていた。その時は追い払って、気持ち悪いけどまあいいや、と思っていたのだけれど、夜、電気を消したら「パサパサ」と音がする。その音がだんだん大きくなり、音の発生源が増えた。何事かと思って電気をつけたら、大量の蛾が部屋の中を舞っていた。電気の明かりに舞い散る鱗粉。目の前を狂ったように飛び回る蛾。大声を上げてダンナを起こした。けれどダンナは、
「寝ればわからないよ」
 と、また、何事もなかったように毛布にもぐりこんだ。
 なんでこれで普通でいられるのか。
 旦那をたたき起こし、すべての蛾を新聞紙でたたき殺してもらった。その死体の数は五十六匹に及んだ。

 その翌日。旦那が仕事に行くというので、外をぶらぶらしていた。すると近所の人たちが家から出てきて、
「蛾が来るぞ! 避難しろ!」
 と、叫んで、家の中に避難した。建設現場の人などは全員、車の中に隠れた。
 なんのこっちゃ、と思っていると、空の一点が黒くなり始めた。目を凝らしてみると、その真っ黒なものは形を変えながらものすごい速さでこっちに近づいてくる。あれ? と思ったら、近くに止めてあった車の上にぽとり、と、蛾が落ちた。「ん?」と思って見ていると、ぽとん、ぽとん。あちこちに蛾が落ちてくる。
「なにやってんだ! はやく!」
 車の中から誰かが叫んだ。その時にはすでに、ヒョウでも振ってきた感じに、蛾が落ちてきた。それでようやく我にかえった。頭や肩の上におちる蛾を、悲鳴を上げて振り落としながら急いで家の中に入った。そのときだった。

 ざざざざ。バサバサバサバサ。

 大雨でも降っているみたいなものすごい音がして、窓に大量の蛾が張り付いた。その向こうには嵐のように吹き抜ける蛾の大群。通気口から一匹、二匹と家の中に入ってくる。
 気持ち悪いなんてもんじゃない。悲鳴を上げながら毛布をかぶった。そとではバタバタ、ざざざざ、と、音が響き続ける。
 そして十五分か二十分ほどたって、あたりはまた、何もなかったように静まり勝った。
 
 とまあ、そんなことを思い出して、あんなふうになるのかな、と、考えた。
 でも。

 特に話題にもならなかったけれど、三年前にはマメコガネが大量に発生しなかったか。
 外を見たら、前庭に植えてある木が真っ黒に変わっていたので、変な病気にでもかかったか、と、近づいた。近づくとそれはもぞもぞとうごめいていて、ある程度まで近づくと、それは、隙間なく木にはりついたマメコガネだったことに気づいた。よく見たら木だけではない。バラにも、桜の木にも、リンゴの木にもラズベリーにも大量にはりついていて、すべての風景が真っ黒けにならなかったか。秋が始まるころには、すべての葉っぱが食い荒らされ、葉脈だけがレースのように残ってはいなかったか。
 ぞっとした。
 今年はすでにたくさんのトマトの苗を買ってしまった。キュウリも枝豆も、オクラもナスも。ブルーベリーは実をつけ始め、イチゴは満開に花を咲かせている。

 ここで、セミなんぞにやられてたまるか。

 オンラインで、金属製の網を買った。明日は支柱を立てなければならない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み